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フルルのららら  作者: ちゃぴい
17/18

ゲノムドライブ覚醒

土は身体をわずかに沈めるほどの豪奢な絨毯にかわった。騒ぎ立てる大勢のスーツ姿の男女、大抵が首からカメラを提げたり、膝にノートパソコンを乗せてキーを叩いている。ワインレッドのカーテンを背にして演台が見えた。煌めく光の渦のなか、いつかテレビで見たことのある顔が演説していた。


 夢ではなかった。再び他者の領域に取り込まれたのだ。


 涼斗はそれを懐かしそうに見つめるひとりの男を見て、言葉を失った。


 「この共感覚の世界は夢に似ているよ。ある程度操れるかと思えばそうでもない。ただ、自分から出た物であることは確かなことだ。それも自分が苦手だったりしたことが強く現れてしまう。トラウマの宝庫さ。だからこそこの視覚化された世界でもってヒトはヒトとわかりあうことができる。なのに誰ひとりとしてそうはならなかった。引きずり込んで、侵し、従えようとするばかり」


 彼のスニーカーはエナメルの革靴になり、カジュアルな服装は上等のスーツになった。


 「ゲノムドライヴとは感染する遺伝子汚染。ボクが発明したヒトを進化させる遺伝子だ。進化したそれは攻撃されていることを知らせるために防御機構を視覚化して情報提供を行う。その世界は相手と結び付いた複雑な情報世界。コミュニケーションが鍵とはいっても、それ自体に意味はない。聴覚情報は側頭葉の後ろにあるウェルニッケ野を通してはじめて意味が理解されるワケだけど、そこで遺伝子のやりとりをするわけじゃないからね」


 涼斗の前に立ち、吐きかけるようにため息をついた。


 「がっかりだな、想定したなかでも一番陳腐でくだらないケースだ。結局ヒトはヒトを拭いきれないものかね。まだ倫理や情愛なんかで是非決めしているなんて」


 「網傘……お前か――」


 フルルは信じられないといった様子でいった。


 「ど、どうして? あなた轢かれて死んだはずじゃ――」


 「轢かれた?」と涼斗が返す。


 「ええ、恐らく監視室の二人に」


 待てよ。だとすればニュースに出ていた重傷を負った研究員というのは――。

 

 「松原さんには手出しちゃいないよ。もう彼女は必要ないんだ。代わりがいるからさ」


 網傘は思惑を悟ったように笑った。


 「八戸部と須永。あの二人は流石にプロだったね。でも、だから死んだ」


 「え……」


 網傘はダーツを投げる素振りで、「ドチューン」と叫んだ。


 「お前がやったって?」


 「そつなく」網傘は二度頷いた。


 「単なる内輪揉めだから気にしなくていいよ。彼らは元々こちら側の人間だったんだ。キミが義憤に猛る理由はなにもない」


 涼斗は二人の顔を思い浮かべていた。


 「だとしても――」


 「端金で雇ったんだけど、どうも松原女史に骨抜きにされたみたいでねえ。あいつらボクを轢くことになんの躊躇いもなかったよ。まあ、結果オーライ。君らにジェットスキーを貸したおかげでボクの移動手段がなくなっちゃったからさ。ヘリで都内の病院に緊急搬送してもらったんだ」



 フルルは涼斗の肩に手を置いていった。


 「あれだけ派手にはねられてよく生きていたわね」


 「牛丼と夏みかんを山のように摂取したからね」


 「そんなんで怪我が治るかよ!」


 「タンパク質とビタミンさえあれば治るさ。金持ちでも研究者でもアスリートでも遺伝子をデザインするときの一番人気は創傷治癒関連因子リペアだよ。脳下垂体からの成長ホルモン分泌コントロール……GHRHに加えて、MRL・Mpjマウスを用いた創傷治癒形質の発展型だね。継いで人気なのは涼斗君のおばさんに施したような長寿遺伝子クロトー関連かな」


