姉妹喧嘩決着
七月三日月曜日快晴、四十木の空を火を噴くドラゴンのような雲がゆっくりと流れている。志治はボーッと窓際の席からそれを眺めていた。
期末テスト一時限目の科目は科学だった。まえに座るゲームで徹夜してやったぜと豪語したゲーマーも、うしろに座る予習復習が大好物のガリ勉も、隣の席で化学式を見つめてぶつぶつと呟いている痩せぎすの女子も、彼から言わせればいまさら見苦しい。座して死ねといったところだ。
志治は堂々としたものだった。最初から全科目捨てている彼にとって、期末テストなどは単なる通過儀礼に過ぎない。勉強するよりか、働いて銭を得ることの方が彼にとっては直近の課題であったからだ。
彼はゆっくりと流れゆくドラゴンを見て空想した。
もし、いま、地球で一番強く願ったヤツの願いが、あの奇妙な雲のパワーで叶うとしたら、俺が誰よりナンバーワン祈って、滝のように隕石を降らしてやるのになどと考え、目を閉じて強く念じた。
(来い……隕石来やがれ! くだらねえテストぶっ潰して点数とか序列とか頭の出来とかワケわかんなくしろ!)
祈りを終えて目を開くと、間近の窓の外にヒトが立っていた。
「よう、志治。イイ年こいて勉強なんかしてんじゃねえよ」
「隕石……の代わり?」
窓を開けてクラスに侵入した涼斗は薄気味悪い物を見たような顔でため息を吐いた。
「もう呆けちまったのか、笑えねえよ」
どこかで見たような顔が並んで彼を指差していた。
「あ……あいつ六鳥だ! ビョーキの!」
脳味噌筋肉の佐藤だった。
「まさかここまで逃げてきたの?」
誰もやりたがらない学級委員長を一年間勤め上げた鈴木だった。
涼斗は懐かしの面々を見て舌打ちする。
「散々な言われようだな。俺もずいぶん有名人になっちまったもんだ」
志治がいった。
「なにやってんだお前早く逃げろよ! こんなところにいたら捕まるぞ!」
学生は参考書から顔を上げた順に飛び跳ねるようにクラスの隅々に逃げ散らばった。
「見てみろこの有様を。志治よ、俺はもう捕まってもいいんだ。わかったんだよ、ここに俺の居場所はねえ。俺は帰るよ。ただ……その前にどうしてもやらなきゃいけねえことがあるんだ。遥花はどこだ?」
「隣のクラスだよ……なんだ。お前まさか最後にイッパツ――」
志治の肉付きのよい腹に軽めのボディブローを入れた。空気が漏れるような音がした。
「ゲフゥッ! なにしやがる!」
「いいから早く連れてけよ、時間がないんだ」
「でも……もうテストはじまるぞ」
涼斗は黒板を確認した。
「化学ならお前が気にする必要ないだろ。受けても受けなくても赤点よ」
「うるせえほっとけ!」
「安心しろ、すぐさまそれどこじゃなくなる。俺が知っているなかで一等おっかない女子がさっき校門を通った。早くしないと手遅れになる」
「意味がわかんねえよ」
「いいから来い」
視線を一身に浴びながら教室を出て、隣のクラスを指した。
「さあ、とにかく呼び出せ!」
志治は躊躇っていたが、項垂れるように頭を垂れて鼻を掻くと、そこでもまた違った意味での視線を集めながら遥花を呼び出した。
教室の誰もが告白のタイミングを間違えた哀れな男と志治を断じていた様子を、涼斗は満足げに後ろで見守っていた。
遥花は友人のからかいを真に受けて顔を真っ赤にしながら早歩きでやって来た。
「何の用? 誤解されちゃうからやめてくれないかな。マジで迷惑なんだけど」
「こっちの台詞だわボケが! スカしてんじゃねえぞこのクソ――」
激昂する志治を引き剥がし、涼斗は成る丈快活に声をかけた。
「よう、遥花! 元気か?」
「りょ……涼ちゃん。どうしてこんなところに……まだ捕まっていなかったの?」
遥花は複雑な表情を浮かべて、少しだけ笑った。
「おかげさまで」と答えると、涼斗は強引に彼女の手を引いた。
「痛い……ちょっと何するの?」
志治が肩に手をかけた。
「どこ行くんだ六鳥ィ!」
「志治、お前は仲のイイ奴だけ連れて逃げろ。青春を棒に振るぞ! 人生真っ暗にされるぞ!」
「はあ?」
涼斗は非常階段に向かって、強引に遥花を引っ張っていった。
「涼ちゃんやめてってば、これからテストなの! 先生がすぐに来るんだから! 離してってば!」
助けに来た王子に向かってぎゃあぎゃあと口汚く罵る姫を見て、ロマンチックの欠片もないなと涼斗は思った。
「ねえ、どういうことか説明してよ! あの日ずっと待っていたんだよ私! いまさら……何しに来たの!」
「いいから俺についてこい!」
「説明がなきゃイヤだ!」
