【第8章】エミュレータ
投光器を使ったコミュニケーション成立の報は世界を駆け巡った。
その結果、これまで強硬に攻撃を主張していた米国世論の風向きが変わった。LX1やArtifact Alphaが、ただの肉の塊ではなく、知性を持った存在と認識されたのだ。
だが、その後のコミュニケーション作戦は難航していた。
首都バルカスの作戦センター。
「教授、この先、どうすればよいのですか?」
部下が困惑しきった表情で尋ねた。
イベッタは異文化コミュニケーションの専門家として、言葉が通じない相手とのコミュニケーションを成立させた経験もある。ただ、それは人間同士が向き合って、表情や身振り手振り、実物を指さしたりといった非言語コミュニケーションを積み重ねた結果である。そういった、非言語コミュニケーションを人間がどのように認識するかという研究に、認知科学の手法を持ち込んで発展させたのが彼女だった。
だが、今回の相手は姿を見せない。フアン教授らの予想では、そもそも物理的な実体を持たない、電子生命体である可能性すらあるという。
イベッタは夫の諒一(Ryo)のことを思い出していた。彼はAI技術企業データフォレスト社で長年チーフエンジニアを務め、昨年CTOに就任したところだった。異星人は高度な計算機技術を持ち合わせているに違いない。Ryoならどうするだろうか。
娘の絵里(Elly)が小さいころ、Ryoが小型マイコンキットを使ってLEDがチカチカと点滅するおもちゃを作ってくれた。絵里はそれがきっかけでサイエンスに興味を持ったのだ。イベッタはサフィラの投光器とLEDを重ね合わせていた。
イベッタは諒一に電話を掛けた。カリフォルニアは朝のはずだ。
「Ryo、異星人とプログラムで会話できないかしら?」
「イベッタ、何言ってるのかわからないよ」
「彼らは間違いなく高度な知性と計算機技術を持っているの。なら、プログラミングを通じて意思疎通できるんじゃないかと思って」
「……」諒一はしばらく考え込んだ末、こう答えた。
「できると思う。最初はプログラムをフローチャートとして届ける。彼らがそれを理解すれば、プログラムを動かした結果を見せてくれるはずだ」
「つまり、彼らに地球のプログラムを実行させるということ?」
「そうだ。彼らに、エミュレータを作ってもらう」
提案はイベッタを通じて日本とアリエス政府の合同チームに伝えられ了承を得た。
諒一のもとには、データフォレスト社の大株主としてのザイド公から直々に電話が入り、「よろしく頼む」と激励を受けた。
「まさか、夫婦で世界を背負うとはな」最も重いものを背負った夫婦として、ギネスに申請したい気分だ。
諒一はすぐに会社のチームメンバーを招集し、以下の指示を出した。
LEDが指定回数点滅するプログラムを、文字言語を一切使わず図示すること。
実用的に動く最低限のコンピュータCPUアーキテクチャを、これも図示すること。
CPUの機械語命令を図示すること。
これ以上のことは、彼らの持つであろう高度な計算機科学、情報科学を頼りにするしかなかった。人類の持つ生成AIですら、図を理解して言語化できるのだ。
メンバーがコーヒーを10リットルほど消費したころ、すべてが完成した。
「イベッタ、異星人様のプログラミング教育カリキュラムが完成したよ。どうやって届ける?」
アリエスと米国を結びリモート会議が始まった。
議論の末、チャートやプログラムリストを紙に印刷して直接投下するという原始的な方法が採用された。
サフィラ市の前線基地。
印刷されたフローチャート、プログラムリスト、CPUアーキテクチャ図を積み込んだドローンが発進した。
操縦士が慎重にコントローラを操る。「よし、よし、あと少し。寝た子を起こすなよ」
攻撃の兆候はない。ドローンは採集船の面前に静止し、紙束を下ろした。少し後ずさりして様子をうかがう。
すると、採集船から作業アームが出現した。紙束を回収し船内に取り込む。
その時、誰かがつぶやいた。「あのプログラムリスト、食われたりしないよな?」
もし彼らがまだ「空腹」だとしたら、黒ヤギさんと白ヤギさんのようなすれ違いが起きかねない。
他の誰かが返した。「食べるのは金属とガラスだけだ。紙は食べないよ」
数時間後。あたりはすっかり闇に包まれた。
今夜は投光器は使用しない。プログラムとして届けた、点滅パターンとの混同を避けるためだ。
何事も起きないまま、緊張した時間だけが経過する。すると、採集船から赤い光が瞬いた。
「おい、今の点滅、わかったか?」
「いや、早すぎてわからなかった」
諒一たちのチームは完璧な仕事をした。ただ、タイミングについては指示する方法がなかったのだ。ビデオを低速再生すると、まさにプログラムで指定した通りのパターンで点滅していた。
人類のプログラミング言語を、異星からの来訪者が理解した瞬間だった。




