第55話 高貴
「どれだけの魔力が注ぎ込まれたやら計り知れぬな」
頭上に燦然と照り輝く巨大な火の玉を見上げたまま、オルゴは率直に感想する。「こんなものを食らってはひとたまりもないだろう」と呟きながら、左手でパチンパチンと指を鳴らし続ける。
「何をしている! レベッカ・レオナルディ!」
もはや僅かにも取り繕えぬフィローネは、一心不乱に声を張り上げる。「さっさと火球を奴に叩きつけろ! 完膚なきまでに消し炭にしてしまえ!」生かしておく気など毛頭なかった。
「動かせません」
レベッカは斜め上空に差し向けた左手を、一向に振り下ろすことが出来ない。何か見えない物に引っかかっているように。「…………完全に固定されています」と。
幾度となく中断させられる攻撃魔法。もはやフィローネの思うがままとは言えなくなりつつあり、いずれ支配が解かれてしまうのではと危惧される。
十中八九、オルゴの仕業によって。――では、奴はどのようにしてレベッカの支配を?
フィローネは懊悩する。どれだけ頭を悩ませようと、思い当たる可能性は一つしかなかった。
「………………お前も、脳縛の禁術に目覚めたのか?」
奴もまた精神操作術を行使し、レベッカを意のままに操らんとしているのでは。――その可能性に思い至るや否や、フィローネは全身の毛を逆立たせる。無い瞳孔を震わせる視神経の回路が、虚しく脳髄を駆け巡っていた。
「お前も、……かつての僕がそうだったように、絶望の淵に立たされて光明を得たのか?」
オルゴは答えない。ただ冷ややかに視線を返すのみに徹する。
「そんなことが起こり得ていいはずがない!」フィローネは絶叫した。「これは僕だけに許された禁術だ! 片目を奪われた代償として、この法外的なスキルを授かり賜ったんだ! 恵まれざる哀れな人間にのみ許された救済の一手を、お前のような全て得た人間が欲しいままにしていいわけがない! 卑怯者が! 恥だとは思わな」いのかまでは、しかし言い切れぬ。出した舌を引っ込めざるを得ない事態が眼前に広がっているからであった。
正面、オルゴが自らの左腕を肩口から毟り取り、これ見よがしに真下に放り捨てている。――拳を固く握り込まれた左腕は、煤だらけの地面に落ちるや否や、ムカデか何かのように両側から無数の足を生やして、横たわるヴィオラの体によじ登る。窒息のためにカパッと開かれた口腔内にモゾモゾと侵入し、間もなく姿を消した。
「何を……………………」
フィローネは呆然とすることしか出来ない。――背後で磔にしている傀儡の三体を引き合いに出して、不審な行為を止めさせるか? 相手に通用するかどうかの議論はさて置き、いま出来る駆け引きとしてはそのくらいしか無いだろう――などと頭では考えつつも、何ら行動に移せぬ。そのことを自身で疑問にすら思えない。
「マザー・ハイレンの霊薬を呑ませているな」
オルゴが指差すのはフィローネの背後斜め上、並び立つ三本の十字架である。レベッカの父と兄、イゾラの妹とが虚ろな目をして磔にされている。
「スヴァルガ王都大聖堂にて神官ないし教会博士を務め上げる、ハイレン・ヴァイスハイトが直々に調合せし、霊験あらたかなる秘薬にして宝具。効能の発揮中はどれだけ魔力を消費しようと即時的に回復され続けるという、魔力回復薬としては破格の性能を誇る一方で、精神状態が虚ろになるという副作用を同時に来す」
悠々とした足取りで、オルゴはフィローネのおわす壇上に歩を進める。途中、右手の親指の爪で人差し指の肉を破り、迸る出血を鈍色のレイピアに変え、床に転がっているBBの背中に突き刺して吸血する。BBはみるみる萎み、それと連動してオルゴの左腕が肩口から徐々に再生していく。
その間、オルゴのワインレッドの双眸には、慈しみの気色が滲んでいる。長きに亘って忠実に奮戦してくれた相棒に対する慈愛と敬愛。すなわちフィローネの方には一瞥もしないまま、淡々と仮説を並べ立てる。