好奇心にかられた学生が教室から顔を出し、刺激を見たこともない誰かと共有するべく一斉に携帯電話を向けた。はじめ顔だけ飛び出した学生の先から次々と手が伸びて、最早隠れることもせずに堂々とこちらを撮影するべく並び作った壁の、すぐ後ろからフルルが顔をぴょこんと出した。
「ほれ見ろ、あーあ! あーあ! 来ちまったじゃねえか!」
肉の壁をゆっくりと、しかし強引に掻き分け、優雅にドレスをたなびかせて柔和に微笑む彼女の姿は……制服のさばる学舎には不釣り合いだが人の目を惹くだけ惹いた。
「どっから調達して来たんだよ……あのドレス!」
遥花は悟ったように呟いた。
「そう、来たの。遅かったじゃない」
「やっと会えたわね」
彼女は続けてぱくぱく口を動かしたが、後ろの生徒達の声に掻き消されてしまった。
「誰だあいつ……結構可愛いな」
「それにすげえドレス着てるよ……結婚式から逃げてきたのかな?」
「追ってきたのがあの男かよ。あいつらどこかで見たことあるな」
「だからホレ、あの六鳥だって!」
解答はすぐに出た。わっと盛り上がる。
「あいつらそうだ。ビョーキの二人だ」
その一言が不味かった。
「うるっさいわね、死ね! 人生持ち崩せ!」
フルルは視線に応えるように振り返り、顔を伏せて二の腕を掴むと、まるでヴァイオリンを弾き鳴らすように引っ掻いて悲鳴をあげた。
それは協奏曲のはじまりの合図だった。見もせず、聞きもしないヒトがそれをもし確認出来たなら……例えば動画や何かで見たとするならそれほど滑稽な絵もなかった。
独りで叫ぶ少女にあわせて、誰もが膝を突いて震えだし青ざめた顔を確認するようにごしごしと撫で回し、正気を失って笑い、泣き、狂った。
遅れて馳せ参じた憐れな教師連中は何も状況を把握できないままかけた眼鏡がひしゃげるほどこめかみを抑えてむせび泣いた。
FRRがどれくらいの効果範囲を持つのか知らないが、どうやら涼斗は領域の外にいた。彼は粘状に広がる緑色の幌のような物が生徒に覆い被さるのを見た。それは幼子が叩きつけるような激した感情ではなく、もっと深く染み込むような絶望に満ちていた。
「くそう……涙がとまらねえ。このままじゃ引きずり込まれる」
涼斗は涙を流しながらも目はじっと閉じて、胸のなかにわだかまる後ろ暗い感情や、衝動的にやってくる破滅願望を打ち払った。彼にFRRはまったく効かないワケではなかった。けれどあの世界を見たとき、あれが彼女が作り出した世界だと悟ったとき、彼は負けてやるのをやめたのだ。
耳を塞ぐように遥花の顔を抱きすくめると、優しく耳元で囁いた。
「ここにいちゃダメだ」
彼女は胸のなかで大人しく頷いた。
非常口を開けると赤錆の噴いた階段を滑るように降りていき、裏庭に回る。校舎に沿うように小石が敷き詰められ、段差に区切られてところどころ土が露出した芝生は駐車場になっている。その隅、色あせたバスケットゴールから倉庫の裏に回る。
校舎の様子を窺いつつ、追ってきていないことを確認すると、涼斗はようやく遥花の手を離した。
「俺はお前にどうしても聞かなきゃいけないことがある。わかるな?」
彼女は俯いたまま頷かなかった。
「公園で待ち合わせたあのとき……俺の居場所をミスミに伝えたのはお前か?」
「なにを言っているの。わからないよ――」
遥花は泣きはじめた。顔を覆って、大袈裟に、訴えかけるように泣いた。終わるまで黙っていようと思った。
「どうして……出て来ちゃったの?」
「え?」
顔を上げれば、彼女はもう泣いていない。代わりに子供が犯した些細なミスを咎めるような渋面を用意している。
「だって涼ちゃん。ビョーキになったんでしょ。早く病院に戻らないと」
「納得したら戻るさ。自分が本当にビョーキなのかもわからないけどな」
「どうして嘘を吐いたの。留学するなんて言って遥花の前からいなくなって……遥花、怖くなっちゃったから――」
「連絡したのか、警察じゃなくてミスミに――」
遥花の瞳孔が開いた。それを彼は肯定と受け取った。
「嘘を吐いたのは傷つけないようにするためだ……でも俺の思い過ごしだったみたいだな。お前は傷ついてなんかいない」
効果を伺うように待ったが、彼女の顔からは何の感情も読み取ることが出来なかった。
涼斗は躊躇いつつ続けた。
「何故なら……お前がヒトの運命を書き換えた犯人だからだ。ゲノムドライヴを使ってな」
否定すると思っていたのは涼斗の単なる願望だった。彼は彼女に否定して欲しかったのだと、そのとき気づいた。
「ゲノムドライヴ……ってなあに?」
「知らないのか? コミュニケーションを取ることで相手に遺伝子疾患を起こす力だ」
「知らない……でもね、涼ちゃんをあそこへ送ったのは遥花だよ」