 「お前が今回の元凶か」


 「いまさらなにを言うんだ。知っていて乗っかった癖に。ボクは元凶とも言えるし、違った見方をすれば被害者とも言えるんだよ」


 「なにを言っているんだ?」


 「茶番に付き合ってやると言ったんだよ。六鳥涼斗がどこまで推測出来たのか知らないけれど、元凶と言われればボクになるだろうね。ミスミに委託されたボクはNIHに行くだなんて嘘吐いてずぅっとFRRのデータを取っていたんだ」


 「目的はなんだ?」


 「邪魔な人間の安全且つ迅速な排除。これが網傘京一の目的だ」


 朗々と続ける網傘を見て涼斗は違和感を覚えた。彼はまるで自分のことを他人事のように話す。


 「いくら念願だった不老不死が三割方叶ったからってさあ、ミスミの社長は強突張りだよねえ。コントロール可能にしたFRRが欲しいんだって」


 「どうして……それなら母さんと志治までドライヴさせたんだ?」


 「驕るなよ、キミは関係ない。だって四十木市に住まうヒトの殆どはドライヴしたはずだからね。これからは市外にまで影響は及ぶだろうね ゲノムテストは未だ完璧ではないから表出してくるのは目立った遺伝子を持つ極一部さ。もしかすればいまは普通でも子供、孫になったら現れてくる異常もあるかもね。大抵がエコー検査で産まれる前に弾かれるんだろうけどさあ」


 網傘が親指で首を狩って見せた。


 フルルが怒りを露わにしていった。


 「最低の屑ね!」


 「キミから見たらそうだろうね。でも、ボクがドライブさせたワケじゃない。あるとすれば……ゲノムドライヴという病だ。感染する遺伝子病。それが鴻村栄一が発明した人類を進化させる新しい風だよ」


 網傘は心底嬉しそうに笑った。


 「どんな発現の仕方をするかはボクにも予想はつかない。ヒトとして生存しうるギリギリのラインで遺伝子を再構成するものだからね。FRR、キミは特にボクの自信作だよ。数あるヒトのなかでキミだけが特殊な遺伝子を発現させた。拝見させてもらったキミのハサミ……DNAの鎖を断ち切る制限酵素のようなものかな。コンタミ(汚染)など問題にならない、反応条件に左右されないハサミだなんて面白いね」


 「あなたを貫くのは……すべての話を聞いてからよ」


 「オレたちの前に出て来たってことはそういうことなんだろ?」


 網傘はため息を吐いた。


 「いちから説明しろって?」


 二人が首肯したのを見て、まあいいだろうと彼は落ち着き払った口調で喋り出した。


 「いまから五年前の二○一四年、デザインベイビー黎明期の話だ。無精子症が発覚した井貫は遺伝子治療が不可能だと悟ると……まあ、ボクがカップラーメンから抽出した濃縮環境ホルモンで無精子症にしてやったんだけどね。ともかく井貫は逆らえない研究者や金のない若者の精子と卵子を集めてより能力の高いデザインベイビーを生み出し、自分の後継者にしようと躍起になった」


 網傘は彼の記憶が作り出した人混みを掻き分けて、そこにいる人形のような男を引きずり出してきた。


 「こいつさ。井貫実臣……アブラムシからヒントを得たヒト単為生殖法が可能だと教えてやったら大喜びで今度は自身の一卵性双生児を欲しがった。だからボクはね、井貫のDNAを元にしたと嘘を吐いて、鈴木鏡子という女性のDNAを元にして産みだした胎児にゲノムドライヴを罹患させた。ゲノムテストの結果を改竄し、情報が外に漏れないようボクがシティで直接管理した」


 網傘は顔を綻ばせた。


 「そうしたら驚くべきことに生まれてきた娘はある特殊な遺伝子を発現させた」

 「それが……DTTFとFRR」


 「ん? なにを言っているの? そこで眠っている井貫の娘……失敗作は関係ないよ。ボクが直接手を出したのはFRRだけさ」


 「なんでそんなことを!」


 「なんでっていわれても、ボクがゲノムドライヴを制御しているワケじゃないからね。キミもあんまり残酷なことしてやらないで彼女の代わりに離島暮らししてやればよかったんだ。残りわずかの命だ。少しくらい人間らしい暮らしをさせてやるのが優しさってもんだよ」