「貴様は自らを演出家だと自称しておったな。にも拘わらず、磔にした傀儡どもには何らの演出的アクションを取らせることなく、延々と黙らせておった。腑に落ちずにいたものよ。――が、三人揃って霊薬を含まされているのだと仮説すれば、諸々の道理が通るではないか。意識の呆けた魔力タンクを三台ほど工面し、そこから絶えず魔力を供給しておったからこそ、大それた魔法や禁術の数々を際限なく乱発できておったのだなと」
BBは萎み果て、跡形もなく消え去り、オルゴの左腕は完全に再生する。苦虫を噛み潰したような顔をしているフィローネを見上げ、オルゴは左手を顔の横に構える。パッパと握っては開き、またも指を鳴らす。
開いた手の中にはどこから紛れ込んだか、極小の丸薬が一粒だけ乗せられていた。
「転送魔法だよ」指先で丸薬を弄びつつ、オルゴは語る。
「貴様も知っての通り、霊薬の入った小瓶は小娘に預けておったが、うっかり落とすなどした日には目も当てられぬと思い、いくらか抜いて己の部屋の金庫にストックしておったのだ。――今しがた十粒ほど左手に握り込んで、腕ごとヴィオラに食わせたから、あの馬はもう使い物にならん……のかは、正直分からぬがな。霊薬の効能発揮中でも、やり方次第では脳縛の禁術で操れるのかも知れんし、そのあたりについては議論の余地があろう。――が、今はその検証などしている場面でもない。生憎だが、」
己は謎解き遊びをしに推参したわけではないのだ。――口にしながら、オルゴは左手に摘まんでいた霊薬を手放す。
霊薬は煤だらけの床に着地、弾み、転がり、静止する。瞬く間に緑色の枝葉が丸薬から生え伸び、パッと咲くのは一輪の黒いバラ。そこを中心に続々と咲き誇り、みるみるうちに漆黒の花園が展開されていくおぞましさ。――しまいには壇上のフィローネの足元まで陣地が拡大し、床に敷き詰められた脳髄袋に茨が刺さること数知れず。
しかし、フィローネはその痛みに関して、反応という反応を示さない。より厳密には、肥大化した脳髄の隅から隅に至るまでグチャグチャに混乱しており、感覚するのも思考するのもままならなくなっていた。チラと横目に見るレベッカは冷や汗を垂らして唖然としており、彼自身もそのようにしていた。
「なぜ小娘は己に攻撃することが出来なくなったのか? この己の絶大無比なる高貴さに当てられてしまったが為である」
オルゴはレイピアを花園に突き刺し、悠々と両腕を組みつつ壇上に向かって歩を進める。頭上に照り輝く大火球が逆光となり、表側の一面にべったりと影の落ちる。
「我が頭上に燦然と輝く大火球は、周辺に存在する空気を手当たり次第に奪っては燃やす暴君である。此奴の仕業で床一面に広がっていた火の海は鎮火し、ヴィオラやBBも窒息する羽目になった。――にも拘らず、なぜ己だけは過不足なく呼吸できていたのか? 空気の方から己の方に寄り集まって来るからだよ。この己の紛華奢靡《ふんかしゃび
》なる高貴さに引き寄せられてな。――火球に燃やされることよりも、己の肺胞に取り込まれることを渇望して止まないらしいのだ。何とも愛いことよな」
語りながら、いよいよオルゴは壇上に躍り出る。背を丸くして身震いするフィローネの前に立ち、腕を組んだままワインレッドの双眸で見下ろす。片眉を上げる。
「この己が脳縛の禁術で小娘を支配しただと? 思い違いもここまで甚だしいと一笑にすら付せぬというものだ。寄生虫のごとく卑劣極まる気品さの欠片もない精神操作術など、こちらから願い下げなのだよ。そのようなものがなくともこの己は、絶対的に支配者足り得る男なのだからな」
オルゴは視線をレベッカにずらし、「物騒なものを片付けよ。気が散って敵わん」と顎先で背後の火球を示す。
