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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

帰ってきた幽霊ちゃん ~恐怖の202号室~

作者: 暗根

いつもと変わらない帰り道。


いつもと変わらない景色。


いつもと変わらない夜空。


きっと何も変わっていない。


人々は変わらない日々をその中ですごし、

俺の隣を過ぎ、

日々を生きていく。


俺もそうだった。

でも、そんな光景も今は何故か歪んで見える。


変わり映えのない日常。

慣れてしまった大学生活。

ただその先にあるものもよく分からず、

ただ日々を流されるままに。


起きて、食べて、学んで。


バイトして、時々馬鹿騒ぎして、寝る。


テレビで流れるニュースはどこか他人事。

自分には関係の無い話。


俺自身はどんな物語の主人公でもなく、

ただの脇役。

背景を賑わすだけの、ただの人。


そんな風に思ってた。


そんなただの人に、何も起こることなど無いと。

そう、思っていたのに―――



既に日が沈んで暗くなった夜道。

重い足取り。夢のような現実味のない感覚。


あいつの通夜に行ったのがもう遠い過去のように思える。

まだ数日しか経っていないというのに。


あいつ、西宮博人(にしのみやひろと)

隣人。幼馴染。友達。親友。

そんな、相手だった。


俺の小さいころの曖昧だった記憶にすら、あいつはいた。

今思えば長い付き合いだった。

本当に…長い、長い――


小学生になる前から一緒に遊び、

共に小学生、中学生と同じ学校へ通っていた。

行く先が変わった高校時代すら、付き合いが途切れることは無く、

大学生、今現在、運命のいたずらか、俺とあいつは同じ場所に通っていた。

あいつとの付き合いは10年以上経った今でも変わらず。

くだらない馬鹿騒ぎのやれる相手。

気の置けない相手。…だった。



…そんなあいつは、もう、いない。


交通事故。大型トラックに跳ね飛ばされた。即死だったと聞いた。

他愛のない話。

よくある話。


はあ、そうなんですか。

それは残念でしたね。


きっと、他人が聞いてもこんなものだろう。


俺だって、何度でもこんなものテレビで見た。

何度か実際に起こっているのを見たこともある。


でもいつだって俺は傍観者だった。

その事件の中心にいる人物とはかけ離れて、

なんのつながりも無かった。

だからこそ、何を感じることも無かった。


…だが、そうもいかない。


時が止まったかと思った。

俺の周囲の景色が真っ白になったかと思った。

事故の話を聞いた瞬間、俺はあいつの下へと走っていた。

僅かに数時間前に、分かれたばかりだった。

いつものように、騒いで、笑って。

また明日―――


その後のことは、よく、覚えていない。

気が付けば、あいつの通夜が終わり、葬式が終わり、

あいつは僅かばかりの骨を残してこの世から消えた。

気が付けば、俺はいつもの日常の中に戻されていた。

…あいつが消えた日常に。


冬の寒さが身に染みる。

こんな季節に上着も着ていない。

寒いわけだ。

それでも歩みは遅いままで。


あいつが消えた後、俺はどうやって数日を生活していたのか、あまり記憶にない。

不眠に悩まされ、食事は味がしなくなり、大学の講義内容は頭に入らなくなり、

そこそこ楽しみだったバイトも、何かどうでもよくなった。


世界が灰色になった。


もうあの馬鹿騒ぎはできない。

騒ぐことも、笑うことも。

また明日が、果たされることも――



気が付けば、ぼろいアパートにたどりついていた。

ボロボロだが、一人暮らしの俺の家。


冬の冷気が俺の肌を突き刺す。


小走りで俺の部屋の扉の前に立つ。

脇のプレートが目に入る。

戸沢誠也(とざわせいや)。202号。

俺の名前。そして部屋番号。


俺の部屋の扉の鍵穴へと鍵を突き刺す。

くるりとそれを回せば小さく音が響いて家の中へと続く扉が開く。


中に入りすぐに扉を閉める。

部屋に入ったところで大して寒さが和らぐわけでもないが、

風が入ってきてはたまらない。


寒々しい白い息を一息吐き、

家の中へと向き直ったところで、俺は完全に停止した。


真っ暗な部屋の中、見たことも無い一人の少女が、

俺の部屋でたたずんでいたのだから――


□□□□□□


誰だ。

この娘は。


凍えているはずの身体がその瞬間だけは完全に忘れ去られていた。

あいつの、博人のことを思い出して薄ぼんやりしていた意識の状態が急激に現実へと引き戻される。


一目見て、知らない娘だ。

俺とは逆側を向いているので顔までは見えないが、

それでも俺の記憶にある限りではこのような少女にはあったことが無い。


そもそもだ。

俺は朝、この家を出てから今、ここに戻ってくるまでこの家の中へと続く扉を開けたことは無い。

窓はついているが小さい物で、たとえ少女だとしてもそこを通るのはかなり厳しいだろう。

管理人のマスターキーなら開けられるだろうが、謎の少女に管理人が鍵を貸すとも思えない。


俺が扉を開けて出ていく僅かな隙を見て部屋に潜りこむという行為も、

朝の俺の精神状態ならできないとは言わないが、それでも見つからずに中に入るのは相当無理がある。


仮になんらかの手段でこの家に侵入したとしても、

物を盗ることが目的ならば既にここにはいないだろうし、

このように何も動かずに堂々とたたずんでいるはずがない。


正体不明、侵入経路不明、動機不明。

さらに俺は謎の違和感を感じていた。

確かにこの少女は謎の塊だが、

そう言う意味ではなく、

もっと違う場所、本能が告げる違和感。


幸いというか、その少女は俺が帰ってきていることにまだ気づいていないようであった。

俺はゆっくりとさらなる観察を開始する。

変態的に聞こえるかもしれないが、

この時俺の中にあった感情は、驚きと恐怖。

純粋にこれだけだ。

知らないということは、時に恐怖を呼ぶ。

たとえそれが少女だとしても。

だから何か情報が欲しかった。


まずパッと目にとまるのはその黒髪だろうか。

長く美しい黒髪をしている。

美容に興味の無い俺でも分かる。

美しい髪とはおそらくこういうモノの事を言うのだと。

それほどに、見る物の目を惹きつける髪だった。


次に目につくのはその服装。

その少女は現代としては妙な服装をしていた。

…和装のように見える。

白い着物か、あるいはそれに似た物。

少なくとも、ここらで着物を着るような行事はなかったはずである。

部屋に侵入するにしても少々動きづらそうな印象を受けるそれを着ているのは妙だ。


そして足。

白く、綺麗な足。

穢れなど無縁と言わんばかりにその足は白かった。

いや、白すぎる。明らかに人としては白すぎる。

まるでどこかの物語のヴァンパイア、そんな色だ。


そして頭から足先まで見れる場所をすべて見終わった時に、

俺は違和感の正体に気付いた。


俺の部屋には小さいながらも一応窓が存在するわけだ。

人の侵入はできないほど小さい窓ではあるが、


それでもそれは確かに窓であり、月明かりがそこから中へと降り注いでいる。

少女はその光を浴びる中央部分に立っている。

ここまではいい。

普通の話だ。


…だが、少女には、あるべきものが存在しなかった。

人ならば誰しも光にあたればできるもの。

光が人の体にさえぎられることで生み出される存在。

即ち、影。


その少女には、影が無かった。

薄暗い部屋で浮き出るかのようにはっきりとその姿が認識できることがそもそもおかしかったのだ。


影が無いということは、物理的にそこに少女は、存在しないということだ。


しかし、少女は、そこにいる。

認めたくないが、確かに俺の目に映っている。


この矛盾を解決する答えを、

俺は一つしか持っていなかった。


――その少女は、人ではない。


馬鹿げている。

眼前にその光景が無ければ一笑に付す。

そんな内容。


だが、目の前に、それがいる。

湧き上がるのは恐怖。

先ほどのようなやんわりしたものではない、

絶対的な、恐怖。

人の形をした、人でない物に出会った、出会ってしまった、恐怖。


何故、ここに。

俺が、何かしたのか。


そんなことを、混乱する頭で考えていたせいだろうか。


俺の手は、俺の静止を振り切って勝手に開き、

その中にあったコンビニの袋を床へと落とす。

気づいたときには、遅い。

静まり返った部屋に大きく音が鳴る。


小さなドアの音では動かなかった少女が、反応を示す。


…少女の体が動く。

ゆっくりと、しかし確実にその体がこちらへと回転する。


見てはいけない。

そんな気がした。

懸命に後ろの扉へ向かおうとした。

しかし、足が動かない。

顔が、動かない。

恐怖に負けた体は、俺の意思を全く反映しようとしなかった。


少女が完全にこちらへと振り返る。


ただでさえ動かない体が、さらに固まる。


蛇に睨まれたカエルの気持ちがわかる。

俺は少女に、正面から見つめられていた。


少女の真っ黒な瞳がこちらを見据えている。

黒、黒、黒。

真っ黒だ。

少女の瞳は何も映していない。

何も反射しない黒い瞳。


意識が刈り取られそうになるのをなんとか耐える。

何もできないまま少女を見続けていると、

少女の口が動くのが目に入る。


「…え… …」


「…」


「…み…え… …る…?」


…みえる。

見える?


