オアシスの一夜と塔上の怪人
星明りの下、銀色に輝く荘厳かつ壮大な砂漠――大陸最大の不毛の大地である【愚者の砂海】――に、零れ落ちた一滴の涙のような小さく清涼なオアシスに、今宵は甲高い少女たち(???)の賑やかな嬌声と、ばしゃばしゃと盛んに水を撥ねる騒々しい音が木霊していました。
「――しかしなんじゃな……。帝国ではこの『水着』とやらが流行りなのかえ? 別に誰に見られているわけでもないし、たかが水浴びに高価な生地を贅沢に使うとは驕っておるのォ。やはり帝国の文化は退廃の極みじゃな」
ピンク色のAラインで胸元にリボン、腰には可愛らしいスカート付きの水着を着た獣人族の聖巫女であるウタタ様(外見八歳児、推定年齢百歳)が、犬かきで向こう岸に行っては戻ってくる人工知能搭載の掃除機のような、謎の遊びに没頭しているフィーアと併走して意外に慣れたフォームで泳ぎながら、ぶつぶつと益体もない不満をこぼしています。
「あら、あたしは結構気に入りましたけど、これ。可愛いじゃないですか~。ウタタ様もそうですけど、やっぱり女の子は着飾ってナンボですよ。――てゆーか、アレですよ。こういうのは無駄ではなくて余裕というのではないですか?」
縞模様でパレオの付いたホルターネックの水着を装備した砂読みのナーウィス(一見美少女、実は男の娘)が、縛っていた髪を解いて丹念に洗いながら楽しげに目尻を下げました。
ちなみに、こちらは泳げないとのことで、浅瀬で水浴びを楽しんでいるようです。
「そうですわねー。人生一寸先はなにがあるかわからないのですから、たまには生き抜きも必要ですよねー……。……まさか、南の国でバカンス用に買った水着の出番が砂漠のオアシスになるとは思いませんでしたけれど」
水にまったりと浮かびながら、私も適当に相槌を打ちます。
ちなみに水着は飾り気のない白のビキニで、泳ぎ方は古式泳法の手足を芋虫のように縛られた状態でも数時間は泳げる実践的なものです。
「でもまぁ、確かにウタタ様の言い分にも一理はあると思うのよ。せっかくの女の子同士なんだから、生まれたままのハダカのお付き合いも大事じゃないかしらねー。けどまぁ、帝国のほうの文化にはないみたいだから、仕方ないわね~」
慨嘆するナーウィスですが、多分、この広い大陸の九十九・九九九九九%まで、女性が男の娘と素っ裸で水浴びをする風習はないと断言できます。平気で全裸になるこのふたりがおかしいと思うのですけれど、この手のことにまったくわだかまりのない獣人族って……。
(やはり裸族だったのね……)
肌の露出の多そうな民族衣装から半ば予想していましたけれど、案の定だった異文化カルチャーに、私は改めて遠くにきたことを実感して満天の星空を見上げるのでした。
「それにしても、ジル。おヌシの先ほどの取り乱しようからして、本当にナーウィスの性別に気付いておらんかったのじゃなあ。角の形を見れば一目瞭然であろうに、まだまだ観察力が足りんのォ。そんなことでは、人の命を預かる治癒術師としてはなはだ不安だといわざるを得んな」
そうため息をつきながら、自分のシンプルな角を触ってから、ナーウィスの枝分かれした角に向けて視線で示すウタタ様。
そうはおっしゃいますが、前世でも現在でも身近で鹿を観察したことなどありませんし、そもそも……。
「“砂の民”の里にいた“砂読み”の方々は、皆さん立派な角があって、細身でお綺麗な方ばかりでしたから、てっきりそれが常態なのかと思っておりました」
「ああ、おねにぃ様方は全員、あたしと同じよ」
『おねにぃ様』ですか。……案外、あっちの世界の上下関係は洒落にならないほど厳しいといいますから、ナーウィスも苦労しているのかも知れませんわね。
「“砂読み”って全員が女装……ではなく、煌びやかな格好をされているようですけど、何か意味があるのでしょうか?」
「それには深い理由があって、話せば長くなるんだけれど……」
腰の辺りまで水に浸かりながら、ナーウィスが遠い目をして語りだしました。
「要するに、そういう趣味の同好の士が集まったのが“砂の民”なわけなのよ」
ぜんぜん深くもなければ、長い話しでもありませんでしたっ!
と言うか、よく集団としての体裁を保っていられますね。男の娘だけの村とか、どうやって分母を増やしているのでしょう? 限界集落よりも先細りするだけのような気もしますけれど……?
