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第三章 パーティー

「ふむ……人間にはやっぱり受け入れがたいか……」


 黒いローブをまとった白髪の男は、ソファに気だるそうに斜めに寄りかかり、片手で頭を支えながら、理解しているような表情を浮かべていた。


「受け入れがたいとかそういう問題じゃなくて、魔王が買い出しって本気なんですか!?あなた、魔王としての威厳が一ミリもないですよ……」


「いやいや↑↓、そんなこと言わないでよ。魔王やってても、悪さもしない、人も殺さない、毎日が退屈でたまらないんだから——人生を楽しんじゃいけないの?」


「……まあ。反論しようとしたけど、なんか妙に筋が通ってる気がしてきた……」


 外から戻ったばかりのトークは城のメインホールで一息ついており、クラヤはその帰りを出迎えながら、自分の疑問をぶつけようとしていた。ただ、その前にこのちぐはぐな話題を片づけておかなければならなかった。


「……何を聞きたいかは、大体分かるよ。でも今はまだそのタイミングじゃない。話せるようになったら話すから、それでいい?」


「え——!もしかして先延ばし癖でもあるんですか……」


 魔王の正体——トークが従来の意味でのいかにも怖い大魔王ではないと知ってから、クラヤの警戒心はずいぶん薄れていた。いつの間にかツッコミを入れるようにさえなっていた。


「とにかく、今はそんな気分じゃないんだよね。セリスとバリアとはもう会った?ちゃんと仲良くできた?バリアは心配してないけど、妹のセリスはさ……なんか素直じゃないところがあるから」


 そう言いながら、トークは苦い顔をした。何か思い当たることでもあるようだった。


「それは……私も同じこと思いました……」


 クラヤも同じように困り顔になった。先ほどのセリスの態度の変化が、まだ記憶に新しかった。


「あの二人は今頃、焼き肉の準備をしてると思う。あ、ミン——こほん。特にやることがないなら、先に着替えでもしてきたら?」


 言い終えると、トークの視線がクラヤの服へと移った。緑のジャケットに茶色のパンツ——なかなか中性的な格好だった。トークは指をパチンと鳴らし、拳銃のポーズで二階の一室を指した。


「あそこが更衣室。服は好きに選んでいいよ。ただ——見た目が大事だからな」


「異世界の人の美的センスなんて、私には分かりませんよ……」


 クラヤは小声でぼやきながら、ふとさっきのことを思い出した。


「あの、さっき私のことなんて呼びましたか?」


「……クラヤ」


「……そうですか?なんか、違う名前だったような気がするんですが」


「聞き間違いだよ」


 クラヤはそれ以上追及しなかった。明らかに、さっき呼ばれた名前は「クラヤ」ではなかったのに。でもトークは認めるつもりがないようだった。まあ、今は保留にしておこう、とクラヤは思った。ただ、その名前——アミン——は、もう彼女の心の中にしっかりと刻みこまれていた。


 自分の記憶を取り戻す、重大な手がかりかもしれない。


 クラヤは頭を軽く振って、二階へと上がった。更衣室の扉を開けると、大きなクローゼットがいくつか並んでいた。それぞれの上にはラベルが貼られていた。


『食事着』『パジャマ』『冬季防寒』『夏季涼感』『正式礼服』『カジュアル』


 こんなに細かく分類されているのを見て、この魔王にはちょっとした分類癖があるのかもしれないとクラヤは思った。異世界の文字はまだ読めないので、一つひとつ開けて確認していくしかなかった。中を見ると、各段の服は左右に分かれていて、左が女性用、右が男性用になっていた。あれこれ取り出してみたが、どれも素敵に見えて、なかなか決められなかった。