先ほどまで斜め上空に差し向けられていたレベッカの左手は、今や完全に真下に向いており、力づくで持ち上げようと右手で前腕のあたりを握っているが叶わず、そこにオルゴ直々の命令が下ったとなれば為す術はない。肩を震わせつつ固く握り込んでいた左手の拳を、レベッカはパッと開いて解放する。
直後、頭上高くに滞空していた大火球が爆ぜ、空一面が閃光一色に照らされる。地上にまで熱気の伝わる。
閃光は徐々に収まっていき、火球の爆発で吹き飛んだ青天井からは濃紺の夜空が覗く。――されど、事態はそれだけで済まなかった。
血のインクを溶かしたみたく、突如として夜空が赤黒く滲み始めたのだ。――次第次第に赤みは強まっていき、間もなく完全に赤一色に成り果てる凄惨さたるや。
フィローネはその赤色の中に、血管や筋繊維や、内臓のそれを見出していた。「自分は現在、得体の知れない巨大生物の体内に存在しているのだ」という錯覚に囚われ、彼の口内には妙に生臭く甘酸っぱい涎が満ちていき、呆けた口の端から零れ出していた。
今、飛び立った一匹のゴキブリが、薄桃色の月の前を横切る。
これを目の当たりにした時、フィローネは確信する。「自分は大いなる存在に睨みを利かされて、気が狂うほどに恐ろしいのだ」と。――そして、訳も分からず胃袋からせり上がる吐瀉物を、勢いよく自らの膝の上に噴き出した。
術者の精神的限界。その傀儡であるところのレベッカは、冷や汗を垂らし全身を震わせつつ、フィローネの横顔を意味もなく注視していたのだが、たったいま目が覚めたかのように両瞼を見開く。キョロキョロと周囲を見回し、大きく口を開けて呆ける。
「ここは…………? さっきまで父様と食堂で話していたはずなのに、…………赤い空? お城? 腸? 黒いバラ……………………」
言葉を区切る。赤髪赤目の、甲冑姿の貴公子と視線がかち合う。「………………デスタルータさん、ですか?」あどけなく首を傾げる。
「このやり取りも何度目になるやら分からぬな」片目を閉じてウンザリした面持ちになる。「どう見てもオルゴ・デスタルータに相違なかろうが。……目と髪の色が少し変わった程度のことで、揃いも揃って目くじらを立てる」
レベッカはその、彼一流の立ち居振る舞いを観測するな否や、「デスタルータさんだ…………」と得心する。直後、何がトリガーとなったか、彼女の脳内に突如として傀儡化前後の記憶が流れ込む。鋭い頭痛に呻きつつ、左右の手でこめかみを抑える。
思い出すのは、傀儡と化した肉親に嵌められ、転送魔法でデスタルータ城まで連れて来られたこと。命じられるがままに魔法を放ち、生きた人間を火の海に沈めてしまったこと。かつて牢獄から連れ出してくれた恩人に猛攻を仕掛け、瀕死に追いやってしまったこと。――フィローネ・デスタルータという一人の男に、長きに亘って好き放題させられていたという事実。
そしてその彼は、今なおすぐ真隣に居る。――と、彼女は視線を隣に向ける。頭部の上半分が無く、断面からブヨブヨとした腸のような細長い管を何本も生やした怪物が、身を屈めて吐瀉している有り様を目の当たりにする。「ヒッ」と短く悲鳴しつつ後ずさる。
「気色悪かろう? 己の後ろにでも控えているが良い。誰の携帯食料であるのか弁えよ」
「そうしたいのは山々なんですけど、足の踏み所が…………」
二人して、壇上に敷き詰められた脳髄袋に視線を落とす。オルゴはフゥと溜め息し、腕を組んだまま指を鳴らす。彼の足元からレベッカの足元との間に、点々と黒いバラが咲く。
「芽吹くだけのスペースはあるということだ。真上から踏んでいけば茨が刺さることもない」
レベッカはおっかなびっくり飛び移りつつオルゴの元へ。最後の一歩、花弁が滑ってバランスを崩し、顔面がオルゴの鎧に直撃。「ぶべっ」と間投詞する。「いたたた…………」と充血した鼻を抑えながらトボトボとオルゴの後ろに回り込み、顔を上げ、フィローネの背後に聳え立つ三本の十字架に目が行く。見開き、青ざめつつ声を震わせる。
