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フルルのららら  作者: ちゃぴい
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疑惑

第六章


 エントランスからの突き当たり、掲げられた内覧図のちょうど下に二人は並べられていた。

 涼斗は廊下で正座など学校でもしたことがなかった。

 その隣では網傘が仏頂面で恨み言をぼやいている。

 「なんでボクがこんな無駄なことをしなくちゃならないんだ。時間を金で量るのはナンセンスだが、これは滅法高くつくぞ」

 八戸部が警棒で網傘の顎を突き上げた。

 「そりゃこっちの台詞だぜ副所長さんよ。無駄な手間かけさせんじゃねえよ」

 「ボクは無実だ。大体共犯であるという証拠が何もないじゃないか!」

 松原が続けて彼の額にチョップを叩き込んだ。

 「あんたがシティに帰ってきた。そして事件は起こった。探偵はいらないわ状況証拠は充分だから」

 「そ……そんな非論理的な。あなたとは話にならない! 不当拘束だ! 責任者を呼べ!」

 「ここじゃ私が責任者なんですが」

 松原は胸に手を当ててにっこりと笑った。

 「クッ、本社にチクッてやるからな!」

 「どうぞどうぞ。ミスミの若社長からあんたのこと自由に使い倒していいって言われてんのよ」

 八戸部が二人の間に割って入った。

 「はいはい、二人ともそこまでにしといてくださいよ」

 「このやり取りはいつものこととして――」

 須永が困り顔で涼斗を見た。

 「問題は君だね、頼むよ涼斗君。いくら興奮したからって女の子の下着を盗むなんて――」

 彼は小声で涼斗に囁いた。

 「そっちが趣味なら言ってくれれば仕入れたのに」

 そっちとは何を指すのか、なによりどうして洋物好きだと思われたのか。理解に苦しむ。

 「どうしようもねえガキだぜ。てめえは明日一日メシ抜きだからな」

 松原は網傘との話を唐突に打ち切ると、涼斗に対しては打って変わって冷静に告げた。

 「これはどういうことかしら涼斗君」

 「い……いや、これは――」

 「ボクは悪くないぞ、全部こいつがやったんだ! このスケベ! 代償行動で満足しようだなんて男の風上にも置けないよ!」

 「代償というにはあまりにも直接的すぎるわ」

 松原がため息を吐いた。

 ここでどれだけ喚いても空しくなるだけだと、涼斗は唇を噛んだ。

 「つまりは涼斗がひとりで、フルルとわたしの下着を盗み出したと、それで間違いないのか?」

 「えっ……松原さんも?」

 問い返すと顔を真っ赤にして歯ぎしりした。

 「そうだよ、全部こいつがやったんだ。ショチョー、とんでもねえ変態だよこいつ、犯罪者の素養があるんだな!」

 「ちなみにわたしは自室でこんな物を見つけたのだが」

 震える手で見せたのは涼斗のタグがついたIDカードだった。

 「あっ! それ俺のカード」

 いつの間に紛失したのだろうか。松原はヒモのついたそれを涼斗の首にかけた。

 網傘が鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。

 「ほら! それが動かぬ証拠じゃないか!」

 「ああ……網傘。お前が犯人だというな!」

 空気が炸裂するような音が鳴った。それは張り手というよりかは掌底に近かった。

 「ぶへぇっ、どうしてボクが――」

 「こんなに分かり易い証拠をこれみよがしに残す間抜けがいるか! この馬鹿野郎! アメリカで何を学んできた?」

 「お……主に小粋なジョークとスラングを――」

 「ジャックアス!」

 顎をかちあげるパンプスのトゥキックで網傘は昇天した。

 「いいか涼斗、正直に答えるんだぞ。違えればそれなりの処罰をさせてもらうからな」

 目が座っている。松原は本気だ。

 「は……はい」

 「お前こいつに賭けを持ちかけられやしなかったか?」

 「え……ええ、まあ」

 「それで負けたら下着を盗めとか命令されなかったか?」

 「あ……まあ、はい」

 「そうか、お前騙されたんだよ。こいつは小ずるい細工が本当に得意なヤツなんだ」

 「で、でも……ビリヤードはどうか知らないけどダーツは実際に上手かったんですよ」

 いまさら隣の男の弁護している自分に疑問符がついた。

 「こいつどうせマイダーツとか吹いて自分だけ特製のヤツ使ったろう?」

 確かにあのとき備え付けのダーツは使っていなかった。

 「ダーツボードの真ん中に強力な磁石を仕込んだんだよ。余程の下手糞じゃなけりゃ確実にブルに入るようになっているんだ。色んなトコで同じ手を使っては新顔のプライドを巻き上げているんだこいつは」