 その中で、クラヤが一番気に入ったのは——


 シンプルな青いニットと、ごく普通のグレーのロングパンツ。


「センスに文句を言わないでください!こういうシンプルな格好が好きなんです、何か問題でも!?それにしても、なんで異世界にこんな現代風の服があるんだろう……」


 クラヤはひとりでぼやいた。


 コーディネートとしては少しちぐはぐかもしれないが、クラヤには愛らしい顔立ちがあったので、そのあたりはうまくカバーされていた。本人もまあまあ満足そうだった。


 着替えを終えたクラヤが出てみると、更衣室の右側の奥にキッチンがあることに気づいた。焼き肉の準備なら、食材を整えるのが先だろう。そう思って、クッチンの扉を開けた。


 キッチンの雰囲気は、城の他の場所とまるで違っていた。入ってすぐ、正面に大きな窓があって、そこから陽光が降り注いでいた。窓の外には針葉樹が一本一本立ち並び、深緑の草地は冷たさよりも、むしろ太陽の光を浴びて生き生きとした輝きを放っていた。いくつかの花が咲き乱れ、その緑の海に小さな星のような彩りを添えていた。


 窓の下には長いテーブルが置かれ、まな板や調理道具、切り出し用のナイフが並んでいた。テーブルの下には木製のたるが数個あり、中には酒類が入っているようだった。テーブルの横には大きな棚があって、さまざまな食材や調味料が並べられていた。ただ、それより先に目に入ったものがあった。


「あ」


 白髪の少女が顔を上げ、手を止めた。セリスだった。テーブルの上には小箱が置かれ、中には金属の串が交互に並んでいた。その隣には、トークが買ってきた食材が広げられていた。


「料理の下準備をしてるんですね……大変そうです。お手伝いしましょうか?」


「別にそこまでじゃないけど……まあ、よければ。本当はこれを兄にやらせようとしたんだけど、買い出しで疲れたって動きたがらなくて……だから私がやることになったんだけど。ったく、転移魔法でひとっ飛びすれば済む話なのに、わざわざ城下町に転移してから徒歩で歩いてくるんだもの。何考えてるんだか……」


「たぶんそれが、あの人の言う『人生を味わう』ってやつなんじゃないですかね……ふふ」


 トークらしいな、と苦笑いしながら、クラヤは椅子を引き寄せた。


「じゃあ、私もやってみます!」


「……クラヤって、こういうの慣れてる感じがするね」


「え?そうですか!?」


 セリスの一言に、クラヤの方が驚かされた。気づけば、自分の手が思いのほか器用に動いていた。こういう作業がすんなりできてしまう。もしかして、昔からよく働く人だったのかな。あるいは料理上手だったとか……?


「そういえば……クラヤって、兄に連れてこられる前は何をしてたの?使用人とかでもなさそうだけど。ご家族やお友達は心配してないのかしら?」


……!


 その問いは、クラヤ自身も知りたいことだった。両親が誰なのかも、自分がどんな人間なのかも、何ひとつ思い出せない。分かるのは、自分が現代人だということと、現代の知識の断片だけで、自分自身に関わる記憶は、どこにも見つからなかった。


 どう答えればいいか……クラヤは悩んだ。「実は異世界から来た記憶喪失者です」なんて、さすがに言えない。でもトークはこのことを知っているようで、つまり、わざと黙っているということだ。


 それなら——少し話をつくって、その場を乗り切るしかないか。


「私はね、小さな村の出身なんです。家族や友達のことは恋しいけど……魔王に連れてこられてしまったら、どうしようもないじゃないですか。でも……正直、なぜここに呼ばれたのかは、私も知りたいくらいで」


「そっか。まあ、あまり心配しなくて大丈夫だよ。兄はきっとヘルミチに送り届けてくれると思うし、今ここに連れてきたのも、きっと理由があるんだと思う。こんなに突然のことだから、そんなに長くいることにはならないんじゃないかな」


