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フルルのららら  作者: ちゃぴい
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遺伝子の歌

 ゲノムシティに来てから三日目、定期検査ということで涼斗は松原と三階の研究室を訪れていた。


 映画で見たような複雑な機器が並んでいた。


 いったいそれらが何に使う物か涼斗には見当もつかない。


 「電気泳動装置、質量分析計、電子顕微鏡、半導体シーケンサー。すべて最新型よ。ここにはなんでも揃っているわ。フォルトゥナを稼働させるのもここでやるの」

 

 松原は一通り説明してからポケットをまさぐり、アルミケースから一本の注射を取り出した。


 「いつも持ってんのかよそれ」


 「衛生面は気をつけているから安心して」


 彼女は腕に埋没する血管を一目で見抜き、神業のような注射さばきでそれを打ち抜いた。


 痛みはまさに一瞬だった。


 「これから一ヶ月に一回は検査があるからそのつもりでいてね」


 「俺の血をどうするつもりだよ」


 「ある遺伝子の働きを知るためには一個の細胞において果たす役割と個体として見た時に果たす役割の両方を知る必要があるんだけど……できることはあまりないわ。ノックアウトや発現抑制が出来ればいいんだけど――」


 「なんか嫌な響きだなそれ」


 「まあね。要するにあなたをぶっ壊してみていいのかってことなの」


 「勘弁」


 松原はかくりと首をもたげた。


 「そうよねえ。地道にやるしかないわよね。あなたの血は遺伝子発見用コンピュータプログラム。所謂ゲノムスキャンにかけて配列AGCTの海のなか、文字列の並びを明らかにする塩基配列の決定作業と機能解析を行う……ってのが普通なんだけどあなたたちの場合バラバラだし、まるで暗号のようで殆どわかっていないわ。むしろよくヒトとして成立しているなあ……っと」


 松原はハッとして口を手で押さえた。


 「いけない。わたしそういうことに疎くて、ごめんなさい」


 「別に気にしてねえよ」


 涼斗は与えられたガーゼで腕を強く圧迫しながら、ふと根本的な疑問を口にした。


 「そもそもゲノムってなんなんだ。遺伝子とDNAとなにが違うんだ?」


 「え? 嘘? そこから? 学校で習うでしょ?」


 松原はわざとらしく驚いてから、手帳を取り出してボールペンで何やら書きはじめた。


 「ゲノムは英語でgenome、これはgeneとchromosome、遺伝子と染色体を組み合わせた造語よ。DNAはデオキシリボ核酸という化学物質の名前なの。遺伝子はプロモーターに転写されたタンパク質、もしくはRNAとして発現するDNAにおけるひとつの組み合わせと考えればわかり易いと思うわ。そして、ゲノムは全遺伝子部分と全非遺伝子部分を含むすべてのDNAなの」


 「なんのこっちゃ。もっとわかりやすくで例えてくれ」


 「んーーーっとねえ、例えば組体操をしたときの人間ピラミッドを思い浮かべてみて」


 涼斗は言われた通り一組の人間ピラミッドを思い浮かべた。体育祭でよくやるアレだ。


 「そのピラミッドを構成するひとりひとりがDNAというクラスの男子よ。そしてそのなかには役に立つマッチョと役に立たないモヤシがいるの」


 「ふんふん」


 「それでそのマッチョな男子が遺伝子と呼ばれるの」


 「モヤシは?」


 「ガラクタとかジャンクとか呼ばれるわ」


 「ひでえ」


 「そして出来あがったピラミッドがゲノムよ。わかった?」


 「ちょっと待てよ。人間ピラミッドは役に立たないヤツなんていないだろ。だってそいつがいなかったらピラミッドは完成しないんだぞ一番上で楽してるヤツだってそれなりにバランスやらなんやら気を使っているハズだ」