 「なんだ。すっかり騙されたな」

 「ん? あまり怒っていないみたいだけど」

 「まあ……騙された方も悪いしよ。そこまでやられたら逆に清々しいだろ」

 「ほう、器がデカいんだな。それでは私からその器に敬意を払って一発くれてやろう」

 涼斗は思いっきりグウで殴られた。


 いま何時だろうかと考えた。網傘は何やらぶつぶつとひとりごちている。

 二人は『ヨシ』が出るまで正座を強制されていた。両手両脚に手錠がつけられているため、身動きが取れない。

 「あの……聞きたいことがあるんだけど」

 「いまボクは松原汐見という名の性染色体XXを如何にして辱めてやろうか作戦を練っているところだから邪魔しないでくれ」

 「いつの間に部屋に忍び込んだんですか?」

 「君がお嬢様の部屋でちんたらやってる隙にさ」

 「もしかして……最初からそれが目当てだったんじゃ――」

 「そうだよ。君のことだからショチョーの下着を手に入れる術なんて持っていないだろうしね。君が時間を稼いでくれればそれで良かったのさ」

 「どうやって入ったんだ?」

 「そんなこと聞いてどうするのさ? 夜這いでも仕掛けるの?」

 「するわけねーだろそんなこと!」

 「ムキになるなよ。簡単なことさ。あのヒトいつも同じ白衣着ているだろう。君はカードを胸元にぶら下げているけど、あの人は白衣のポッケにカード入れっぱなしだから同じサイズの白衣を用意して食事時とか休憩時に脱いだときにササッと交換しちゃえば最悪入室するときまでは気づかれないよ」

 「悪知恵っていうか……そこまでする情熱が凄いな。もしかして好きだったりするのか?」

 「好きだ」

 網傘は爽やかに即答した。

 「そ、そうかよ。だったらそんな小学生みたいなことやっていないで真面目にデートにでも誘えば――」

 網傘はつぶらな瞳をキラキラさせた。

 「なにとんちんかんなこと言ってんだい。ボクはあのヒトをからかうのが好きなだけだよ。顔真っ赤にしちゃって面白いだろあのヒト。クールビューティー気取っているけど実際処女だね、研究に命捧げちゃってるね、無菌室の純粋培養だひゃっ……なにする――」

 涼斗は必死に頬を引っ張ったが、情報の大半は流れてしまっていた。

 松原がこめかみに稲妻を走らせていた。

 「少しでも情けをもった自分が恥ずかしい。お前たちはいったい何の話をしているんだ?」

 「い……いや、涼斗君がショチョーのこと色々知りたいって言うから」

 ギラリとした瞳に射貫かれて涼斗は身体を強張らせた。目を瞑り激しく首を振る。

 「どうやら殴るだけじゃ足りないみたいね。面白い!」

 松原はコンパクトなアルミケースから注射器を取り出した。

 「ちょうどレベル4の奴らから遺伝子解析を頼まれたところでね。フォルトゥナで解析は終えたんだけど……ついでに実験も済ましてしまおう。マウスで試すよりかは人体で試した方がいいデータが取れるだろうし」

 「え……アハハ。嫌だなショチョー。嘘でしょう?」

 「大丈夫。感染機能をなくしたヒトに優しい天然痘だから。お前が苦しむだけで済む」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねるように逃げ出した網傘の首根っこを捕まえると、松原は腰投げをして引転ばせた。