ほとんど反射的に俺は首を縦に振っていた。

冷静に判断できるような状態ではなかったのだ。


少女の口元が吊り上る。

笑顔だ。

少女が笑顔を見せる。


笑みの意味が分からず困惑する。

頭の中に殺されるという最悪の結果がちらつく。

だが、次の瞬間、そんな心配は不要であったと、

むしろ、今までの恐怖も何もかも、不要であったと気づかされることとなる。



「うおっしゃあああああああ!やったっ!やっと見つけたっ!見える人!しかも誠也っ!勝った!」


目の前でぴょんぴょん跳ねて喜ぶ正体不明の人外少女の行動に、

唖然とする俺がいた。


□□□□□□


唖然。呆然。目が点。

先ほどまでと別の意味で固まった俺を誰が責められるだろうか。

少女の突然の叫びと行動は俺の思考回路を一時停止させるには十分だった。


「よかったっ!見える人がお前でよかったっ!誰にも気づいてもらえなくて寂しかったんだよっ!」


その声に意識を現実――目の前に非現実がいるが――に戻せば、

その人外少女はいつの間にか俺にかなり近い位置まで接近していた。

…思わず、一歩引く。


「な…なんなんだ。お、お前、は」


無理やり声を絞り出す。

恐怖は幾分か和らいだが、

それでも目の前の少女が得体が知れないことに変わりはない。

この少女が一体どういう存在で、俺にどうして接触してきたのかが分かるまでは、

安易に心を許すわけにはいけないのだ。

しかし、そんな俺に対してその少女はあっけらかんとして言い放った。


「え?なんだと聞かれてもなぁ…俺にもよく分かってないんだけど…」


少し考え込むような表情になる少女。

分からないとはどういうことだろう。

変幻自在な物体がたまたま形をとっているだけだったりするのだろうか。

超常的な存在であるのは間違いない。

だとしたらこんな想像もあながち間違いではないような気もする…


俺のそんな思考を打ち破る様に、少女は告げる。


「…ただ、俺、ちょっと前に事故った記憶があるから…もう、死んでる?かも…」


「…霊、だと?」


「俺の葬式やってるの見てたし…そうなのかも…」


霊。幽霊。

人の魂だとか、念のようなもの。

未練を残して死んだ者がそうなって現れるなどと聞いたことがある。

目の前の少女がそうだというのだろうか。


確かにそう考えれば、

影が存在しないことも、

鍵のかかった部屋に突然現れたことも説明がつく。


よくよく見れば、その身に纏うその衣服は白い死装束。

少女の言葉が現実味を帯びる。

仮にそれが本当だった場合、非現実的な話ではあるが。


「な、なんで、ここに、来た?俺に、何の用だ?」


声が少し震える。

恐怖は先刻よりは幾分か和らいではいる。

それでも、安心はまだできない。

そもそも霊と会話していること自体がおかしいということは、この時気づくことは無かった。


「…最初は、来る気、無かったんだ。なんとなく、自分が死んだって分かった時も、家族の下にいようと思ってた」


少女の顔が歪む。

辛そうな表情だ。

…たとえ霊だとしても、歪んだ少女の顔と言うのは気分が悪い。


「…でも、誰にも、気づいてもらえなかった。誰にも、俺がいるって、分かってもらえなかった。みんな、辛そうなんだ。そんな表情の人たちを前にして、何にもできなかった。俺のせいでそんな顔してるって、分かってるのに。自分はここにいるって、言っても、聞こえなかったんだ」


少女が俯く。


「…それで、逃げたんだ。俺。辛かった。誰にも気づいてもらえない。誰に話しかけても無視される…そんな時、お前を思い出したんだ」


…思い出した?