 FRRが握りしめてハサミが震えた。


 「元々わたしは……井貫の娘じゃなかったのね。全部……全部あなたのせいで――」


 「父親をそんな目で見るもんじゃないよFRR。キミは正しく奇跡の子だ。いまはそんなハサミを持っちゃいるが、本来ならばキミはまるで。第一発見者であるボクが命名したんだよ。親の名づけより気に入ってもらえて光栄だ」


 網傘は微笑みかけると、フルルは心底憎らしげにいった。


 「わたしはFRRなんかじゃない……わたしの名前はフルルよ!」


 「いいやキミはFRRさ。ぐずっていないでパパの元へ戻っておいで。君はヒトより感情が伝わり易いがために感情に乏しく、人間関係が希薄で、普通のヒトが普通に行うはずの恋愛すら大の苦手なんだよ。キミは自分に主体性があると信じているだけでその実、誰かから刷り込まれただけの存在なんだ。愛も憎しみも根底にない。単なる遺伝子の器だ。キミはそれを自覚しているだろう。お屋敷とゲノムシティ、檻から檻へと移動したようなもんだ。社会姓を獲得することも困難だったろう。妹はその代わりに伸び伸びと育ったんだから皮肉だね。キミは自分のことしか考えていない。利己的であり過ぎるが故に、遺伝子にとって最適な戦略を取らされているに過ぎない。だが、それこそが最大のミスだ」 


 「お前が……俺とフルルをあんなところへ叩き込んだのか」


 「ああ、君らのゲノムテストに視察という形をとって体育館に行った時にちょいちょいと血液をすり替えてね。それには遥花ちゃんも大喜びで賛成してくれたよ。そりゃそうだろう彼女は――」


 遥花が辛そうに口を挟んだ。


 「あ……あの、網傘さん。わたし――」


 「ああ、失敗作ちゃん起きたの。調子はどう?」


 網傘は遥花の肩に手を回すと、ぺろりと舌を出した。


 「この娘は最強の癌遺伝子を発現して無菌生活に叩き込まれるはずだった。いくら抑制出来ると言っても余命いくばくもなようなヤツを当然のように学校に通わせるんだから井貫家ってのは厚かましいよねえ」


 遥花は涼斗を見て、曖昧な笑みを浮かべた。その表情は……何度も見たことがあった。


 いつも風邪気味の彼女……潔癖症で神経質な彼女。


 ヒトからうつるのを嫌ったのではなく、ヒトにうつるかもしれないと、彼女は常に気を使っていた。


 「彼女にはDFTDと対になる抑制遺伝子、TNFのような腫瘍壊死因子はデザインによって組み込んであげたんだけど、それじゃあ追っつかなくてね。まあ二十歳までは生きられないだろう」


 「もういいよ。普通は諦めたから……わたしもシティに行く。涼ちゃんがいれば――」


 「残念だね。ボクはその件で来たんじゃないんだ。井貫社長から新しい命令が出てね。DFTDやFRRが他者の領域を浸食した場合のデータが欲しいらしいんだ。シティでなくて、ミスミ直轄の研究所に連れて来いってさ。なにもない辺鄙なとこだけど、空気だけは美味いんだ」

 フルルが吐き捨てるように言った。

 「行くワケないでしょうそんなところ」

 「うん、行かなくていいよ。ボクの目的はそんなつまらないことじゃあない」

 網傘は演台の方を眺めて言った。

 「見てわかる通りこれはボクの記憶……といってもわからないか。時間はかかったけど、こうしてまた中心となる三人が出会うことが出来た」

 「津名山、鈴木さん、そして井貫の娘の遺伝子の前に再びボク、鴻村栄一が立っている。あの栄えある演台に遂にあがることのなかった……ボクが成した輝かしき功績は二つ。君らの知る通り他者に介入するXXXX遺伝子の発見、及び作成と流布。遺伝子の闘いはまだるっこしい外部環境から、また巨大な生命のスープのなかで繰り広げられることになった」