 「やめろ……警察だ! 裁判沙汰だ! 密室殺人だ!」

 松原は仕事人のように注射を素早く打ち込むと、すぐさま引き抜いてケースに戻した。

 「あ……ああああああマジで打ったああああああああああああああ」

 ごろごろと転げ回る網傘をただ見つめることしか出来なかった。

 「それで君は――」と彼女が次に瞳に捉えたとき、涼斗は首を何度も振った。

 「俺は別に何も聞いていないですし。興味もないですし、少しも悪いことしていないですし!」

 「そうか、なら君も余計なことを聞かない方がいいと思うの」

 彼女はウフフと白い歯を見せて笑った。

 「あ……はい。ごめんなさい。で、でもあの……あのままじゃ――」

 「大丈夫。あれはワクチンに使われる弱毒性のものだからさ。少し皮膚がただれるだけで済む」

 「い……一応本物なのか」

 「あいつにはイイ薬だ」

 松原は非常に爽やかな笑顔で、カツカツとわざとらしくヒールの音を響かせながら廊下の先へ消えた。

 顔面蒼白の網傘は絞り出すように言った。

 「ワクチィィィンンンンン! 早くつくらなきゃ手遅れになるぞ!」

 「さっき打たれたヤツがワクチンらしいぞ」と告げると彼の顔はみるみるうちに赤みが差し調子を取り戻した。

 「な、なんだ。そうか。ハッハッハ! ボクを一瞬でも怖がらせるなんてやってくれるねえ。非常にわずかな可能性ながら本当に天然痘ウィルスを打ったのかと疑ってしまったよ」

 「まさかそんな訳――」

 「あまり彼女を舐めない方がいい。院内感染の体でボクらを殺すことなんて造作もないことだからね」

 「だったらなんで喧嘩を売るような真似するんだ」

 「どうしてだろう。本来ならばボクは石橋は強度計算してから渡るほどの安全主義者のはず。だからこそ君を使ったのに」

 網傘は自問自答をやりはじめた。これほど話していて疲れるヒトもいないなと涼斗は思った。

 「そういや……その松原さんのことなんだけど、あの人って常備薬とか持っているのか?」

 「もう十代後半のババアだけどそりゃ……ないでしょ」

 彼は喋ったあとで周囲を見回した。ビビるくらいなら言わなければいいのに。

 「十代後半でババアじゃ、お前はいくつなんだ」

 「馬鹿かキミは。自分の年齢は関係ないだろ。相対評価じゃなくて絶対評価しているんだからね」

 「いや……でもなんか薬飲んでいたから」

 「そりゃ選択的セロトニン再取り込み阻害薬だよ。ここのヒトが飲んでいるのはプロザックの強力なヤツじゃないかな。普通の処方薬じゃ効果が現れるまでに時間がかかりすぎるからね。加えて鬱症状緩和には脳神経細胞の再生産が不可欠なんだけど、そこいらは『デザイン』でなんとかしているんじゃないかな。突発的な自殺衝動の緊急回避に是非ともお薬一錠お大事にーって、身体イジくっちゃったら元も子もないのにねアハハ、バーカバーカ……あれ、面白くない?」

 「ここのヒトたち……『デザイン』しているのか?」

 「知らなかったの? ここの人間もそれなりにリスクは背負っているんだよ?」

 「やっぱりフルルのせいなのか?」

 「さあねえ、ドライヴの発動条件はよくわかっていないわけだからねえ。まっ、当の本人はどうだか知らないけど」

 網傘はまるで将棋盤の前で長考するように顎をなでながら続けた。

 「滑稽だよねえ、たかだか遺伝子が長いか短いか、薬を飲むか飲まないか、脳を弄るかやめとくか。所詮は単なる機能不全なのに、人生悟ったような連中が死に向かっていくのはさ。操られているだけなのにね」