「それで…お前の家まで勝手に来たんだ。もしかしたら…お前なら、もしかしたらと思って…」


顔を上げる少女。

光を映さない瞳が再び俺を見据える。

先刻はおそろしいほどの恐怖を植え付けてきたその瞳も、

今はどこか物悲しげな瞳に見えるのは俺の心境の変化の問題だろうか。


「いきなりでビビっただろ?悪かったよ。ただ、お前がどこにいるか分からないから…勝手に上がらせてもらったよ。お前に会いたくてさ…ドアすり抜けて」


すり抜け。

成程。実際に少女が霊体というのならばそんな芸当もできるのだろう。

どうやって家の中に上がりこんだのかという説明はつく。

だが、俺の頭には、そんなことよりも大きく渦巻く疑問があった。


「…君は、誰だ?」


疑問。純粋な疑問。

俺の記憶にはやはりこの少女は存在しない。

そもそも女性に対して耐性の無い俺は、基本的に女の友達等はいなかった。

ましてこのように俺よりも若い少女。さらにこの一人称。

実際に少しでも親密な関係になっていたのであれば忘れるはずがない。

つまり俺とこの少女には何の関係性も無いはずなのだ。


しかし、その少女は大きく口を開けて驚いた表情を見せた。

光を映さない瞳をも限界まで開いて。

本気で驚くさまを露わにした。


「お、お、お前っ!忘れたのかっ!この俺を!小さいころからずっと一緒だったのにっ!あんなに毎日会ってたのにっ!」


小さいころから…毎日…


そんなはずは無い。

そんな存在は俺の知る限り一人しかいない。

…だが、あいつは、少なくとも、俺と同年代の男だったはずだ。


だから、やはり俺はこの少女は知らない…


「…誰だ、君は」


「だからっ!博人だよっ!西宮博人っ!」


「っ!!!」



…何故、お前が、その名を口にする。

死んだ、俺の、友人の名を。


「ふざけるな…」


「ふざけてなんかいるかっ!俺が俺じゃないならなんだっていうんだよっ!誠也!」


少女の…博人だと言う少女の絶叫が響く。


頭では、こいつがそうであるはずがないと言っているのに…

違うところで、こいつは博人だと、そう思っている…


だが、この幽霊の少女とあいつには明らかな違いがある。

誰の目から見ても明白な違いが…


「博人は…あいつは男だ。君が…博人であるはずが…無いんだ」


「ふざっけんな!俺は今も昔も死んだ後も男をやめたつもりはねえっ!」


「…」


「…なんで、黙るんだよ」


「…男?」


「ああそうだよ!俺は男だっつってんだろ!見えてんだから分かるだろ!親友の性別も分からねえほど薄情もんだったのかお前はっ!」


…もしや、もしやこの少女は。


「…君、自分の今の姿。見たことあるか」


「…い、いや…無い、けど。鏡映らないし…」


…やっぱり、か。


「俺の目には、15、6歳程度の、死に装束姿の、少女が映っている」


「…え?」


「…君の声も、少女のようにしか…聞こえない」


「…」


少女が先ほどの俺のような状態になる。

動きを完全に止めている。


…しかし、そんなことが、あるのだろうか。

いや、むしろ、こんな状態だからありえてしかるべきなのか。


「…なに、それ」


…死んだ後の見た目が丸っきり変わることなど。


□□□□□□


「…つまり、君は、俺の親友の西宮博人だと、言うんだな…」


「…言うも何も今もそのつもりなんだが…」


少なくとも危ない存在ではなさそうであると、

そう思った俺はとりあえず座って話をすることを求めた。


どうやら実際に少女は霊体であるらしく、

椅子に座ろうとした際に体がすり抜けて座れないという事態を確認した。

なので今、彼女には先ほどまでの様に立つ…というよりは浮いてもらって会話している状態である。

…ほとんど床に足がついている様に見えるが、少しだけ浮いているというのは妙なものだ。


「…信じられない。君の今の見た目は俺の知る西宮博人とはかけ離れたものだ。声も、少なくとも俺の知るあいつはそのような可愛らしいソプラノボイスでは無い」


「いや、可愛らしいって…いや、霊体だから声高くなったのかなと…」


そう言いながら会話する博人を自称する少女。

少なくとも俺の目で見る分には、その目に光が映らないことを除けば普通の少女であるようにしか見えない。

改めて見てみれば、大和撫子という言葉が良く似合う。

そんな少女だった。


「…しかし、俺と博人しか知らないことを多数知っている。あいつが見知らぬ少女に話すとも思えないし…」


「いい加減認めろよ…こんだけ会話すれば分かるだろ」


「簡単に認めてしまって、間違いだったら死んだあいつに申し訳が立たん」


「本人を本人って認めない方が失礼だと思うんだが?」


「俺たちの内情を良く知る別人かもしれん」


「こんな詳しい内情を知ってる別人がどこにいるんだよっ!つーかさっき俺が他の奴に話すはずが無いって言ったばっかだろ!」


