発見
頭のなかで何度もシミュレートを重ねたそれから四日後の晩。網傘は食堂にはいなかった。おそらく自室で隠れてジャンクフードでも食べているのだろう。
夕食はデザートがついていた。松原は先程からずっと落ち着きなく皿の前でじっと両手を膝の上に乗せていたが、八戸部の呼び出しを受けて立ち上がった。チョコマーブルアイスを添えたいちじくのフランベだった。注意深く耳を澄ませていると、カウンターでは八戸部と須永が今週末のサッカー代表戦のスコア予想をしていた。丸っきり正反対の二人だったがウマがあうらしく、彼らはいつも二人で暇潰しの方法を考え抜いていた。甘党の松原が皿に手をつけようかという頃、涼斗は彼女が座っていた席の向い側に腰かけた。
松原はうきうきと目を輝かせながら食べていたが、彼が座ると一転困惑したような顔になった。無理もないあれから顔を合わすのははじめてのことだ。彼は意図的にそうした。
「えっと……涼斗君の分はちゃんと残してあるから八戸部に……いや、わたしが持って来ようか」
「いえ……ちょっと昼過ぎから腹の調子が悪いんです。作ってもらったのに悪いんだけど」
「そう」
松原は罰が悪そうにそのまま腰かけた。
「涼斗君……この前のことなんだけど――」
「悪かったよ。ちょっとホームシックにかかっちゃってさ」
「わたしの方こそごめんなさい。いままで研究一筋だったから……実を言えばあまり男のヒトとも話をしたことがないの。少しは学ぼうと思うんだけど――」
涼斗は曖昧に返事をした。あまりそういう慮るような言葉は聞きたくなかった。
「それでなんだけど、わたしと涼斗君の間にはどうも食い違いがあるように思うの。わたしはあまり話上手な方ではないし、キミへの配慮が欠けていた部分も少なからずあると思う。あとでゆっくりと話がしたいんだけど時間もらえる?」
「ああ、俺もちょうど話がしたかったんだよ」
「そう、それじゃ……わたしの部屋に後で――」
「でも二人じゃちょっと気まずいかな」
「そ、そう? じゃあ――」
「網傘君でも呼んでさ。球でも突きながら話そう。たまには酒を飲むのもいいんじゃないかな? あそこのバーで飲んでいるヒトっているの?」
「アイツは飲めないからねえ、キミも未だ二十歳になっていないし」
「じゃあコーラで乾杯しよう」
「それならいいかも」
涼斗は笑顔で頷くと、キッチンへ向かい「こんばんは」と声をかけた。
八戸部は鍋を睨みつけながら言った。
「来るのが遅いぞこの野郎。いま暖めてるから待ってろ。今日はロールキャベツだ」
「いえ、ちょっと昼過ぎから腹の調子が悪くて」
新聞を読んでいた須永は顔をあげ、大丈夫かと声をかけると責めるような視線を八戸部に送った。
「おいおーい、お前の料理であたったんじゃないのか?」
「ぶち殺すぞ、そんなヘマするか」
「いや、そんなんじゃないですよ。少し緩いというか、あまり食欲が湧かないっていうか、食べてる余裕ないっていうか」
涼斗はあははと笑うとコーヒーをもらい、結果は二対一で日本と告げた。
身体を引きずるように松原の席に向かう。ふうふうと大急ぎで覚まし、少し口をつけた。
うん、温い。これなら火傷はすまい。
こういう場合、自然に転ける技術など彼は持ちあわせていなかったが、とにかく派手にすっ転んだ。カップが頭に乗るほどコーヒーを被せるように転けるだなんて不自然な話だが、それがかえって須永と八戸部の笑いを誘い、自然な成り行きで謝ることが出来た。
「ホントにすいません! 熱くなかったですか?」
「いいんだ。大丈夫だから。お前ら、いつまで笑っている」
松原が少し八重歯を覗かせただけでピタッと二人の笑い声は止んだ。
「早く着替えないと……ああ、ここにあるの所長の白衣じゃないですか?」
涼斗は白々しく昼の間に椅子にかけておいた白衣を差し出した。
松原は白衣のタグを確認して頷く。
「あ……ああ。そうだな。網傘のものではない」
「それじゃあそれ着といてください。これは俺がクリーニングボックスに持って行きますんで」
「そうか。では、あの――」
「ん、どうかしました?」
「いや、すまないがポケットにカードを入れてあるんだ。それがないと入室が出来ない」
涼斗は首筋にかいた冷や汗を首を捻る振りをして肩で拭った。
慎重に、ゆっくりと、涼斗は自分のカードを袖に隠したままコーヒー塗れの白衣のポケットに手を突っ込み、それを見えないように袖から出して松原に見せた。
「これですか。入れておきますよ」
新しい白衣に自分のカードを入れた。確認されてしまえばそれまでの単純なトリックだったが問題はなかった。十分かそこらの時間が稼げればいいのだ。
「じゃあボクはフルルに食事を運んでから行きますね。松原さんは網傘君を誘って先に行っていてください」
松原と食堂で別れてすぐに涼斗は行動を開始した。
盗んだカードを通して彼女の部屋に侵入、散らかすように物色した。
しかし焦れば焦るほど目当ての物は見つからない。日常業務で覗き見をしているなら、簡単に見られるようになっているはずだと踏んだが、見つからない。焦燥する彼は引っかき回すことに夢中でなにを探しているのか最早わからなくなっていた。
机の引き出しをひっくり返してみると、興味深いタイトルの資料が涼斗の目の前に落ちてきた。
タイトルは『国立遺伝子研究所におけるレベル5高度安全実験施設に関する要望書』となっている。
差出人は東京都神鳴村村長で、宛先は先日不倫騒動で更迭されたばかりの前職の厚生労働大臣と研究所所長松原汐見宛となっている。
時間はない。けれど涼斗はページを繰る手を止められなかった。