砂舟の砂読みとオアシスの珍事
予想外に長くなってしまいました。
不毛の大地といわれる【愚者の砂海】ですが、ところどころに灌木や草が生えている場所や、季節によって移動したりしばしば消滅したりしますが、ごくごく稀に綺麗な水をたたえた緑のオアシスもあります。
といっても、地図はなく、目印もなく、日々様相を変え、底なしの流砂や凶暴な魔物が息を潜める砂海では、普通の人間はもとより旅慣れたキャラバンでも、まずそうした場所へたどり着くことはできません。
ですが、もともと定住しない遊牧民である獣人族の中には、このような過酷な環境にも適応した民族がいるそうで、通称『砂の民』と呼ばれる彼ら――鹿や山羊の獣人によって構成された集団――は、『砂舟』という砂海を行き来する独特の帆船を使って、【愚者の砂海】をまるで本物の海のように行き来しているそうです。
ただし『砂の民』であれば誰もが『砂舟』を自在に操って、【愚者の砂海】を自由に往来できるかといえばそんなことはなく。多くは砂海の外周――いわば浅瀬を渡るに過ぎず、より危険で過酷な内陸部を走破するには、特別な技能を持った『砂読み』というナビゲーターを兼ねた船員の存在が不可欠になります。
『砂読み』はろくに目印もないこの場所で、流砂の流れを読み、的確に危険を避けて安全な航路を確保してくれますが、これも魔法使いや巫女同様に、生まれもった素質に左右されるそうで、優秀な『砂読み』は砂漠の水場よりも希少だと言われています。
そのようなわけで、今回の『お使い』が成功するかどうかは、この『砂舟』と『砂読み』の存在にかかっていると言っても過言ではありません。
幸いにして今回、獣人族の聖巫女だというウタタ様と、その護衛だという獣人族の中でも特別な勇者にしか与えられない『獣王』の称号を持つ青年ディオン。そして、
「知り合いが手を貸してほしいそうだから、ちょっと行って手伝ってきな。なーに、分かれ道なんてないところを真っ直ぐ行きゃいいだけだの話さ」
という、今にして思えばあまりにも胡散臭い師匠の指示に従って、うかうかと虎口に飛び込んだ私とフィーアという同行者の為に、ウタタ様やレジーナの昔なじみだという『砂の民』の長が快く協力してくださり、『砂の民』の中でも、最高の『砂読み』が同乗して舵を取ってくれることになりました。
「ウタタ様。この先、十五キルメルトほどのところにオアシスがあるようです。夜になるとこの先の流砂は安定しませんから、今日はこのオアシスで一泊をして英気を養いましょう」
獣人族独特の民族衣装を着た背の高い、スレンダーな少女が片手で砂舟の帆を操作して、もう片方の手で舵を握るという器用な事をしながら、舟の中ほどで退屈そうにフィーアの肉球をプニプニしていたウタタ様に、ちょっとハスキーな声で指示を仰ぎます。
彼女が『砂読み』であり、この舟の持ち主でもあるナーウィスです。
見た目は私よりも三~四歳年上といったところでしょうか。やや癖のある栗色の髪を後ろで縛って動きやすくして活動的な、目鼻立ちのくっきりとした美少女です。
鹿の獣人らしくウタタ様同様に角が生えていますけれど、ウタタ様が割りと小さい角が一本ずつ生えているのに対して、こちらは年齢的なものでしょうか? 見事に枝分れした角が左右に伸びています。
惜しむらくは胸とお尻が見事な絶壁なことで、ことによるとウタタ様より残念な体型かも知れません。もっとも、日々胸とお尻が肥大化して、邪魔な私から見れば羨ましい限りですが……。
ちなみにですが、獣人族の美的感覚ではあまり容姿には囚われずに、男性であればどれだけ強く逞しく、家族を守れるかを重要視して、女性の場合はどれだけ健康で子供を生めるか、要するに豊満な体型が好まれるとのことですので、私もあまり自分の器量を気にしないで――他に誰もいない砂海の只中ということもありますが――こうして素顔をさらけ出しているのでした。
「うむ。それは良いな。久々に体を洗ってさっぱりしたいところであるし……いや、ジル殿の魔術のお蔭で、必要な水に難渋せんのはありがたいのだが、手拭いで拭くのはやはり味気ないからのぅ。やはり広々とした水場で水浴びする誘惑には抗いがたいのじゃ。許せ」
この一団のリーダーであるウタタ様が、フィーアで暇つぶしをするのを止め、諸手を挙げて賛成しながら、私にも気を使ってくれました。
「いえ、私も同じですからお気になさらずに。――それに今日はいい加減走り回って、汗もかきましたし」
数時間前のことを思い出して、私はぶるりと身震いしました。
気楽にお花摘みにも行けないのですから、恐ろしい場所です。
「それにしても、さすがはナーウィスだな。俺にはオアシスの気配も、水の臭いも感じられないっていうのに」
砂舟の船首部分に立って、周辺の警戒をしているディオンが振り返って、賛嘆の視線を船尾にいるナーウィスに向けます。
