[閑話] 鏡よ鏡よ鏡さん・・・(前編)
【よろず商会本舗】
リビティウム皇国の盟主国シレント央国。その首都である央都シレントの片隅に、古ぼけた煉瓦造り二階建ての建物が立ち並ぶ通りがあった。
そのごくありふれた商店街に溶け込んだ一軒の雑貨店。ここが、大陸中の盗賊ギルドや暗殺ギルドの総元締め――通称・影法師こと、一見するとどこにでもいそうな行商人〈黒〉――のアジト(のひとつ)『よろず商会シレント本舗』だと知る者は少ない。
で、その構成員――大陸中にごまんといる“社員”のひとり――である、白猫の獣人族であるシャトンは、
「――なんですかにゃ、これは?」
出勤――住んでいるのは店の屋根裏部屋だが――してきた店の二階にある、倉庫兼事務所中央にどーんと鎮座している邪魔な荷物……厳重に呪布が巻かれて正体は不明だが、大きさからいって家具型の魔道具らしい、人の背丈ほどもある平たい板の存在に、眠そうな表情のまま首を捻った。
「ああ、そりゃ、自分の古い馴染みから預かった魔法の鏡やね」
何やら帳面と算盤片手に考え込んでいたこの店の主人――どこに住んでいるのか寝ている姿を見たことはない。実に胡散臭い正体不明の男であるくだんの影法師――が、ちらりと細い目で一瞥して軽く答える。
「……魔法の鏡というと、『鏡よ鏡よ鏡さん、世界中で一番綺麗なのは誰ぁれ?』というアレですかにゃ?」
ちょっと興味を惹かれてシャトンは再度呪布越しに“魔法の鏡”の正面から覗き込む。
「ちょいと違うなあ。つーか、んなもの聞かなくてもこの世で一番の美人のワンツーフィニッシュは決まっとるからなぁ……」
「あー……。ひとりはあたしも心当たりがありますにゃ。近所に住んでるあたしの恋敵のお姫様ですにゃ」
含みを持たせた影法師の物言いに、シャトンは同じ央都に住んでいるとある桜色の髪をした、裸眼で見ると目が潰れそうな超絶な美貌をした少女を思い出して、深く頷いた。
「――くしゅ!」
いつものように、庭で日課のストレッチをしていたジルが可愛らしいクシャミをした。
「大変っ。ジル様、もしかしてお風邪でもめされたのでは?!」
「鬼の霍乱ですね~」
慌てるエレンと、マイペースを崩さないコッペリアのメイドコンビ。
「……う~ん、風邪という風ではなかったですけど。何か妙な感じが……。いちおう大事をとって自己治癒しておきましょう。――“回復”」
当惑した表情で小首を傾げながら、ジルは自分に『回復』を施術をする。そんな朝の始まりだった。
「つーか、ワンツーってことはあれに匹敵する美人がこの世にいるんですかにゃ? たとえ傾国レベルの美姫を連れてきても、あれ相手では物足りないと思うんですにゃ」
「いやいや、世の中にはいなくてもお空の上にはおるんやよ。永遠の美姫ってやつが」
パチパチと算盤を弾きながら、影法師は天井――さらにその向こうのここではないどこか遠くを見透かすような遠い眼差しで、しみじみと述懐する。
どこぞの豪華絢爛。この世のすべての贅を凝らしたと思われる――それでもこの宮殿に数多ある個室のひとつに過ぎない部屋で、こっそりとワイングラスに入った濃赤の液体を飲んでいた黒髪のお姫様が、
「へっくしょい!」
豪快なクシャミをした。
「姫様!!!」
「お風邪でございますか!?!」
「飛沫が飛びました。お召し物の交換を!」
「誰か治癒を!!」
「寝室の準備を急がせろっ!!」
途端、密かに隠れて様子を窺っていた、人ならざる家臣たちが一斉に大挙して部屋に押しかける。
一瞬ですし詰め且つ百鬼夜行状態になった部屋の惨状を前に、
「病気じゃなーい! ただ鼻が痒くなっただけで……って、グラスをひっくり返すな! どわああああーっ!?」
お姫様は小さな握り拳を振りかざして抗議をするのだが、周りはまったく気にした風もなく、半ば強引に彼女を寝台へ運んで縛り付けるのだった。
「ま、とにかくコレにはちょいとおかしな……タチの悪い魔法がかかっているんで、こうして呪布を巻いてあるわけなんよ。間違っても解かないように。あ、そうそう。いま気付いたんやけど、自分、これから借金の取立てにデア=アミティアまで行ってくるんで、五日ばかり留守にするけど、その間、これ絶対に解いたり、間違っても鏡に自分を映したりせんように」
