卒業と恋愛「嘘と幼なじみと本当の事」@もり
「ご、ごめん!」
「……いえ、お粗末さまでした」
慌てた私が勢いよく閉めた洗面所のドアの向こうで、微かに笑いを含んだ祐君の返事が聞こえた。
なんで鍵かけてないかなあ、もう。
しかも、笑ってるし。
そりゃ向こうは余裕か……。今をときめく実力派イケメン俳優だもんね。
見られたって恥ずかしいどころか、むしろ立派な……立派な……モノをバッチリ見ちゃいました。
ファンの皆様、ごめんなさい。
ちょっと得したような気もしながら、複雑な心境で二階へ上がる。
そもそも、なんでこんな状況になったかと言うと、それは三日前から始まった。
* * *
「え? 祐君がうちに?」
「そう。明日からお母さん、祐君のお母さんが商店街の福引で当てたハワイ旅行に一緒に行くでしょ? でも、一週間もこの家に一人で美咲を残して行くのは心配だったのよ。最近は何かと物騒だし。それで、祐君にお願いしたの」
「ちょっと待って。祐君って今、アメリカじゃないの?」
「映画の撮影は終わったらしくて、昨日から帰って来てるのよ。今晩から泊ってくれるから、和室で寝てもらうわね」
「ええ? 私、一人でも大丈夫だって! 祐君だって疲れてるだろうし……」
「それがね、祐君、二週間ほどお休みらしいんだけど次のドラマの脚本を読んで役作りするんですって。でも、面倒を見る人がいないと集中しちゃって何日もご飯抜いちゃうからって、祐君のお母さんも心配しているのよ。だから美咲に朝と夜だけでも、祐君がちゃんとご飯食べてるか見て欲しいって。ご飯は簡単なものでいいからね」
「こ、恋人発覚報道とかされたら?」
「……」
ええ? 何、その残念そうな顔。沈黙だけで私を全否定しないでほしい。
そうして私に精神的ダメージを残し、お母さんはおばさんとハワイに旅立った。
親として、若い男女が一つ屋根の下で暮らすなんて心配にならないのかな。
祐君のお父さんは長期出張中でいないから仕方ないとはいえ、これってどうよ。
でもたぶん、お母さんなりに私の気持ちを紛らわそうとしてくれたのかも知れない。
本当なら明日、四年付き合った彼と結婚式を挙げる予定だったから。
とは言っても、お互い納得した上での別れだったし、三カ月前には式場もキャンセルしたんだけど。
お母さんにすごく心配をかけて、皆にも迷惑をかけてしまったけど、惰性で間違った結婚をするより絶対良かったと思う。
ただ、招待状はまだ送ってなくても、口約束で友達や会社の同僚には出席の返事をもらっていたから、ここの所は気まずい思いもしていた。
そんな時に、幼なじみとはいえイケメン俳優と一週間同居する事になったら、そりゃ、それどころじゃないっていうか……。
大きく溜息を吐きながら、洗濯機のタイマーをセットする。
そこに祐君が開いたドアからひょっこり顔だけ覗かせた。
「ねえ、美咲ちゃん。明日、仕事休みなんだよね? 良かったら一緒にDVD観ない?」
「うん、いいよー。何の映画?」
「リビングの棚にあったやつ。『卒業』」
「ええ? ずいぶん古いね」
「いや?」
「ううん、実は好き。それね、お父さんとお母さんが初デートの時にリバイバル上映されてて、観たんだって」
「あ、それでDVDがあるんだ?」
「そうそう。昔はビデオであったんだけど、お父さんが何度も観てテープがすり切れちゃって……」
ようやく笑ってお父さんの事を話せるようになった私を祐君は嬉しそうに見ていた。
その顔がすごく優しくて、なぜだか胸がきゅっと苦しくなってしまう。
「あの……、じゃあ何か飲み物用意するね。祐君は何にする?」
「美咲ちゃんは?」
「私はビール。といきたい所だけど、コーラ。やっぱり映画鑑賞にはポテチとコーラでしょ」
「じゃあ、俺もコーラで」
妙に上擦った声が出てしまった私に笑って答えた祐君は、DVDのセットをしにリビングに戻って行った。
そこでやっと、詰めていた息を吐いて私はキッチンに入る。
どうも最近、祐君を男として意識しまう。
半年前、お父さんが亡くなった時に病院でずっと付き添っていてくれて、それがすごく心強くて、あの時からかも知れない。
私にとって祐君は、ずっと五歳年下の守ってあげなきゃいけない男の子っていう存在だったのに。
近所に住んでいる家族ぐるみの付き合いがある山口さんちの祐太君。
彼が小学校に入学した時はとても小さくて体も弱かったから、登校班の班長である私が面倒を見るんだ、守るんだって張り切ってた。
それは祐君が高校生になっても、モデルになって人気が出ても、俳優に転向して若手実力派として騒がれるようになっても変わらなくて、私にとっては弟のようなものだったのに。
でももう二十三歳なんだから、いつまでも男の子じゃ失礼だよね。
「退屈?」
「え? あ、違う! ごめん、なんかちょっとコーラが喉に……」
「水汲んで来ようか?」