…懐かしい感覚だ。

この騒がしい感じは。

僅かに数日しか経っていないのにずっとずっと昔のことに感じる。


口ではこんなことを言いながらも、

何となく俺はこいつが博人であると思っていた。

十年を超える付き合いだったのだ。

さすがに、分かる。


こいつは、博人だ。


たとえ見た目が丸っきり違えど、

たとえ霊的存在であれど、


こいつは、俺の親友だ。


また明日は、果たせなくても。


もう一度、合うことは、できたんだ。


「なあ…」


「んだよ。ようやく認める気になったか?」


「…いいや。まだカッコカリだ」


「仮をつけるな仮を。本人だってば」


不満げな顔の少女。

いや、博人。


「…というか、あのさ」


「…何だ、仮」


「仮言うな。…ここ、いてもいい?」


「…幽霊をわざわざ自宅に泊める気には普通ならんぞ」


「いや、分かってるけど…家、帰りたくないんだ。誰にも気づかれないし、話せないし…」


「…家出というわけか。幽霊が」


「…な?友達よしみで、駄目か?」


「…」


「…駄目、か?」


少女の顔した博人の顔が歪む。


その面でやるのは勘弁してほしい。

なんとまあ介護欲をそそる顔をするか…


…だが、それを抜きにしても、

ここで、こいつをまた失いたくは無かった。


きっとここで拒否すればこの少女姿の博人はどこかに行ってしまうという直観めいたものがある。

…博人はそういう男だったからな。


何故友人と、こんなに早く二度目の別れをしなければならないのか。

一度で十分、十分だ。


「…いいだろ。お前が博人かどうか、見極めなきゃならんしな」


「と、いうことは、いいんだな!いいんだな!」


「…ああ」


「よっしゃ、宿ゲット!」


「調子のいい奴…」


浮いてる状態で果たしてどのようにしてジャンプと言う行為をしているのか、

冷静な頭が戻ってきた今だからこそ思うが、

…そんなことより、俺はこいつに言わなきゃならないことがある。


黄泉返りした、こいつに。


「…帰ってきてくれて、ありがとな。…博人。そんな姿になっても」


「…既に分かってんじゃねえか。散々焦らしやがって…」


「まだ認めてないがな」


「名前呼んでんじゃねえか」


その日、俺の202号室は幽霊物件と化した。


□□□□□□


「…あ。飯、まだだった?」


何故このタイミングで…という思いはあったが、

生理現象には逆らえないものだ。

俺の腹の虫が大きく部屋へと音を響かせる。

腹の減りを感覚としてまともに実感するのがずいぶん久しぶりに感じる。


「…悪いが、夕飯にさせてもらう。…腹、減った」


「悪い悪い。急に俺が押しかけたからだよな。気にせずやってくれ」


「ああ…」


どこか気の入らない返事を返しておく。

気にせずとは言うが、そんなことは土台無理な話。

死んだはずの友と会話している。

それだけでも気にならないなんて不可能なのに。


目をそちらに少しやれば、

目に飛び込んでくるのは、

白い肌、華奢な体。そして、十分に可愛らしいと形容できる顔。

友としての面影が微塵も残ってはいないその姿。

俺の友人であるということを認めつつも、

その姿は紛れもない少女のもので。


元々、女との付き合いが皆無に等しい俺にとって、

その姿を気にしないでいるというのは難しい。

否、無理だ。

自然と目線がちらちらとそちらに動いてしまう。

勝手にずれる目線を無理やり前へと戻すことに無駄に体力を消費する。


「カップ麺?お前、自炊してなかったっけ?」


俺がそんなことをやっている間に、

台所の俺の隣に博人が来ていた。

ほとんど床と足が接する位置にいるせいか、傍目からは立っている様に見える。

実際は床に触れることも出来ないためか、浮いているらしいのだが。


こうやって並ぶと随分と小さい。

俺の肩くらいの背だろうか。

自然と見下ろす形になる。

元々俺よりも長身であった博人であると考えると、

なんとも妙な気分だ。


「…ここ数日になってからだ」


「ん、そうなの?やっぱめんどくさくなった?」


「…勝手に想像しとけ」


「えー、教えてくれんの?」


「大したことじゃない」


まさか、言えるはずもない。

こいつが死んだショックで生活が滅茶苦茶になっていたなどと。

そんなことを知って、こいつが嬉しがるとは到底思えない。

むしろこいつなら俺に謝りだすだろう。

そんなことは俺は望まない。


答えないまま、お湯を注ぐ。

三分間と言う微妙な待ち時間の間に、

ふと思った疑問をぶつけてみる。


「…お前は、食事はとるのか?」


「いや、いらね。数日食べたりしてないけど腹減らないし。トイレに行きたくなることもないし、眠たくもならない。まあ、やっぱり死んでるし、そういうのはたぶんいらないんじゃねーかな」


