統計学(ショート・ショート風短編/社会風刺)
「授業を始めます」
数学講師は一般教養講座に集まった学生を前に宣言した。
講堂を埋めているのは、理工学部情報工学科の学生だった。
「今日の講義は統計学です」
ほとんどの学生は興味なさそうで、俯いていた。
机の下でスマホを操作しているのだろう。
「日本に愛犬家は何人いると思いますか?」
中段右端に座る女子学生は彼を二度見をした。
数学とは思えない質問に違和感を感じたようだ。
他の女子学生も興味を持ったようだ。
この情報工学科は理工学部の中でも女子が多い学科である。
数学講師は笑みがこぼれるのを必死で我慢した。
予想通りだった。
今回の講義が彼が講師になって三回目で、
前回の講義は手応えがなく、学生に興味を持ってもらえなかった。
それで今日は講義のツカミを考えてきた。
この質問はちょっと過激かなと思ったが、他にいい案が浮かばなかった。
一番前の中央に座る男子学生が手を上げ、答えた。
「日本人の約30%が愛犬家だとすると、
3900万人くらいだと思います」
「そんなことないと思います。
犬好きの人はもっと多いはずです。少なくても50%います」
後ろの女子学生が発言した。
「子供とか老人は犬を飼えないだろう。だから30%と見積もったんだ」
「犬好きに子供も老人に関係ないわよ」
「私はもっと多いと思います。60%以上になると思います」
今度は左側の女性が発言した。
学生たちの活発な発言を誘うことができ、講師は笑みをこぼした。
「どういうデータに基づいるんですか?国勢調査とかですか?」
眼鏡をかけた男子学生が発言した。
「地方自治体の保健所のデータです」
「保健所なら狂犬病の予防接種の情報があるから、
日本で犬が何匹飼われているか分かりますね」
眼鏡の学生が答えた。
「しかし、問題があります。
犬を飼っている世帯全員が犬好きかどうか分かりません」
中央の男子学生が発言した。
「そだな」、「そうよね」
学生たちは隣同士で言い合った。
数学講師は議論が熟したと判断した。
「3万人以下というのが、答えです」
学生たちはざわついた。
「3万人以下ですか?なぜですか?」
眼鏡の学生が質問した。
「保健所で殺処分される犬は3万匹を超えます。
3万匹の犬を助けられないということは、
愛犬家は3万人もいないということです」
「そんなことないです。
犬を可愛がっている人はたくさんいます」
左側の女子学生が発言した。
「その人たちは自分が飼っている犬が好きで、
一般的な犬が好きとはいえないということです。
私も犬は好きですが、愛犬家という自信はありません。
今後、殺処分される犬がいなくなって、愛犬が増えるのを望みます」
学生たちはこの話の衝撃が強すぎて、後の講義が耳に入らなかった。