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あなたのやり方で抱きしめて!【改稿版】  作者: 小林汐希
第十七章 先生の過去と私の誓い
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五十七話 断ることはなかったですよ?


 扉をそっと閉めて部屋のソファーにドカッと腰を下ろした。


 灯りは枕元の一つだけだ。


 窓を開けて海風を通す。


 自宅にいるときもエアコンを使いたくないときはこうして窓を全開にする。



 とうとう誰にも話してこなかったことを結花に告げてしまった。


 楓の一件を話せば彼女(あいつ)のことだ、まだ療養中の自分と重ね合わせて余計に傷ついてしまうだろう。


 楓の病は血液の癌でもある急性白血病だった。若いから進行も早かったと説明された。楓自身も気づいておらず、自覚症状が出て病院に搬送されたときには手遅れの告知だったのだから。骨髄ドナー探しも間に合わなかった。


 実際、俺もあのショックから立ち直り、なんとか普通の生活に戻すのに二年はかかっている。


 彼女のご両親からも「楓は俺が幸せになるように」と言ったのだから、気にしないようにと何度も言われてきた。


 でも、それを素直に受け入れられるかどうかは別だ。


 ようやくその傷が塞がりかけ、恐る恐る外を見られるようになった頃、新しい教室の中に彼女がいた。


 実際に楓と結花の二人は驚くほど似ている。両人を見てきた俺だ。


 違うところは楓は同級生、結花は俺の生徒という年齢と立場の違いだけだ。


 教師が自分の生徒に熱を上げるなど、言語道断のことだとは分かっていた。


 まさか入院するところまで二人が同じだとは思わなかった。


 だから結花の病名を知ったとき、初期だと聞いたものの気が気じゃなかった。


 あの言葉を二度と聞くようなことはしたくない。


 もう形振(なりふ)りなんて構っていられなかった。


 彼女は人生をリセットするかのように進路を断ち、一度は俺の前から姿を消した。


 偶然や紆余曲折はあったけれど、それでも俺の知らない遠い場所に離れてしまいそうだった結花の手をギリギリのところで掴むことができた。

 


 そうしている内に、俺は気づいていた。


 結花のことを考えることで俺は楓から卒業できていたのだと。


 もう次はない。彼女は運命がくれたラストチャンスだ。


 俺には結花しかもういない……。


 立ち上がろうとしたときに、ドアが小さな音でノックされた。


『先生……、原田です……』


「開いてるよ」


『はい』


 扉を開けた彼女は、昼も水着の上に着ていたTシャツとキュロットスカート。このコーディネートが部屋着代わりなんだろう。


 風呂上がりのシャンプーの香りがする。


「先生、ちょっとお時間いいですか?」


「ああ、もちろん」


 俺も結花に会いに行こうと思ったところだ。彼女は俺とテーブルを挟んで座った。


「今日は本当にごめんなさい。先生の傷を開いてしまって」


「いいんだ。いつかは話さなくちゃいけなかった。ついでだ、ちょっと付け足しをさせてくれないか」


 結花が頷いたのを見て、俺は続けた。


「あの大洗の水族館に行く前の三日間な、前の二日は仕事の研修だった。最後の日は実家に行っていた」


「先生のご実家ですか?」


「お袋と、楓に報告に行ってたんだよ。お袋はこの夏に俺に見合いの話を持ってきていた。楓の一件で俺が自分から踏み出せないと心配したらしい。そこではっきりと『好きな女がいる』と言ってきた。お袋も驚いていた。(あいつ)にも報告したよ。『(おまえ)とそっくりで俺を夢中にさせた女に明日告ってくる。だから、安心して天国に行って見守ってくれ』と。写真が一瞬笑ったように見えたよ」


 俺は結花を手招きで呼び寄せ、華奢な体を抱きしめる。


「結花、俺は結花しかもう見られない。確かに難しいスタートだったが、俺は結花に救われたんだ。……はっきりと今なら言える」


「私、先生を助けられたなんて……。世間知らずな私の我がままだったんです」


 俺は首を横に振る。


「原田結花は俺が担当した他のどんな生徒とも違った。優しさも強さも高校二年生離れしていた。俺が卒業してくれと言ったのは、生徒の時間が終われば俺の本音を言えるかもしれないと思ったからだ……。まさかあんな形でそれが実現するとは思わなかったがな」


 結花は闘病中の絶望と不安を打ち破り、手紙の中でも「叶うことはない」と承知の上で気持ちを伝えてきた芯の強い子だ。


 同じような文章を何度か受け取ったこともある。しかし状況は他の子とは全く違う。


 他の奴が何と言おうと、原田結花は俺の特別な存在だった。


「私も……、断ることはなかったと思います」


「そうでなくても俺は結花に認めてもらえるように、何でもしただろうな。どうしても駄目だったら……、正直その先は何も考えていなかった。幸せになること、いや人生そのものを放棄していたかも知れない。何度でも言う。おまえが俺を救ってくれたんだ。だから、俺は……」


「先生……、いえ、陽人さん。私に手をさしのべてくれてありがとうございました。ちょっとでいいです。目を閉じていてもらえませんか?」


 結花に言われたとおり視界を閉じる。


 暖かい空気をふわりと近くに感じて、さらに唇に柔らかい感触がふれた。


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