涼斗は未だ信じられない気持ちで遥花を見つめた。
「遥花。俺は――」
遥花は右手を突き出すと左手で脇を抱え、やがて堪えきれなくなり狂ったように笑い出した。
「クックッ……アハハ……アーーーーーーッハッハッハ! 凄いじゃない涼ちゃん! そこまでわかっているのならもう隠す必要もないね。怖かったの。今年からはじまったあのクソ忌々しいテストのせいでずっと隠していたビョーキがバレるのが。怖くて怖くて怖くて――」
「テストを主導しているのはミスミじゃないか。お前の親父の力で揉み消しゃよかったんだ」
「そんなの何遍も頼んだ! でもダメだったの! 国が絡んだ連携事業だからって……面倒な事件が持ち上がって、隠し通すことは難しいって言われて。そして……実際にバレた。でもね、そんなとき代わりのヒトが見つかったって……それが涼ちゃん。あなただったの。だからわたし喜んだわ。本当に嬉しくて嬉しくてたまらなかったの。普通に学校通えるって、フツーの学生でいられるって!」
居直った彼女は悪意の塊のような醜悪な顔をしていた。
「凹むよ、俺はもうお前を信じることができそうもねえや」
涼斗の目がぴくぴくと動いた。それが涙を堪える時に出る癖だということを遥花は知っていた。
彼女は手を組み、瞳を潤ませて懇願するようなポーズを見せた。
「どうして、どうしてなの? わたしは涼ちゃんの顔も性格も考え方も出自も将来も大嫌いだけど、あなたの遺伝子は大好きよ。わたしの代わりになってくれたから」
「身代わりにちょうどよかっただけだろ。XXXXの発覚を……俺に全部なすりつけるために――」
「問題あるかな。二人が共存共栄していくために最良の選択肢だと思うけど。あなたにはわたしの……井貫が所有する財産のすべてを与える代わりに、ゲノムシティでくだらない検査に付き合う。もし帰って来られたら二人で家庭を築くのよ。子供は二人、息子と娘、犬と猫も一匹ずつ飼うの。どれもとびっきりのデザインを施して。どう、楽しみでしょ?」
「その夢にはひとっつも俺が入ってねえ。全部……お前がお前のために考えたことじゃねえか」
「あなたのことを考えているからこそよ。平穏で暖かい家庭を築くためには互いの役割をキチンと果たさないといけないわ。夫は家を守り、妻は子を育てる。何かおかしい?」
「おかしいことだらけじゃねえか。ゲノムテストは一回こっきりじゃない。次また高校卒業時にでも、二十歳の成人式でも、会社の入社式でもテストが行われたとき、お前はどうやって身代わりを見つけるつもりだったんだ。俺やお前の姉ちゃんがいなくなって、増殖する遺伝子疾患の原因をシティはどこに求めりゃいい? いずれバレることだったんだよ。それとも……また新しい誰かを犠牲にするのか?」
「遺伝子疾患の原因? さっきからなにを言っているの?」
遥花は心底つまらないという風に三日月型の眉をハの字に寄せ、下唇を少し噛んだ。
「そんなの知らない。勘違いしないで欲しいんだけど、遥花だって誰でもいいわけじゃないんだから。遥花は涼ちゃんが好きなの、だから他が全部許せなくても、許せちゃう。遥花は涼ちゃんとだったら結婚してもいいと思っていたし、お父様に会わせようとしたのもそのためよ」
「俺の意志はどうなる?」
遥花は再び狂ったように笑い出した。
「アハハ、ヒトに意志なんてはじめからないよ。あると信じているだけだって。こういう考え方があるの知っているかな。ヒトはね、遺伝子の容れ物に過ぎないっていうハナシ。ヒトが……つまり脳が命令を下しているんじゃなくて、遺伝子が自分の保存するためだけに取っている行動だということ、つまり魂や意識の前にまず遺伝子が行動を縛るっていう発想なの」
「誰に吹き込まれたんだか知らねえが、くっだらねえな!」
「遥花は本当のことだと思う……ううん、そう思いたいの。頭の良さも運動神経も……寿命もなにからなにまで決まっていたらさ、最初から諦めがつくし文句も言えないでしょ。遺伝子は誰よりも残酷なの、逆らったら痛い目を見るわ。諦めなきゃ明日を! そして、いまを生きることだけを考えるの!」
遥花は荒々しい息を吐いていたが、胸に手を当てて自身を落ち着けると涼斗の肩をぽんぽんと叩いた。
「だから涼ちゃんには無理だって」
「なにが無理なんだ」
「遥花を憎めないってこと……こうして逃がしてくれたのもそうなんでしょ。恥ずかしがらなくてもいいから正直になって。涼ちゃんは遥花のことが大好きなんでしょ? 愛しているんでしょ? 一目惚れしたんでしょ? きっとはじめて会ったときに感じたはずなの。頭や心、器で理解できなくても涼ちゃんの遺伝子は遥花と交わることを望んでいるの。遥花はね、遺伝子の考え方をセンセイから授かったときにわかったの。涼ちゃんの遺伝子は紛れもなく特別だって。それと交わってはじめて遥花は新しい遥花になって、新しい領域へと増殖していくのよ」
