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あなたのやり方で抱きしめて!【改稿版】  作者: 小林汐希
第九章 一通だけの手紙
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二十八話 おまえの強さには敵わないよ…


 その年のバレンタインデー。俺は例年どおり誰からも貰うことはなかった。


 いや、最初から受け取る気にすらなれなかったというのが正しい。


 いつもどおり、顔では淡々と謝りながら、頭の事は別のことでいっぱいだった。


「小島先生、どうなされたんですか? 何か思い詰めているような顔をされて」


「いや、ちょっと真面目に考えなきゃならないことがありまして……」


 職員室にも微かに甘い香りが漂うが、俺は生徒と同じく、丁重に辞退させてもらった。



 土日を挟んで、俺は返事の手紙を考えた。



 原田の気持ちを考えれば、事は急を要する。最低でも退院の前には何かしらの言葉をかけてやる必要がある。


 彼女の本音を吐き出したあの言葉は嬉しいし光栄でもある。しかし今はあの内容に応えることはできない。それでは原田の気持ちに寄り添えないことになる。


 この相反する問題に答えを出せるのか……。いくら考えても、両方を満たせるものは思い付けなかった。


 俺だけでなく彼女だって分かっている。今の俺たちの立場間に許される気持ちではないことくらい。


 すでに他の生徒とは別格になっている原田への気持ちなど、始業式の放課後に廊下を二人で歩いたときから気づいている。


 これまでそこにロックをかけることで、彼女はもちろん、他の生徒からの誘いにも振り向かないようにしてきていたのだから。



 どれだけ考えても、これから書くことは、間違いなく原田を傷つけてしまうだろう。


 俺は自分の選んだ教師という道を初めて恨んだ。


 原田の気持ちはできる限り受け止めてやりたい。彼女なりに必死でここまで頑張ってきたし、その原動力が俺にあったとしても、それは一人一人違うのだから、悪いこととは言わない。


 仕方ないのか……。


 特定の生徒に依怙贔屓(えこひいき)をすることは絶対にしてはならない。もちろん原田だからと言って、これまでの試験の採点などに考慮したこともない。


 一人の教師として、教え子である彼女が元気に卒業を迎えて旅立っていくことが俺の一番の喜びだと……、それを書き綴った。


 それが自分の本心でないことくらい痛いほど分かっていながら……。





 正直、この手紙を渡したときの原田を見たくなかった。


 いつものように教科書とプリントの補習授業を終えて、帰り支度をする。


「原田、これが返事だ」


「えっ……」


 俺から差し出された封筒を、彼女は恐る恐る受け取り、胸の前で抱きかかえている。


「ありがとうございます。お返事を書いていただけるなんて」


「いや正直……、原田を傷つけてしまうと思って、渡すかどうか迷ったんだが」


「結果はもちろん分かっています。ここで読ませていただいてもいいでしょうか」


 原田の切ない微笑みが心に痛い。今すぐにでもあの手紙をひったくって破いてしまいたいくらいだ。


 小さな折り畳みのペーパーナイフで丁寧に封を開け始めた原田を置き去りにすることはできない。俺は再び病室のパイプ椅子に座った。彼女が中身の便せんを取り出す。


 部屋の中には沈黙が流れるが、声を出せるような空気ではない。


「先生……。ありがとうございました。私のこと、こんなに大切に思っていただいていること、絶対に忘れません」


 本当なら泣き出したいのを必死に堪えているのだろう。


 俺は一人の少女の初恋を傷つけてしまったのだから。


「大丈夫です。ほら、初恋って叶わないって言うじゃないですか。私は頑張ります」


「すまない。三年になっても、教科の担当はあるはずだ。他の教科でも構わない。いつでも来ていいからな」


「はい。その時はまたよろしくお願いします」


 病院を出て振り返って部屋を見上げる。


 今頃どうしているだろうか。普通の子なら泣きじゃくっているかもしれない。でも彼女に限れば、パニックを起こしているよりも、心の痛みが落ち着くのをじっと我慢している姿の方が想像できた。


「原田……。俺は原田(おまえ)の強さにはかなわねぇよ……」


 帰り道につぶやいた言葉が、その時の俺の精いっぱいだった。





 春休みに入って、新年度の準備で忙しくなって毎日来られないことを伝えても、原田は理解してくれていた。


「大丈夫です。私ももうすぐ退院ですから」


 そのときに聞いておけばよかった。


 退院とは全員が「完治・回復したことによるものだけではない」ということを……。


「先生、ありがとうございました」


 エレベーターホールではなく、病院の玄関まで見送ってくれた原田は、最後まで笑顔でいてくれた。


 それがせめてもの救いだったのだけど、学生・原田結花が最後に精いっぱい作ってくれた笑顔だったということに、すぐに気づかされることになった。


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