獣王の秘技と呪いの国
「獅子覇流奥義“獅子無双天蹴”っ!!」
裂帛の気合とともに、ディオンがまるでそこに見えない梯子か階段でもあるような勢いで、遥か頭上に陣取る風竜目掛けて宙を駆け上がって行きます。
たちまち自分と同じ高度に到達して、さらには弾丸のように一気に距離を詰めるディオンに、空の覇者として、塔の守護者として磐石の自信があったであろう風竜が、ギョッとした顔で泡を食っているのが遠目に見ていてもわかりました。
というか、目を白黒――白翠?――させているのは私も同じです。
周知の事実ととでもいうべき涼しげな表情で、なんら魔法的手段も魔具も使わずに人間が体ひとつで宙を舞う――白昼夢でも見ているようなあり得ない光景を、平然と受け入れているウタタ様に、思わず私は勢い込んで尋ねました。
「なんですの!? なんですのあれ?! なんで人間が空を飛べますの!?!」
「飛んでるわけではないぞ。“気”を込めた足で空気を足場にしておるだけじゃからな。おヌシでも修行を積めば一~二年で水の上を歩けるようになるじゃろう。そこから先は天稟の問題じゃな。軽身功の類いは生まれつきの素養が大きいと聞くからのォ」
軽身功なら知っています。前世の記憶にある地球の武術――正確には中国拳法の修行法の中にありましたけれど――あんなの私が知っている軽身功じゃないですわ!
というか、翼がない限りどんなに努力したって人間が空を飛べないのは自明の理です。
なんでもかんでも“気”と“修行”で片づけないでくださいまし!
魔女が言うのもなんですけれど、この世界の物理法則はどうなっているのでしょう? ちゃんと仕事をしているのか、はなはだ疑わしいですわ。
と、世界の理不尽と戦う前に、それはそれとしまして、こちらはこちらで襲い掛かってくるアンデッドと戦わなければなりません。
基本的にここいらにいるアンデッドは生前の妄執によって縛られた魂が自分の肉体に憑依して動かしているパターンです。倒す方法として手っ取り早いのは焼いてしまうことで、それは私の十八番の魔術なのですが、それは力任せの魂の消滅を意味しています。
哀れな魂を救済するためには浄化術で、正しく成仏だか昇天だかさせないといけません。
ふと、ほんの数カ月前目の前で消滅した哀れな妖霊を思い出して、胸がチクリと痛みました。
私にもっと力があれば、あの時、別な結末を迎えられることもできたでしょうに……。
そんな後ろ向きの感慨に浸る間もなく、
「“天鈴よ、永久のしらべ持て不浄なる魂を冥土へと送還せよ”――“浄化の光炎”」
ウタタ様の大規模浄化術が炸裂して、黄金色の炎があまたのアンデッドたちを包み込んで、速やかにその霊魂を天へと送還させます。
「すごい……!」
見かけは幼女ですが、さすがは聖獣の血を引く獣人族の『聖巫女』だとか『大巫女様』などと呼ばれる、特定の指導者を持たない獣人族の聖獣崇拝の中でも、特別扱いされるある意味、中心というか指導者的な立場だけのことはあります。
実力では既に彼女の祖母である先代の大巫女様を越えているというウタタ様。
今回のこの『聖杯の塔』の攻略は、その先代様からの依頼というか預言だそうで、なんでもかつて世界を震撼せしめた吸血鬼をこの塔で封印していたそうですが、なんらかの理由でその封印が緩んでしまった……そのために、浄化と封印術の使えるウタタ様に白羽の矢が立ったとか。
「――といっても、儂ごときの封印などもともとあった封印の上に塗り薬をつける程度の気休めじゃがな。古の封印術は理解を越えておるわ」
旅を始める前の説明で、普段は自信満々なウタタ様が珍しく弱気な発言をしたのが印象的でした。
「まあ、幸い……というべきか微妙なところじゃが、問題の吸血鬼はかなり弱体化しておるらしいし、なによりあの塔には飲んだ者の能力を覚醒させ、数倍に強化させるという伝説の水で湛えられた『聖杯』があり、聖なるこれには吸血鬼も手が出せないとのことじゃから、先に全員で一杯引っかけてから封印する流れが理想じゃろう」
「水盃にならないといいですわねぇ……」
能力を覚醒させるとか、数倍に強化するとか、非常に魅力的なお話ですが、お話を聞く限りでは作戦とも呼べないような行き当たりばったりで、ざっくりとした今後の行動指針です。
すべて希望的観測の上に、幸運に恵まれないと達成できませんし、仮に成功したとしても相手の力を上回る根拠も――「大丈夫じゃ。オババ様の預言によれば儂らが力を合わせれば成功するとのことじゃぞ」――という曖昧なものです。
……これはどう考えても不測の事態で失敗するという駄目なルートを着々と進んでいますわね。いわゆる「これあかんやつや」という典型です。
