砂の王国と伝説の塔
本来は本編で書くべきだったのですが、物語を進める上で削ったエピソードです。
本編でいうところの第一章と第二章の間、ジルが南の国で巫女の修行をしていた当時の話です。予定では十話程度で終わります。更新は週に一度、土曜を予定しています(本編や書籍の更新の都合でできない場合はその週はお休みします)。
「きゃあああああああああああっ!」
三百六十度、見渡す限り人の営みはおろか生命の痕跡すらない砂の海。
灼熱の熱波の他は、茶と白の砂が描き出す波飛沫のような風紋と丘陵が延々と連なるのみ。
それ以外は、精霊すらも死に絶えたかのような不毛の大地。
大陸南部に存在する、面積だけは最大国家である亜人と獣人の国『クレス自由同盟国』。
そこに存在する大陸最大の砂漠【愚者の砂海】に、甲高い少女の魂たぎるような悲鳴が木霊していた。
「いやあああああああああああっ!」
見れば、足を取られやすい細かな砂の上を、日よけのためか頭からすっぽりとフード付きのローブをまとった身長百五十~百六十セルメルトほどの少女が、悪路も悪路、慣れた旅人でも二の足を踏むような過酷のな条件下でありながら、意外な健脚ぶりを発揮して軽やかに走っていた。
だが、その足取りよりもなお早く、全長十五メルトほどある巨大な〈砂蠕蟲〉が、数十本はあるムカデのような歩脚を震わせてウネウネと少女を追い駆けていた。
いまのところ若干距離があるが、それでも程なく追いつかれるのは目に見えているだろう。
「――って、これのどこが南の国でバカンスなのよーっ! 師匠の大ウソつき!! 魔女ーっ!!!」
どこからどう見ても一目瞭然の危機を前に、少女が晴れ渡った空へ向かって無為な罵声を放つ。
『あン? この上なく南の国じゃないか。問題ないだろう!』
と、少女の耳にどこからかそんなしわがれ耳が聞こえてきたような気がした。
「絶対に違います! バカンスってもっとまったりするものでしょう!? こんな最初からクライマックスみたいなハードモードは上級者でもやりませんからーっ!!」
そんな少女の憤りを無視して、〈砂蠕蟲〉は着実に距離を詰めようとしていた。
この砂漠に住む魔物の中でも上位に位置するこれらは、普段は地中に潜んでいて、自分の縄張りに入った生き物の足音を探知して即座に襲い掛かる。場合によっては陸生の下級竜や大巨獣の子供でさえ捕食するという凶暴かつ見境なしの相手である。
外見は灰色をしたミミズかゴカイのような筒袋状の構造で、前面には目も鼻もない代わりに二メルトほどもある巨大な口が花弁のように裂けて広がり、その中には爪のような見た目と質感をした一個十五セルメルトほどの牙がびっしりと並んでいるのが特徴である。
鱗も甲羅もない胴体部分は一見すると柔らかそうだが、這いずりながら進行方向の丘陵を粉砕し、邪魔な岩をひと薙ぎで破壊するのだから、相当な強度があるのが見て取れる。
また、それ以上に厄介なのがその巨大な口で、触れるもの全て――人の頭ほどもある石の塊や、転がっている人の背丈ほどもある謎の生き物の肋骨であっても、一口で煎餅のように咀嚼する様子は、まるで天然の掘削機械のようであった。
あんなものに食われたら、たちまち骨も残さず瞬殺されるだろう。
であるが、その危険性以上に見た目の醜悪さ、生理的嫌悪を催す外見はインパクトが強く、特に年頃の少女にとっては耐え難い悪夢のような光景であった。
「もうやだーっ! こんなことなら【闇の森】で一冬、雪掻きしながら霊薬調合していたほうがよっぽどマシだったわよ!!」
激高する少女の端正な顔――涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているが、それでも絶世の美少女と言い切れる。ある意味、超常現象じみた奇蹟の美貌――が歪んで、その口からひっきりなしに悲鳴と怨嗟の声が漏れていた。
「気持ち悪ーい! チューブのウネウネがあああああっ、足のザワザワがあああああっ!!」
無限とも思える【愚者の砂海】に、少女の絶叫が木霊するのだった。
◆◇◆◇
そんな少女と〈砂蠕蟲〉の追いかけっこを、少し離れた丘陵の上から眺めているふたりと一匹の影があった。
そのうちのひとつ。
いまにも追い駆けられている少女に向かって飛び出していきそうな翼のある狼――天狼と呼ばれる神獣の子供――を、恭しい手つきで抱え上げている藍色の髪と金褐色の瞳をした、八~九歳と思えるどこか超然とした雰囲気をまとう女の子が、
「うむ、存外、余裕綽々であるな」
この追いかけっこをそう評した。
「そうですね、ウタタ様。腕の振り方、足の高さ、どれも堂に入ったものです。あの“クラウチングスタート”とやらを見た時には恐怖の余り錯乱したのかと思いましたが、まさかダッシュで〈砂蠕蟲〉をぶっちぎるとは思いもしませんでした」
彼女から一歩離れた位置に佇む十六~十七歳と思える、黒髪黒瞳に精悍な顔立ちをした細身の青少年が、それを受けてややへりくだった口調と所作で相槌を打つ。