「……あ、そうなんですね」


 クラヤはどう反応するべきか迷った。喜べば「そんなに一緒にいたくないの」と思われそうで、寂しそうにすれば「家族に会いたくないの」と思われそうだった。


 自分のこういう繊細なところに、クラヤは内心、少し呆れた。結局、曖昧な返事でごまかすしかなかった。セリスはその答えをとくに気にした様子もなかった。


「ふう……やっと終わった!次は下味をつけましょ~」


 セリスが背伸びをして首を振った。窓の外では太陽が少しずつ傾き始め、夕暮れの橙色がふたりの顔を染めていた。


「クラヤ、好きな味付けってある?」


 セリスがさまざまな色の瓶を並べた。ラベルの文字は、やっぱりクラヤには読めなかった。首を振って答える。


「どれでも大丈夫です」


「えええ!?好き嫌いがないの?実はね、兄から聞いたんだけど、人間ってすごく好き嫌いが多いって話で。甘辛論争とか、ハニラ問題とか」


 ハニラ……それって、パクチーのことか。異世界でも嫌われてるのか……。クラヤは小首をかしげた。


 実のところ、嫌いなものがないというより、ラベルが読めないので判断のしようがないだけだった。ちなみにクラヤはパクチーが好きだ。


「私はちょっと好き嫌いあるかも。たとえば、この『ライト』風味が大好きで——ほんのり甘くてピリ辛なんだけど、兄は辛いのが全然ダメで、黄色いこっちの『クリーク』の方が好きなんだって。バリアは……まあ、何でもいけるから気にしなくていいよ」


「本当に何でもいけるんですか!?」


「本当よ。一度ね、私と兄が暇すぎて、夕飯にひどい鍋をやったの。おかしなもの全部ぶち込んで、キャンディとかソニマキの実まで入れたんだけど、バリアが『これが人生で一番うまい料理だ!!』って何度も叫ぶもんだから、私も兄もドン引きしちゃって」


「それで?」


「それで……私と兄が、なんかちょっと気になってしまって……まさかそんなに美味しいわけないよね、って思いながら、ひと口食べてみたら——」


 セリスの表情が、楽しそうな顔からだんだんと苦悶の色に変わっていくのを見て、クラヤには大体の結末が想像できた。


「……三日間、トイレから出られなかった」


 クラヤの想像より、ちょっとひどかった。


「もしかして……バリアさんが、こっそり美味しくなる薬でも入れてたんじゃないですかね。……あ、でもそれだと不調にはならないか。じゃあ、毒を——!?」


「そんなことしてないよ!」


 クラヤが思う存分に想像を膨らませていたところへ、落ち着いた低い声がそれを遮った。振り返ると、淡い赤の単衣を着たバリアが入口に立っており、言い終えると大声で笑い出した。


「バリア、幽霊みたいに音もなく入ってきてびっくりするんですけど!」


「あ、ごめんごめん。隠形魔法使ってたからね、実はさっきからいたんだよ」


「何の趣味ですかそれ!!」


 セリスがまるで子どもみたいにぷくっとふくれ、バリアは相変わらずのんきに笑いながら、ずっと隠れて会話を盗み聞きしていたことを、まるで誇らしげに白状した。


「これが伝説の……『のぞき見』ってやつですね……」


 クラヤが小声でつぶやいた。


「つまり、私たちが汗水たらして働いてるのを、ずっと見てただけってこと!?」


「いや、ちょうど終わったところで来たよ」


「都合よすぎませんか……」


「だってね——察知魔法でふたりが終わるのを見届けて、すぐ飛んできたんだから——ぐえ」


 飛び蹴りが一発、バリアをかすめた。


「次から魔法でそういう変なことしないでよ!あと、クラヤ、自分の部屋に遮断の術式を張っておきなよ。こいつ、本気でのぞいてくる可能性あるから」


「あはははは……そうならないことを祈ります」


 魔族同士の関係って、人間とそんなに変わらないんだな。そう思ったら、クラヤはふと、自分たちとこの三人がそこまで違う存在じゃない気がしてきた。違うのは、魔法が使えるかどうかだけで。


「もういいって、もういい。準備できたよって伝えに来たんだよ。トークの方もだいたい整ったって」


「——あの人、ちゃんと動いてたんですね」


 トークはあんなにぐったりしていたのに、ちゃんと準備していたのか。でも、それなら——


「バリアさんって、やっぱり……?」


「俺だって働いたよ!」


「え!?」


「味見係、ちゃんとやったから!こんな大事な仕事、一番重要な人間がやらなくちゃだよね~」


「「もう、いい加減にして!!」」


 ふたりの声が、見事に揃った。


星空。蛍が木々の間で淡く緑の光を揺らしている。木は多いが、圧迫感はなかった。一本一本の枝に小さな提灯がぶら下がっており、すでに輝いている木には蛍も近づかず、暗がりを探して自分たちの出番を見つけていた。


