Flag2―魔法の世界と楸の親子―(5)
まあ、実際夜までずっと暇だし助かると言えば助かるんだけど。しかしこれはこれで如何なものか。
「あっ、『今コイツ大丈夫か?』とか思いましたね? 安心して下さい。私、こう見えても弱くはないんですよ」
ルーナはつむじに負けず劣らない胸を張るが説得力はあまりない……。けどまあ、やる時はやりそうなタイプのナイトさんも居るし、大丈夫だろう。なんて楽天的に考える事にした。
「うっぐ……ルーナ……摘まみ食いしたのは魔が差しただけなんだ……ひっぐ。ルーナとピクニックなんて久し振りだったから……嬉しくなっちゃっただけなんだ……だ、だから、無視しないでおくれ……ぐすっ」
大丈夫……かな……。
閑話休題。
「魔法か……俺も使えるようになるのかな……」
「きっと、使えるようになりますよ」
魔法。この世界で生きるならきっと必要になるであろう力。少し、不安になる。もし、駄目だったら、全てを諦めなくっちゃいけなくなりそうで。
悩んでいると、多分顔に出ていたのであろう、ルーナが俺の名前を呼んだ。
「少し早いですが、昼食にしましょうか」
ランプが灯って数時間になる。景色は一向に変わらない。
何だかんだルーナやナイトさんのお陰で、日中は楽しく過ごして、気付けば帰る時間になっていた。
「何も起きませんでしたね」
「悪いな。わざわざ付き合ってもらって」
「いえ、私も楽しかったですので、気にしないで下さい」
じゃあ、帰ろうか。そう言おうとした時、それよりも早く、「静かにっ!」とナイトさんが短く言葉を発した。
続けて「魔獣だ」と言うと、ナイトさんとルーナは俺を背中側へと回して、庇う形で正面にある茂みの方を睨む。
この森にはそこまで危険な個体は居ないらしいのだが、魔法を使えない俺がいるから、こういった対応をしているのだろう。
ガサガサと茂みが揺れる。それから少しして現れたのは人間の子供くらいの大きさはある五匹の狼だった。名前はウィーク・ウルフと言うらしい。
ランクの低い魔獣ではあるのだが、動きが素早く、群で行動するため、それなりに魔法を使える人であっても、場合によってはてこずる事もあるらしい。
ウィーク・ウルフ達は、ゆっくりと足を進めて、俺達との距離を詰める。それから一定距離に達すると止まり、喉の奥から低い唸り声を響かせた。
そうして、暫しの間、睨み合いが続いたが、そう長くは続かず、張り詰めた空気は、統括しているらしい五匹の中央に位置する一匹が吠えることで動き出した。
ウィーク・ウルフは外側の二匹から順番に行する形で、ナイトさんへ向かって走り出す。
しかしナイトさんは表情を変えず、ただ右の手の平を正面に向けて、端的に言葉を発した。
「〝ランド〟」
すると言葉に呼応するかのように、ナイトさんから二三歩先の地面に、円で囲まれた五芒星が、青白い光を淡く発しながら浮かび上がると共に、土が隆起し、ウィーク・ウルフ達を阻む巨大な壁となった。
それから直ぐ、鈍い音が二回。聞いていて気分の良い音ではなかったが、ルーナとナイトさんの顔色が変わらないのを見るに、この世界だと普通の事なのかもしれない。
しかしまだ終わっていない。壁にぶつからなかったのであろう残りの二匹が其々壁の左右から、こちら側に回り込む形で迫り来る。
更に最後の一匹、群を統率していると思われる個体が少し送れて壁の上から現れた。
それに対して、ナイトさんが右腕を一度横へ振る。すると壁の左右から回り込んで来た二匹は同時に真っ二つになってしまった。
最初に現れた土の壁が、元の形へと還っていく。宙を斬る最後の一匹の牙は、腕を振り切ったナイトさんの首へ一直線。しかし届く事はなかった。
鳴き声と喉を鳴らす音を一瞬洩らして吹き飛んだ最後の一匹は、数回軽く跳ねた後、地面に横たわる。くぐもった声を鳴らして、足を数回動かしたものの直ぐに脱力し、二度と動くことはなかった。
「終わりましたね」
ウィーク・ウルフがいた場所に向けて、手を伸ばしていたルーナが、その手を下ろしながら言う。
……呆気ない。そんな風に言ってしまうのは言い方が悪いかもしれないけれど。やっぱり、あっという間だった。
本当に一瞬。この一瞬で始まって終わった。確かに、命のやり取りがあったのだ。
ルーナとナイトさんの二人は何事もなかったかのように振る舞うけれど、こういったものを初めて見る俺にとっては中々に衝撃的な光景である。