「遥花遥花遥花……って、呆れ果てた増上慢ね、必定万死に値するわ」
倉庫の影からため息とともにフルルがぬるりと顔を出した。
「あら、お姉様。ご機嫌いかが?」
フルルは身体を半身だけ出したまま、血走らせた目でこちらを睨みつけている。いからせた肩で荒い息をし、けれど口元は笑っていた。
「あっさりと見つかっちまったな……あいつらはどうした?」
「うるさいヤツは片っ端からFRRをかけてやったわ。わたしの通った跡はさながら阿鼻叫喚地獄絵図、もう期末考査どころじゃないわね」
校舎の方は妙に静かで、何の音も聞こえてこない。
「もう……どうなっちまってもいいってことか」
「そういうこと、邪魔しないでね。未来の旦那様といえど今度は手加減しないわよ……本当に出来ないんだからね」
「え、どういうこと涼ちゃん? 旦那様って……え? 浮気したの?」
「え、ていうかあんたたち付き合っていたの?」
「そういった話は全部片づけてからカフェでチョコラテでも飲みながら話そうぜ。俺が奢るからよ」
遥花を背に回し涼斗は訊ねた。
「お前も七八代に通っていたのか?」
「通いたかった……というのが正解ね。高校一年生の春にはシティに連れて行かれたから。本当なら高校三年生の夏を迎えている頃ね。もうひとりのわたしがどんな暮らしをしていたのか……未だに思いを馳せる時があるわ。あの頃のわたしは何も知らなくて、何も出来なかった。毎日泣いて……でもそんな毎日が……この愛しい感情を絶やさぬ力になった」
フルルは眼光鋭く睨みつけた。
「軛は外れたわ。憂鬱で陰惨で……死にたくなるほどの孤独をあなたにあげる」
「どいて涼ちゃん、邪魔だから」
遥花は涼斗を押しのけて前へ躍り出た。
「逃げないの? 殊勝なことね」
「逃げるのはあんたの方でしょ。警察に捕まればただじゃ済まないんだから」
「もうそんなことは問題じゃないの。ここまで騒ぎを大きくしてしまったら。いずれにしろわたしや、彼はおしまいだからね」
遥花は忌々しげに歯ぎしりした。
「隔離施設で燻っていればよかったのに……ブロイラーが知恵をつけたら堪らないわ!」
涼斗はひとり立ちすくんでいた。あれほど可愛らしかった遥花と、あれほど美しかったフルルがいまや別人のような顔で罵りあっている。血縁を憎むということの恐ろしさを彼は味わっていた。
「なんて最高な気分なのかしら。出来の悪い妹に鉄槌をくらわせることが叶うのだから!」
遥花はわざと響き渡るように高笑いをした。
「妹だなんて……捨てられたクセに生意気よ佳奈ちゃん」
「わたしは捨てられてなんかない! あんたよ……全部が全部あんたのせいよ!!!」
涼斗は二人のあいだに立った。汗で濡れたシャツに背がひっついている。どうすれば解決するのかと、考えあぐねてとにかく大きな声で会話を遮った。
「ちょ、ちょっと待てって! ま……まだ俺が話してんだからよ。いいだろ少しくらい」
興ざめといった様子の二人の視線を浴びながら涼斗は交互にお伺いを立てながら懸命に捲し立てた。
「おい、遥花。そんなんでかわそうったってそうはいかねえぞ。俺はなあ、別に怒っちゃいねえんだ。たださ、まったく意味がわかんねえんだ。だって結婚するなんていわれてもさ、俺がいうのもなんだけど俺たち互いに……愛がねえじゃねえか」
「愛があるのは遺伝子のおかげよ、遥花も涼ちゃんも猫もインコもライオンも、すべて遺伝子を残すために――」
「はいはい、もういいでしょう。だらだらと幕引きを伸ばすミュージカルは好きでないの」
このままじゃ危ない。反射的に涼斗は遥花を後ろへ突き飛ばした。
「逃げろ……遥花!」
「どうして、どうしてその子の味方するのよ!」
髪の毛を振り乱していきり立つ彼女を宥めるにはどうすればいいのかと、涼斗は必死に頭を回転させた。
「違うからだ。こいつは俺たちをシティに叩き込んだ犯人じゃない!」
「ハア?」
「いや、言い直すよ。こいつだけが犯人というワケじゃない。何しろ……こいつはただの人間だからだ」
「わたしだってあんただって人間だったじゃない!!! つい最近まで、当たり前のことだったわ!」
「違う……俺は……俺は遥花の領域に入ったことがないんだ! 俺は遥花のドライヴに心当たりがない!」
「誰もが招待されるワケじゃないのかもしれないでしょ? 何せまだわからないことだらけなんだから」