どちらも褐色の肌をして、ボタンや金具を使わない独特の民族衣装を身に着けている。
それ以上に特徴的なのは、少女の耳の後ろあたりから伸びた鹿のような角と、青少年の頭の上でひょこひょこ動くライオンのような耳であった。
確認するまでもない。ともにこの国の人口の六割を占めるという『獣人族』の男女であろう。
「さすがはレジーナ殿の弟子。見かけとは違って一筋縄ではいかぬらしい。ま、そうでなければ儂の同伴者として、あの『聖杯の塔』を攻略できるはずもないしの」
見かけと年齢にそぐわない、年寄りじみた口調で重々しく、そう誰にともなく……あるいは自分に言い聞かせるように述懐するウタタと呼ばれた少女。
「御意っ。――それはともかく、そろそろ助けに向かった方がよいのでは?」
指差す先では、いよいよ追い詰められた少女が、〈砂蠕蟲〉と対峙していた。
「いや待て、ディオン。彼女はまだやる気のようじゃ。途轍もない勢いで魔力を集めておるわ。この枯れた大地でよくもまあこれだけの量を……底なしか?」
一見して徒手空拳に見えるが、手足に年季の入った手甲・足甲を装着している青少年――ディオンが、さすがに看過できないと足を踏み出しかけたところを、口角を吊り上げたウタタが愉しげな口調で制止する。
さて、どんな魔術を使うものか、と興味津々で傍観を決め込むウタタと、心配な様子で抱き抱えられている天狼の仔。いつでも割って入れるようにさりげなく全身のバネをたわめるディオン。
三者が見詰めるその先で、ローブの少女へ向かって〈砂蠕蟲〉が覆い被さるようにして一気に喰らいついた。
抵抗する暇もなく圧し掛かられる少女――。
「――なっ!?」
「棒立ちだと!?」
「うぉおおおん!?」
てっきり距離を置いて遠~中距離魔術で勝負を決めるのかと思っていた彼らが目を剥いた――刹那、ガゴーーーン!!というハンマーで鉄の塊を叩いたような音がして、同時に少女に向かって覆い被さろうとしていた〈砂蠕蟲〉の先端部分が天を仰いだ。
「――なあああっ?!」
「殴り勝っただとおおおおお?!」
「うぉん!!」
そしてその下、〈砂蠕蟲〉の巨体に比べれば吹けば飛ぶようなちっぽけな少女が、思いっきり握り拳を振り上げた姿勢で、
「ふしゅうううううううう」
熱い。溶岩のような吐息を吐いているのに気がついて、三者は再び目を剥いたのだった。
「そ……そうか! 魔力をすべて生気に変換して、なおかつ無属性魔術で体の表面に防御膜を張ったのじゃな。じゃが……普通、魔法使いが咄嗟に肉弾戦に切り替えるか!?」
唖然としたウタタの視線の先では、なにかの武術の構えを取った少女が、体勢を崩した〈砂蠕蟲〉に対して追撃をしようとしていた。
「……ふふふふふふっ。この虫が。図体の大きなムシケラ如きが、随分と私を脅かしてくれたわね。どうしてくれようかしら……?」
幽鬼のようなゆらりとした足取りで砂を踏む少女。
衝撃で後ろに落ちたフードの下から、長いチェリーブロンドの髪と、将来確実に国の十や二十、傾けかねない……現段階であっても、ちょっと笑いかけただけで、たとえどれほど清廉潔白な聖人であろうと、どんなに性的嗜好がノーマルな紳士であろうとも、一瞬にしてロリコンの誘拐魔に変貌させるような、凄まじい美貌があらわになった。
とはいえ現在は完全に目が据わっていて、別な意味で凄まじい容姿と化しているのだが……。
心なしかろくな知性がないはずの〈砂蠕蟲〉が慄いていた。
「……結論。やっぱり、虫はスリッパの裏で叩き潰すに限るわねえええ!」
刹那、凄まじい踏み込みとともに〈砂蠕蟲〉に肉薄した少女の両手が電光のように幾重にも翻り――よくよく見れば、いつの間に取り出したのか両手にスリッパを持っていた――まるで太鼓を連続して叩きつけるような轟音が、幾重にも幾重にも【愚者の砂海】に響いた。
人物紹介
・ウタタ・・・獣人族の巫女で、鹿の獣人ではなく聖獣の血を引く半聖獣半獣人の少女。こう見えても一世紀近く生きている。ちなみに名前は正確には『転』と書く。名付け親は神帝様。
・ディオン・・・獅子の獣人で、ウタタの護衛。ウタタとは血縁関係にある(曽祖父の姉の子がウタタ)武芸に関しては獣人族の中でも屈指の実力者。現在、獣皇のもと四人いる獣王のひとり。
――どこかの会話――
「ウタタっていうと、確かアスミナの娘が聖地の聖獣……えーと、馬の王だったっけ?」
「いえ、確か河馬だったような」
「姫様、空穂、あの地の聖獣は鹿ですのでお忘れなく。――というか、名付け親と獣人族の守護神獣が揃って失念するというのはいかがなものかと」
「う、馬も鹿もたいして変わらないじゃない」
「うむ。鹿も四つ足、馬も四つ足、どちらも坂から突き落とせば同じと言うしの」
「相変わらず馬鹿の集団だねぇ、この国は。直接、統治されなくてよかったよ、ホント」
そんな主従の頓馬なやり取りを、とある塔の最上階にある『主上の間』でお茶を飲みながら眺めていたレジーナが、しみじみと呟いたのだった。