 「でも……言い換えれば異常があった場合逃げ場がないってことだよな」

 「そうだね! まあ、ボクには関係ないけどね! ここにいるヒトは皆、研究をしたいがために魂を売ったからさ、暗くて嫌になっちゃうよね!」

 「魂って?」

 「廃れた概念だよ……ああ、ショチョーの下着履きたかったなあ」

 本気で悔しがる網傘を見て涼斗はため息を吐いた。


 翌日、宣告通り朝食を抜かれた涼斗は腹を鳴らしながら食事をフルルの部屋まで届けた。

 受け渡し口を開くと、朝食をのせたトレーを置いた。黙って待っているが、いつもならすぐ伸びてくる手が来ない。しばらく待っていると向かいからパタパタと音がして、受け取ろうと手が伸びてきた。

 そのとき、フルルのドレスの裾から覗いた手首に青あざが見えた。

 「あ……ちょっと!」

 話しかけたが受け取り口の扉はすぐに閉められてしまった。

 昼食を片づけてからフルルの部屋に行ったが、彼女はじっとして黙ったままだった。

 フルルはそっぽを向いたままプレイヤーポッドを涼斗に差し出した。

 不満の原因がわかったところで、それを黙って受け取ると見せかけて彼女の腕を取る。

 「あっ!」

 腕には殴られたような青あざが数カ所出来ていた。白い肌に痛々しく、毒々しく映えている。

 「ど……どうしたんだよこれ!」

 フルルは黙って顔を振るとポッドを涼斗のポケットにねじ込んだ。

 「行って。松原さんが来るから――」

 ぐいぐいと押し出されて部屋を出ると、エレベーターがちょうど昇ってくるところだった。いつもながら素早い対応だ。

 ドアが開くと同時に走って来た松原が心配そうに訊ねた。

 「何があったの涼斗君?」

 「いや、別に何も」

 脇を抜けてエレベーターへ向かう。

 「あなた何か受け取っていなかった?」

 涼斗は足を止めると、振り返り朗らかに言った。

 「お気に入りの曲があるからって渡されたんだけど……どうも趣味じゃなくって」

 「そう――」

 「一応聞くけどよ。音楽の趣味はヒトそれぞれだからな。俺は特殊な方だからさ、そこらのラブソングなんて聴いてらんないよ」

 涼斗は早足でエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押してから松原を待った。

 妙に空気が重いのは気のせいではない。

 「涼斗君はどんなジャンルが好きなの?」

 「え?」

 まさかそこを掘り進めてくるとは予想もしなかった。

 「特殊なんでしょ?」

 「レゲエ……とかね」

 これは特殊だろうかと、涼斗は自問自答する。

 「最近流行っているわよね。アミャコ・エイルーとか?」

 「そ、そうそう。それそれ」

 「おかしいわね、そんな名前のヒトは地球上にいないけど」

 「そ、そうか……ヒト違いだな。なんて名前だったっけなあ」

 涼斗は冷や汗をかいた。

 下手に嘘を吐くと見破られる。はじめから疑ってかかられている。油断も隙もない。

 「どうかしたの涼斗君?」

 松原の顔を見ることはできない、すべてが見透かされてしまうような気がしていた。

 「いや……反省しているんですよ。もう下着盗んだりなんてしないって」

 「そ、そうよ。あんなことしちゃダメだからね!」

 ぎこちなさが少しばかり緩和できたろうかと、涼斗は階数表示を眺めた。


 緊張と少しばかりの好奇心でもって、プレイヤーを自室で再生する。こほんこほんとフルルの咳払いが聞こえた。

 「わたしはあなたのことを唯一の仲間だと思っています。だからあなたにだけは私の思いを伝えておくことにします。あなたはまだ気づいていない、もしくは気づきたくないのかもしれないけれど、ここに入所したヒトは出て行くことは出来ません。それはここが治療や改善を目的とした病院やリハビリ施設ではなく、遺伝子感染を防ぐ名目で作られた隔離病棟だからです。おそらくあなたはゲノムテストを受け、不明遺伝子XXXXフォーエックスだと判断されたハズです。でなければここへは連れて来られていないでしょう。あまりこんなことは言いたくありませんが、あなたは忘れていませんか。勘違いしていませんか。立場を誤解していると言った方が正しいかもしれません。あなたは別に望んでここに来た訳じゃないでしょう。犯罪を犯した訳でもないのに、こんなところにもう三ヶ月近くも入れられている。そのことに疑問を持ったりはしないのでしょうか。あなたは本当に自由ですか。ここで寝泊まりしているあなたは、外に出ることの出来ないあなたは。常に監視を受けているあなたの日常は果たして自由と言えるでしょうか。ここで時間を潰すこと自体が無益で無駄で無意味なのです。私は杜撰な管理しかされていないあなたを心底哀れに思います。どうせ懐柔するんだったらキチンと脚本を書いて貰わないと演じる方も嫌になるでしょう。本来ならば洗脳を施しているところなのでしょうが、万一遺伝子を傷つけてしまっては実験動物の役割を果たせないためやむなく……といったところでしょうか――」