「すまないね、司君。君の住んでいた所ではこういったことが無かったんだったね」
「いえ、大丈夫です。守ってくださりありがとうございました」
「当たり前の事をしたまでだよ。ではルーナ、司君、帰ろうか」
柔和な笑顔を浮かべたナイトさんに対して、俺とルーナは其々返事をする。
今さっきまで目の前で起こっていた光景は、そんな事が起こる世界で生きていく事を、もう後戻りは出来ないのだという事を、俺に見せ付けてくるようだった。
「そういえば、司君はこれからどうするんだ?」
けれど、そんな事とっくに理解している。
「帰る方法を探しながら、來依菜を探すために旅をしようと思います」
「いつから……ですか?」
少し寂しげな表情を浮かべてルーナは問うてきた。ルーナには申し訳ないけれど、嬉しいと思ってしまったのは軽骨だろうか。
「出来るだけ早い内に、かな。一応、放っておくには心配なやつも居るし……」
「却下です」
「へっ……? ルーナ……?」
「ですから、却下です。旅に出るってなんですか? 死にたいんですか?」
「いや、でもそれしか方法は無いし……」
毅然とした態度のルーナにたじろいでいると、それまで黙っていたナイトさんが、優しげな口調で口を開いた。
「いや、他にも道はあるよ。要は、この世界で生きる為の力を手に入れて、同時に來依菜ちゃんの情報を集められれば良いんだろう? だから――」
「学校に通いましょう!」
満面の笑みを浮かべて、ナイトさんの台詞を奪い取ったルーナは、俺に向かって右手を差し出してきた。
「ルーナの通っている王都魔術学院は、この国唯一の魔導を扱っている学校だ。場所もリアトラの中心部だから、情報の量も多い。これなら君は力を付けることも、足掛かりを探すことも出来るだろう? 勿論、私も協力を惜しまない」
二人は「どうだい?」と俺の目を見ることで訊ねてくる。
確かに、右も左もわからないまま、何の力も持たない状態で、危険と隣り合わせの旅に出るよりも、二人の言う通りにした方が効率的なのかもしれない……けれど。
「有り難い提案ですけど、流石にそこまでしてもらうのは……」
これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。出会ってから一日しか経っていないのにも拘わらず、これだけの事をしてもらっているのだ。もう十分と言って良い。
俺から返せるものは何もない。出来るとすれば、きっとこれ以上迷惑を掛けない事くらいしかない。
「ですから、却下です。司さん、私さっき『死にたいんですか?』って言いましたよね?」
「いや、でも……」
「言いましたよね?」
「……はい、言いました」
笑顔が何か怖かった。有無を言える雰囲気じゃ無かった。
とはいえ、ここで我を通して、振り切るのは出来るんだろうけど、最低な奴として二人の中に残るのは避けたい。せめてそういうやつも居たな位で終わらせるのが礼儀だろうし。下郎に成り果てた先に來依菜を見付けたって來依菜にもつむじにも会わせる顔がない。
「遠慮しているのかい?」
ナイトさんが優しい声で問い掛けてきた。どう返事をすれば良いのか、夜の鳥が二度ほど鳴く間迷った挙げ句、俺は首を縦に振った。
「なら、こう考えてみて欲しい。私達は君が死ぬ可能性が高いのに送り出すのは気分が悪い。君の為では無く、自分の為にこう言っているのだと」
「流石にそれは無理が……」
「じゃあ、早く帰って準備しましょうか」
ルーナは先導して帰路に就く。……聞いてないし。……ん?
「準備? 何の?」
「学校ですよ?」
「誰の?」
「司さんのですよ?」
「何で?」
「そんなの、明日出発するからに決まっているじゃないですか」
言葉にならない動揺の声を洩らして、後退りそうになった俺の肩を掴まれる。
「まあ、そういうことだよ」
ナイトさんはいつの間にか俺の後ろに回り込んでいたらしい。……多分、最初から逃がすつもりなんて無かったんだろうな。
溜め息が出た。少し笑い声も。
「諦めました。よろしく願いします」
二人は力強い返事を返してくれた。何だよそれ。結局は二人の掌の上だったってことじゃん。嬉しいような悔しいような……複雑な気分だ。
「ですけど、いくら何でも明日は早すぎません?」
「タイミングが悪かったね」
「いえ、良かったんですよ」
何はともあれ、どうやら俺の幸運はもう少しばかり続いてくれるらしい。