「いいよ、大丈夫! もう大丈夫だから」
「そう?」
思わず溜息を洩らしてしまったらしい私を心配してくれる祐君に、バカな嘘を吐いて更に心配をかけてしまった。
それを申し訳なく思いつつ、気を取り直して映画に集中する。
でも結局、いつの間にか違う事を――別れた彼の事を考えていた。
彼とは長く付き合っていたから、何となくそろそろ結婚という空気になっていただけで、本当はお互いすでに気持ちが冷めていたのに。
一人娘でお父さん子だった私は、お父さんの余命があと半年だと知ってどうすればいいか分からなくて、安心させたいばかりに自分の気持ちに嘘をついて婚約に踏み切ってしまった。
ちょうど仕事が忙しい時期だった彼に、わがまま言って、当り散らして、傷付けて。
式場のキャンセル料も半分払ってもらって、本当に彼には悪い事をしてしまったと思う。
「美咲ちゃんは、まだ彼の事好きなの?」
「え?」
また溜息を吐いてしまった私に祐君の突然の質問。
驚く私にはお構いなしに、祐君はぐっと顔を近付けて更に質問を重ねる。
「キスしていい?」
「え?」
「だめ?」
「え――ッ!?」
祐君は、混乱して動揺する私に答える時間もくれなかった。
唇を離して笑う祐君はとても悪い男の顔をしている。
いつの間にこんな顔をするようになったんだろうとぼんやり考えていた私に、祐君はもう一度キスをした。
今度はさっきよりも長く。
「俺、この映画みたいに、明日は美咲ちゃんを教会から攫うつもりだったんだ」
「え?」
「嘘。本当はこんな風にみんなに迷惑かけず、どうやって美咲ちゃんを奪おうかって考えてた」
「え?」
「美咲ちゃん、さっきから「え?」しか言ってない」
「え?――だ、だって……びっくりして……」
おかしそうに笑う祐君を見てると恥ずかしくなって、ソファの上で膝を抱えたまま赤い顔を伏せた。
だって未だに何が何だか分からなくて混乱している。
すると祐君はそんな私の頬に手を添えて、真剣な顔で私を見つめた。
「俺はずっと美咲ちゃんが好きだった。小さい頃からずっとずっと」
「え?……あの……」
「最初は優しいお姉さんに憧れてただけかも知れない。だけど、美咲ちゃんが高校生になって、彼氏と歩いているの見て……ランドセル背負ってる自分がすげえ悔しかった。早く大きくなって美咲ちゃんに追い付きたかったのに、追いかけても追いかけても、美咲ちゃんはどんどん先に行くから……」
「でも、それは……」
「うん、しょうがないよね。ストーカーみたいに美咲ちゃんを追いかけて、車持ってる彼氏に嫉妬して、スーツ着て金稼いでる彼氏に嫉妬した。だからクラスの女子が勝手に応募したモデルも、少しでも金稼げるならって。それに有名になったら美咲ちゃんが振り向いてくれるかも知れないって。けど無駄だった。それで……何度も諦めようともした」
「祐君……」
祐君の話は私にとって驚くことばかりで、何を言えばいいのかわからなかった。
そんな私の戸惑いを感じたのか、祐君はちょっと困ったように笑う。
「ごめんね、美咲ちゃん。でも俺、諦められなかったんだ。……おじさんが亡くなった時、おばさんの為にずっと泣くのを堪えてただろ? そんな美咲ちゃんを俺がこの手で守りたいって、幸せにしたいって思った。やっぱり彼氏には渡すもんかって。だから撮影でアメリカに行ってる間は気が気じゃなくて……。ごめん、美咲ちゃんの婚約がだめになったって聞いて喜んだ。それに……」
祐君はちょっとためらってから続けた。
「もう一つ、ごめん。実は今回の事、母さんとおばさんに頼んで協力してもらったんだ。福引も嘘。ちゃんと男として美咲ちゃんに見てもらいたくて。……って、こんな事してる時点で男らしくないけど。しかも、美咲ちゃんの同意を得るまでは何もしないって誓ったのに、我慢できなかった。でも、美咲ちゃんを好きな気持ちだけは本当だから。だからどうか、俺のこと好きになって?」
祐君のこの真剣な瞳に見つめられていなかったら、からかわれてるのかと疑って、信じられなかったと思う。
だって祐君は俳優で、この三日間だけでも私の前で色んな顔をするから。
でも今は頷くことしか出来ない。
「――うん」
「本当に!? やった!!」
嬉しそうな祐君の顔はとても眩しくて、一生この顔を見ていたいと思った。
「じゃあ、俺と結婚して!」
「え?」
「小さい頃、俺を守ってくれた美咲ちゃんを、今度は俺が一生守るって約束する。だから一緒に幸せになろう?」
「う、うん」
そのまま押し切られて頷いてしまったけど大丈夫かな?
今の祐君の微笑みは悪い男の顔で、なんだか上手くはめられたような気がする。
でも……祐君の喜びは嘘じゃないってわかるから。
私のこの気持ちも嘘じゃない。
だから、祐君の仕事を思えば色々大変だろうけど、きっと大丈夫。
これから一緒に幸せになれるのは本当。
だって幸せはもう始まっているから。