くどいほど念を押しながら、影法師は思い立ったが吉日とばかり、軽いフットワークで部屋の片隅に置いてあった風呂敷に、適当にその辺にあった商品を詰めて、愛用の帽子を被ると、大人三~四人ほどの大きさにまで膨らんだ大荷物を軽々と背負い、
「ほな、よろしく」
にこやかに手を振って、近所に散歩に出かける気楽さで、大陸西部にある普通に歩いて行けば半年、一年はかかる国へと旅立っていった。――アジトの地下にある『転移門』を使って。
「……ふむ」
地下室へと消えていったその背中を見送ってしばらく待ってから、シャトンはそういえばまだ顔を洗ってなかったですにゃ~とつぶやきながら、洗面所へふらふらと歩いていって顔を洗い、あとは適当に買い置きの黒パンで朝食ですにゃ~と、呟きながら部屋の中央を横切ろうとしたところで、何の偶然か魔法の鏡を縛る呪布の一番上が、はらりと解けているのに気付いた。
「……縛りが甘かったんですかにゃ? それとももしかして罠ですかにゃ? 考えてみれば『解くな』って二度も念を押したということは、『開けて見ろ』という前フリなのかもですにゃ。ふにゃふにゃ……ボスの魂胆は見え見えですにゃ」
あたしは有能なので、ちゃーんとわかっているにゃ。
と、自画自賛しつつ、解けていた部分を軽く引っ張ると、鏡の上四分の一ほど――斜めに解いたため、ちょど顔から左肩にかけて映っているところ――の呪布が取れて、当然ながら自分自身の顔が映りこんで見えた。
安物の銅鏡と違って、きちんと透明度の高い硝子に銀を貼り付けた『銀引製法』でできた大きな鏡は、シャトンの髪の毛の一本までクリアに映している。
「…………」
しばらく鏡とぬぼーーーっと対峙していたシャトンだが、
「……別に魔法の気配は感じませんですにゃ。またボスの悪ふざけですかにゃ?」
そ結論付けて回れ右をした。
「…………」
刹那、無防備なその背中へ向かって、鏡の中からシャトン自身の白い片手が伸びて行き……。
【リビティウム皇立学園】
貿易に関する調印式があり、本国からの要請で――帝位継承権上位の帝族として、立場上やむなく――なにしろ最愛の恋人を探す我儘のため、一年も公務を放棄していた負い目があるため、後ろ髪をひかれる思いで、リビティウム皇国にあるグラウィオール帝国の直轄領テトラまで足を運んだルークと、半ば無理やり同行させられた帝国有力貴族の継嗣ダニエルのふたりは、式典が終わるとほとんどとんぼ返りで、央都に戻ってきたのだった。
「いきなり学園に直行かよ……」
皇立学園の正面玄関を仰ぎ見て、休む暇もなく直帰してきたダニエルが不満たらたらで傍らのルークに文句を言う。
「しかたないだろう。いまならギリギリ講義に間に合う時間だし、そもそも学生の本分は勉学だろう? それに僕たちは国費留学生でもあるんだから、国民の税金を無駄にするなんて、貴族としてあるまじきことだろう」
ルークの正論に、渋い顔で何か言いかけたダニエルだったが、その前に、
「そのとおりです! さすがはルーカス公子様。為政者としてまことに見上げた心がけでございます。はばかりながら自分も公子様と同じように国許から学費を頂戴する身。常にその青雲の志を胸に、勉学とまた素晴らしい聖女教団の教えを世に知らしめるため活動をしているのです!」
横合いからそう闊達な青年の主張が響き渡った。
「「……へっ!? セラヴィ……君?」」
聞き覚えのある声だが、聞いたこともないトーンでの喋りに、ルークとダニエルのふたりは半信半疑――いやほぼ疑いが九十九パーセント――で、その相手を見れば、案の定というか……信じられないことに、やたら爽やかな笑顔を浮かべたセラヴィ・ロウ司祭が立っていた。
「おはようございます。ルーカス様、ダニエル様。おふたりに聖女様の微笑があらんことを心よりお祈りいたします。それでは、今日が良き日にならんことを!」
胸の前で完璧な聖印を切ると、セラヴィはどこまでも曇りない笑顔を振りまきながら、きびきびとした足取りで校舎の中へと消えていった。
「……疲れてるのかな、僕は」
「……ああ。強行軍だったからな」
白昼夢を見た表情で、ふたりは茫然と顔を見合わせて同時に頷く。
