今宵あなたの夢枕
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
大陸で定められた十三の月の内、最初の月に当たる守護者の月(1月)。
一年を飾る初日は『元旦』と呼ばれ、たとえ戦争中であれ、奴隷(自由労働者)であれ、収監中の囚人であっても、この日だけは労働を免除され、ご馳走を振舞われる習慣があった。
さらに、この日には貴族や商家では奉公人に数日間の休みとともに、特別手当を与えるのが習わしとなっている。
超帝国が起源と言われるこの祝日と習慣だが、現代では広く大陸へと広まり、多くの人々が普段の肩肘張った日常から開放され、誰も彼もがこの『ハレの日』を祝っていたのだった。
また、この日の夜に見た夢はその年を占う縁起物とされ、人々はいい夢を見られるようにと、こぞって神殿や教会へと参拝して、一年の無事と幸運とを神や〈神帝〉様へと祈念するのであった。
◆ ◇ ◆ ◇
「――と、期待されたからには応えねばならない」
地上の人間からは天上の楽園、神々の神域と謳われるカーディナルローゼ超帝国本国。
小国に匹敵する面積の巨大な浮き島が、地上遥か離れた空中を漂うその様子は幻想的であり、また非現実的でもあった。
この通称『空中庭園』と呼ばれる島は多層構造になっており、その全面積を合わせればおそらくは中規模国家並みの広さがあるだろう。
その階層の中でも最下部に位置する、ひとつのフロアを丸ごと占拠した湖――基底湖と呼ばれる広大な水の波打ち際に、全長三十メルトほどの純金に輝く船が一艘接岸されていた。
なぜか船首には注連縄とか日の丸の扇が飾られている謎設計の船である。
「試作宝船・八十八號! 海上、水中はもとより、空中、地中、そして夢の中にまで潜航できる能力を持った万能戦艦! これで今宵、よい子のみんなに良い夢をプレゼントしてあげようじゃないか!!」
岸辺に立って傲然とこれを眺めていた長い黒髪に緋色の瞳をした超絶美貌の少女が、ぐっと両手の拳を握り締めている。
その背後に付き従う形で、これまた人間離れした美貌の金髪金瞳、タキシードを着た青年と、長い銀髪にメイド服を着た負けず劣らず秀麗な顔立ちながら柔和な雰囲気のある美少女がそれぞれ一歩離れて立っていた。
絵になるふたりだが、執事風の男性が少女の言葉にウンウン頷いているのと対照的に、メイド服の彼女のほうはどこか困惑した顔で少女と金ぴかの船とを見比べている。
船の上を行き来する乗務員らしい人影(?)――明らかに人間ではない巨大な単眼の怪物や、翼の生えた虎、角の生えた馬、白い獏のような動物――は、いずれもおめでたい感じに紅白の衣装を身にまとっていた。
「あの、姫様。これって七福神の宝船を模した企画ですよね?」
おずおずと尋ねる銀髪メイド。
振り返った黒髪の『姫』が、なにを当たり前のことをという顔で、「そうだよ」と頷いた。
「幸いうちには夢のエキスパートの陸奥や、おめでたい天女である七夕や、麒麟のふたりもいるし、この顔ぶれで幸運を祝福してあげれば今年一年の無病息災、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全その他は約束されたも同然だろう? たまには〈神帝〉らしいことを見せないとねぇ」
「なにをおっしゃいます! 唯一無二たる姫が存在するという一事をもって、この世界の俗物どもにとっては無上の喜び、慶賀の至りでありましょう。その上、地上の有象無象ごときにかくも慈悲深き配慮をなされるとは、この天涯まこと姫のご厚情に感涙が止まりませぬ!」
シルクのハンカチを出して目元を押さえる美背年執事の大仰な物言いと態度に、若干、気勢がそがれた様子で「そ、そう?」と空返答を返す『姫』。
銀髪メイドのほうは理性を保っているようで、ジト目で再度『宝船』と『姫』とを見返す。
「……七福神役を七禍星獣にやらせるのですか?」
「うんっ。どっちもラッキーセブンで似たようなものじゃない?」
一片の疑問も抱いていない『姫』の返答に、金髪執事は「左様でございます。奴らもこの大役に身震いしているでしょう」と諸手を挙げて賛同し、銀髪メイドはどこか遠い目になって基底湖の彼方を見やった。
――ぱしゃーん。
と、差し渡しキルメルト単位はありそうな、馬鹿でかい魚の尾びれが水中から競りあがって、湖面を叩いて消えた。
