[閑話] 王子様のお家騒動と恋の行方(其の一)
シレント央国の央都シレントにあるリビティウム皇立学園に留学して一月あまり。最近はお休みの日に央都を見て回るのが日課になっています。
といっても観光ではありません。
「まず第一にラナのお姉さんの行方を捜すこと……これは現在手詰まりですわ」
王侯貴族専用の豪華で快適な馬車の中で、私は今日の予定を指折り数えます。
ちなみに着ているものはここでの正装である学園の制服です。夜会や商業ギルドの会合なのではきちんとドレスを着ているのですが、今日はそれほど堅苦しい席に出席する予定がないので、普通の格好となりました。
「あとは、冒険者ギルドで定期的に仕事の斡旋をしてもらって、除名されないようにポイントを取得する。これはいまのところ大丈夫」
「――僕としては、ジルが危ないことをするのは正直気が進まないのですが……」
隣に座った――といっても座席が広いので並んでも余裕はありまくりですけれど――同じく制服姿のルークが渋い顔で口を挟みます。
で、私の対面に座っている侍女のエレンが、同感だとばかりにウンウン頷いています。
「ですが、冒険者ギルドに所属するメリットも多いのですよ? 依頼すれば学園都市にしかない貴重な古書や魔術書、触媒の入手ができますし、通り一遍の報告ではあがらない草の根の情報を聞けたり、自分で倒すことで魔物の素材や魔石等も手に入りますし、ついでに運動不足とストレスの解消にも繋がるので一石五鳥くらいのメリットがありますもの」
特にここにきて運動不足は顕著です。私としては学園への行き帰りは徒歩の予定だったのですけれど、さまざまな理由から――安全のためとか貴族の体面のためとかで――こうして馬車での送迎が普通になってしまったのですから、たまに魔物相手にガチバトルをしないとカロリーの消費が追いつかないという切実な理由があります。
「はあ……。いっそ、僕も冒険者ギルドに登録しようかな」
思わず……といった風情のルークのため息ですけれど、さすがに帝国の公爵継嗣にして帝位継承権上位の直系帝族であるルークが冒険者になるのは無理でしょう。仮にあのご両親が許しても(私の見込みでは許可する可能性は五分五分ですが)世間と帝国法が許しません。
「――えーと、私が言うのもなんですけれど、ルークには向かない世界だと思いますわよ? ルークにはルークに見合った世界があるのですから」
そんな私の気休めに対して、ちょっとだけ心外そうにルークは、
「……僕に見合った世界ってどんな世界ですか?」
そう返されると言葉に詰まりますわね。漠然とした『王子様』っぽいイメージでしょうか?
「え、えーと、王道というか、こうキラキラした感じでしょうか?」
我ながらなんかフワフワしてますわね……。
「う~~ん。僕としては好きな相手と結婚して幸せな家庭を築ければ幸いなのですけれど……ジルはお嫌ですか?」
……なぜ私にそういう問いを振るのでしょう? そしてなぜ、エレンは興味津々と瞳を輝かせているのでしょう?
「いえ、素敵な目標だと思いますわ。ルークと結婚する相手は幸せでしょうね。“そして王子様と幸せになりました”って感じで」
でも、下手をすれば――いえ、この場合は上手に行けばでしょうか?――ルークは将来のグラウィオール帝国の皇帝陛下ですから、正妻のプレッシャーも並々ならないものがあるでしょうね。まあ基本的に小市民な私には、無縁な世界しょうけれど。
「まあ私は、ごく平凡な家庭を持てれば十分ですね」
「平凡とは?」
小首を傾げてのルークの問い掛けに、小考した私はルークが想像もできないと六畳一間くらいの庶民の暮らしを想像しながら、指折り数えて例に上げます。
「……贅沢は申しませんわ。わび住居に手足が伸ばせるお風呂、必要な調理器具が付いたキッチンと五万冊くらいの本が置ける書斎があって、可能であれば魔術の実験や研究ができる別棟か、地下に秘密基地のひとつもあれば問題ないですわ」
「ああ、いいですね。僕も家族の住居と応接室、それと家臣が五十人程度寝泊りできるくらいのこじんまりとした閑静な屋敷で十分です。子供は五人くらいいれば――あ、もちろん正妻以外に側室とか持つつもりはありませんよ?――あと、ついでに飛竜の飼育施設があるくらいの庭があれば言うことなしですね」
「そうですわね、そのくらいの手頃で普通な家庭でいいですわ」
私が肯定の意を示した途端、ルークはそれはもう嬉しそうに私の両手を握りました。……はて? なぜルークが私の将来設計に同調しているのでしょうか???
