ジルのお寿司作り
ブタクサ姫本編第二章の後半くらいの時期の裏話です。
命を対価に仕事を請け負う冒険者には、冒険者ギルドからいくつかの特典が与えられる。
正否を問わず一巡週に一度魔物の討伐依頼を受けるか、雑用等でそれに等価となる十ギルドポイント(薬草採集で五ポイント。町内のおつかいで二ポイント程度)を稼げばギルドが経営する木賃宿に無料で泊まれる上、同じく提携している酒場で三食無料の食事を食べられる。
とはいえ無料なのはパンとスープ、適当なおかず一品のみでおかわりはできず、おかずと言っても鮮度の落ちた屑野菜を煮込んだものか馬鈴薯、塩漬けの川魚くらいなのだが、人口四十~五十人程度の貧村から食い詰めて出てきた若者にとっては御馳走である。
そうした若者の三割ほどは冒険者とは名ばかりの便利屋として、命の危険がない場所でそこそこ稼いで、木賃宿とギルド酒場にたむろし、たまの贅沢としてエールや肉を注文する毎日に満足している。
残り七割はある程度稼げるようになるとさっさと木賃宿を出て、それなりの宿や借家に移って本格的に冒険者稼業にせいを出すことになる。
一般的な冒険者は、ベテランと呼ばれる年齢になっても半端仕事ばかりして、木賃宿に居座っている彼らを『ドギーバッグ(残飯容器)』などと呼んで蔑んでいるが、確実に雑用を片づけてくれる彼らのような存在がいることで町の経済や物流が回っている面もあるのだ。
そんな三十歳前後ドギーバッグがふたり、昼過ぎからコンスルの冒険者ギルド酒場で酒臭い息を吐いて気炎を上げていた。
「がはははははっ、上手くいったなあ! 小鬼の巣を一網打尽だぜ!」
「おいおい、巣穴を見つけたのも煙で燻そうって言ったのも俺だぜ」
「ああわかってる。濡れ手で粟でギルドポイントも稼げたし、討伐依頼料もばっちりだし、これで一月は依頼を受けないで飲み食いできるな!」
どうやら貯蓄という概念はないらしい。さきほどから猛烈な勢いでエールを飲んで、追加の注文を繰り返しているふたり組。
「こんだけ肉を食うのも久々だな。おいッ! じゃんじゃん持ってきてくれ。あと今日のおススメはなんだ?」
「はーい、エールお待たせしました。あとおススメはキノボリボアのステーキに米の付け合わせです」
兎人族らしい十代後半の女給が抱えてきたエールをふたりの前のテーブルに置きながら、打てば響く調子で答える。
「んん? コメってなァなんだ?」
「白くて粒粒した野菜です。大きな街とか貴族とかがサラダとかの付け合わせに食べるのが流行ってるんですよ。なんでもこの近くの開拓村の特産品だかで、お試しにうちの厨房長が料理してみました」
「ほーっ、お貴族様が食っているモノか。物は試しだ、そいつを二人前頼む!」
あぶく銭が入って気が大きくなっているふたりが面白がって注文すると、しばらくして先ほどの女給が大皿に盛られたステーキを持ってきた。
大きな肉の隣にちょこんと盛られた白い米をまじまじと眺めて、ふたりは同時に首を捻った。
「こいつがコメか」
「なんか虫みたいだな」
おそるおそる手掴みで米を抓んだふたりは、お互いにいっせーのせーで口へ運ぶ。
「「………」」
もぐもぐ……ごくり。
目を閉じてじっくり味わっていたふたりだが、なんとなく気の抜けたような調子でお互いに顔を見合わせた。
「……こんなもんか」
「別に美味いもんでもねえな……」
それからは米には目もくれず、ステーキを頬張りながらエールを飲むふたり。
一部始終を、現在冒険者研修生として、ただ飯と木賃宿の使用が認められているブルーノが黙って見ていた。
◆ ◇ ◆ ◇
「――と、言うようなことが前にあったらしいんですよ!」
ブラントミュラー邸の厨房に隣接した小部屋の中をうろうろすながら、憤懣やるかたないという顔で小さな握り拳に力を込めるエレン。
西の開拓村の特産品であるお米が酷評されたことに、村長の娘としては黙っていられないというところでしょう。
「だいたいなんで黙って見てるわけよ、ブルーノ! お米がバカにされるってことは、あたしたちの村がバカにされているってことじゃないの!」
「だって俺は米よりパンの方が好きだし」
「裏切り者ーっ!!」
けんもほろろなブルーノの答えに激高するエレン。
「とはいえ、確かに慣れていないとお米を炊いた『ご飯』だけ食べても、さほど美味しいとは思えないでしょうね」
そもそもお米を主食とする地球のアジアからアラビア圏でも、炊いた白米であるご飯を食べるのはごく一部で、大抵は油やバター、肉と一緒に炒めたり、葡萄の葉で包んで煮込んだりするのが一般的な筈です。
あと基本的にこの世界ではお米は付け合わせの野菜感覚で、主食として食べる習慣はほとんどないのは、地球と違って大陸のどこでも昔から麦など主食の代用食として馬鈴薯が食べられるからという理由が大きいでしょう。
「ジル様までそんなことを。いいですか、お米一粒の中には七人の神様がいて、八十八の手間暇をかけて育てなければならないんですよ!」
さすがに聞き捨てならないとばかりエレンが力説します。
七人の神様とか、八十八の手間とか、どこかで聞いたような言い回しですけど、まさか西の開拓村にお米作りを伝えたのって転生した日本人ではないでしょうね?
