Flag1―過去と未来と現在と―(2)
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「ん……」
体の下敷きになっていたせいでぼんやりと痺れの広がっていく腕を持ち上げて、重たい瞼を軽く擦ると、少し軽くなった気がする。
珍しい夢を見たものだ。今は十六だから……もう六年が経ったのか……。今更こんなことを思い出すなんて、仕方ないと言えば仕方ないけれど、もちろん良い目覚めとは到底言えるわけがない。
それでも何とか、ゆっくりと態勢を起こして時計を見る。……七時五十分……早起きとは言い難い。
そんな自分の不甲斐なさが少し肩を落として落ち込んでいると、ふと部屋の入り口の方から声が聞こえた。
「ぷぷっ、中々の熟睡っぷりだったぞ」
「居たのかよ……」
「何だよー、暗いぞ!」
「つむじが朝っぱらからうるさいだけだ……」
「なっ……! 元気が良いって言えよ!」
うるさいのは否定しないのか。
この並榎つむじという、青天の霹靂を体言しているかのような幼なじみは夢で見たあの頃から何ら変わっちゃいなくて不安になるが、少し安心する。
とはいえ、それは内面の話である。外見に関しては、身長はないものの、頭に行く筈だったであろう栄養が全てスタイルに振り分けられてしまったのか、見事に女の子らしく成長しているのだから、最早詐欺ではなかろうか。
当の本人は二本の若草色のピンで留められた前髪の下で、大きな黄色い双眸の間に皺を寄せて、同じく黄色のミディアムヘアーの髪を軽く振り乱して何やら不満があるご様子。頂点に頂くアホ毛がいつもより逆立っているのは気のせいだろうか。
「はいはい、生きが良いですねー」
「うがっー! 私は魚か何かか!?」
「怒るならそもそも何で勝手に入って来てんだよ?」
「繁じいちゃんとの約束だから!」
つむじは「エッヘン!」と、ふんぞり返って腕を組む。幼い顔立ちと相俟って一層子供っぽい。やっぱり養分は脳みそに届かなかったらしい。
「……不法侵入常習者め」
「鍵持ってるから不法侵入じゃ無いもん!」
そう言うとつむじは制服の胸ポケットから俺の家の鍵を懐から取り出して見せつけるかの様に左右に揺らした。
「俺が渡した覚えは無い」
そもそも不法侵入にも変わりない。
「繁じいちゃんから貰ったんだから当たり前だろ?」
「はぁ……」
なんでこんなに自信満々なの?
「なんだよ……」
「ちょっと悩み事がな……」
「悩み事……? 私で良ければ相談に乗るぞ?」
「はぁ……」
「なんでそんな反応するんだよ!?」
「一番の原因がこれだからな……」
何でこうなっちゃったんだろう……。日差しにやられたのかな? でも今は冬だし……やっぱり養分が届かなかったのか……。
「わ、私のせいか!?」
「冗談だよ」
「なぁーんだ! 冗談かー!」
「一番じゃあないってだけだけどな」
「私のどこに原因があるんだよー!?」
逆に俺はお前以外のどこに原因があるのかを知りたい。
「だってアホじゃん」
「あ、アホじゃねーし……」
「じゃあ馬鹿で」
「な、なんだよ! バカって言った方がバカなんだぞ! バーカ! バーカ! 私の事何でもお見通しみたいに振る舞いやがってぇ!」
べっ、と舌を突き出したつむじがどたばたと音をたてて部屋から出て行くと、途端に部屋が静かになった。
台風一過。けれど中々に賑やかだったからだろうか、少し侘しい。
そう感じた自分が居ることに何処と無く敗北感を覚えたが、見て見ぬ振り。短に着替えを済ませて階段を降りてリビングに向かうと、テレビの前で三角座りで鎮座するアホ毛の子が目に入った。
「何で居るんだ?」
「繁じいちゃんとの約束だから……」
「そうかい」
手短な受け答えを済まして恒例行事は終わりを迎えた。
いつもつむじは『繁じいちゃんとの約束だから』という言葉を口にする。けれど、鍵は渡しているのは本当だが、その約束は嘘だという事を俺は知っている。
件の繁じいちゃんは二年前にあっさりと亡くなってしまったけれど……。
最後の言葉が『ワシは司が心配じゃ……司よ……犯罪には手を染めるなよ……』だったのは色んな意味で悲しかったが、繁じいちゃんらしいと言えばらしいのかもしれない。
また、以前から一緒に学校へ行っていたつむじが家へ上がり込んでいる様になったのはその頃なので、約束はしていなくても、繁じいちゃんは俺を心配してつむじに鍵を渡したのだろう。
「ありがとな……」
「ん? 司、何か言ったか?」
「何でもないよ。じゃあ、行くか」
「うん」
そんな言葉を交わして、いつもの通学路へ。少し歩いた頃つむじが口を開いた。
「あのさ……」
「どうした?」
つむじにしては珍しく、歯切れが悪い。
「來依菜……見つかるかな?」
「まあ、少なくとも生きているとは思う」
「もう二週間だぞ……?」
「まあ……確かにそうだな」
「だろ? ……何で司は來依菜が生きているって思うんだ?」
「日記、見ただろ?」
「日記? 來依菜のか?」
「ああ、普通、死のうって時にあんな日記残すとは思えないし、あの來依菜がこんな風に自殺するとは思えない」
「そりゃ、私だってそう思うけど……」
俯いたつむじの声は段々と小さくなっていく。こいつのこういう所を見るのは心苦しい。
「昔から、ここら辺は神隠しの言い伝えも多いから、案外不思議じゃあないのかもな……」
「何だよ、それ……お前はッ……!」
「別に諦めている訳じゃないよ」
日本の太平洋側に位置していることで温暖な気候の、都会と田舎の狭間の様な町並みのこの町――青見原には妖怪伝説を始めとする言い伝えが多く残っている。
また陰陽師の家も多いらしく、俺の母方の実家、つまり繁じいちゃんの家も陰陽師の家系だそうだ。ただ、本当かどうかは定かではないけれど。
とは言え、どう取り繕おうが気休めの言い訳には変わらないだから、つむじの反応は至極全うだろう。
「……そっか……! それなら良いや! このままじゃ遅刻だ、急ごうぜ!」
それでもつむじは顔を上げて笑顔でそう言うと、俺の手を引っ張って走り出す。
けれども、その前に溢したつむじの呟きは聞こえていた。
学校に向かって走り出すつむじに連れられて俺も足を早める。無理矢理作られた笑顔と、「じゃあ、なんで……そんな平気な顔作ってんだよ……」そんな言葉が胸の奥を軽く抉った。
‡ ‡ ‡
見上げると星が輝いている。
しかし今は別に星を見に来た訳は無いし、見たい訳でもない。
「……來依菜」
何も変わらない空に向かって、今は居ないたった一人の名前を呟いてみる。
人が滅多に来ない、町を一望出来るこの小高い丘では、そんな八つ当たりに対して返事する人もいない。
当たり前である。時刻は午前零時ちょっと過ぎ。聞こえるのは風で揺れる針葉樹の葉の擦れる音位だ。




