Flag3―試験と試練―(2)
そんなこんなで、結局俺は早々に再びチャーリーの元へとやってきた。疲れるのは人でも馬でも変わらない事がわかった結果、それなら何と無く、何を言っても許されそうな馬の方を選択したのである。
『ウリィィィィィイイイイイイイ! 冷たい風が肌を虐めるのぉぉぉおおおお! うひぃ、冷てぇ! 何か痛い! 冷てぇ! 痛いけど……痛いけど何故か癖になるぅぅう! 癖になっちゃうよぉぉぉおおおん! ……フゥッ! ん? どうしたんだい兄ちゃん。少し浮かない顔しているぜ?』
選択を誤っていたのかもしれない。
「いや、気のせいだ……」
『ぷりてぃなお顔が台無しだぜ?』
こっち見んな。前みて歩け。
『なんだ? 言ってみな?』
どうやら素直に言わない限り前を見て歩いてくれないらしい。
「ちょっと、名前がな」
『名前? ああ、こっちで名乗る名前か。言ってみ』
「ツカサ……ホーリーツリー……」
『ぶふっ……! 良い名前だな?』
「馬鹿にしてんだろ」
『馬だけあって馬鹿ってか? HA! HA! HA! だけど俺は馬であって鹿では無い! 残念だったな!』
「うぜぇ……」
『まあ、落ち着け兄ちゃん。冗談だ、冗談。ホーリーツリーは別に変には聞こえねえぜ? まっ、マルコヴィッチなら笑えるけど』
「今すぐ全世界のマルコヴィッチさんに謝れ」
そもそもマルコヴィッチで駄目ならチャーリーも駄目だろ。……いや、俺もチャーリーって名前聞いた時笑っちゃったけどさ。こいつ馬だもん。
『……だがな、お前はマルコヴィッチじゃない! それに何事もこれで正しいんだって堂々としていればカッコイイんだぜ!』
成る程。何か悔しいけど、チャーリーの言っている事も正しいのかもしれない。……ま、まさか、これを言うためにわざわざ憎まれ役を……!?
馬鹿は俺の方だったというのか。認めたくはないが、認めざるを得ないのかもしれない。
『Hey! そこのカノジョー! この仕事終わったら俺とデートしなぁい!?』
いや、やっぱ今の無し。
『あちゃー! フラれちったかぁ! まったねぇー! んチュッ! んッチュッ!』
擦れ違った馬(多分雌)をナンパしている。酷く顔を歪めていたのが印象的だった。後、投げキッスっぽい何かがひたすらに気持ち悪い。
果たしてこの馬は本当に物知りなのだろうか? ナイトさんは“あれでも”と言っていたけれど、“あれでも”の“でも”の部分が全く見当たらない。
とはいえ、目的地に着くまでの間、暇な上、ナイトさんには話を聞くようにと言われてしまったので、結局、チャーリーの話を聞いて過ごした。
『さぁ、着いたぜ』
そうして。チャーリーの声に促されて、俺達は馬車から降りた。
石造りの道が地に広がる。まるで計算されたかのように綺麗に並ぶ西洋風の建築物。石橋の下には水路が通っており、街中に広がっているのだろう。
「凄いな……」
夕焼けが水面に反射して、眩しかったけれど、目を離せなかった。上手く頭が回らなくて、陳腐な表現しか出なかった。出来なかった。
目一杯に写る新鮮な光景。石段に座って、汗を拭う船頭。水路の脇に停められたゴンドラにポツリポツリと燃ゆる、淡く優しい灯火。街というキャンバスに描かれゆく街並みを拾う石の道。まさしく、水の都。
どれ位の時間が経っただろうか、気付いた頃には既に太陽は完全に落ちていた。惚けていた俺の気持ちを汲み取って、今まで見守ってくれていたナイトさんが、「今日はもう宿に泊まろうか」と口を開く。
「そうですね。わかってはいましたが、やっぱり長時間の移動は疲れてしまいます」
同じく見守ってくれていたルーナの表情は少し誇らしげだ。
「あれ? ルーナは学院の寮じゃないのか?」
ルーナは普段、学院の寮に住んでいると聞いている。今日から寮に戻ることも可能な筈だ。
「今からわざわざ学院に戻るのも面倒ですし、今日は私も宿に泊まろうかと考えています。……嫌ですか?」
卑怯な質問をしてくる。目で抗議の意を表してみると、ルーナは悪戯っ子のように、されど上品に笑った。
「全然! 全然嫌じゃないよ!」
「お父さんには訊いてません」
「……そ、そっか、じゃあ行こうか。ここまでありがとうチャーリー。……また頼む」
娘に笑顔で適当にあしらわれてヘコむお父さん。ちょっと可哀想だと思ったけど、多分慰めると余計に惨めに感じてしまいそうだから、触れないでおこう。
『おうよナイト! 俺は基本ここら辺に居るからいつでもお待ちするぜ! HA! HA! HA! 後、最近気のせいかルーナちゃんに距離取られてねぇか?』
余計な一言を、ただ吐き捨てるだけ吐き捨てて、立ち去ろうとする馬。ほら、ナイトさんが崩れ落ちちゃったじゃん。
そんなナイトさんは放って……そっとしておいて、俺は少し逡巡したものの、チャーリーの名前を呼ぶ。
『ん? なんだい? ツカサ』
チャーリーがどんなやつであろうとも、何だかんだで半日一緒に過ごしたから、少し名残惜しい。
「今日はありがとう!」
だから、せめてこれ位は言っておかないと、気が済まなかった。
『へへっ』
笑う馬。街の奥へと消え行こうとする後ろ姿が無駄に格好いい。
『あっ、ちょっ! そこの彼女! そうそう、そこの鬣の麗しい彼女! んュッ、あっ! どうして逃げるの? 待って! 俺と……ああ、どうして逃げるの? 待ってよぉぉおお!』
……事は無かった。
その後、チャーリーを見送って宿に向かった俺達は、明日の予定を話そうとしていた。
取った部屋は二つ、尚、俺とナイトさんは相部屋である。
部屋の割り振りについては、ナイトさんがルーナと相部屋になろうとして一悶着あったものの、『気持ち悪い』の一言で片は付いた。
しかしその結果がこれである。
「ルゅ、ルゅーナぁぁ……ぅっぐっ……ひっぐ……ぐしゅっ……」
話が進みそうにない。
「な、なぁ、ルーナ……」
「嫌です」
その上、この有り様である。俺と出会う前から色々と溜まっていたのかも。
「普通、年頃の娘に言ったら気持ち悪がられる事くらいわかりますよね? まず何ですか、事有る毎に様子見や差し入れと称して部屋にノックも無しに入ってきて。せめてノックくらい出来るし、私もそうしてくれと何度も言っています。言う度、わかったと返事をする癖に同じ事を繰り返して、言い訳が『驚いた顔が見てみたかった』? 一度や二度位であれば私だって許しますよ。ですが、そうそう繰り返されては誰だって腹が立ちます。そればかりか、私が寮で暮らすようになってから、学院にまで姿を表すようになって……恥ずかしい事この上ありません!」
もうやめたげてよぉ。正論言われる度にナイトさんがビクビクしちゃって、もう哀れすぎて見ていられないよぉ……。
「る、ルーナ……」
「司さんもそう思いますよね?」
「はい、思います」
ごめんなさい、ナイトさん。もう何度目かは覚えていませんが、俺はあなたを見捨てます。