とエレンに確認したところ、
「うちの村というか、このあたりにお米の作り方を伝えたのは聖女スノウ様っていわれてますよ」
との答えが返ってきました。
なんでも言い伝えでは、黄金龍王によってペンペン草一本生えず、荒廃した大地に現れた聖女スノウが人々を治療する傍ら、ヒャッハーッ叫びながら暴れまわるモヒカンの大鬼集団に襲われていた老人を助けて、種籾を撒いたとかなんとか。
どうにも創作臭い話ですので鵜呑みにはできませんが、それ以来、この辺りではお米(陸稲)を作るようになり、物珍しいと言うので商人が定期的に買い取りに来て、いまでは王侯貴族も食べる珍味扱いされているのです。
「そうっ。“珍味”扱いなんですよ! これって不当な評価だと思いませんか、ジル様!?」
「ええそうね。それはちょっと勿体ないわね」
とは言え、現在栽培されているのは丸くて粘りのあるジャポニカ種ではなくて、固めの食感で独特の匂いがある長粒種に近い種類のものですから、調理するとなるとパエリアやピラフ、炒飯のようにするのがベストとなります。
お米そのものの美味しさを味わうとなるとちょっと難しいでしょう。
「ということで、それではこれより、西の開拓村特産品のお米を使って、ジル様に考案していただいた名物料理、その試食会をしてみようと思います!」
ぱちぱちぱちぱち。
わかっているのかいないのか不明ですが、メイド服を着たキツネ耳と尻尾を持った獣人族の少女で、私の侍女見習いであるラナが手ばたきをしました。
「なお今回のコンセプトはお米が添え物ではなく主役になって、なおかつ他にないような料理です。お手数をおかけして申し訳ありませんでした、ジル様」
「気にしないで。私も愉しんで腕を振るったんだから」
当初はお屋敷の厨房長にお願いしていたのですが、お肉と一緒に炒めるとか、他の野菜に詰めるとか、どうにも既存の調理法から脱却していなかったので、前々から作りたかったとある料理を試作してみることにしました。
とはいえ、おおまかな概念はわかっていたのですけれど、実際に作ってみるとこれが思いのほか難しく、いちおう形にはなりましたけれど、果たして成功しているかどうか、結果は神のみぞ知るという感じです。
「なあ、それはいいんだけどさ。なんで俺って縛られているんだ?」
不満そうにロープでぐるぐる巻きにされ、背もたれ付きの椅子に縛り付けられているブルーノが頬を膨らませます。
「逃げないように、念の為よ」
「意味わかんねーよ!」
端的なエレンの説明に噛み付くブルーノですが、説明するよりも早く答えの方がやってきました。
ワゴンに乗せた蓋付きの浅い木桶を押しながら、思いっきり顔をしかめている私の侍女筆頭のモニカ。
その香りに気が付いたのでしょう。ブルーノは顔を引きつらせ、鼻の利く狐の獣人であるラナがこっそりと距離を取りはじめました。
「それでは、お米を使った名物料理。『お寿司・試作品第一号』の人体実け……ではなくて、試食会をしてみたいと思います」
私の宣言にエレンが拍手をして、対照的にラナが気の毒そうにブルーノを見つめ、モニカが神妙な表情でそっと胸の前で呪い師だったというお婆ちゃんに教わった魔除けの印を切ります。
「おいっ。ちょっと待て! なんだよそれ、なんかここにいてもスゲー酸っぱい臭いがするぞ!」
「お寿司ですわ。これぞお米料理の王道、キングオブ米食! 賛否両論ありますが、世界に通じる国際食として今後グローバルスタンダードになることが、約束された勝利のお料理と言っても過言ではございません。……とはいえさすがに鮮魚を使う江戸前寿司は冒険が過ぎるので、今回はお寿司の原型である『なれずし』にしてみました」
なれずしというのはご飯とお魚、塩だけで時間をかけて乳酸発酵させたお寿司のことで、現代でも鮒寿司が有名なところです(他にも地域によっては色々と種類はあって、お魚どころか野菜やお肉を使ったなれずしもあります)。
これにしたのは、このあたりで採れる魚が淡水魚なため――淡水魚を使った普通のお寿司もあることはありますが、寄生虫とか怖いし、それになにより長粒種のお米に合わないのと、作った後の日持ちを考えて、ある程度保存が利く、東南アジア原産と言われるなれずしにしてみたのです。