「父様に兄様、それに、…………イゾラさんの、私が火を放った彼の…………」
「貴様にそうさせたのはフィローネだ。傀儡に罪はない」ピシャリと言い切る。「奴の死に関して責任を負うべき人物をあえて挙げるならこの己だ。その場に居ながらにして救ってやれなんだ」と呟く。
「そんなこと!」
「だからこそ」否定すべく張り上げる声を静かに制する。オルゴは磔にされた三人のうち、取り分けてイゾラの妹に視線を向ける。
「己には奴の妹を救出すべき責務がある。貴様の父や兄もひっくるめた上で。――後のことは頼んだと、死に間際のイゾラから遺言を託されたからには、必ずや奴に代わって悲願を果たさねばなるまい。せめてもの手向けにな」
オロオロオロオロ………………と、正面のフィローネが吐瀉を垂れ流す。オルゴは視覚的嗅覚的聴覚的不快さに顔をしかめつつ、「フン」と鼻を鳴らす。「高貴さの酸毒が良く回っておるようだ。吐いて楽になる訳でもあるまいに」
「高貴高貴うるさいんだよ! この高貴至上主義者が!」
ガラガラに枯れた喉を引き絞りつつ、フィローネは絶叫する。息も絶え絶えに痙攣の止まぬ。
「レベッカ・レオナルディを高貴さで御しただと!? 高貴さのあまり空気の方から己に寄ってくるだと!? 馬鹿にしようにもこちらの方が赤面してしまうほどの荒唐無稽さであることをなぜ自覚しない! 第一、その理屈でいくならお前はなぜ僕相手に一度は苦戦を強いられ、瀕死にすら陥ったんだ! 臨死体験を経ることで高貴さが増したとでも!? だからそれ以降に関してはレベッカを制することが出来たとでも!? 意味不明にも程がある! やっぱりお前は死に瀕して脳縛の禁術に目覚めたに違いないんだ! それを高貴さがなんだとか言って誤魔化しているだけなんだ! 何でもかんでも高貴の手柄にしたがる高貴狂いだから! 詭弁にも程があるんだよ!」
「瀕死の最中、己は三度目の【邪化の禁術】を試みたが、アレは不発に終わった」
対する彼の冷静沈着さたるや。言い含ませるように、淡々と言葉を紡ぐ。
「今でこそ確信を持って言えることだが、あの不発は禁術側からの激励だったのだ。『仇敵フィローネ・デスタルータの打倒にあたり、これ以上の変身は不要である』という。――死の淵で己は内省した。何が己を完全体たらしめるのかと。飛躍的な身体能力の向上? 日光ならびに神聖さの克服? どれも副次的特典に過ぎぬと思い至るまでそう時間は要さなかったよ。――絶対的支配者たる風格、すなわち高貴さの最大化を以てして、我こそは完全体オルゴ・デスタルータなのだとな。……まあ、貴様には分からぬ話だな」
ビュウと吹く夜風が、ワインレッドの頭髪を靡かせる。
「高貴さをさんざこき下ろし、精神支配術に逃げた貴様相手にどれだけ高貴を説いたところで、栓無き事というものだ。――となれば、その身を以てして痛感させねばなるまいか」
対するフィローネは依然として息を切らしつつ、いよいよ反論を紡ぎ得ない。大して強くもない夜風の吹き抜ける音が、倍々に増幅されていく錯覚に陥っており、このまま吹き飛ばされるわけにはいかないと両側の肘掛けを必死に掴んでいた。
オルゴは右手を前方に伸ばし、地面と水平に構える。親指の爪で人差し指の皮膚を掻き破り、鮮血が迸る。
「【凝血】」
詠唱を皮切りに、鮮血は空中で急速に凝固し、次々と無数の凶器に形を変える。
何の変哲もない短剣、刀身から柄に至るまで黒一色のロングソード、年季の入ったクワ、シャベル。――神聖さを湛えた、いかにも儀式用と思しき剣。棍棒のごとく武骨なロングソード。――濫造され、山となり積もりゆく有り様に、フィローネは何故だか無性に惹き付けられる。その光景に没頭している間だけは、体の震えも幾分か収まっていた。
「跪拝し、自害せよ」
降りしきる凶器の雨あられが止み、彼の頭上より降り注ぐのは無慈悲な命令。
「…………は?」