「……まあ、姫様がそれでよろしいといのでしたら、私に否も応もございませんが」
そこはかとない諦観をにじませたため息混じりの返答。
その様子を、少し離れた場所で手作りのカマクラの中で暖を取りながら眺めていた一組の男女がいた。
「えらいことになりましたなぁ」
「てゆーか、あの顔ぶれで夢の中に俺参上! とかある意味ホラーだわ。ま、効果があるっちゃあるんでしょうけど」
のほほーんと手をかざしてコメントしているのは、糸目に黒髪の商人風の身なりをした青年……のようだが、猫のように(猫の獣人というわけではない)どこか年齢不詳の人物と、持ち込まれた七輪を挟んで差し向かいに座って餅や甘酒を温めては、食べたり飲んだりしているこちらは魔法使いの格好をした菫色の髪の快活そうな少女である。
「季節限定イベント機能ってなくなっからねえ。ゲーム時代なら『七福神襲来』イベントとかあって、倒せばレアアイテムをもらえたんだけど」
「それを踏襲したいんですかなあ。お嬢さんも妙にイベントに拘るところがありますから。つーても、アレ相手に討伐とか命が幾つあっても足りませんけど」
「そもそもあの面子で『一年の幸運』をとか、いろいろとコンセプトが間違っていると思うわ」
なるほどと訳知り顔で言葉を交わすふたり。
やがて全員が注目する中、『試作宝船・八十八號』はエンジンの音も高らかに、湖面を離れて虚空へと旅立っていくのだった。
「……不安だわ」
「ま、なるようになるんと違いますか?」
雑煮を食べながら、先行きに眉をひそめる少女と、飄々と甘酒を手酌で呷る青年の言葉が終わらないうちに、一仕事を終えた顔で黒髪の姫様がカマクラの中に飛び込んできて、
「さーて、新年を迎える準備も整ったし、今晩は無礼講で騒ごうじゃないか」
楽しげに七輪の上に餅を乗せながら、そう宣言をする。
苦笑するふたり。と――
「確か地上では新年を迎えるために、年越しの歌を歌う習慣があるとか。僭越ながら、不肖この私めもそれに倣って自慢の喉を披露させていただきます」
いつの間に準備したのか、派手なタキシードに着替えた金髪青年執事が、マイクを片手に朗々と姫と周囲に言い放った。
途端、湖が急速に泡立ち、「それは、私は年越し蕎麦を茹でてまいりますので」と銀髪メイドは逸早くその場から退避。
空中に浮かんでいた宝船は、いきなりその場から瞬間移動をかました。
そして、逃げ場のない狭いカマクラの中に取り残された形になった三人は、恐怖に顔を引き攣らせるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「♪ We twa hae paidled i' the burn ♪ Frae morning sun till dine ♪」
暖炉の前にあるテーブル飾り付けられた三段重ねのケーキを中心にして、色とりどりの色紙でできたリースを天井や壁にぶら下げながら、この庵の管理を任されているジルが楽しげに歌を歌っていた。
それにあわせてメイド見習いのラナがたどたどしく唱和し、ジルの使い魔である天狼のフィーアが尻尾を振って踊っている。
「♪ For auld lang syne, my jo, For auld lang syne ♪」
手持ちのリュートと竪琴で伴奏をしているのはエルフの男女アシミとプリュイのふたりである。
初めて耳にする歌だというのに即興で曲を奏でられるのは、さすがはエルフといったところで、傍らではジル付きのメイドであるエレンがうっとりと聞き入っていた。
「♪ We'll tak a cup o' kindness yet ♪ For auld lang syne!」
ちなみに歌が原曲なのは日本語版だと著作権とかいろいろ面倒な大人の事情があるからである。
「「さ、寒~~~っ!!」」
と、歌が盛り上がって終わったのに合わせて、ふたりの少年が部屋の中へ駆け込んできた。
しんしんと雪が降り積もる外の冷気をまとって来たふたりは、暖炉のそばに抱えていた薪を投げ捨てるように置くと、示し合わせたかのように背中を丸めて暖炉の前を占拠する。
「ぬわーっ、いきなり部屋の気温が下がったわ。ブルーノ、あんた暖炉を占領してるんじゃないわよ!」
「う、う、うるせーっ。こ、こっちは雪ん中、えっちらおっちら雪かきして薪を取ってきたんだぞ!」