 網傘はこめかみを指した。

 「それともうひとつが記憶する遺伝子の作成、元々はキブラと名づけられ、海馬に関係するそれを生まれ代わりのレベルにまで活性化させることに成功したんだ。細胞記憶……でもそれはいいことばかりじゃない。共存する二つの人格ペルソナは優れれば優れるほど破綻をきたすものだからね。現にボクはコピーの方が強く出過ぎてね、時たま自分を見失うこともままあった。マザーペルソナとなるべきなのはボクだ」

 「俺と研究所で過ごしたお前は……いったい誰だったんだ? 網傘か、それとも鴻村か」

 「鴻村でもあり、網傘でもあるよ。ボクはね、獲得した形質も悪くないなと思ったよ。だってそうだろ、こんなに刺激的なことはないんだから。きっと……網傘の方はT型人格を持っていたんだろうね……じゃなければこんな大それたこと、出来やしないもの」

 フルルは二人を見比べて、ため息を吐いた。

 「さっきからあなたたちなにを言っているの? 話がまったく見えてこないわ」

 「君たちは少なからずこの記憶に覚えがあるはずだ。ここにいる誰もが共有するものだからね」

 網傘は壇上に上がるひとりの男に目を向けた。涼斗はその男に見覚えがあった。

 「残念ながら君たち姉妹はこの物語の装置としての意味しかないんだ。ボクにとって重要なのは君だよ、津名山。ボクは君に負けちゃいない。さあ、第二ラウンドの始まりだ。ボクは存分に研究成果を発表したいと思う」

 「俺は津名山丈じゃない。六鳥涼斗だ」

 「そこまで自然に嘘を吐けるのか、流石だと言いたいところだが、ボクにそんな手は通用しないよ。ボクはお前が自分の息子に記憶遺伝子を与えたことを知っているんだ。記録が残っているんだからな。津名山。お前は闘うことを選ばざるを得なかった。なにしろそのときお前は既に離婚していたが、子供はいたからな」

 「その子供が――」

 「いいや、その器がキミだよ。キミを放っておいて、鏡子はいちはやく遺伝子の闘いから降りた。一生かけて闘うのはイヤだとね。誰も選ばず、誰とも子をもうけなかった。ボクはどちらの選択も愚かの極みだと思うがね」

 「俺はなにも知らない! 親父の顔だってわからないし、俺は生まれた時からいままでずっと……六鳥涼斗だ!」

 網傘は遥花とフルルを見て、首を捻った。

 「ふむ、確かにその可能性も僅かながら残るか。津名山にしてはこれまでの経過があまりにもお粗末だ。ということは――」

 網傘は首をもたげて唸った。

 「キミは記憶遺伝子なくして社会環境だけで、そのすっとぼけた人格を構築していったというワケか。成る程……これは参ったな。その可能性を考えていなかった。すべて君が津名山丈であるという前提で動いていたものだから」

 「散々好き勝手なこと言いやがって、俺たちはもう踊らされるのはやめたんだ。やってしまったことを償い、あの島でこれからを考えるさ」

 網傘は興味深げに顎を撫でた。

 「そこなんだよ。そこが津名山と非常にそっくりだ」

 「なにがだ? もういいだろ。俺は疲れたよ、」

 「自分のことしか考えていないだろうがよ! キミは馬鹿なのか? いまさら戻れるわきゃねえだろうがっっ! 八戸部が死んだのも須永が死んだのも井貫遥花がもうすぐ死ぬのもFRRが産まれたのも全部てめえのせいだって言ってんだろうが! 自分は関係ないってツラしてんじゃあねえよおおおおおお!!!!」