「フフン♪ そーでしょ、そーでしょう。この距離で砂が読めるのはあたしくらいだし、ねえ、惚れた? 惚れた?」
「惚れん。つーか、前から言っているように、俺はお前には友人としての感情しかない」
十人も乗れば一杯になりそうな砂舟の前後を挟んで、ふたりが不毛な会話を声高に交わしているのを横目にしながら、私とフィーアとウタタ様は日除けの下で、干しイチジクを食べながら、
「ウタタ様、これは手製の日焼け止めなんですけど、よろしければお使いになりませんか?」
「ほほう。ジル殿はそんな白い肌で大丈夫かと心配しておったのじゃが、なるほどこういう秘薬を使っておったのか。さすがは魔女じゃの」
取り出した手製の化粧品の数々を並べて、こちらはこちらであれやこれや砂海と肌荒れ対策について、熱い議論を交わしていたのでした。
その後、ナーウィスが指摘した通り、私たち一行は日が暮れる前に、とある丘陵の陰に隠れるようにひっそりと存在するオアシスへとたどり着きました。
鼻の良いフィーアや獣人族の戦士であるディオンも、かなり近づかないと水の存在に気が付かなかったのですから、『砂読み』の存在がこの【愚者の砂海】で、どれほど必要不可欠なのか、まざまざと身をもって教えてくれます。
「うふふ♪ ディオン~っ。今晩はお互いの友情を確かめあうために、一緒に寝ましょう」
「それ友情じゃないだろう!? だいたい俺は今晩は寝ずの番をしているから寝床はいらん!」
「え~~~? 徹夜なんて体に悪いわよ」
「夜行性の獅子の獣人を、まして獣王を舐めるな! ぶっ通しで一巡週くらいどうにでもなる!」
技量はともかく、中身はちょっとだけアレですけど……。ですが、見るからにディオンに好意があるのは明らかですから、多少行き過ぎたスキンシップも恋する乙女の特権でしょう。……多分。
周囲百五十メルト程度のオアシスに砂舟がたどり着くと同時に、ディオンがロープ片手に砂海へと飛び降りて、適当な岩にロープの端を結わえて舟を固定しました。
それから、私たちが砂舟を下りるまでの間に安全を確認したディオンは、流れるような作業でたちまち野営の場所を決めると、大きな平石を土台にして竈を作り、そのあたりの枯れ木や枯草を集めてあっという間に火を熾します。
私も野外活動にはそれなりに慣れているつもりでいましたが、収納してある物資を取り出す間もなく、ほとんどの準備を終えてしまったディオンの手並みには脱帽です。
このあたりは半分趣味でやっている人間と、生まれた時から生活のための必須技能として身に着けた人間との差でしょうね。
そういえば、暇を見つけてはディオンと簡単な組手をしているのですが、こちらもまったく歯が立ちませんでした。
「筋はいいしその年齢としてはよく練習しているけど、イマイチ反応が鈍い。いちいち技を考えて使ってちゃダメだな」
軽く私の攻撃をいなしながら、痛いところを突いてきます。
技の連携やフェイントなど、いちいち考えないで自然に骨の髄まで身に付けろ……ということらしいですが、これは単純なようで難しい注文です。才能とかよりも経験の蓄積か、もしくは動物的な勘とか本能が重要な分野ですので、なにごとも思考が前に来る私には難しいお話です。今後の宿題として心に留めておくことにしました。
さて、ディオンがすっかり整えてくれたキャンプ地に、ほどなくほのかな焚火の明かりと、お肉の焼ける香ばしい匂いが漂いだしました。
「「肉♪ 肉♪ にーく、焼肉~っ♪」」
太い木の枝を串にして、あぶり焼きにされる巨大な肉塊。
その数、フィーアも含めた五人分に、プラスしておかわり用として倍の十個。
簡単に塩を振っただけの、料理というには豪快な男料理(?)を前にして、野生の血が騒ぐのでしょうか、独特の民族衣装をまとった大小ふたつの影と翼の生えた仔犬が、ハイテンションで狂喜乱舞していました。
「「今日は御馳走、食べ放題――ひゃっほーっ!!」」
「わんわん♪」
これぐらい自分をさらけ出せれば、世の中怖いものないんだろうなぁと思いながら、
「……これって民族舞踊か何かでしょうか?」
私は、一心不乱にお肉の焼け具合を確認しているディオンに確認します。
「あいつらだけだ。気にするな」
苦笑いを浮かべるディオン。
どうでもいいですけれど、ライオンの雄ってメスが狩りで獲ってきた獲物を食っちゃ寝しているだけの印象があったのですけど、この獅子族の男性は実にマメです。きっと将来、いいお婿さんになれることでしょう。いまのうちに唾つけとこうと思うナーウィスの気持ちも少しだけ理解できます。
「それよりも、そろそろ焼けたようだ。今日の獲物はジルが獲ったわけだし、一番に食べる権利がある」
差し出される巨大なお肉の塊――その正体は、昼間私を追い掛け回していた〈砂蠕蟲〉の成れの果て――を前に、受け取りを躊躇する私。