冷静な口調の端々にほとばしるほどの殺意を覚える。振り返り見れば、遥花はふて腐れたように空を見上げていた。
「で……でもよ。身体に異変があれば気づくだろ。それにこいつひとりじゃできないことが多すぎるんだ。まずゲノムテストの改竄は誰がやったんだ?」
「そんなものミスミの下っ端に頼んだに決まっているわ」
「その通りよお姉様。ミスミのヒトに頼んだの」
涼斗は二の句が継げなかった。あまりにも多くの手札がありながら、彼の思考力ではそこまで辿り着くことができない。彼の頭にあるのはただ、何かが圧倒的に間違っているというあやふやな結論だけだった。
収斂していく景色に涼斗は目眩を覚えた。赤金色の空、ひび割れ枯れ果てた大地。唯一違うのは手術台がぽつんと置かれていることだった。そこに寝かされている少女の顔は遥花にもフルルにも見える。
「な、なによ……ココ……どうなっているの?」
狼狽える遥花を見て、涼斗は確信した。
「遥花、お前はなにを怖がっているんだ?」
「やめて……わたしに近づかないで……もうやめて!」
実態を伴わない黒々とした獣が遥花の両腕からずるりと生まれ落ちた。それはグルルと唸りながらじゅくじゅくと腫れ上がった身体からマグマのような血を噴き出している。
「なんだそれは――」
「もう知らない! ヤルなら死ぬ気で来なさいよ……これがわたしのビョーキ。この癌はヒトに感染するの。動物由来の解明されていない癌だから罹患したら助からないわよ!」
「遥花……お前はゲノムドライヴが使えるんじゃなかったのか? フルルと、俺の遺伝子を弄くったんじゃないのか?」
「わからない! 涼ちゃんがさっきから何をいっているのか全然わからない!」
「あんたも化け物飼っていたのね……本当嫌なところばかり似ているんだから」
フルルは取り出したハサミを構えつつも明らかに動揺していた。
「いったいどういうことだ」
涼斗は頭を振った。
話が違う。誰もが自分が得た情報だけで推測を推し進めて一向に耳を貸そうとしないからこういうことになるんだ。
いや、それは自分も同じだと彼は認めた。弱り切った松原の寂しげな顔が思い起こされた。
なにもわからないからこそ、未知の現象と正面切って対峙しなくてはならないからこそ、俺たちは不安で押し潰されそうになりながらも……こうして他者を傷つけることに躍起になっている。
冷静になれない状況こそ、冷静になることが肝要だ。
涼斗は傍らの手術台に寝かされた彼女たちを見て、これまで見知った情報を整理するためにゆっくりと目を閉じた。
元々ゲノムドライヴという他者のゲノムを勝手にデザイン(変異)、ドライヴ(発現)させるという遺伝子が存在するという話だった。
四十木市で頻発している意図しないデザイン、もしくはドライヴの患者の増加を受けてシティはゲノムドライヴという未知の存在を認め、犯人を捜し始めた。
遥花は過去に一度、姉であるフルルのFRRを目覚めさせ……姉であるフルルをシティに送り込んだ。それは遥花の言動からしても、フルルが自分の代わりに行ったということは理解しているし、フルルもそう理解しているからこそ遥花を憎んでいる。
そしてさらに二年後のゲノムテスト、自分が癌であるということを知り、シティ行きを免れるために俺を差し出して自身はテスト結果を改竄して逃れた。
そもそもゲノムドライヴというのは存在するのか。もし存在しないのならこの姉妹喧嘩のそもそもの原因である姉のFRRは、遥花の癌は誰が仕込んだのか。
そして……誰がゲノムテストの結果を交換、もしくは改竄したのか――。
そこは考えてもわからない。そもそもどうして俺なんだ。俺がどうして選ばれた。
『二人が共存共栄するために仕方なかった』
と遥花はさっきいっていた。
情報が足りない……しかし、確実なことは協力者がいるはずだ。
いったい誰から仕掛けられているのか涼斗にはわからなかったが、やるべきことはひとつ。
まずはこの姉妹喧嘩を止めるということ――。
涼斗はいま、はっきりと目を見開いた。
「ダメ……ダメよ!」
遥花が抱え込むようにして押さえつけていた赤黒い獣が、隙間を縫うようにずるりと落ちた。針金のような毛を逆立てたそれが次々と二人に襲いかかる。
「何よコレ……何なのいったい!!!」
フルルが飛びかかる獰猛な獣を挟みで貫き、切り裂き、なぎ倒す。
涼斗は力の限り叫んだ。
「遥花、お前は俺やフルルにドライヴを仕込んだワケじゃないんだな!」
遥花は暴れ回る獣を押さえながら答えた。
「そんなの知らない! ただ……ビョーキがバレたら学校行けなくなるってミスミのヒトに言われたの。だから代役を立てようって」