「まあ、獣人族の女には男よりも逞しくて、気風のよいのがゴロゴロしておるからのォ」
そんな私の疑問を読み取ったみたいで、フィーアと水の掛け合いをしながらウタタ様が的確な注釈を加えてくださいました。
「逆ナンパされたり、場合によっては腕力で無理やり……というパターンで、毎年そこそこ子孫を残しておるぞ」
だいたい生まれた子供が男なら将来は“砂読み”になるか、可愛いお嫁さんになるか。女なら戦士として傭兵とか、冒険者になって旅に出るのが通例だそうです。
獣人族の女性って、どれだけ剛の者なのでしょう(さすがに全部が全部、そうではないと後にわかりましたけれど、概して気風がよいのは確かなようです)。
「……世界は広いですわね。本当に」
有意義なのかどうかは不明ですけれど、確かに広い世間に出て社会勉強にはなりました。
「まあ……でも、男がこういう格好をしていることや性的嗜好について、獣人族の男や、他種族の男女から毛嫌いされているのも確かなんだけどねー」
あはははは……と笑いつつも、どこかほろ苦い口調で続けるナーウィス。
「てっきりジルもそうなのかと思って覚悟していたんだけど、案外動じなくて……演技でもないみたいで、ほっとしたわ」
「そういえばそうじゃの。驚いたのはナーウィスが男だった事実に対してだけのようじゃし、年頃の娘じゃったら、アレを見てもっと動揺するかと思っておったのじゃが」
ナーウィスの微笑みに続けて、どことなく物足りなさそうに嘯くウタタ様。
コノヤロさては全部わかっていて、私の反応を楽しんでいましたわね。
「男性のチューブワームについては特段、物珍しいものではないので、いまさら照れるほど初心ではありませんわ」
「おヌシ、その年で動じないほどチューブワームを何本も何本も見ておるのか!?」
「『何本』とか生々しい表現はやめてくださいまし。さすがに引きますわ! あと見知らぬ他人のチューブワームを見ていたわけではございません!!」
前世で身近にあっただけです!
「そ、そうか。身近にのぅ……。もしかして母親はいないのか、おヌシ?」
「ええ。私が五~六歳の時に儚く……」
「そうか、悪いことを聞いたのォ。……では、そうすると、家族は父親だけなのか?」
「そのあたりは微妙なのですが、父親の他に腹違いの兄が七人に――」
「「あー……………」」
続きを言いかけたところで、ウタタ様とナーウィスが同時に、全部事情を理解した、というような顔で何度も頷かれました。
それからお互いに小声で、「裸族?」「裸族じゃな」と囁き合いながら、なにやら自己完結したもようです。
「おヌシも難儀な人生を送ってきたようじゃの。儂でよければ力になるぞ」
「大丈夫よ。あたしたちは味方よ~」
急に優しくなったふたりの態度に、何か釈然としないというか、どんな破天荒な家族構成を想像されたのかと頭が痛くなりました。
◆◇◆◇
【愚者の砂海】のほぼ中央部に位置する。砂舟でも最寄の集落から最短で一月以上かかるという人跡未踏の地。
そこに誰が建てたものか、巨大な円筒形の塔が朽ち果てたように存在する。
天を衝くような……というほどでもない、確かに土台部分は軽く直径で三キルメルトほどもあり、途中まではノリノリで延びているのだが、途中で根性が尽きました……あるいは資金不足で投げました、と言わんばかりに、中途半端に終点を迎えるこの建造物は、通称『聖杯の塔』と呼ばれる、塔型ダンジョンである。
そのダンジョンの上部付近にある、薄暗い部屋の中。
「商売道具をなーくさーれてぇ~♪ 秘密のアジトに住んでいる」
時折光を放つ謎の魔法装置。その前にいわくありげに設置されている年季の入った石棺をお立ち台代わりにして、ゴキゲンで謎の歌を歌っている少年らしい人影があった。
断言を避けるのは、その人物が笑い顔を模した白い仮面で顔全体を覆っているからである。
ひとしきり三番まで歌い終えた彼は、周辺を警戒するために設置された水晶盤越しに見える、とあるオアシスの光景を前に、
「やっぱり幼女は最高だぜぇ!」
鼻息も荒く、全身で喜びを体現するのだった。
――どこかの会話――
「アレに塔の管理を任せて大丈夫なのでしょうか、姫?」
「弱体化させてあるし、塔からは離れられないように制限をつけてあるから大丈夫じゃないのかな。それよりも、あの塔を途中で放棄したのは勿体なかったね」
「そもそもあんな場所に足を運ぶような物好きがいないことに、場所選びをした段階で気付いていればよかったのですけれど」
「一般人だと絶対にたどり着けないような場所とか、獣皇とアスミナに言われるまでわからなかったからねぇ」