もっとも普通に鮒寿司の要領で作ると最低でも二~三カ月と結構時間がかかるので、今回は時間短縮のために発酵は抑え目で代わりにワインビネガーや、あとオリーブオイルと香り付けにバジルを使ってアレンジしてあります。
「話はわかったけど、なんで俺が縛られてるんだ?」
「だから逃げないようによ」
「なにから!?」
たぶんわかっていると思うんですけど、現実から目を逸らすためか、時間稼ぎのためかジタバタもがくブルーノの前に、桶から皿によそった『なれずしモドキ』を差し出しました。
酢飯の匂いと発酵したお魚の匂いがたまりません。
縛られたまま思いっきり身を仰け反らせるブルーノの口元へ、隣のエレンがスプーンに山盛りにしたお寿司を運び、無理やり口を開けさせようとしています。
「ほらほら。ジル様の手料理をこのあたしが食べさせてあげようっていうんだから感謝してよね」
「んーっ、んーんーっ!!」
歯を食いしばって呻き声で抗議するブルーノ。
「そもそもこの魚だって、あんたが捕ってきたもんでしょう。ジル様お手製の“釣竿”とかで。だから殊勲者として、最初に食べる栄誉を与えようって言ってるのよ」
ちなみにこの世界、網とか銛とか魔法とかで漁をするやり方はありましたけれど、なぜか釣り針とか釣竿とかの概念がありませんでしたので、鍛冶屋さんに無理を言って『返し』のついた針を作ってもらって、釣竿は西の開拓村の近くに竹林があったので、それを村の木工・竹細工が得意な方に渡して、だいたいの図面を元に試作していただきました。
なお糸は『怪蚕』と呼ばれる虫のモンスターから取ったものを利用しています。
使い勝手を確かめるために、ブルーノにお願いして近くの小川に案内してもらったのですが、餌にする川原の石の下にいるうにょうにょ動く虫を素手で掴んで毟って針に刺す段階で挫折。
それでも最初のうちはブルーノに餌をつけてもらってチャレンジしてみたのですけれど、魚がかかって暴れるのにテンパリ、ブルーノが糸をたぐって引き上げて獲物の針を外すのまでやってもらうという。完全にお姫様の釣りとなってしまいました。
見かねて途中から代わったブルーノがコツを掴んで、ぽんぽんと入れ食いをしているのを脇でぼーっと見ていたのもいい思い出です。
そんな思い入れのある獲物で作ったお寿司ですから、最初にブルーノに食べて貰おうと思ったのですけれど、なぜか頑なに拒まれています。
「――もしかして、私のことがお嫌いなのですか?」
なにか機嫌を損なわせるようなことをしてしまったのかも知れません。
「そうじゃなくて、生のフロッグフィッシュとか――むぐっっっ!?!」
反論しかけたブルーノの口の中に、有無を言わせずエレンがスプーンを押し込んで、さらに目を白黒させている間に、次々と皿のお寿司をわんこそばのように押し込みました。
「うーっ! うーーっ!!」
必死に飲み下すブルーノ。
味わっているのか微妙な反応に首を傾げながら、私は材料にした肉厚で白身の川魚を思い出して、誰にともなくひとりごちます。
「あれって“フロッグフィッシュ”って言うのね」
それに答えたのはモニカです。
「ええ、蛙魚という名前の通り、怒ると蛙のように膨らむ魚です」
「へえ、そうなの。まるで河豚みたいね。…………………………………………河豚?」
「ちょっと、ブルーノ? なんで震えているわけ。感動してるの? なんか顔色が真っ青だけど……?」
はっと気が付くのと同時に、エレンの焦ったような声が木霊しました。
「ちなみに毒があるとかで、食用には向きません」
「それを先に言って!」
私は慌てて治癒術を唱えながら、白目を剥いて泡を吹いているブルーノの元へと駆け寄るのでした。
◆ ◇ ◆ ◇
後日談。
その後、食べられる魚を使ってお寿司を作ったのですが、なぜか食中毒が発生して、再びブルーノが死に掛けたことで、お寿司の開発はいったん暗礁に乗り上げました。
その代わり、というわけではありませんが、釣りのことが口コミで広がって好事家の間でちょっとしたブームとなり、西の開拓村では副業として釣竿を作ることでかなりの利益になったそうです。
試作2号の失敗の原因は捌いた魚を水洗いする際の水管理と温度管理が甘かったせいです。