「誰がそんなことを?」
遥花は次から次へと生まれ来る獰猛な獣は互いに囓りあい、膨れ、弾けている。
フルルが挟みを構えたままいった。
「あいつに決まっているじゃない! あの屑の仕業でしょうよ! あいつははじめから全て知っていたんだわ!」
「お爺さまをそんな風に呼ばないで!」
「そんなに弄くり倒されてまだアイツをお爺さまだなんて……可哀想なコね。あんただって明日はどうなるかわからないわよ」
「ちょっと待て! 遥花……お前、爺さんにそんなことを吹き込まれたのか? お前のそのビョーキは……どうやって発現したんだ」
「これは生まれつきだよ」
「フルル……お前はどうなんだ?」
「わたしもそうよ。ゲノムドライヴなんてあるかどうか知らない。でもね、こいつのせいでわたしが全てを失ったのは事実よ。こいつがあの爺にバラさなければいまごろわたしだってその制服着ていたんだから!」
フルルは遥花を指差して叫んだ。
「こいつはっっ! わたしを怪我させて! FRRを発現させるために! あの日、自分が助かるために!」
「何をいうの、それは偶然よ」
涼斗は頭を掻いた。
「なるほど、それでバレちまったのか」
「発覚してからは遺伝子発現の仕組みを解明するためだって言って……研究員とあの屑はわたしにストレステストを毎晩毎晩……でもね、皆死んだわ。わたしが追い込んだのよ!! 全部わたしのせいなんだわ!」
「だったら……フルル、お前が憎む相手は違うだろ! XXXX遺伝子を仕込んだヤツじゃないか! 元々ゲノムドライヴなんてなかった!」
「そんなことはじめから気づいていたわよ。でもこの子が自分が助かるためにわたしたちを犠牲にした事実は変わらないわ。もうあなたは帰って。家の話に割り込むと後悔するわよ!」
「もうやめようぜ。被害者同士で憎み合ってどうすんだよ」
「もちろんミスミの人間もただじゃおかないわ。何年かけても潰してやるんだから。その前に跡継ぎを殺しておいて損はないでしょう?」
「お前だってミスミの人間だし……跡継ぎじゃないか」
「わたしは養子よ」
「えっ?」
「だから……わかるでしょ?」
遥花の腕から飛び出た黒獣が一匹、涼斗の元へ駆けてきた。彼はそれを首筋を掬い掴むように取った。顔の潰れた黒獣がわずかに残る牙を突き立てようと吠え猛る。
「こいつは――」
研究所のファイルで見た。タスマニアデビルの変わり果てた姿だった。
「DFTD……デビル顔面腫瘍性疾患」
それを放り投げて立ち上がるのに数分もかかっていない。けれど、勝負はついていた。フルルの大挟みが遥花の身体を貫いている。途端に実験施設はガラガラと崩れ落ち、元の用具倉庫裏に戻る。
「さあ……あなたの悲鳴を聞かせて!」
遥花は顔を掻き毟って膝をついた。抱きかかえると顔色青白く、唇を震わせている。
「やめて、やめて、オジイサマやめてやめてやめてやめてオトウサマオトウサマオトウサマオトウサマオトウサマァァァァ」
「しっかりしろ!」
半狂乱に繰り返す遥花を満足げに見下ろすと、フルルはお辞儀をするように小腰を屈めた。ふわりと花弁を水に浮かべたようにドレスが地面に広がった。彼女がそれを真ん中から遠慮無く裂くと、真っ黒な手斧が出て来た。全長は225mm、刃長は70mmと柄も刃もひとまわり小さいが、状況から察する用途を思えばインパクトは充分だった。
「なにする気だ!」
かけた手をフルルは振り払った。
「首を撥ねるのよ。大丈夫、痛みはないわ。この子、もう意識がここにないもの」
「やめろ! お前はシティからもう出られたんだぞ。ここで遥花を殺してどうする?」
「あなたまだそんな甘っちょろいこといっているの? こいつがあなたと私になにをしたか忘れたの? あなたを身代わりにしてあんなところに叩き込んで、わたしからすべてを奪って、自分は悠々自適の暮らしを甘受していたのよ」
「それでも! ここからはじめればいいじゃないか。いつだってやり直せる! ここで傷つけたら……殺したら……もう戻れないぞ!」
「やり直しは利かないわ。この子と違って……わたしたちもう二度と社会復帰出来ないのよ! だったらせめてこの子を殺してスッキリしてからわたしはわたしの残酷な人生をはじめるわ」
「ダメだ。俺と戻るんだ。俺と一緒にあの島で暮らそう」
「それもいいかもしれないと思ったこともある……ただすべてが遅すぎた」
フルルは寂しげに笑った。
「あなたを見ていると……わたしが惨めな気分になるじゃない。やめてよね、これだけ利用されて裏切られて虚仮にされても、昔の彼女を守るためにわたしと闘おうだなんて」
