Flag2―魔法の世界と楸の親子―(4)
「俺が……その異世界から来た、と言ったらどうでしょうか?」
「……俺? 君は……男なのかい……?」
「えっ? はい、そうですけど……それが何か……?」
またか……地味に傷付くんだけど。何故だ。…………そういや、今は何かファンシーなルーナのパジャマ着ているんだったな。……あれ? 何か色々とこの状況は不味くね?
「貴ィ様ァァア!」
案の定。折角正した筈の襟は千切れ飛んだ。そりゃあ、目の前で見ず知らずの男が娘のパジャマなんて着てたら誰だって怒るよね。どっからどう見たってただの変態だもの。
俺がそう言うと、ナイトさんの表情は一層険しくなった。もしかして思いの外、不味い事だったり?
「何処の差し金だァァァ! 娘はやらんぞォォォオオ!」
……そっちかよぉ! 何かちょっと安心しちゃったけど、これはこれで駄目だけども良くない! 何だろう、この言葉にし難い敗北感は……。
「どうしても娘が欲しいと言うのなら、まずは私を倒しッ――」
立ち上がり、まるでどっかのラスボスみたく威圧的な雰囲気で叫び出したナイトさん。しかし、言い切る事は無かった。
「ああぁぁぁッ!? 頭がぁぁぁああああ!?」
地に伏すナイトさん。気のせいかデジャブを感じるのは、気のせいって事にしておこう。
「すみません。これでも私の父なんです」
ルーナの行動と言動がかけ離れているのもきっと気のせいだろう。薄情? 何ソレ。
少しして。
「いやぁ、すまない。取り乱しちゃったよー! アッハッハッハッハッ! 我が娘ながら照れ屋でねぇ。度々こう言った事があるんだよ」
完全に復活したナイトさんはさらっと恐ろしい事を宣いやがる。度々あるのか。いつか積み重ねられたものが一気に崩れ落ちて死んでしまいそうで怖い。
「さて、ルーナの可愛さについての話だったかね?」
「お父さん、私、面白くない冗談は嫌いです」
「……オホン。じ、冗談は置いておこうか」
懲りない人だとか、既に崩れ始めてるとか思ったものの、どうやらナイトさんはまだ大丈夫らしい。……いや、泣くなよ。軽く否定されたくらいでそんな目を潤ませるなよ。てかこっち見んな。
「ひっぐ……さささささあ、司君……ぐすっ……話を……うっぐ……しようじゃあ……んっぐ……ないか……?」
流石に動揺しすぎだろ。
結局、話が逸れる事はなかったものの、進む事もなく、ナイトさんが落ち着くまで十数分を要した。
そうして、漸く事の経緯を説明する事が出来た。こっちに来る切っ掛け。気付けばこちらの世界に来ていた事、森……ルーナによるとアトラスの森と言うらしい場所に居た事。最初はナイトさんもルーナも訝しげな顔をしていたが、異なる文明の証拠――携帯電話を見せる事で一応は納得してもらった。
ちなみに俺を見付けたのはルーナで、今朝森で倒れていた所を見付けてここまで運んでくれたらしい。華奢なルーナが親子二人で暮らすこの家まで、たった一人で運んで来るのは大変そうではあるのだが、やはりここは魔法の世界らしく、苦ではなかったそうだ。……どんな風に運ばれていたのかの想像はしたくない。
「女の子だと思っていたから、傷付けないようお姫様だっこで運んで来ました」
……俺は何も聞いていない。
「……で、司君はこれからどうするんだ? 君が倒れていた場所に行けば、ひょっとしたら帰れるかもしれないが……」
初めてナイトさんがまともな状態な事に逆にやりにくさを感じた事はさておき、その言葉には『まだ、帰るつもりはないんだろう?』というニュアンスが含まれていた。
……この世界に来た事は完全に棚からぼた餅の状態だ。けど、だからこそ幸運な偶然を手放す訳にはいかない。
「確かに、そうですね。一度見に行って、帰れるのかどうか確かめてみようかと思います」
完全とは言えないものの、体の痺れは治ってきている。歩く程度は問題無さそうだ。
「……今から行くんですか? もうそろそろ日も落ちてしまいますよ?」
ルーナに促されて外を見る。青空だと思っていた空は、いつの間にか茜色に染まっていた。
「ルーナの言う通りかもしれないけど、俺はもう動けるし、時間もないから」
このままじゃ、どんどん來依菜が遠くに行ってしまいそうな気がする。早くしないと、もう二度と会えないかもしれない。だから……。
「我武者羅に……かい? 司君、君は少し頭を冷やした方が良い。時には必死になる事も大切だ。けれど、闇雲に、手探りでしかどうしようもない状態で、この世界をどう探すつもりだい?」
「それは……」
言葉に詰まる。正論だった。反論のしようがない。余地がない。説得するだけの言葉が見当たらなかった。
だから、と。優しい口調と眼差しだった。
「今日は一旦、泊まっていきなさい。誰にも言えなくて辛かっただろう? 今は忘れなさい。ゆっくり休んで、明日、もう一度整理しよう。……良いね?」
「そんな……俺の言っている事だって簡単に信じられる事じゃないのに、どうして……」
「なあに。私は司君の世界について聞いてみたいだけだよ。ルーナもそう思うだろう?」
笑顔で頷くルーナ。
温かい……。凄く温かかった。どうやら俺は凄く幸運だったらしい。偶々魔法の世界にやって来て、見ず知らずの、しかも言っている事だってきっと支離滅裂な筈なのに。
「それじゃあ、司さんはこんな部屋で申し訳無いですが良いですか?」
では、お夕食が出来たら呼びますね、と笑顔でルーナは部屋を後にする。
「そう言えば、言ってなかったね。いらっしゃい、司君。歓迎するよ」
ナイトさんも出ていった部屋の温度は変わることなくて、気のせいか目の前が滲んでいた。
翌日、俺達はアトラスの森に来ていた。
「ここですね」
ルーナは立ち止まり、そう溢す。
森の中にしては少し開けた場所。見覚えはあるかと聞かれれば、あるような気はする。
「本当に着いて来てもらって良かったのか?」
「はい、構いませんよ」
俺の質問に、ルーナは笑顔で頷く。そもそも、ルーナが居ないとここまで来れなかったのだが、当初はここまでしてもらうこと事態、申し訳無く、場所を教えてもらって一人で来るつもりだった。
それから俺が一昨日の晩にこの世界へ来た時間位まで、一昨日のような現象が起こるかどうか確かめるという計画だったのだが、何やらこの世界には魔獣と呼ばれる生物が存在しており、この森は基本的に穏和なものが多いものの、獰猛な個体もゼロというわけではなく、魔法の使えない俺が一人でいると万が一の可能性があるという事から、ルーナが一緒に行くと言い出した。
その結果がこれである。
尚、何故かナイトさんも居るのは良く言って親心であるのは想像に難くない。
「だって夜まで一人だと、寂しいじゃないですか」
そう言ったルーナの手にはバスケット。足下には薄い赤色をした布が広がっている。どっからどう見たってピクニックです。はい。