 地面の焚き火が空気の中に熱を送り込み、少しだけ鼻をつく焦げた匂いと肉の香ばしさが混じり合い、それがかえって独特のおいしさを引き出していた。


 四人は輪になって座り、どこかキャンプに来た友人同士のようだった。


「……いいな。レスナルドもいればよかったのに」


「——レスナルドか。それはやめといた方がいいよ。人間をここに連れてきたって知ったら、あいつ絶対おかしくなるから」


 バリアは食べ終えた串を置き、空を仰いでつぶやいた。トークはそれを鼻で笑った。


「レスナルドって、どなたですか?」


「トークの友人だよ。ただ……最近はあまりこの辺にいなくてさ。落ち着きのないやつで、なんというか、トークが和平を唱えてる今の時代でも、まだ人間と一悶着起こしたがってる。実際には何もしてないけどね」


「そうですか……じゃあ、あの方が戻る前に、できれば出られるといいですが」


「——!」


 クラヤが何気なく言った一言が、トークの表情を変えた。


「……クラヤ。ここを出ることは、ダメだよ」


「え……?」


 戸惑いの声はクラヤだけではなく、セリスも同じだった。


「どうしてですの……?」


「兄、私たちは人間と争わないって決めたじゃない。それなのに勝手に人間をここへ連れてきたら、その子の家族や知り合いが私たちのせいにして、戦争になりかねないよ!」


「……ならないよ。クラヤの家族は、もう……」


 その言葉が、クラヤの胸の奥にひりりと刺さった。それが本当かどうかは分からなかった。けれど——会ったこともない両親でも、自分が身寄りのない存在だと知るのは、やはり少し胸が痛かった。


「そうなの……ごめん、そういうことなら言わなければよかった。えっと……じゃあ、ここで引き取ったみたいなことになるの?でも、もう小さい子でもないよね。どう見ても十五、六歳はありそうだし」


「まあそうだね。でも、この子、感じがいいと思わない?」


「それがどういう理由になるの……」


 クラヤの気持ちも、トークと似たようなものだった。トークは自分よりずっと多くのことを知っているようだし、命を救ってもらったのも事実だ。本能が、今ここにいるべきだと告げていた。


「私も、皆さんがいい方たちだと思います。最初は魔族ってもっと怖いものかと——あ、でも実際に会ってみたら……なんというか……」


「みんなのことが好き、でしょ?」


 クラヤの照れた様子を見抜いたバリアが、目を細めて笑った。それがかえってクラヤを恥ずかしくさせた。


「え!?そ、それは……はい」


「まあ、あんまり簡単に信用しちゃいけないよ。まだ会って一日も経ってないんだし、目の前の魔物たちが、ある日の夜中に突然あなたを食べにこないとも限らないからね」


 バリアは両手を上げ、「食べちゃうぞ」というポーズをとった。


「分かりました。でも、本当にありがとうございます。ここに住まわせてもらえて、すごく嬉しいです!」


 気づくと、みんなが笑っていた。トークは口元を隠してくすくすと、セリスは口をつぐんで微笑んで、バリアは隠しもせずに声を上げて笑っていた。その笑い声につられて、クラヤも笑い出してしまった。


「クラヤ——改めて自己紹介してみない?」


「え?でも、みなさんもう私のこと知ってるじゃないですか……」


「形式ってことで、形式ってことで」


 バリアがそう勧め、クラヤは少し迷って緊張したが、セリスも期待するように頷いた。


 クラヤは手にしていた串を置いて口元を拭い、少し恥ずかしそうに立ち上がった。焚き火の光が瞳に揺れ、呼吸と一緒に心臓の鼓動が速くなっていった。


「私の名前はクラヤです。十六歳の女の子で、できることは何もないけれど……これから少しでも皆さんのお役に立てたらいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします!」


 言い終えたクラヤの顔は、焚き火と同じくらい赤くなっていた。


「わあっ!」


「ようこそようこそ!」


 拍手の音が広がり、クラヤの胸からそっと、石がひとつ降りていった。そこへ、低く落ち着いた男の声が響いた——トークの声だった。


「それじゃあ……乾杯!」


「「「乾杯!!!」」」

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