Flag2―魔法の世界と楸の親子―(3)
「お客様ですから、当然ですよ!」
「あ、あの……どうやって着替えを……?」
「……勝手にすみません。酷く汗もかいていたので、体を拭くのを含めて私が。……やっぱりあの服、とても大事な物でしたか? 勝手に触ってしまってごめんなさい……」
目を伏せたルーナにはこっちが見えていない事を確認して、手早くズボンに手を掛けて、履き口から内側を覗き見る。……良かった。パンツはそのままだ。
安堵の溜め息をつくと同時、ルーナは「で、でもっ!」と大きな声でこちらに向き直った。勢いよく戻ったズボンのゴムが下腹部の表面に広がる痛みを作り出す。
「お父さんには、見られていませんから!!」
「……はい?」
これは一体どういうこった。このルーナ=カタルパという、お父さんからしたら自慢であろう娘さんは気遣いの出来るとても良い少女である。そんな彼女は言った。『お父さんには、見られていませんから!!』と。つまりこれはあれか。あれなのか。
「ルーナ。ルーナは何かを勘違いしていると思う」
「勘違い……ですか?」
「俺は男だ」
「えっ……?」
何で戸惑うの? 何でそんなに固まっちゃうの? 確かに、俺は身長は高い方じゃないけれど、かと言って別に低いわけでもないからね!? ……多分。そ、それに何処とは言わないけど小さくはないと思うんだけど……小さく……無いよな?
「アハハッ、まっさかー!」
「本当だよ!!」
急に砕けた口調で笑っていたルーナは再び動きが停止すると、段々と顔が赤く染まっていく。
「……いや、でも髪の毛だって黒くて綺麗だし、その……顔も……」
どうやら今の今までずっと勘違いをしていたらしい。これまでの行動を思い出して恥ずかしくなったのだろうか。顔を両手で覆って俯いている彼女の髪の毛の隙間から見える耳は自身の髪の色に負けない程鮮やかな赤色をしていた。
部屋を無音が支配する。外から聞こえる鳥の囀りは、まるで嘲笑っているようである。
「……あ、あのさ、ルーナ。異世界ってあると思う?」
何を口走って居るんだ俺の馬鹿! いきなり変な事言ったって、ルーナが困るに決まってるのに。
しかし意外にも、ルーナは答え倦む事もなく、俺の荒唐無稽な質問に乗っかってきた。どうやらさっきまでの事は無かった事にするらしい。……目は合わしてくれないけれど。
「異世界……ですか? 私はあまり信じられない……と言いますか……」
目を伏せて、それとも単純に合わせてくれないルーナは「ですけれど」と言葉を繋ぐ。
「以前、私のお父さんは“ある”と言っていました」
思わぬ手掛かりだった。
どうして確信を持てるのか訊いてみた所、何でも、そう言っていたのはルーナが小さい頃の事でそこまで詳しくは知らないらしい。けれども、異世界の様なものが登場する神話もあるらしい。
そこで、一度お父さんと話をしてみたいと言ってみたものの、やめた方が良いと言われたが、そこをなんとかお願いして待つこと数分。
「連れて来ましたよ」
取り敢えず、言葉が支離滅裂にならないように考えを纏めていると、扉の方からそんな聞こえたので体向ける。ルーナに連れられて入ってきたのは穏やかで渋い雰囲気を持ったスーツ姿の中年の男性。
「私がルーナの父、ナイト=カタルパだ。話は聞いたよ。変わった事に興味があるんだね」
渋い男性――ナイトさんはそう言うと、ルーナと同じ紅色の髪を揺らし、目の前の椅子に座った。
面と向かうと少し緊張する。一見、優しげな茶色の瞳は真っ直ぐ此方を見ており、そのせいか何処か威厳を感じる。まさに“おじ様”という言葉がぴったりだ。
「初めまして……柊司と申します……」
自己紹介をしたところだが、一度ナイトさんに断りを入れて、ルーナに頼み事をすると笑顔で引き受けてくれた。
ルーナが部屋を出ていった所で、会話を再開する。
「話を中断してしまい申し訳ありません。その――」
「ふっふっふっ、私の娘はよく出来た娘だろう?」
「えっ? あっ、はい。そうですね」
「小さい頃からしっかりしていた娘でね。少々引っ込み思案な所はあったものの言った事は曲げなかったり……ああ、そうそう今では母さんに似てどんどん美人になっていっているけど、小さい頃は小さい頃で可愛くってねぇ、『パパ、パパっ』って言って走ってくる姿はそりゃもう天使みたいで……」
……何これ。
終わりが見えなそうに語りだすナイトさんは、俺が話を聞きたいとか、そんな事はどうでもよくって、話し相手が欲しかっただけじゃあなかろうか。家で真面目なのも単にルーナに格好つけている様に思えてきた……。
もしかしてルーナってこうなる事を予想してたから最初は止めたのかな。
「それが最近はちょっと冷たい様に感じるんだよ。いや、相変わらず可愛くってよく出来た娘なんだけどね。気のせいか何だか距離が遠いって言うか――」
声を掛けても止まらないし、どうすれば良いものかと困っていると、突然鈍い音が響き、部屋は静寂に包まれた。
しかしそれも束の間。
「うぐぁぁああっ!?」
椅子から崩れ落ちて、頭を抱えて悲鳴を撒き散らしながら床を転がるナイトさん。
椅子の後ろには、いつの間にか部屋に戻ってきていたルーナが、何事もなく微笑みを浮かべて立っていた。手には一メートル程の長さの棒が握られている。
これはヤバイ。何かよくわかんないけど、ヤバイ。何も触れるべきでは無いと、俺の本能が告げている。
「あっ、ルーナ戻って来てたんだ」
落ち着け俺。声が震えたのは気のせいだ。
「はい、頼まれていたものが見付かったので」
差し出される鈍器……じゃなくて一メートル程の長さの棒。手は震えていたが、痺れは大分マシになっていたお陰で落とすことなく受け取ることが出来た。
「あぁぁああっ!! 頭がッ! 頭がぁッ!」
…………棒の真ん中、結ばれていた紐を解く。下には何も転がっていない事にした。
解いた紐の根元を掴んで、棒だったものを開いていく。まだ少し指先の感覚取り戻せていなかったため、少し苦戦したが、何とか巻物の様になっていたものを開く事が出来た。
そこに描かれていたのは地図。しかし、そこにあるのは大きな大陸が一つだけだった。ルーナに確認すると、やはりこれが世界地図。やはり、見覚えはない。
地図を元に戻してルーナへ返す。床で遂に動かなくなってしまったナイトさんに、そろそろ頭が冷えた頃合いだろうと、呼び掛けてみた。
「ナイトさん。異世界について伺いたい事があるのですが……」
「……いやあ、失敬失敬。少々恥ずかしい所を見せてしまったね」
少々どころではない事はさておき、ちゃんと反応したナイトさんは立ち上がって居住まいを正すと、何事もなかったかのように座り直した。流石に最初のおじ様という感じを取り戻すには手遅れだと思う。
「それで……異世界、だったね。どうしてわざわざそんな事を?」
怪訝な表情を浮かべるナイトさん。そりゃそうだよな。