「――平凡とは!?」
と、傍らで私たちのささやかな将来の話を聞いていたエレンが、なぜか驚愕の叫びを放ちました。
◆ ◇ ◆ ◇
さて、そんなわけで今日はルークとふたり(エレンや警護の人たちもいますけれど)、趣味と実益を兼ねて、央都にあるルタンドゥテと競合しそうな飲食店のチェックに歩いています。
「デートですね」
出掛けに侍女頭のモニカがそんなことを言ってましたけれど、勿論そんなはずありません。
ルークが一緒にいるのは、飲食店といっても一杯飲み屋とか、屋台とかではなくドレスコードが必要なそれなりに格式のあるお店になりますので、エスコートしてくださる男性が必要だからです。
まあ私個人としては、場末の酒場でもまったく問題はないのですが、基本的に『甘いもの=お砂糖=高級品』となるので、ある程度敷居の高いお店になるのはやむを得ないところでしょう。
で、どなたかにお願いしようかと口を開いた途端、ルークが瞬時に名乗りを上げてくれたわけです。さすがは貴族の中の貴族。紳士の鑑のような血族だけのことはありますわ。
そんなわけで、馬車に揺られること十五分ほどで、央都の富裕層御用達の高級レストランに到着しました。
ちょっとした貴族の館のような店の前で馬車を降りて、
「お手をよろしいですか、お姫様?」
「――ええ、喜んで。殿下」
ルークの小芝居――これが嫌味にならないのは、さすがは生粋の帝族の貫禄です――に乗って、軽くカーテシーをした私はお互いに手と手を取り合って、ドアボーイが開けてくれた玄関をくぐりました。
「――どうかもう、私に構わないでください、殿下!」
その途端、店の中から私たちより二~三歳年上の女性が、ドレスの裾を膝までたくし上げ、嗚咽混じりに店の外へと意外な俊足で走り抜けて行きました。
「――危ないっ、ジル!」
「あ、ありがとうございます、ルーク――あら……?」
危うく衝突しそうになりましたけれど、咄嗟にルークが私の手を引いて、ワルツを踊るように抱き止めてくれたお陰で回避できました。
ふと、泣き顔の女性の横顔に見覚えがある気がして、首を捻ったところへ、
「待ってくれ、ジリオラ!」
血相を変えた、さきほどの女性と同じくらいの年齢のいかにも貴族っぽい身なりと物腰をした、黒髪に褐色の肌をした青年が店の奥から小走りに追いかけてきました。
ドアを開け飛び出しかけたところで、女性の姿がすでに雑踏の中に消えて見えなくなっているのに気付いて、その場で足を止めると肩を落して落胆のため息を漏らします。
愁嘆場かしら……?
ルークと視線を交わして、あまり興味本位で立ち入らないように気をつけながら、ソロソロと移動しようとしたところへ、目の前の青年に良く似た、ですがどことなく尊大そうな態度の青年が数人の従者をゾロゾロ引き連れて、店の奥から歩いてきました。
「カミロ、いい加減に目を覚ませ。あんな下賎な町娘にうつつを抜かすなど、我がエト・ケテラ王家の名折れだぞ!」
忌々しげにカミロ(?)青年を窘める彼。
「――エト・ケテラ王家……?」
「エト・ケテラ王国は旧ケンスルーナ領土にある小国ですね。特に目立った産業などはありませんけど、帝国と魔人国ドルミートやクレス自由同盟に隣接する位置にあるので、双方の交易品を取り扱う交差点として有名です」
聞いたことがあるような、ないようなその言葉に小首を傾げる私の耳元へ、ルークが絶妙のタイミングでフォローを入れてくれました。
「……ああ、思い出しました。確かつい一月ほど前に隣国との紛争で、現国王と第一王子がお亡くなりになられたのですよね?」
「ええ、そうです。紛争自体はエト・ケテラ王国側が優勢だったらしいですけど、偶然かそれとも紛争のトバッチリかわわかりませんけれど、突然起きた魔物の『暴走』に巻き込まれて、お二方とも非業の死を遂げられたそうです」
ちなみに隣国というのは魔人国ドルミートではなく、同じ旧ケンスルーナ領土に所属している人間の国です。所詮、人間の一番の敵は魔人でも魔獣でもなく同じ人間ということなのでしょう。
なお、地域紛争で国王と第一王子が矢面に立つなど帝国では考えられませんが、ルークが『小国』というとおり、エト・ケテラ王国の最大動員兵力は五千名程度で、紛争相手が三千五百ほどだったということですので、なりふり構わず王が全軍を率いる親征という形で、早期の決着を目指したものと考えられます。
ですが、その乾坤一擲の策がものの見事に裏目に出て、国王と第一王子がともに討ち死(?)するという悲劇が発生したということでした。
あと、関係ありませんがルークの故国であるグラウィオール帝国の最大動員兵力は正規軍だけでも百万人を数え、さらには王族、貴族の私兵なども可能な限り動員すれば二百五十万を超えるそうですので、小国にとっては『総力戦』であったとしても、帝族であるルークの主観的にはごくごく小規模な『紛争』にしか見えないのかも知れません。