それから講義を聞くために貴族教室へと向かうふたりであったが、近づくにつれて、普段であれば貴族らしく物静かなその棟全体が、なぜかザワザワと大騒ぎ――貴族レベルであればほとんど阿鼻叫喚の修羅場といった状況――であるのにすぐに気付いた。
「……どうかしたのかな?」
揃って講義室へ入ると、室内にいた生徒とその随員たちが何かを遠巻きに眺めているのが一目瞭然だった。
怪訝に思いながらルークがその視線の先を眺めて見れば、そこには見たことがあるようなないような女生徒がひとり座っているだけである。
気品のある美少女ではあるが、別にそれだけである。こうして物珍しげな珍獣扱いされるような要素はないはず……? と、首を傾げるルークの隣で、
「――なああああっ!?」
先にその事実に気付いたダニエルが、化け物でもみたような驚愕の表情を顔一杯に貼り付けて、素っ頓狂な声を張り上げた。
それで相手も気付いたのだろう、ルークとダニエルに気付いて、淑やかに立ち上がって近づいてきた。
「ごきげんあそばせ、ルーカス公子、ダニエル侯子。おふたりともこの講義を受講されていたのですわね」
完璧なカーテシーを見せる、ジルよりもさらに長身の女子生徒。
その身長と間近に見た容姿、声を聞いて、やっとルークも彼女の正体に気付いた。
「ヴィ、ヴィオラ殿下……?」
「嘘だろう……」
当然のような顔で女装……というか、女子生徒の服装をして、女子として振舞っているサフリラス王家の王女――ついこの間まで、男子として生活していたはずの彼女の変貌を前にして、ダニエルが掠れた声で一言、そう呟く。
それに同調するかのように、ヴィオラのファンの女子生徒が何人もショックのあまりその場に昏倒し、さらには、
「もうだめ。このまま屋上から飛び降りたほうがマシよ……」
「さようなら。わたくしの青春……」
何人かが世をはかんで自害しようとするのを、随員や職員らが必死に止めに入るのだった。
「それでは、講義がはじまるのでこれで。ごきげんよう♪」
どこまでも王女として軽やかな身のこなしで、スカートをなびかせながらヴィオラはもとの席に戻っていった。
「「…………」」
再び無言で顔を見合わせるルークとダニエルのふたり。
なにが起きているのかはわからないが、何かのっぴきならない超常現象が起きているのは確かである。
「はいは~い。申し訳ありません。|愚かで無用な人造人間、通らせていただきます」
と、モップを持った見慣れた人造人間のコッペリアが、へこへこと周りへ頭を下げて床掃除をしながら通り過ぎる。
「世のため人のため。皆様のお役に立ててこその人造人間です。御用があればなんなりとお申し付けください」
どこまでも腰の低いコッペリアが廊下の先まで行って曲がるのを見送るふたり。
「なんとなく、法則がわかってきた……」
ダニエルの言葉にルークも頷く。
「僕もわかってきた。何があったかはわからないけれど、つまり個性の強烈な者がなぜか正反対の性格になっている……ってことだよね?」
「だな。俺たちがいなかった間に何があったのか」
「とにかくこうなっては講義どころじゃなさそうだし、コッペリアがいるってことはジルもいるはずだから何か事情を聞けるかも知れない。探して確認してみないと」
「そうだな――って、まて!!」
講義室から出て他の講義室へ向かいながら、今後の指針を確認していたふたりだが、ここでなぜかダニエルが青い顔になってルークを凝視した。
「どうしたんだい、ダニエル?」
「ジル嬢のことだ! なんで気付かないんだ!? 他の連中がああなった以上、ジル嬢も高確率で性格が反転している可能性が高い」
「あ、ああ……そうか」
悄然と肩を落とすルークに向かって、ダニエルはとてつもなく真剣な表情でさらに畳み掛ける。
「いやいや、もっとお前は危機感を持てよ! いいか、ジル嬢が、生来のお淑やかさと人の良さ、高貴な気品と奥床しさをもっている彼女が、あの能力と美貌のまままったく逆の性格になったとしたら――」
そこまで言われればルークにも想像がつく。
ダニエル同様に蒼白になったルークはごくりと唾を飲み込んだ。
「「世界の破滅だ……」」
期せずしてふたりの声が揃う。
つづきは土曜日に更新します。