 「なに言ってやがる! お前だ。それをしたのはお前じゃないか!」

 「あくまで自分のせいではないと言いたいわけだ。大変だったんだよ、ここまでお膳立てするのは」

 「この状況をつくるためだけにこれまでのことをしたっていうのか?」

 「思いついたのはキミを七八代中学の体育館で見つけたときだけどね。そこから裏切り、失望、復讐を遂げるところまで計算していたんだけど……唯一の誤算はキミが全然津名山らしくないってことなんだ。何度かカマをかけてみたけれど、どうやら本当に記憶は受け継いでいないらしいな」

 「俺は俺だ」

 「まったくあいつにはしてやられたよ。息子であるキミに手が及ばないようによく細工されていた。離婚した自分の妻をミスミの研究員として匿っておくなんてね。灯台もと暗しだ。ただ、あいつもまさかボクがミスミで研究員をやるだなんて夢にも思わなかったみたいだね。それで失敗した。ボクはキミの存在を知ってしまった」

 「DFTDとFRRに自発的に裏切らせるのは勿論、移動したてめえの部屋にカメラやマイク仕掛けたり、松原の私室に侵入する術を教授してやったり、警備厳重なシティのシステムをハッキングしたりなんかもしたんだ。おかげでようやく少しはボクの気持ちもわかったんじゃないか津名山ァ? お前もずいぶん仕込んでくれたよなァ?」

 「俺にお前の言っていることがなにひとつわからない」

 「もうやめて……あなたの言うことが本当だとしても。六鳥涼斗は違う。津名山なんていうヒトじゃないわ。こいつは盆暗よ。浅薄で蒙昧で先がまったく見えていないの。でもここにいる誰よりもヒトらしいヒトよ。優しくて、都合の悪さを受け入れている」

 「ハッ、作られた存在がボクを愚弄するのか。FRR、キミはそこで黙っていなよ。津名山……ボクはお前に負けているところなんてこれっぽっちもないんだ」

 「勝ち負けなんてどうでもいい」

 「」

 「どうしてだ? どうして怒らない? どうして許すことが出来る? 散々味わってきたじゃないか。母親に見捨てられ、幼馴染みの彼女にはスケープゴートにされ、逃がしてやった女にも嘘を吐かれていた。そして最低限の人権を保障するはずの国家はお前をヒトと認めていない。キミは何度裏切られれば懲りるんだ? いい加減目を覚ませ!」

 「腹が空いてたらヒトから奪ってでも食糧が欲しくなるだろう。俺はそれを悪いことだとは思わない。それはヒトらしいって思うんだ。ただ……そんなとき、一方で理性で抑え込んで餓死する人間も出て来るだろう。俺はそれをイイことだとは思わない」

 「そうだ。理性で縛るのがヒトならばそのまま餓死していくだけじゃないか。馬鹿馬鹿しくて涙も出ないよ」

 「ただ……俺はそいつの気持ちがわかっちまうんだ。きっとギリギリまで……死ぬはずはねえって思いながら気づいたら死んでるんだろうなあ」

 「なんだよそれ、キミひとりが割を食うんだぞ! そんなの看過出来るものか!」

 「お前が必死に騒ぎ立てているだけで俺は別に……何とも思っちゃいねえよ。空しいだけだ。少し遠回りしたからって腹を立てることないだろ」

 「そうか……ならばこちらにも考えがある。津名山の息子である涼斗君には不幸だけどね」

 それは網傘が使用していたものだった。

 「見覚えがあるだろ? これ、必ず的に当たるんだぜ?」

 「な……なにをする気だ?」

 「とりあえず復讐を果たしておこうと思ってね。まずは鈴木さんから――」

 

 「おい……てめえ、フルルになにしやがった!」

 

 「こんなボクにもドライヴはある。ヒトのQTインターバルを操ることが出来るんだ。涼斗君にこの意味がわかるかな? 意図的に遺伝性QT延長症候群にすることが可能ということさ」