「シリノ兄さんっ。ジリオラを馬鹿にするのはもうやめてくれ! それは確かに彼女は平民だけど、それでも僕にとっては最愛の女性なんだ!!」
やはり兄弟だったらしく、振り返ったカミロ青年が、『シリノ』と呼ぶ兄に反駁しました。
「――シリノ・エロイ・セトラ……確か、第三王子の筈です」
「それでは、カミロと呼ばれた彼もエト・ケテラの王子でしょうか?」
「――おそらくは……」
さすがに周辺国の王族全員の名前までは知らないみたいで(それでも第三王子まで暗誦できるのですからたいしたものです)、ルークは自信なげに首を捻りました。
「ですが、そうなると大変そうですわね。国軍が壊滅して、さらに国王と第一王子が亡き今、国内の治安統制はとれているのでしょうか。国民の方々に皺寄せが行っているのではありませんか?」
「いまのところ大丈夫だと思います。実は治安維持の名目で、帝国から万人規模の治安維持軍が派遣されていますし、魔物の『暴走』の方も、三獣士以下飛竜部隊で鎮圧済みだそうです」
「三獣士が出ているのですか? ならば安心ですわね」
私も良く知る帝国の誇る英雄にして快男児揃いの三獣士の面々が目を光らせているのであれば、物語でよくあるような『悪の帝国が治安維持の名目で悪辣な占領を行った』という自体は避けられるでしょう。
「そうですね。ま、問題はエト・ケテラ王国……というか、残された王族が、きちんと己の役割を弁えて、早急に国民の信頼を取り戻せるかなのですけれど、どうも後継者問題で分裂状態という噂もありまして。いっそ帝国でこのまま直接統治したほうがいいのでは? という過激な意見もあるようです」
と、そんな風に私たちが囁き合っている目前では、
「はん! お前はそんな風だから駄目なんだ。次期国王たる俺の実弟たる立場をわきまえろ! 俺は帝国の後ろ盾を得るために帝国貴族、可能な限り中央貴族の娘を娶る。そして、お前は国内の有力貴族と縁故となって、この俺を公私共に支えねばならんのだ。それがなんだ。どこの馬の骨とも知れん平民にうつつを抜かしおって!」
「ジリオラは馬の骨じゃない! だいたい僕は権力闘争とは関係ないミソッカスの第五王子だろう!? いつも兄さんはそう言っていたじゃないか!」
「はあぁぁぁ……。どこまで馬鹿なんだお前は? 親父殿と目障りな異母兄たる第一王子が勝手にコケてくれたんだ。第二王子は所詮は庶子。期せずして俺のところへ玉座が転がり込んできた、その意味を理解できないのか? もう以前とは立場が違うんだよ、立場が」
なにやら香ばしいお家騒動っぽい会話が繰り返されています。
顔を真っ赤にしたカミロ第五王子が何か言い返そうとしたところで、周囲の目に気付いたらしく、さすがにこれ以上の醜態は晒せないと判断したのか、唇を噛んで無言で踵を返すとそのまま店の外へと飛び出していきました。
「――ふん。意気地のない奴め」
その後姿に舌打ちしたシリノ第三王子は、周囲の奇異の視線もものともせず、逆に注目を浴びるのが当然だという顔で、肩をそびやかします。
「すっかり興が醒めた。呑み直しする――ん?」
と、玄関先のホールには結構な野次馬が集まっていたのですけれど、シリノ第三王子の視線がなぜか私へと向けられました。
「ほう……ほほう?」
粘つくような視線を全身に感じて、思わず身を振るわせる私を護るように、ルークが前に出てシリノ第三王子を睨みます。
「うん? お前の女か? お前も見たところ貴族のようだが、王族に対する態度がなっていないな。故国ならその場で断罪ものだが……まあいい、俺は寛容だからこの場は見逃してやろう。それと女っ。俺の側室にしてやらんこともないぞ? 未来の国王様の側室だ、ありがたかろう!」
「「「「――っっっ!!!」」」」
ルークの護衛の何人かが気色ばんで、腰のサーベルに手を延ばしかけました。
「その気になったらホテル『セクンドゥス』に来るがいい。しばらくは滞在しているからな!」
断られるとは露ほども思っていないのでしょう。一方的に言い放って、シリノ第三王子一行は再び店の奥へと戻っていきました。
「な、なんて失礼な奴なんですか! あんなのが次期国王とか最悪じゃないですか!!」
エレンが憤懣やるかなないという態度で憤慨しています。
「……う~~ん、ああいう貴族や王族も一定数いるのは確かなのよね」
できれば知り合いになりたくなかったなぁ。でも、ジリオラさんって見覚えがあったけれど、確か……。
と、エレンの肩に手をやってなだめながら考え込む私の傍らでは、ルークが、
「本国に連絡を至急入れ、エト・ケテラ王国に展開中の帝国軍は速やかに帝国への編入のための行動を起こすように要請を。帝国法では帝族に対する不敬罪は外国人には適用されないから」
深く静かにキレまくっていました。
「ルーク! ちょっ……」
慌ててそんなルークを止めに入るのでした。