ストレートに命じられ、フィローネは却って冷静だった。油の差していない機械仕掛けのように、ギギギギギとぎこちなく顔を上げつつ、「ふざけるなよ。誰がお前なんかの命令に…………」と反駁の言葉を紡ごうとする。
「聞こえなかったか?」
オルゴは両腕を組み、厳然たる睥睨をフィローネに浴びせつつ、
「【自害せよ】」と命じる。「もう交わす言葉もない」と。
まず、フィローネの全身の震えが、病的の範疇にすら収まらぬほど異様に激しさを増した。オルゴの放つ超越的重圧の凄まじさに当てられ、最大化した畏怖の前に否応なく突き動かされる。――また、痙攣の最中にありながら、彼の背骨は徐々に折れ曲がり、胸板と腿とが付かんばかりであり、座席からは腰が浮きかけていた。椅子から滑り落ちるまでは時間の問題かと思われた。
「ンンンンンンンンンンン!」――――と。
フィローネは砕けそうなほど力みつつ歯を食い縛り、片方の手で顔面を抑え、もう片方の手で肘掛けを掴み、ガクガクと震えながらも意地でも椅子の上に留まろうとしていた。
「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ! このフィローネ・デスタルータともあろう者が、こともあろうかオルゴ・デスタルータなどという、虚飾に塗れた傲岸不遜の徒に膝を突くなど! 我は万物万人を統べる全世界的頂点支配者なのだ! 何人にも屈しない、何人にも屈しない、何人にも屈しない! 高貴さだけで僕を討ち取ろうなどと、そんなものはペテンに違いないのだ! 奴の欺瞞を暴け、フィローネ・デスタルータ! 肥大漏出湧水の如く極める脳髄を隅々に至るまで活躍させるの「死んだ方がマシだ」
不意に割り込む何者かの声。されど反応するのはフィローネのみである。彼は激するのを急停止的に区切り、斜め右下を向く。
膝下あたりの高さまで凶器が積み上げられており、生物の存在は皆無。フィローネは「誰だ?」と呼びかける。声の主は何者?
「慈悲だと分かれよ」
聞いたことのあるようなないような男の声が、やはりその辺りから聞こえてくる。
「あいつはその気になればお前のことを、最も苦痛を伴う方法で死に至らしめることだって出来るんだ。生きたまま全身の皮を剝ぐだの、蛆虫に巣食わせるだのやったっていいはずなのに、奴はそれをしない。お前相手でさえな。――分かったらさっさと奴の慈悲深さにあやかるんだよ。この無数に散らばる凶器の中から、最も楽に死ねる代物を選ぶんだ。こんなにうまい話はない。無駄な抵抗はするだけ辛かろう。――さあ、早く」
フィローネは、それまでの決死の抵抗が嘘かのように、椅子から崩れ落ちて地面に両膝を突いた。
床に散らばる凶器類を掻き分け、どれが最も適当であるかを必死に見繕う。その過程で我が手首や上腕が刃に切られることなど気にも留めぬ。
最終的にフィローネが自決用にと選んだのは、錆びだらけのノコギリであった。血まみれの右手で掴み上げ、生唾を呑みつつ、首筋の左側にボロボロの刃を突き当てた。
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◆邪化の禁術――恒久的な変身を齎す禁術
◆肉塊の禁術――肉体を生成する禁術
◆脳縛の禁術――他者の精神を支配する禁術
これまでのあらすじ。
〇完全体オルゴ・デスタルータの放つ絶大無比なる高貴のオーラが周辺一帯の空気を完全に支配し、レベッカも手放すことになり、フィローネにはいよいよ為す術がない。「自害せよ」と命じられ、意地とプライドで以て踏み止まろうとするものの、積み上がる凶器の山から何者かの甘美な囁きがあり、「死んだ方がマシだ」と確信するに至る。無様に両膝を突き、提示された凶器の中で最も苦しみながら死ねる得物を選定。首筋に宛てがった。
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