 「おい、しっかりしろ!」

 「あれ、聞いている? まあ、いいか。お別れの挨拶をするといいよ」

 「お前が作り出したんじゃないのか? どうしてこんなことをする」

 「作り出したのがボクなら壊すのもボクの勝手だろう?」

 「やめろ! もう充分だろ。こいつは関係ないだろ」

 「その方が堪えそうだからさ。ボクはキミが嫌がる顔が見たいんだ。苦痛に歪めたいんだ。そしたら次はキミの番だよ」

 「やめてくれよ……俺にいったいなんの恨みがあるんだよ!」

 「いい加減理解してくれないかな。ボクはキミにはまったく恨みはないんだ。ただ……キミの遺伝子に恨みがある。自ら友人を裏切り、すべてに裏切られた挙げ句死んでいくお友達をそこで指を咥えて見ているがいいさ」

 フルルは歯を剥き出したまま意識を失って倒れ、一点を見つめたままがくがくと全身痙攣を起こした。

 「キミも彼女の後を追うといいよ。あのときと同じ、この場所で、六年越しの殺意がいま実る」

 ばらばらに放り投げたダーツが涼斗を目がけて飛んでいく。

 涼斗には防ぐ手立てはなにもない。叩き落とし、掴み、避けた。

 数が百を超えたとき、そのひとつが彼の胸を射貫いた。

 倒れ伏した涼斗を見て、網傘は満足げに微笑み唾をかけた。

 「さよなら津名山。いや、涼斗君」

 涼斗は活動を停止しようとする身体が震えるのを覚えた。それは痙攣から来るものではなく、怒りから来るものだった。見開かれた瞳を強く閉じた。諦めたのではなく、彼の声を聞こうとしていた。記憶はなかった。けれど彼のなかには確かに誰かが住んでいる。

 天空から降る漆黒の十字架が、記憶世界の中央を貫いた。

 「これは……いったい――」

 その瞬間、息を吹き返した彼は目を見開いて叫んだ。

 「出て来い! いるんだろうが!」

 後頭部から抑揚のない、機械的な音声が響いた。

 『症状はQT間隔の延長。原因遺伝子KCNQ1ドライヴから来る遺伝性QT延長症候群……いわゆるロマノ・ワード症候群です。型はLQT1。トルサード・ド・ポアンツ(捻れた尖端)型の特異的な多型性心室頻拍……極めて危険な悪性不整脈と言えます。適切な治療を行わなければ心臓機能の低下によりアダムス・ストークス発作や心室細動になり、突然死を招く可能性があります』


 「御託はやめろ。早く治せ」


 『騒がないでください。可能性があるというだけですから。大抵は数十秒もすれば収まるでしょう。とりあえず処置として交感神経β受容体遮断とカリウムチャンネルの開口をドライヴによって行います。わたしにあなたの身体コントロールを寄越してください』


 涼斗はいつの間にかその言葉が自身の口から零れていることに気づいた。


 津名山はその様子を見て手を叩いて喜んだ。


 「そうか……面白い! 人格の破綻を防ぐために記憶を残すのではなく、システムを残しておいたワケだ。それも個々人に干渉して直接遺伝子治療する能力まで……それがお前の切り札か津名山。しかし、残念だが彼女は……鏡子は間に合わなかったな!」


 涼斗は痙攣したままの彼女を見た。

 「俺はもういいんだ。フルルはいつ治るんだよ」

 『残念ながら次のフェイズに移行したようです』

 「ざけんな! こいつが助からなかったらどうなるかわかってんのか!」

 『自死は推奨できません。落ち着いてください。遺伝子治療は最早意味がありません。鼓動を元に戻すことが最優先事項です。二相性にしても百五十ジュールもの生体電流を作り出すことは生物には不可能ですのでAEDを探してください。一分経つごとに死亡確率が十パーセント上がりますのでかけられる時間は多くても五分です』

