Flag2―魔法の世界と楸の親子―(1)
風が肌を刺す。纏わり付いていた白い雪に似た何かが消えると、俺は木々に囲まれた場所薄暗い場所に立っていた。
森……だろうか? 月明かりは青々とした葉々を照らして、その影を仄かに見える幹へと落としている。残念ながら、先は見えない。
「ッ……ァ……!?」
しかしそうしていたのも束の間、突如として全身に刺すような痛みが走った。風が撫でる肌なんて比にはならない程の痛みは、身体の内側からを溢れるように、増していく。意識が遠退く。視界がふらふらと乱雑に揺れ、意識が闇に呑まれてゆく。
最後に見たのは、さっきまでと全く変わらない、寒気がする程美しい星空だった。
‡ ‡ ‡
柔らかい。ふかふかで、息を吸い込むと優しい匂いが鼻腔に広がる。何だか手放すのはとても口惜しいけれど、今起きないと、今日も今日とてつむじの不法侵入が炸裂するだろう。
取り敢えず目を開く。寝起きだからだろうか、視界はぼやけ、目の奥が少し痛い。
そんな自身の目と、瞼に力を入れたりと朝恒例の苦戦を強いられているとガタリと詰まった音がした。
「あの……大丈夫ですか?」
「何だよつむじ……居たのか……ってあれ……?」
体に上手く力が入らない。何とか起き上がろうとしてみるけれど、全身の神経が鈍っているみたいで動かない。
「悪いつむじ……ちょっと手を……」
近付いて来た足音に助けを求める。徐々にではあるが、さっきよりも視界が開けてきた。
「貸してく――誰……?」
目の前の光景に息を飲む。
目の前には見ず知らずの一人の少女。その少女の艶やかな、紅葉の様に鮮やかな紅色の長髪の後ろ髪は、一本の簪の様なもので一つに結われている。
長い睫毛は、じっと見詰めているといつかは吸い込まれてしまいそうな程綺麗で澄んだダークレッド瞳を更に大きく強調していて、何処かあどけなさの残る上品な顔立ちの魅力を更に引き出してるようだ。
俺よりも少し低い背丈の彼女は、白のワンピースの上に薄いピンクの色をしたカーディガンを羽織っており、育ちの良いお嬢様の様な印象を受ける。ちなみに出るところは……出ている。
「えっ……? あのー……?」
戸惑う少女。同年代位に見える彼女はとても愛らしくて、ずっと見ていても飽きなそうだ。
しかし、これは……うん、なるほど、夢だな。
普通、目が覚めた先に見ず知らずの他人が居るなんてこと、ある筈が無い。俺が忘れているだけという可能性もあるけど、これだけの容姿の人を忘れるなんて男が廃る。つまりは知らぬ人だ。
そして体が動かないのも夢ならではの事だろう。夢だからといって、何もかも思い通りに出来る訳でも無いし。納得。
けれど、どうしようか。夢だし、勿体無いし…………忘れないように記憶に刻み付ける位は、許されるよね。
「あのー……」
「…………」
「あの?」
「…………」
「あのっ!」
「痛っ!」
まさか頬を抓られるとは……中々思う通りにいかないな…………あれ? けど、夢は自分の考えとかが出やすいし……そんな趣味じゃないんだけど…………ハハッ、まっさかー! …………いやいやいや! 夢は記憶の整理って言うし、きっとつむじのせいだ。違う! 俺は違う! 痛いのなんて俺はッ……ん? 痛い?
温もりの帯びてるであろう頬には微かに痛みが残っている。
つ、つまり現実……? 混乱して、乱れた思考の中に何故か安心している自分が居る……。良かった……良くないけど良かった……。
けれど、そうなるとこの目の前の少女は誰だ。思考が落ち着いてくると此処が知らない場所だという事に気が付いた。……通りで良い匂いが……じゃなくて!
「あの!」
「は、はいっ! なんでしょうか!?」
思考が中断される。そういえばずっと話し掛けられていたなと、内心客観的に分析してみるけれど、咄嗟に出た声は上擦っていたので何だか気まずい。
「そ、その……恥ずかしいので……あまり、見ないで下さい……」
手をぎゅっと握り締めて、耳まで真っ赤に染めた顔で伏し目がちに彼女は消え入るように言葉を発した。
「…………」
何なんだろうか? この胸の内から込み上げてくる気持ちは。
……落ち着け俺。何かよくわかんないけど、体が動かなくて助かった様な気がする。何かに目覚めそうになったのも気のせいだ。
「あの、ですから……」
どうしようも言葉が出ないでいると、彼女は言葉の端々を震わしながらも、控え目な抗議を繰り返す。このままでは彼女が倒れてしまいそうだ。
しかし無理なものは無理である。
「ごめんなさい……けど、上手く体が動かなくて……」
今の俺の体勢はうつ伏せで、顔だけを向けている状態である。ダサい。そこはかとなく格好がつかない。というか、向こうからしたら不気味だと思う。
「すすす、すみません! 私なんか見てませんよね? 変な事を言ってすみませんでした!」
随分と腰が低い……。何だか悪い事している気分になってくる。実際、俺が悪いんだけども。
「い、いや、そうじゃなくって、君に何かをしようってつもり…無かったけど、悪いのは俺で……」
疚しい気持ちが無かった訳ではない事を否定は出来ないが、危害を加えるつもりは全くなかったのは本当である。何かに目覚めそうになったとしても、本当である。
「怒って……いませんか?」
目を滲ませ、不安そうに問い掛けられると、形容しがたい罪悪感にかられる。けれど、そんな表情も魅力的。お願いだから無自覚にさっきから目覚めそうな何かを刺激するのはやめて欲しい。
しかしそんな事をいつまでも考えている訳にもいかない。少し深呼吸をして落ち着きを取り戻し、手短に怒ってなんかいない事を伝えて、相手が口を開くよりも先に、思っていたことをぶつけてみた。
「ここはどこですか?」
「私の家で……えっと、リアトラですよ……? 端っこの方ですけど」
……何だそれ初めて聞いたぞ。不思議そうな表情を見せる彼女をを見ていると嘘を言っているようには見えない。
「あれ? 知りませんか? 水の都と呼ばれていて有名なんですけど……」
「……日本じゃ……ありませんよね?」
「にほん……?」
「ジャパン」
「じゃぱん……?」
質問する度に彼女の表情は曇っていく。本当に知らないらしい。
「……じ、じゃあここってどこの国ですか?」
「ハルバティリス王国です。……知りませんか?」
「……はい、全く」
視界の端に写る窓からは、いつもと変わらない青空が見えた。これは一体どういう事だ。
現状に追い付いてこない思考をひたすらに待っていると、彼女はふと何かを思い出した様な素振りを見せた。
「すみません、少々席を外します。……あの、何かわからない事はありますか?」
わからない事が多すぎて、どう言葉にすれば良いのかもわからない。けれど、目の前の少女の人柄の良さだけは理解出来ていた。