 目頭が熱くなってきた。言われたくない、逃げ続けていた現実をすべて話されてしまった気分だった。

 「ごめんなさい……言い過ぎたかもしれません。でも、それが事実です。選ばれるというのはいいことばかりじゃありません。むしろ素晴らしく悪いことの方が多いとわたしは思います。もし再びあなたと自由に話せる機会があったら……その時はわたしが思うあなたでなく、あなた自身の言葉でわたしを否定してくれたらと思います」

 布団をはね除け、飛び起きてドアへ向かうが、以前は簡単に開いたそれが押しても引いても開かない。

 この部屋は外側から解錠、施錠するカード式のオートロックであるため、外部から強制的に閉じ込められているとしか考えられなかった。

 「どうなってんだよこれ」

 拳を何度も叩きつけていると、やがてドアはあっさりと開いた。

 「中古家電じゃあるまいし、そんな叩いたってダメよ」

 松原が呆れ顔で立っている。

 「どうしたの涼斗君。こんな夜更けに」

 「いや……ここ鍵がかかってて」

 「防犯上、夜はオートロックされるのよ」

 「そんなの聞いたことないぞ。前は開いたんだ」

 松原はやれやれといった様子で頭を掻いた。

 「それは私の単なるミスよ。夜出歩けないのは君だけじゃない、全職員がそうなの。入所するとき契約書にちゃんと目を通した?」

 「勝手に連れてきて契約書もクソもないだろ」

 「どうしたんだ急に。顔色もよくないわよ」

 額に伸ばされた手を涼斗は払いのけた。

 「いちど家に帰りたいんだ」

 「何故?」

 「母さんが心配だからよ」

 「残念だけどそれは出来ないわ。そういう約束だったはず」

 「そう、か。じゃあ腹が減ったから食堂にでも行って来ようかな」

 脇をくぐろうとすると、松原は身体を滑り込ませるようにして涼斗の前に立ち塞がった。

 「ダメ!」

 互いに睨み合ったが、松原はすぐに目を逸らした。

 「いいさ、わかった。今日は大人しく寝ることにするよ」

 「そうしてくれると助かるわ」

 松原は安堵の表情を浮かべると、夜間だというのに煌々と明かりのついた廊下をもどっていった。

 涼斗はベッドにもどって目をつむり、羊をゆっくり五万匹かぞえてから部屋じゅうをくまなく調べた。

 『そう、バレちゃったか。情報漏洩を防ぐっていう名目でね……一応契約書にも書いてあるんだけど』

 やめろよ、やめてくれよ。

 『いいえ、新しく入ってきたヒトの部屋だけ。はじめのうちはね』

 誰を信じればいいのか。

 『ずっと監視していた私を責めないの?』

 そうだ――。あるわけがない――。みつかるものか――。それは祈りにも似た気持ちだった。

 移動した部屋は以前と違い探すところなどほとんどなかった。ベッドの下に突っ込んだ頭を出すと、天井の隅にあるフィルターに目をとめた。灰色の網目を見つめながら松原の言葉を思いだす。

 『空気清浄機が感染防止目的に設置して――』

 時計を見れば午前四時、机のペン立てからボールペンと取ると、意を決してフィルターに思い切り突き刺した。

 突き抜いた向こう、豆粒のように小さなレンズが光った。細長い指向性集音マイクが脇に添えてある。

 「この部屋にもあんじゃねえかよ……嘘つき」

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