衝突
カフェテリアに置かれた白い円形テーブルが松原の拳で踊った。
「どういうことなの! あんなにおおっぴらに話なんかして、もしあなたになにかあったらどうするの?」
「あまりヒトを馬鹿にするもんじゃないよ。きっと松原さんは――」
涼斗はいままで通りの思考を捨てるべく頭を振った。これまでの対応を見直すべき時が来た。
「つまりあんたはある程度わかっているハズだ。FRRが発動する条件を」
松原は目を逸らし、しばらく思案してからそっと足を組み替えた。
「それは未だ確定していないわ。研究者はあらゆる可能性を考慮するものよ」
「俺はあいつのFRRを抑える方法がわかったよ」
「え、ほんとう? どうやって?」
「単純なことだよ。いますぐここから出せばいい」
「なにを言っている? わたしは彼女を保護しているのよ。外がどれだけ彼女に辛く当たるかあなたにわかるの?」
「いいや、あんたは――」
松原は真剣な眼差しを送っていた。その瞳のなかにはわずかばかりのやましさも見てとれなかった。
続けるのを怯みつつも『ここだ』と彼は思った。傷つけても構わない。どうせ相手だってヒトの優しさとか、奥ゆかしさだとか、言外の約束だとか、そんなもの何も考えていやしないのだ。考え直せ、目の前にいる人物は決して為にならない。
涼斗は毅然として言い放った。
「あんたは実験のために俺たちを使っているだけだ! どうせ一生ここから出す気なんてないんだろう!」
松原は目をパチパチとさせただけで、思いの外ショックを受けていない様子だった。やはり人間が図太い。違う人種だ、付き合いきれない!
「蓋然性に欠ける話ね。推論の根拠を示してもらおうかしら」
ひらひらと舞わした細長い手先も、洒落っ気のある眼鏡も、綺麗だと見とれたこともある黒髪もいまとなってはどうでもよかった。なにより余裕のある態度が気に入らない。
「事実の話をしているだけだ! 実際俺は閉じ込められているし、ここから出て行けないじゃないか!」
「納得してもらったとばかり思っていたけれど」
「あの場で拒否することは出来なかった」
「ねえ、あなたここに来てまだ半年も経っていないじゃない。もう少しがんばってみましょうよ。フォルトゥナでの解析も進んでいるわ。結果も出ているの、もしかすればあなたのXXXX発症は――」
テーブルを膝でカチ上げた。はじめから悠長に耳を貸す気はなかった。
「いい加減やめてくれよ! ヒトのことを気遣ってあげていますよって顔すんのは。俺はあんたの研究を助ける道具じゃないんだ」
その一言で松原は魂が抜けたようになり、摩耗した糸が切れてへこたれた人形のように首をかくりと落として、重い重いため息を吐いた。
「はーーーーーーーあ……そう、わかった。そう思っていたのね。そっか――」
中空に視線を漂わせて松原は訊ねた。
「ならひとつ聞かせて、いまさら……戻ってどうするの?」
「決まってんじゃねえか! 家族と暮らして、友達と遊んで、遅れた高校生活はじめんだよ!」
「その程度の覚悟ならやっぱりあなたをここから出す訳にはいかないわね。こんなことあなたに言いたくなかったけれど、もう……あなたが以前と同じような暮らしをすることは出来ないのよ。例え治療を受けたとしても以前と同じようにはならない。世間はそれこそ冷製カペッリーニよりも冷たいわ。あなたがゲノムテストで出した結果が、あなたと社会の離縁状なの。帰ってみたところであなたの居場所なんて何処にもない。身分を偽り隠れて、泥水を啜り、小便塗れのシロツメクサを頬張る生活が待っているわ」
「妄想も大概にしやがれ!」
「わたしは……あなたを保護しているつもりよ! あなたのことが心配なのよとっても! どうしてそれがわからないの?」
「へっ、会ったばかりであんたは俺の何を知っているんだよ。心配される筋合いじゃねえや。帰せないなら諦めるよ、別にいいんだ。ただ……俺をモルモット扱いしやがったら許さねえからな!」
入れ違いに網傘が入って来た。口笛で『大きなのっぽの古時計』を吹きながら、涼斗の周りをしばらくぐるりと歩いてから感慨深げに言った。
「年上の女性を泣かせるなんてやるじゃないか坊や。いい経験したねえ」
「網傘君、いまそういうこと言われると凄いムカツクんだけど」
「そう凄むなよ。ちっとも怖かないぜ。君さあ、ここから出たいのかい?」
「ハナシ聞いてたのか。山々だけれど無理っぽいな……どうもね」
「出してあげようか?」
涼斗は驚き目を見張った。
「ボクが出してあげる。誰にも内緒だぜ。友人のキミを籠で鳴かせたままにしておくのは忍びない。四日後の晩にボクはミスミに報告するために定期便を呼び寄せるから君たちはここをどうにかして脱出して埠頭まで来るんだ。防犯システムは切っておくけど、他に手助けは一切出来ないからそのつもりで」
「何で知っているんだ?」
「え? 何がだい?」
「いま君たちって言っただろ? どうして俺がフルルを連れて行くことを知っているんだ。そんなこと一言も俺は言っていないぞ」
「ふふふ、そりゃあボクが天才だからさ。天才はヒトが言うよりか前にそのことを知っているもんなんだよ。全部が全部教えたことをやるだけじゃ天才とは言わないんだ」
網傘は涼斗の肩の上で指を走らせた。
「ひとつ注意することとすれば警備室の二人だね。あの二人はいまの君には荷が重いと思うな」
「捕まらないように気をつけるよ」
「いいや、君は未だわかっていないよ。いいかい、デザインというものはご存じの通り既に多くのヒトが実際にしているんだ。いまの時代石ころひとつ投げれば遺伝子をイジくった人間にぶつかるのさ。アスリートでも数学者でもね。ただそれを世間に公表していないだけだ」
「あの二人もそうだってことか?」
網傘は心底嬉しそうにケタケタ笑った。
「細胞や組織を破壊されることよりかいけないのは、遺伝子を浸食されることだ。拳銃よりか相手の所作に気をつけたまえ」
網傘は涼斗の胸を人差し指で突き刺すとキッチンの奥へ行き、涼斗を呼んだ。
彼は冷蔵庫の中からカップのアイスクリームを五つ取りだした。
「たらふく食えよ。前祝いさ、ボクの奢りだ」
それは八戸部がいつも皆に隠れて食べているデザートだった。