「勝負はついたじゃないか……殺す必要なんてない」
「ダメよ。残念だけど私のFRRじゃとどめはさせないから……」
「血が繋がってなくたって家族じゃないか……たったひとりの妹なんだろ!」
「妄言ごくろうさま。わたしは彼女を許す気はないわ。神聖な領域を侵されて黙っている程わたしの遺伝子は優しくないの。ヒトって愚かよね。自分に都合の悪い選択肢でも……そこに思想が入り込むと歪んで、洗脳されちゃうんだもの」
涼斗はまったく話が通じないことを悟った。彼女らは涼斗とは別の見方で、別の価値観で闘っている。
フルルは斧を振り上げて、もう片方の手で号泣する遥花の頭を撫でた。
「そんなことはやらせない! 誰のためにもならねえからな!」
彼女は斧の切っ先を涼斗に向けた。
「そう、だったら井貫佳奈があなたの相手よ。図太いあなたにはFRRが効かないみたいだからね、これで首を掻き切ってあげる」
「遺伝子の闘いだってんならその人間臭い私怨は捨てろ!」
「あなた何もわかっていないのね。その遺伝子の戦略にわたしは従っているのよ。一度相手から受けた攻撃は必ず返さなくてはならないの。これは全人類が遂行しなければならない義務なのよ。もし好き勝手に傷つけてまわる個体を見逃していたらいつまでたっても集団の利益は確立されないもの」
「他人の幸福まで願ってやるなんて遺伝子っていうのはずいぶんお節介なんだな」
「安心してそれにはあなたも含まれているわよ。誰かが彼女に知らしめてやらなければずっと不幸は続くわ。あなたみたいな無実のヒトが濡れ衣を着せられるのよ。ただ自分が人間として……人生おもしろおかしく過ごすためだけにね」
苦悶の表情を浮かべる遥花を抱いて、彼は強く思った。
助けたい。この憐れな姉妹をどうにかして、ヒトとして生きられず、互いに憎しみあうその元を断ち切りたい。
『遺伝子に
従え』
それは父の手紙としての文字ではなく、言葉として脳内に反響した。
『遺伝子とは何か
それは習慣であり
習性であり
突き詰めれば本能にもなり得る』
「なあ、フルル。答えてくれないか。いったいどうやってこんな力を手に入れたんだ」
「だから生まれつきよ」
「ヒトは……生まれながらにこんな力を携えたりはしない。誰かにやられたんだ」
「誰に? ミスミの研究員? そんな技術があるならいまごろこんな複雑なことになってないわ」
「偶然……かもしれないし、あるいは――」
ここで予期せぬ思考が彼の心中に湧いた。
「復讐……そうだ。復讐、フクシュー」
口にしてみて驚いた。誰が、誰を復讐するというのか。
フルルは笑みを浮かべながら涼斗に手斧を差し出した。
「そうよ、わかっているじゃない。代わりにあなたがコレを使う?」
「こんなもの必要ないわ」
気色を取り戻した遥花がそれを掴んだ。
「ど……どうしてこんなに早く――」
「さあね、大したことないからでしょう? 姉さんの絶望とやらが」
遥花は跳ね起きると、首を鳴らして伸びをした。
「そんなはずない。FRRはあなたのセロトニントランスポーターを完璧に断ち崩したはず」
景色が塗り変わっていた。広い公園……いやそれは庭園だった。巨木にくくりつけられた妹が乗るブランコを、姉が揺らしてやっている。
そのすぐ傍で、黒獣がネズミを食い散らかしている。その臓物は緑を汚し、腐らせた。
「やめて欲しいな。いまとなっては懐かしすぎて……どうしてこんなことになっちゃったのかな――」
右手を突き出すと、肩から黒い瘤のような塊が出て来て、それは形を成し黒い獣となった。
「ばいばいお姉ちゃん。遥花には時間がないの」
涼斗の手があと数ミリというところで空を裂き、数十匹の黒獣がフルルに襲いかかった。
挟みをもたない彼女はそれを右腕でまともに受けた。するとやがて白く細いしなやかな腕はどす黒く変色していき、肉が沸騰するように膨らみ弾けて血を撒いた。
悲鳴はあげなかった。必死に歯を食いしばって堪えている。それが彼女のプライドだった。
「フルル!」
涼斗は駆け寄って腕を見た。酷い有様だった。二の腕の肉が中から隆起している。
「その女に近づかない方がいいわよ。癌が移るから」
フルルは腕の血を押し出すように強く抑えた。
「どうしたの……もっと激しくすればいいわ。苛められれば苛められるほど、わたしは強く絶望を願うことが出来る。この挟みが再びあなたに届いたとき……あなたはわたしの痛みを知るのよ」
「届いたならね。さあ、次は顔行くよ? 一発で膨らしてやるんだから」
「やめろ! お前ら姉妹なんだろ! 何でこんなことする必要があるんだよ」