 AEDか……涼斗は数秒でその在処を思いだした。たしか体育館の入り口玄関にあったはずだ。

 「ここから出るにはどうすればいい?」

 『情報共有を強制解除した場合、ドライヴによる攻撃から無防備になりますがそれでもよろしいですか?』

 「早くしろ!」

 悪い夢から覚めるように、元の倉庫裏へと戻ってきた。網傘は涼斗の前に立った。

 「どこへ行くんだい? まだボクらの勝負はついちゃいないよ。かかってこい津名山!」

 「どけ……時間がない」

 網傘は薄ら笑いを浮かべながら先を譲った。

 倉庫の裏から中庭に踊り出せば、既に一個人を包囲するのには信じられない程の人数の警官が覆い尽くしていた。恐らく遺伝子汚染を警戒してのことなのだろう。皆防護服を身に纏い、刺又や拳銃を構えている。

 拡声器を使い、再三抵抗を止めて素直に逮捕されるように呼びかけている。そのなかには涼斗の母親の姿も見えた。

 網傘は再び涼斗の前に回り込んだ。

 「一分経ったなあ残り四分だ。悪いが既に周囲を固めさせてもらったよ。逃げ場はない。それに……キミがここからいなくなったなら、今度はそっちの彼女が危険だと思うんだ」

 倒れている遥花を指差した。

 「五つ数えるうちに謝らなければお前を殺す! 五!」

 「いいのかい。これだけのヒトの目の前でボクに危害を加えればキミはヒトとして裁きを受けることになるんだよ? ゲノムドライヴは一般に知れ渡ってはいないし、これからも隠匿されるべき事実だからね」

 涼斗は拳を強く握り込んだ。

 「四!」

 『インシュリン様成長因子を使いますか?』『ああ』

 「三!」

 「くっくっく……凄いよ! ドライヴによって自身をデザインすることも出来るのか……気にいらない。気にいらないねえ!」

 『トレーニングを受ければさらに筋力向上が望めますが?』『そんな時間はない』

 「二!」

 網傘は狼狽して言った。

 「なんでもひとりで持って行きやがる! 奪い、完全に叩き潰したと思えば『そんなもん』完成させやがって! ふざけんじゃねえ! ボクは認めないぞ! 天才はボクひとりでいい!」

 「一!」

 「うるさい! お前は日陰で唸っているのがお似合い!」

 「零!」

 「黙れ! お前はネズミと戯れているのがお似合い!」

 「栄一ィィィィ!!!」

 拳でその心臓を打ちつけた。胸骨が折れ、彼の心臓は停止した。

 網傘の目には、あの日の津名山が映っていた。それは交差した記憶が見せた幻のような男。

 「俺を笑うな……俺を……津名山」


 「俺は津名山じゃねえ。六鳥涼斗だ」


 振りかぶった涼斗の拳が、網傘の顎を砕いた。

 群れを蹴散らし、空を駈けるように飛ぶ涼斗を食い入るように見つめながら、霞む景色のなかで網傘はもごもごと言葉にならぬ言葉を呟いた。

 「またお前はボクを殺したな。たしかに受け取ったよ……ヒトがヒトのためにヒトを殺すというおよそ理解の出来ない遺伝子の疾患をね。本当はもう、終わらせたかったんだ。どこを見回したってお前ほどの優れたライバルはいなかったよ。ま……ボクには劣るがね。ヒトとして残ればいいさ。待っているのは地獄だ。ヒト科亜種は遺伝子至上主義だ。ひとたびドライヴすれば誰もが自己利益の最大値だけを求め、行動するようになる。旧種のヒトを引き摺る奴らはすべて駆逐される。でもその日が来るまでは――」

 刺又で突かれ、ポリカーボネート製の盾で押し込まれ、警棒で殴られても尚……彼は膝を崩すことなく、群れに躍りかかり、獣のような咆吼をあげた。

 「どけ、死んじまうだろ! あいつが! 心臓が止まっているんだ! こんなのってねえだろ! 誰も幸せになれやしないなんて! 誰か、誰か助けてやってくれ! 頼むから、頼む――」

 やがて声は怒号に掻き消され、折り重なるようなヒトの重圧に彼の姿は見えなくなった。

 網傘は血を噴くと、掌に受け入れた美しく滴るそれを見て満足げに笑った。


 「遺伝子の闘いを否定したお前は……せめてヒトとして裁きを受けるんだな」

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