「…そうか、悪い」


「気にすんなよ。別にお前が悪いわけでもないし。別に何か困ってるわけでもないしなー」


笑顔で言い放つ博人。

食事や睡眠。

人間として当たり前にあるそれらの欲求が存在しなくなってしまうとはどんなものなのだろうか。

何も感じないということは無いだろう。

人という存在を失い、霊として、いないものとしてこの世を彷徨う羽目になったこいつが、屈託の無い笑顔の裏で何を思っているのか。

俺には分からない。


…だが、そんな笑顔に少しだけ見惚れてしまった俺が恨めしい。


「…いただきます」


「どうぞどうぞ」


「お前は何もしてないだろう」


待ちの三分は過ぎ去り、

食事を始めようとして、

手が止まる。


顔を横に向ければ、

こちらを一心に見つめる少女の顔が、瞳が目に入る。


「…なあ」


「ん、どうしたよ」


「…食べにくい」


「え?」


「じっと見てないでくれ。なんだか食べにくい」


「あー悪い悪い。やることないもんでつい」


くるりと背を向ける少女姿の博人。

…何かやってれば、と言いかけて口を閉じる。

物体をすり抜けるということは、こいつは現実の物体にほとんど何も干渉できないということではないだろうか。

やることが、というより、やれることが、無い。


「…博人」


「ん、どした?見ててほしい?」


「んなわけあるか」


「はは、まあそうか。で、何?」


「テレビでも見るか」


「お、あざーす。チャンネル10で」


「…ああ」


リモコンに触ってテレビを付ける。

こんな僅かな動作すら起こせない。

不便だ、霊と言うのも。


視線から解放されたので、

食事をとる。

とはいえ、目の端に少女の服やら髪やらが映って気になるのは変わりない。

どこか落ち着かないまま食事を終える。


見知った存在であるということが分かった段階から恐怖は薄れ、

もはや今ではほとんど感じなくなってしまったが、

少女の姿にはどうもまだ慣れそうにない。


「あ、なあ、誠也、飯終わった?」


くるりと首をこちらに向ける博人。

黒い長い髪が揺れる。

光を反射しない黒髪は闇を思わせる深い黒。

暗い部屋でも一層深いその黒髪はなかなか幻想的な雰囲気を醸し出す。


…そもそも光の影響を一切受けていないというのなら、

髪だけでなく姿そのものが見えるはずが無い…

と考え出したところでやめた。

そもそも命が終わった者が活動をしているという超常現象。

普通の物理法則をはめ込もうとする方が間違っている気がする。


「今終わったところだが、どうかしたか」


「いや、ちょっとな」


「なんだ」


「俺今なんか見た目違うらしいじゃん。でも俺には俺の姿が分からん。何故か自分の体が俺には全く見えないからな」


「…そうなのか?」


「そうなんだよー。自分の手とかここら辺にあるなーって分かるのに見えないんだぜ?変だろ?お前は見えてるらしいのに」


まあ、気になるのだろう。

しかも自身の体が見えないと来た。

どうやら鏡に映らないだけではなく、実際に見えないようなのだ。


「そこでだ。俺に俺の姿を見せてほしい」


「…容姿は伝えた筈だが」


見る者を惹きつける美しい黒い髪。

光を反射せず、俗にいう死んだ目意外は、

整っていて綺麗で可愛らしい顔立ち。

白くて華奢な手足。

ある程度出る場所は出ている体…


少なくとも俺から話しかけるのは躊躇われる、

そんな見た目の少女。


…そんな風に告げた筈だ。


「この目で見たいんだよ。どうにかしてくれ」


どうにかと言われても…

鏡が使えないことは本人が自分の口から言っている。

俺にどうしろというのか。

そもそも霊能力の無い俺になんで見えているのかも分からないというのに…


「…あれ、使えるか」


「お!なんか方法思いついたか?」


「…写真。やってみる価値くらいあるだろう」


「…俺をカメラで撮るってこと?」


「携帯カメラしかないがな」


心霊写真というものをふと思い出す。

本物が存在するとしたら霊は写真に写りこむ可能性があるということだ。

幽霊だと言う被写体がいる以上、

試してみない価値は無い。


「写すぞ」


「はいピース」


「…観光旅行じゃないんだがな」


カシャリとシャッターが下ろされれば、

ハッキリではないが、画面中央に少女の姿が写し出される。

どこかぼんやりしているが姿かたちを確認するのには十分だろう。

ピースしている少女の心霊写真なんて世界で初ではないだろうか。


「どう?とれたとれた?」


スッといつの間にか俺の隣から携帯を覗き込んでくる博人。

体が触れ合いそうな距離。

こんな近くまで女が寄ってきたことなどいつ以来か…

しかも俺には不釣り合いな可愛らしい少女が…

博人だと分かりつつもそんなことを考えてしまう。


頭を軽く振って余計な考えを追い出す。

冷静に考えれば、おそらく触れたらすり抜けるのではないだろうかと思う。

…後で試す必要があるな。


「えーっと…これか?真ん中の?」


「他に誰がいる。この部屋で俺じゃないならお前だ」


「…どこのJK?嘘ぉ?」


「嘘だったらよかったがな」


「…」


「…」


「いやあああぁぁぁ!まじかぁぁぁ!俺の体どこ行ったのおおお!?」


甲高い声が響く。

安アパートなのでこれが他の人にも聞こえていたら確実に明日苦情が入るだろう。