「す、すみません。つい温かさに誘われてしまいました」
振り返って、震えながら言い返すブルーノと、申し訳なさそうに腰を浮かせるルーク。
「男だったらそのくらいの甲斐性を見せて当たり前でしょう! あ、ルーカス様はいいんですよ――モルトローフとトリュフチョコ食べますか?――本当だったら、このバカひとりでやるのが当然だったんですから」
「お前なぁ、ぜんぜん俺とルークとで態度が違うじゃねえか。差別だぞ」
口を尖らせるブルーノを、心底馬鹿にした目で見下げるエレン。
「当たり前でしょう。あんたとルーカス様とじゃ、見た目、性格、剣の腕、家柄、血筋、教養、男の器量、どれをとっても月とすっぽん、ドラゴンとトカゲ、黄金と泥くらい違うんだから」
「う、うるせーな。剣の腕ならけっこう同じくらいだぞ!」
「はーん。なにを言ってるのよ。ジル様やルーカス様はおろかアシミにも勝てたことないくせに」
「まあ、さすがに年端も行かないビーンの小僧に負けたとあっては“千年樹の守り手”の名が泣くからな」
楽器を置いたアシミが面白くもなさそうに鼻を鳴らす。
「んだと! お前だってルークといいとこ互角じゃねーか!」
その態度に気色ばむブルーノの怒声を、面倒臭そうにアシミは聞き流し、それがさらにブルーノの勘に触って怒鳴り声が高くなるのだった。
「はい、それまでですわ。せっかくの新年、こうして集まってくださったのですから、気持ちよく笑顔でお迎えいたしましょう」
台所から追加のご馳走を運んできたジルが、テーブルに皿を置きながらやんわりと喧嘩を止め、その場にいた全員がばつの悪い表情で押し黙った。
「とりあえず、今日から明日にかけては無礼講ということで、お互いに楽しみましょう。身分とか立場とか種族とかはなしにして。――よろしいですわね?」
「勿論です、ジル様っ!」
「もとよりそのつもりですよ、ジル」
「わんっ!」
「はい、ジル様」
「お、おう」
「承知した」
「ま、たまにはいいだろう」
一様に頷いて了承する一同。
「それと、眠くなったら左右隣の部屋に寝具は用意しておきましたので、右手の扉の部屋は女子で、左手は男子でお願いします。個室は用意できないので雑魚寝ということになりますけど……」
そのあたり冒険者ギルドの養成所で慣れているブルーノはともかく、おそらく床に寝たことも複数人で寝た経験もないだろうルークに向かって、ジルは申し訳なさそうな眼差しを向けた。
「大丈夫ですよ。こうみえても父ともども飛竜の出産に際して、見張りをするので納屋で藁に包まれて寝たこともありますから」
朗らかに笑って懸念を払拭するルーク。
「そう聞いて安心致しました。それと、枕元に良い初夢を見られるよう、七福神の宝船の絵を挟んでおきましたので、どうかそのまま下に敷いてお休みくださいね」
「七福神? なんだそれは、ビーンの風習か?」
「少なくとも私は聞いたこともない」
首を捻る妖精族のふたり同様、不可解な表情を浮かべる面々を見渡しながら、ジルは苦笑を浮かべた。
「ちょっとした魔女のお遊びだと思ってください。ただ、もしかすると良い夢が見られるかも知れませんから」
魔女の庵で魔女の弟子にそう言われては納得するしかない。
そういうものかと半信半疑の一同。
つんつんとジルのスカートが引っ張られた。
見ればラナが揺れる瞳でジルを見上げている。
「……ジル様。夢の中でおねえちゃんに会えるかな?」
「そうね、会えるといいわね。会えるように私もお祈りしておくわ」
うん、と頷いて小さな手を合わせて「おねえちゃんに会えますように」と呟くラナに合わせて、ジルも瞑目して祈りの言葉を捧げた。
……この後、新年を祝う宴は日付が変わるまで続き、疲れきった少年少女たちは三々五々寝室へと足を運び、倒れ込むように深い眠りについたのだった。
そして、なぜか揃いも揃って阿鼻叫喚の奇想天外な初夢に悩まされることになったのだが、それはまた別の話である。
初夢はいつ見るのが初夢かとよく言われますが、けっこう地域によってバラバラのようです。
・大晦日の夜から元旦にかけて見た夢
・元日の夜から2日にかけて見た夢
・2日の夜から3日にかけて見た夢
諸説ありますが、「新年に入ってはじめてみた夢」というのが「初夢」というふうに考えるのがベストのようです。