「たとえ血の繋がった姉妹といえど、遺伝子を共有するのはたかだか二十五パーセント程度。顔だって似ていないし、問題ないでしょ。共食いしているワケじゃないし」
「違う! 違う違う違う! そんなこといってんじゃねえ」
涼斗はフルルの腕を押し抱いた。彼女は悲痛な声で叫ぶ。
「やめて! あなたまで感染するわよ!」
「いや……諦めない。俺が……俺にもし……遺伝子を変異させる……いや、少しでも介入する力があるなら――」
遥花はまとわりつく黒獣を蹴り飛ばしながら言った。
「涼ちゃんはただのヒトよ。遥花の身代わりになってもらっただけ」
「いや違うな。フォルトゥナが……ゲノムシティの所長教えてくれた。元々俺もXXXXだったんだ」
涼斗の手はフルルの破裂と膨張を繰り返し、暴れる細胞を徐々に沈めていく。
「治っていく、どうして?」
フルルは不思議そうに自身の腕を見つめた。
涼斗は元通り綺麗に伸びる白木のような腕をさすりながらいった。
「なんか知らないけどさ……やれる気がしたんだ。まったく、お前らは飛躍しすぎなんだよ。ここは平和の国、愛の星だぜ? 許すってことを覚えろよ、責め立てることばかりが得意なんだから」
「涼ちゃん……心底呆れた。ロクデナシでお人好しなんて」
「そのお人好しがお前を治してやったんだ。いいか、もう喧嘩はやめろ。やるなら俺をやってからにしろ」
「な……なによ。格好つけちゃって、遥花はやるといったらやるんだから!」
涼斗はゆっくりと歩いて遥花に近づくと取り巻く黒獣を引きはがして、彼女を思いっきり平手で打った。
「あっ」と彼女は頬を抑えると、まるでその刺すような痛みを大切にするように何度も擦った。
「どうしていままで相談しなかったんだよ!」
「だ……だって――」
遥花の顔が崩れた。強気な瞳がみるみるうちに曇って、雨を降らしはじめる。ヒトの流す涙には種類がある。それは先程よりか暖かく彼女の頬を濡らした。
「別にお前が誰を好きになろうと、嫌いになろうと、誰を身代わりに選ぼうと、選ぶまいと、俺はハッキリ言ってそんなことはどうだっていい。どうして俺に、一言だっていい、相談してくれなかったんだ!」
「涼ちゃんにはわからないよ! いまはそうやって色々あったから……初めから居場所のないヒトだって世の中にいっぱいいるんだから! 遥花はヒトになりたかったから」
「お前はヒトだろう?」
「ヒトじゃないよ、普通じゃないよ!」
「遺伝子がどうとか……関係ねえよ。ただ……お前が弱かっただけだ。怖かっただけだろ?」
「遥花はモルモットになんかなりたくない。ここであなたたちをどうにかして、あと少しだけでいい! 自分の……ヒトとしての人生を手に入れるの!」
黒獣は嬉しそうにまた彼女の背から這い出てきた。涼斗はその顔を握りつぶした。ぬめぬめとした生肉の感触が手から伝わってきたが、彼は嫌な顔ひとつしなかった。
「他人を蹴散らして手に入れた幸せなんてのは紛い物だ。それこそ真っ当な人間なら、後ろ暗くて生きて行けるワケがねえだろう。昔っからお前は年齢の割にゃ幼くて、臆病で、嫌なことがあったらすぐに逃げだしちまうようなヤツだったけど、今度こそは許さねえ。覚悟しやがれ!」
「ご……ごめんなさい。ごめんなさい涼ちゃん。怒らないで、怒っちゃイヤだ」
涼斗は遥花を座らせるとフルルに向き直り、カンフーアクション俳優のように親指で鼻を弾き、前足を二度切り替えて、ホワァアオウッと叫んだ。
「次はお前の番だな。かかってこいよ!」
フルルは挟みをくるりと回して身構えたが、唇を少し突き出すとそれを投げ捨てた。
「やめたわ。あなたに叩かれたくないもの、痛そうだし……何より……あんた見ていると……凄く馬鹿らしくなってくる」
「喧嘩なんて熱が冷めればそんなもんだろう」
涼斗は倉庫の壁に頭をつけて、足を放り出した。緊張が解け、長い長い息を吐いた。身体中が疲れていた。意識を失いそうになる。
「終わったな。あとは捕まるだけだ」
「なんか……スッキリしたわ。ストレスが溜まっていたのね」
「お前のFRRはさ、治らないかも知れないけど……もっと……素晴らしいものにすることは出来るはずだ」
「どうやって?」
「歌を歌えよ。お前の声、よかったよ。心が洗われた」
フルルは顔を真っ赤にして目を伏せた。
涼斗は笑みを零すと、すやすやと寝息を立てる遥花を見つめた。
「お前の妹……駄目なヤツだけどさ。しっかり見守ってやれよ」
「起きたら目一杯殴ってやるわ」
顔を見あわせて笑顔を交わした。
別に悪かない。どこの島だって、国だって、世界だって、ひとりじゃなければ、仲間がいれば――。