ふと、気が付けばいつの間にか踊りを終えたウタタ様とフィーア、ナーウィスが固唾を呑んで私が口をつけるのを待っていました。
「いえ、あの……実際にトドメを刺したのはディオンですから、ディオンがお先にどうぞ」
腰が引けた状態で、どうぞどうぞと肉塊を押し戻そうとしますが、さらに強引に掴まされました。
「九分九厘ジルが殴り飛ばして虫の息だったものだから、やっぱりジルが一番乗りだろう」
昼間のことはなぜか途中から記憶がないのですが、気が付いたら私は両手にボロボロになったスリッパを持って砂海に立っていて、その足元には全身鞭で叩かれたかのような傷を負った〈砂蠕蟲〉が、ぴくぴくと断末魔の様相で転がっていたのです。
「にゃあああああ! なにこれ、なにこれ!?」
思わず仰け反ったところへ、最後の力を振り絞ったらしい〈砂蠕蟲〉が鎌首をもたげ、噛み付いてこようとした――刹那、真正面から巨大なハンマーで叩き潰されたかのように、その頭部がバラバラに四散しました。
「我が師姉直伝の奥義、ギ……いや、獅子翔咆拳っ!」
振り返って見れば、右の拳を振り放った姿勢でディオンが颯爽とキメているところでした。
――ということで、私を餌にしようとした〈砂蠕蟲〉は、その場で寄ってたかって解体され、こうして私たちの夕食として饗されることになったわけです。
見た目はただのお肉の塊ですし、食欲を誘う美味しそうな匂いもさせていますので、多分知らずにお皿に並べられたら口にしていたのでしょう。
けれど、原型を知っている身としては二の足を踏んでしまいます。
できれば、こうしたゲテモノや昆虫食とかは、全力で回避したいところです。未来永劫。
「ささ、はよ口にせんか! 命を奪った以上、その命を尊重するためにも、その身を糧にして、我が身の血、肉、脂肪にするのが奪った者のつとめじゃぞ」
「――っ!! はい!」
ウタタ様にそう叱責され、姿勢を正した私は思い切って焼肉に齧り付きました。
「はむ……あら、美味しい」
大雑把な料理なはずなのに、素材に癖がなくて旨みが凝縮された感じです。
なんとなく敗北感を感じている私の周りでは、ウタタ様をはじめとした一同が、待ちきれないとばかりに自分の分の焼肉に齧り付き、あっという間に用意したお肉の塊が全員の胃の中に収まったのでした。
◆◇◆◇
夕食を終えた私たちは、ディオンが周囲の警戒のために席を外したのを見計らって、オアシスで水浴びをすることにしました。
ばしゃばしゃと、フィーアと一緒に水と戯れるウタタ様。
小動物と幼児(中身はアレですけど)の無邪気な様子に微笑みながら、私はウタタ様が脱ぎ散らかした着物を畳んで、自分の脱いだローブをの上に置きました。
で、この旅に出る前にレジーナから渡された黒のドレスを脱いで置こうと、手をかけたところで微妙に粘りつくような視線を感じてみれば、着物(というか民族衣装)の帯を半分解いて、こちらも脱ぎかけのナーウィスがこちらを注視しているのに気がつきました。
「………」
「………」
なんとなくお互いに動きが止まって沈黙が降ります。
……微妙な緊張感。
ウタタ様は完全な幼児体型だったので特に意識しませんでしたけれど、考えてみれば同じような年頃の女性と肌を見せ合うのは、私にとってこれが初体験です。
「あの、ナーウィスは脱がないのかしら?」
「あ、いや、そーいうジルこそお先にどうぞ」
「いえいえ、ナーウィスのほうが脱ぎやすそうな衣装ですから」
「そういうジルの服は面倒臭そうだから、脱ぐの手伝ってあげようかしら?」
「いえ大丈夫ですので、遠慮なさらずにお先に」
「そっちこそ遠慮せずにどうぞ」
サラリーマンの飲み会での会計か、女子中学生が初めての水泳の授業に臨むかのような、妙な譲り合いをしたところで、お互いに相手を見ないようにして背中を向けて着替えることにしました。
シュルリ、と衣擦れの音がして着物が落ちる音を聴きながら、私も手早く着ているものを下着も含めて脱いで畳みました。
「あ、手拭いとか必要かしら? 予備のものが『収納』の魔術で仕舞ってあるので、必要なら」
亜空間から取り出したタオルを持って、私は横目でナーウィスをちらりと見ながら渡そうとし――。
ぱお~~ん!!
「……は?」
一糸も纏わぬナーウィスに、確実に女にはないはずの“ブツ”がぶら下がっているのが目に入り、一瞬にして思考が停止した私の口から、間の抜けた声が漏れたのでした。
( ゜д゜) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゜д゜) ・・・
(つд⊂)ゴシゴシゴシ
_, ._
(;゜ Д゜) …!?
――どこかの会話――
「なんで“獅子翔咆拳”なんて言っているわけ!? あれはギャラ○ティカマグナムだと、何度も教えたのに!」
「やはり、それだといろいろと問題があるのでは、姫様?」