ましてやいるはずの無い少女の声なので余計たちが悪い。

下手をしたら犯罪を疑われる。


「静かにしろ。怒られるの俺なんだぞ」


「で、でもお」


「…とやかく言ったところでなんとかなる問題でもないだろう」


「い、いやそうなんだけどさぁ…納得できねえ…なんで死んでからこんなことに…」


しかめっ面になる博人。

以前の顔では間違いなく相手に恐怖を植え付けること間違いなしだったそんな表情も、

今の少女の顔では愛らしいで済んでしまう。

姿が変わるだけで同じ行為がこうもまで変わってしまうとは…


「…あーだけど、なんか、可愛いなこの子」


「…自画自賛か?」


「え?だって可愛くない?目元がチャーミング。ちょっと吊り上ってるけど、それはそれでいいし」


「自分のことだって分かってるか?」


「わりと出るとこ出てるし。色白だし。髪綺麗だしなー。こんな彼女欲しかったわ」


「…お前だぞ?」


「…くっ、分かってる、分かってるさっ!クソ、現実逃避しようとしたのに!」


「俺に言われてもな…」


ぷりぷり怒る博人。

そんなことを俺に言われたところでどうしようもないし、

どうもできない。


「しかも感覚が無いっ!自分の体の何がどこにあるかは分かるが、触れても触ってる感覚も触られてる感覚もねえ!」


「…分かったから目の前で揉むな。見てられん」


目を背ける。

感覚もなければ見ることもできないとなるとなんら本人的には問題ない行為なのだろうが、そんな行為を直視できるほど俺は女体慣れはしていない。

というかこいつ目の前に俺がいること忘れてないだろうか。


「はあ…これじゃ何にもできねえじゃん…」


「落ちこみすぎだ。色々やるのは結構だが、目の前に俺がいることを忘れるな」


「どういう意味だよ」


「俺も腐っても男だ。妙な事ばかりしてて暴走しないとも限らんぞ」


「…え、俺に欲情して」


「断じて違う。断じて違うがそうなったらどうなるか知らんぞ」


今は、と言う話だ。

目の前で痴態を披露されて理性を保てるか自信は無い。


「…でもお前俺に触れなくね?」


「…そういや、まだお前に触ったことないな」


「試してみようぜ?ほれ」


手をのばす博人。

小さな白い少女の手。

その細く弱弱しい手を見て、

俺のような男が触れたら壊れないか心配になる。


…本当に全く前の面影が残っちゃいない。

そんなことを考えながらその指先へと、

某SF映画の様に指をそっと差し出す――



「…やっぱこうなったか」


「分かっちゃいたけど妙な感じだな」


俺の差し出した指は、

博人の指を貫き、そのまま腕の奥の方まで入り込んでいた。

そんなことになっているのに、

俺は何も感じないし、博人も何も感じていないようだった。

…目の前にいるのに触れられない、おかしな感覚だった。


「ま、これで襲われることはないってこった!良かった良かった」


「…全く、お前は」


「というかいくらなんでも俺って分かってるのに欲情しねえだろ。な?」


「…ああ」


「なんだその適当な返事」


…生返事になってしまったのは、許せ、博人。


□□□□□□


今は冬。それも12月。

汗などそうそう掻くものでもない。

だが、今の俺は少々事情が異なる。

先ほど掻いた冷や汗がまだ残っているような気がする…

恐怖体験――今はもはや微塵も恐怖を感じないが――をしたのだ。

まあ致し方ないと言うものだろう。

冷や汗で済んだだけでもいいというものだ。


「…風呂に、入ってくる」


静かにそう告げる。

時刻は既に10時を過ぎ、既にこのアパートにも寝ている人がいることだろう。

そもそも普段であれば俺一人なので、

会話の必要性すら発生することもないのだが…


「んー風呂?今から?」


「ああ。汗かいたしな」


「えーお前いなくなると、暇だな」


「そんなにかからん。待ってろ」


「しゃーねえ。さっさとしろよ」


「…テレビでもつけとくか?」


「いや、いい。そもそも大した番組やってなさそうだし、あんまりテレビ見る派でもないしな」


「…そうか。じゃあ入ってくる」


博人。

姿こそ変わってしまい、

もはや生きているとはとても呼べない状態だが、

それでも俺の友人。

何も言わずに部屋からいなくなるのもどうかと思い、

そのことだけ伝えておく。

それに応答する、以前とは似ても似つかぬ少女のソプラノボイス。

こんな時間帯に、家の中で会話が発生するという事実と、

話している目の前の少女が博人であるという、

二つの違和感が俺を襲う。


ほどなくして脱衣所で服を脱ぎ終わり、

風呂場の中へと入る。

浴槽の中には何もなく、水の一滴もついていない。

…ここ数日はシャワーだけで済ましていたことを思い出す。

とてもそんな用意をする気にはなれなかったというのが本音だ。


明日からはちゃんとそこらへんもやるようにしよう…

そんなことを思いながらシャワーの水を出す。

足に冷たい水がかかるが、あまり感じない。

手足が既にかじかんでしまっているようだ。

そういえば、部屋にいた時も今日は暖房器具をつけてすらいなかった。

…思った以上にあいつの存在に衝撃を受けていたのだろう。

手足が凍えていることに気付かないくらいには。


ほどなくしてお湯が出始め、

凍えた体に痛いほど降り注ぐ。