「心配性じゃの、おヌシは。たかだか吸血鬼じゃ。昔、儂が若かった頃のこと――」
見た目、幼女がアンデッドを浄化する傍ら、遠い目をして語ります。
「ここから遥か北東の先に“呪われた国”と呼ばれる旧ユース大公国という土地があるのじゃが」
ああ、レジーナとの歴史の講義の際に学びました。確か百年以上前に〈神祖〉と呼ばれる吸血鬼が現れて、国ひとつを己の眷属に変え、それを討伐するために太祖帝様率いるグラウィオール帝国のほぼ全軍が投入されたとか、史上初めて獣人族の全部族が集結したとか、最後は超帝国の〈神帝〉様ご本人が鉄槌を下したとか……ま、英雄譚の一種ですわね。
『んな見たこともないボンクラが、聞き齧りの資料と都合のいい脚色で適当に辻褄合わせた歴史書を本気にするんじゃないよ!』
ふと思い出したのは、その“呪われた国”のガイドラインを暗誦させられた際のレジーナの憤懣やるかたないという表情です。
一般常識として答えた私の返答に、当時、レジーナがスパイスの分量を大幅に間違えたスープを飲んだような顔で盛大にダメ出しをして言い放ち待ちた。
『なにが先頭に立ってだい。できるわきゃないだろう! だいたい、当時はまだ即位もしない小娘だったし、全軍どころか三分の二以上の軍が、敵対していた宰相派に属していて無視を決め込んでいたし、国庫もカツカツで兵站も含めてせいぜい三万しか動かせなかったし! そもそも結果的にアレが最初から乗り気だったら単独で斃せたわけで、なら関係国の協議と融和を図った事前会談の意味はなんだったんだい!』
当事者が当時を思い出してハラワタが煮えくり返っています……とでも言うような、鬼気迫るような顔つきで吼えるレジーナ。で、その晩は意味不明な愚痴を盛大に一席ぶたれたものでした。
そんな私の辛い記憶とは無縁に、アンデッドに浄化術を放つ傍ら意気揚々と語るウタタ様の――お年寄りの昔話ってなんでこうおしなべてクドくて不毛なんでしょう?――思い出話を聞かせられます。
「修行と称して、聖女教団の象徴たる聖女スノウ様と、天上紅華教のラポック大教皇と吸血鬼狩りに行ったのじゃが」
嘘ですわ! もしくは騙されているのですわ! 聖女教団の伝説の聖女と、大陸最大宗教たる天上紅華教の“剣の大教皇”、そして獣人族の巫女の最高位に位置する聖巫女が連れ立って吸血鬼狩りに行くとか。
ソクラテスとプラトンとガリレオが三人四脚で向こうからやってくるよりも革新的すわ!
つまりありっこないということです。
「いや、大変じゃったぞ。どっちも当たるを幸いに段平振り回して、有無をいわずに斬って斬って斬りまくりでの。――聖職者というものは武闘派なんじゃと、当時あった幻想が木っ端微塵になって現実が骨身に染みたものじゃ」
そんな聖女や大教皇がいるわけありませんわ! いいかげんたばかられたことに気が付いてくださいまし!
と、ツッコミを入れようとした矢先――
『クワアアァァァァァァァァッ!!』
縦横無尽に空中を足場にして跳ね回りながら、気弾を放つ――あれもう浮遊とかなんとかいうレベルを超えていますわよね? 気弾にしてもどこからあれだけのエネルギーを得ているのとか、反動をどう中和しているのか不明ですし……この世界の物理法則ははたしていま息をしているのでしょうか?――ディオンの攻撃で傷を負った風竜が、いよいよもって彼を強敵だと認めたらしく、目の色を変えて咆哮を放ちました。
「“光よその輝きをもって魔を祓え”――“霊光”」
私も目前に迫るアンデッドを一体ずつ、着実に浄化することにして意識を集中させます。
「なんじゃ、初級浄化術の“霊光”か。なんで“浄化の光炎”を使わんのじゃ?」
「ぶっつけ本番で上級術なんて使えませんわ! いま使える術を有効活用するほうが確実です」
「堅実じゃのォ。おヌシはあれじゃな……男女交際も最初は交換日記とか手紙の遣り取りから始めて、手をつないで、腕を組んで、肩を抱き締めてとか、手順を踏まないと先へ進めない口じゃろ? 好意を持った男は生殺しじゃろうなぁ」
「ほっといてくださいましっ!!」
まるで見てきたような口調でしみじみ言われて、あっさりと集中力が切れた私は逆上して怒鳴っていました。
――どこかの会話――
「へっくしょ!」
「どうしたルーク、風邪か?」
「いえ、急に鼻の奥がムズ痒くなっただけです、父上」
「ならばいいんだが。寒くなってきたら十分に気をつけるんだぞ」
「はいっ、父上」
「春になったらオーランシュから司式な婚約の使者もくることだし」
「……本気なんですか、父上?」