 「うーーーーん……なら五目ヤキソバ好き?」


 「好きだけどよ、話がずいぶん飛ぶなあ!」


 「麺一本一本がDNAという名の五目ヤキソバよ。そしてそのなかには美味しいうずらとマズイ筍が――」


 「俺は筍が大好物だ」


 「じゃあ人参にする?」


 「人参入れないと色味が悪いだろ。それに五目ヤキソバなんだから五目入れなきゃ客が納得しないじゃないか」


 「そもそも五目って何だったっけ?」


 「五目っていうくらいだから五つの野菜じゃねえのか」


 「ウズラもエビも野菜じゃないけど大抵入ってるわよ?」


 「ん? えっと、まあその話はおいとけよ。いまはゲノムの話だろ?」


 「そうゲノムの話だったわね。わかった。それがなくても成立していて、あると困るなあって料理をあげてみて」


 「香草だ!」


 「嘘でしょ。私は香草好きなんだけど、生春巻きとか最高じゃない?」


 「マジでいってんのかよ。ありえねえ!」


 ドアを解錠する作動音がし、八戸部が顔を出した。


 彼は口元を震わせながら机の上に置き忘れていたらしい懐中電灯を手にして、無言のまま出て行った。


 松原はため息をひとつ吐いて立ち上がった。


 「あまり味覚はあわないみたいね」


 「そうみたいだな」


 「もしいつかデートするなら中華料理とベトナム料理は避けましょうね」


 そんな約束とは裏腹にその日の夕食は五目焼きそばと生春巻きだった。


 予め食材があったのかそれとも調達したのか、筍と香草はそれぞれ抜いてある。


 厨房の八戸部はむっつりとして流しで鍋を洗っている。


 涼斗はなにか腑に落ちない物を抱えながら焼きそばを啜り、春巻きにかぶりついた。


 味覚の合わない女が彼の真向かいに座る。


 「それでどう?」


 「なにが?」


 「彼女とある程度仲良くなれた? 本気になられちゃ困るけど」


 「ヒトって話をしないで仲良くなれるもんなのか?」


 「そこらへんは専門外だから」


 松原はではヨロシクと、ラップがかけられた食事をトレーにのせた。


 FRRの部屋に食事を運んだ後、涼斗は一旦退出することにしていた。


 「食べ終わるまでここにいてくれていいのに」といくらFRRにいわれても、やはり食事時にじっと黙り込んだ男がいるのは嫌なものだろうと考えたからだ。


 一時間後、FRRの部屋に寄る。


 いつもの通り話を聞き流しながら、一時間と少しもいれば涼斗は出て行く。


 タイムカードがあるワケじゃない。


 松原も厳密な時間までは掌握できない。


 「もう行っちゃうんですか?」と背後からFRRの声がしたが、涼斗はため息を吐くだけで返事はしない。


 部屋を出て、ダーツでも投げるかと素振りをしながらエレベーターへ向かう。


 涼斗がつと足を止めたのは、歌が聞こえてきたからだ。


 綺麗な歌声にどこか懐かしい旋律だった。


 耳をすませばどうやら彼女の部屋からそれは聞こえてくる。


 世界が造り替えられていくその瞬間を彼は見た。


 廊下の角から並ぶ十室の部屋が崩れていき、草花が広がっていく。


 野放図に育つそれを押さえるように敷設された石畳は遠く丘の上まで続いている。


 彼は緑雨で洗われたむせかえるような夏の庭園に立っていた。


 揺れる手製のブランコが見えた。


 幼い姉妹がブランコを揺らしている。


 そこにひとりの女性がやってくる。


 果物が入ったバスケットを腕にかけている。


 幼い妹がこちらを見た。


 涼斗は少女に見覚えがあった。誰だろうか――。


 目をこじればすべては消え去り、エレベーターのドアが開いた。


 どれくらいの時間を消費したのか、それでわかった。


 脱力してほぅと温いため息を吐いた。


 暖かな心地、人生の喜びを思いだしたような気がした。


 涼斗はかけ足でFRRの部屋へ戻った。


 覗き窓から見れば彼女はベッドに腰かけ、ぱたぱたと足を揺らしている。


 「勘弁してくれよ」


 FRRの実態が見えない。


 誘いこむ罠のように思われた。


 しかし、涼斗は抗えぬヒト懐かしさを覚えて入室した。


 FRRは顔を綻ばせて、また、へたくそなおしゃべりをはじめた。


 たまらずノートを膝の上に置き、鉛筆を取り上げた。


 「あ、あの。あんまり堂々と書いたら怒られるんじゃ」


 涼斗は耳を貸さず、鉛筆で殴り書きして彼女にノートを渡した。


 『さっきの歌、なんて歌なんだ?』


 「き、聞いていたんですか?」


 涼斗は黙って頷いた。


 「あれはわたしが幼い頃、母がよく歌ってくれて」


 『もう一度歌ってくれないか?』


 FRRは顔を振った。


 「ご、ごめんなさい。歌詞がわからないですし、覚えているのはメロディーだけですし……なにより恥ずかしくて――」


 『そうか、残念だな。いい歌だったのに』と涼斗は書くと、それを差し出した。


 「そ、そうですかね。そんなことはないと思いますけど」


 『いつか……ここから出られたとき、お祝いに歌ってくれないか?』


 「え、ええ……そうですね。自由になれたら」


 FRRは寂しそうに笑った。


 松原の足音が聞こえた。


 涼斗は紙片を細切れにしてもしゃもしゃ食べると足早に部屋をでた。


 高鳴る胸の鼓動が舌に張りつく紙の味を誤魔化してくれた。

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