思わず息が漏れる。

あいつが返ってきた衝撃からか、

それとも幽霊と言う超存在にあったからか、

はたまたあいつの見た目が完全に少女になっていたからか、

緊張状態にあった体がほぐれる。


体が温まったせいだろうか。

様々な考えがふわりと浮かんでは消え、

また浮かんでは消えてを繰り返す。


…あいつはなんであの姿で帰ってきたのか。

現状本人も分かっていないこの問題に結論を出すのは難しいと言える。

そもそも今のあいつが人の枠からはみ出している以上、

一般的常識範囲内の回答では答えにならないのではないだろうか…

あれがあいつの魂とでもいうべきものなら、

一体何故あの姿をとっているのか、俺には見当もつかない。


…あいつは一体なんで幽霊になってまで彷徨ってるのか。

俺はそもそもその手の話をあまり信じるタイプの人間ではなかった。

が、見てしまった以上は仕方ない。考えを改めるときが来たということなのだろう。

幽霊。話では幾度となく聞いたことのある存在でこそあるが、

真面目にその存在を考えてみたことなど無かった。

一説にはこの世に大きな未練を残した人間がなるものとされていた気がするが、

だとしたら一体あいつはなんの未練を残しているというのだろうか。


…これから一体どうやってあいつと接していけばいいのか。

あいつは、俺の知っている人間だ。

俺の知っている博人で間違いない。

きっとあの時何もなければ何も変わらず、

その後も適当ながらもずっとそれなりの関係を持ち続けていただろうと思う。

だが、今のあいつはその内面こそ同じでも、

その外見、さらには性質すら別のモノへと変わってしまっている。

一体俺はどうすれば…どうやってあいつと付き合っていけばいいのだろう。

分からない。


…そして、なによりも。

あいつは、なんで死ななきゃならなかったのか…


頭上にあるシャワーヘッドから出るお湯が俺の頭から体を伝い、足元へと落ちていく。

流れたお湯は、そのまま排水溝へと消えていく。


どれくらい、そうしていただろうか。


ふと我に返って、頭を洗い始める。

無駄な時間を使ってしまった。

無心で頭を洗い終え、ふと視線を感じて浴槽の方を向く。

向いて、固まる。


「っ!」


「まーだ頭洗ってるし、時間かかりすぎだってば。お前いないと暇なんだよこっちは」


「わ、悪い…」


何時の間に居たのだろうか。

もはや見慣れてきた死に装束姿の少女が広くも無い浴槽の中に立っていた。

物体の干渉を受けないことは確認済みだ。

別に風呂場のドアなど開ける必要もないのだろう。


「…と、とにかく、出てくれ。すぐ、俺も出る」


「そう言ってたのにお前20分以上出てこないんだもん」


「…そんなに経っていたのか」


「そそ、だから暇だから来ちまった」


相変わらず屈託の無い笑顔。

実際暇だったのだろう。

物体への干渉ができない以上、家にいたところでやることは無い。


「喋りながらでも洗えるっしょ?な?」


「…それはできる…できるが」


「が?」


…博人の方から顔をそむける。

というより見ていられない。


こいつの思いきりのよさ、

ある意味考えなしの行動力の高さに、

俺が助けられることは幾度となくあったことだ。

実際そのことについての俺からの客観的なこいつに対する評価は高い。

…行動に移すという単純な行為が昔からあまり得意ではない俺には特に。


だが…今だけは、今だけはもう少し考えてほしかったと切に思う。


今、俺は当然裸でいる。

風呂に入るのに服を着ているのはまずないだろう。

場所的にも自然な成り行きと言える。


だが、そこに少女姿の博人という乱入者の出現によって、

自然だった空間に不自然が入り混じる。

…少なくとも、実際の年頃の少女であれば、俺と同じタイミングで同じ風呂場という空間にいるということはあるまい。


博人としては同性の友人と話すために軽い気持ちで来たものであると想像がつく。

実際男どうしで風呂に入るということは、あまりないが、それでも異性と共に入ることよりはありえるだろう。

しかし、頭で目の前の少女が博人であると理解しつつも、

異性が俺の裸を見ているという様に感じてしまうのは、俺がおかしいというわけではないだろう。

実際に博人であるという前提条件を知らなければ、目の前の少女は少女以外の何物でもなくなってしまう。

見た目の影響と言うのは意外と大きいものなのだ。


…つまるところ、今の状況と言うものは、俺の女への耐性の低さも相まって、俺の羞恥を刺激するには十分すぎるくらい十分な状況だった。


「…その姿で見られるのは、…正直、恥ずかしい。頭でお前と分かっていても…」


「…はは!そうか、そうか。そういやお前、女に耐性無かったもんなっ。そりゃあの顔で見られたら恥ずかしいよなっ!いや、悪い悪い!出る出る」


言うとスッとドアをすり抜けて博人は風呂場から出ていった。

はっとした顔からにんまりした顔に移り変わる。

相変わらずお調子者というかなんというか…

そんなことを考えながら、手早く体を洗っていった。

…また侵入されては、たまらないからな。


□□□□□□


その後はたいしたことが起こることもなく時間が過ぎていく。

既に時刻は夜を超え深夜へと歩を進め、

俺も一通りの寝る準備を終えていた。


「なんだよ、もう寝るのか?」


「…当り前だろう。明日も俺は普通に大学がある。寝るだけ寝ておかないと体がもたん」


「でもなあ、お前が寝ちゃうと本当に暇なんだよなあ」


「…睡眠は、必要ないんだったな」


「そうそう。眠たくなるって感覚が全く来ないんだよね。実際ここ数日意識が途切れたことないし」


床に敷いた布団の上に胡坐をかいた体制で座っている博人。

実際のところはやはり浮いているのだろうが、ややこしくなりそうなので座っているものであると思うことにする。


「…とにかく、俺は寝るぞ。お前に付き合っていたら本当に朝になってしまう」


「へいへい。お休みー」


「お前は、どうする」


「…んー、どうするって言っても、何にもできないしなー。この家の中にはいるさ」


「そうか」


そう言いながら博人のどいた布団の中に潜り込む。

確かに今の今までここに博人がいたはずなのに、

布団は熱の一つ残っておらず、ひんやりと冷たい。

たとえそこにいても、やはりこちら側にもう博人はいないのだと改めて認識させられる。


「お休み」


すぐ隣にいる博人に一言そう告げて背を向ける。

意識を闇に手放そうとして…もう一度博人に向き直る。


「…どうした?」


「どうしたって?」


「…視線を感じたから」


「別に、やることがないからお前を見てることくらいしかできないだけだ」


「…そうか」


「気になるなら見えない位置にでもいくさ。壁の中とかな」


「いや、壁の中って…大丈夫だ、行かなくていい。好きなところにいてくれ」


「ん、分かった。だけど俺のせいで寝不足とかになってもらっても困るから少し離れたところにでもいるさ」


そう言いながら俺のそばから離れていこうとする博人を呼び止める。

不思議そうな顔をして振り向くその顔に不覚にも少しどきりとしてしまう。

でも今は、そんなことを考えている場合じゃない。

俺はどうしても博人に言わねばならないことが、ある。


「なあ…博人」


「なんだ?寝るって言ってたのに喋り足りん?」


「…いや、お前に言いたいことがあってな」


「なんだよ?」


「…すまなかった。俺の、せいで。俺があの日、お前を呼んだりしなければ…っ!」


あの日。

俺の親友が死んだ日。

俺はただいつものように話したくて、

ただ、それだけのくだらない理由で、博人を呼び出した。

そしてその帰り道、博人は死んだ。

本来通る必要のなかった道で轢かれて。

…俺のせいで。


「…なんだよ、そんなことか」


「え…」


「馬鹿言ってんじゃねえよ。俺はお前に謝って欲しいわけじゃねえ。そんなことのためにわざわざ化けて出てきたと思ってんのか?」


「でも、あの時、お前を呼びだしたりしなければ…俺が余計なことをしなければお前は…っ!」


「だから、そんなこと言うなってば」


博人が静かに告げる。

俺の言葉が止まる。


「俺は別に誰も恨んじゃいねえよ。あんなの、俺の不注意が原因だ。誰も悪くなんかねえ。悪いのは俺だ。

勝手に死んで、勝手にいなくなって、みんなに迷惑をかけた。お前にも、家族にも。きっと今のこの姿ってそういうのに対する罰とかじゃないのかな」


自嘲気味な笑顔で博人が続ける。


「確かに、俺は事故で死んだよ。だけど、きっとあの日お前に呼び出されなかったら、きっと違う場所で違う死に方してたんじゃないかな。そんな気がする。きっと運命だったんだな」


馬鹿言うな。

そんな運命あってたまるか。

そう言えたらどれだけよいか。

確かめるすべは無い。


「まあ、確かに、誰にも相手されなくて気が狂いそうではあったさ。ある意味お前が最後の頼みの綱だったんだ。突然世界から放り出されて孤独だった俺を、お前はちゃんと見つけてくれた。…だからさ、そんな変な罪悪感なんて抱く必要なんてない。むしろお前は俺を助けてくれたよ。この世から切り離された俺を、もう一度この世に繋ぎ止めてくれた。だから、謝らないでくれ。むしろ、俺を助けたって、誇ってくれよ」


笑顔で、しかし真面目な声色で答える博人。

俺を思ってくれてのことなのか、

嘘偽りない本心かは分からない。

それに…たとえ本人に許されても、

俺が俺を許せなかった。

だから、誇るなんてできるはずがない。

これは、ただの、罪滅ぼし。


でも、それでも、


「…ありがとう。博人。…少しだけ、楽になった」


俺があの日以来感じ続けた罪悪感。

それは確実に日に日に俺を襲い、潰されそうになっていた。

俺を廃人同然にしていたのは、友を失った悲しみだけではない。


その友を奪った、俺。

俺の手で友達を葬り去った。


そういう思いから発生する罪悪感こそが、

俺を蝕む最大の元凶だったのかもしれない。


だからこそ、

まだ自分で自分を許すことなどできなくとも、

博人の言葉は俺の大きな罪の意識を少しだけ取り去ってくれた。


恨まれて当然だと、

憎まれて当然だと、

そう思ってたのに。


調子を狂わせる、お人よしめ。


「…じゃーお休み。どうせ俺寝ないし朝になったら目覚まし時計してやるよ。ありがたく思え」


「…ああ。…また、明日。こんどこそ、また、明日」


「ああ、また、明日、な」


また明日。

今度こそそれが果たされることを祈って、

俺の意識は闇へと呑まれていった。


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