第54話 悪戦
「ヴィオラ!」
絶叫するのはフィローネである。まだ回復の済んでいない、頭蓋骨が剥き出しのヴィオラは、前脚を高らかに上げつつ仰け反り、馬のそれとは形容し難いおぞましい嘶きを喚き立てる。
それよりやや先んじて、オルゴはヴィオラの背から飛び立っている。撃ち落とさんと連撃するレベッカのアッシュフレアを空中で躱しつつ、ここだと決めたタイミングで「やれ」とBBに命じる。ヴィオラの足元に位置取り、絶えず踏みつけられるのをひたすら避け回っていたBBであったが、主人の命を受け仁王立ちになり、両手を天に掲げる。そこへ目掛けて岩石のごとく巨大な蹄が振り下ろされる。
圧倒的重量、圧倒的膂力を前に、BBは二秒と堪えきれない。が、踏み潰される直前、無数のコウモリに分解し事なきを得る。――少しでもヴィオラの動きを妨害できれば充分であった。オルゴはその二秒の間にヴィオラの頭部めがけて飛来し、頭頂部をレイピアで掬い上げるように斬り取った。
ヴィオラの動きが途端に鈍くなる。されど完全に静止はしない。脳らしきものをボコボコと沸き立つように再生させつつ、背に生やした巨人の腕を駆動させ、空中のオルゴに向かってグンと伸ばす。勢いよく両の平手を叩き合わせ、挟み潰さんとする。
オルゴはこれを間一髪ですり抜け、続くアッシュフレアの猛撃を縫うように避けつつ飛び回る。フィローネの貧乏ゆすりが激しくなる。
「ナマコは自分の身が危険に曝されると、内臓を吐き出す性質がある。魂胆については諸説あるが、肝要なのは脳を持たない生物であるところのナマコですら、窮地に置かれた時にはそこから脱すべく行動するのだという事実だ」
壁を走りつつ、オルゴは呟く。群れを成した無数のコウモリが空中で寄り集まり、合体してBBの姿に再構築されるのを見届けると、怒り狂うヴィオラに視線を戻す。こちらの頭頂部も元通りに再生していた。
「火の海の中に投じられ、激痛に悶えながらもその場に留まり続け、己やBBのみを対象に据えて攻撃する。脳を支配され、都合のいい傀儡として操作されておるがための反本能的な逸脱行動には相違ないとして、なぜ脳を斬り落としても火の海から脱さないのだ? 己を打倒すべき相手だと心得てもおったようだし、甚だ不可解に尽きる。――脳縛の禁術とは名ばかりで、精神操作術は脳を持たぬ相手にも行使可能なのか? いずれにせよ一筋縄ではいかぬようだ。例えば、」
言い言い、オルゴは壁を走るのを止めてヴィオラに向き直り、壁を蹴って一気に接近し、相手の背中に降り立つ。
レイピアを逆手に持ち、ヴィオラの全身に突き刺さっている無数の人間の頭部を、手当たり次第に剣先で砕く。その度に悲鳴は倍々になり、謁見の間に響き渡った。
「ヴィオラの全身に指令を送る脳は、これら無数の人間の頭蓋のいずれかに格納されており、己が先ほど斬り落としたものはダミーのうちの一つであったという可能性。……かつてフィローネは肉塊の禁術など用いて、完膚なきまでにヴィオラを改造したのだろうが、その過程において弱点の位置をずらしたという線は充分に有り得る。戦闘用に改造するのであれば尚のことだ」
至って淡々とした分析活動。対するフィローネの苛立ち兼焦燥は留まるところを知らず、レベッカに念を飛ばしアッシュフレア・スパーダを放たせようとする。
しかしレベッカはオルゴに睨みを利かされ、またもや即座に発動できない。「お前の父や兄がどうなっても構わないのか! さっさと放て!」と急き立てられ、ここぞという確信を持てぬまま投げやりがちに熱線を照射する。
オルゴは悠々と空中に飛び立ち、これを危なげなく回避。行き場を失ったビームはヴィオラの首元の左半分を融解させ、悲痛な嘶きが響き渡った。
「まあ、どれが本体の脳であるかなど、虱潰しに検証しておる場合でもないのだがな」
宙を飛び回りつつ、オルゴは呟く。「――土台、潰し方なら他にもある」と意味ありげに。
「飛び回るだけが能のハエが。そろそろ遊びも終いだな」
一方のフィローネはさも余裕そうな言葉を並べつつ、左側の奥歯を軋ませていた。右の手で頬杖を突くのが力み過ぎるあまり、鬱血して久しい。精神的窮状を隠し切れずにいた。
パチンと、フィローネは左手で指を鳴らす。途端、レベッカは立ち眩みしたみたくよろめき、半歩前に出てから直立する。
「限定的にだが支配を解いてやる。やり方は任せてやるから、さっさと鬱陶しい害虫風情を駆除せよ。レベッカ・レオナルディ」
命じられ、レベッカはゆっくりと顔を上げる。
まず彼女は、オルゴの観察に徹した。ものの数秒間ではあったが、右手をオルゴに向けて突き出しつつ唱える魔法は、それまでと全然違っていた。
「【卑怯者の戯言】」と。
その一部始終をオルゴは注意深く静観していたが、詠唱の内容までは聞き取れぬ。どこの何にどのような変化がもたらされたのかも観測し得ず、怪訝な表情を浮かべながらも、構わず空中からヴィオラに急接近し、相手の眼球めがけてレイピアを突き出す。
しかし、レイピアはヴィオラの瞳を貫かないどころか、針のような刀身の方がバラバラに折れてしまう。呆気に取られているうち、ヴィオラは側頭部でオルゴに頭突きし、火の海に叩き落す。復調後初となるオルゴの負傷に、フィローネは「フン」と鼻を鳴らす。
「対象物の性質を変容させる魔法か。イゾラも用いていたな。……奴の甲冑から剛性を奪い、脆くし、何の変哲もない槍だの剣だのですら容易に貫けるようにしていた。それを今回はレイピアに対してか。……魔法屋の面々が揃いも揃って同じ結論に至るということなら、奴を倒すべく最良の手の一つではあるのだろう」
意匠の凝らされた椅子の上で悠々と足を組みつつ、なおも肘掛けに頬杖を突いて気取っている彼であるが、呟く台詞には安堵の気色が滲んでいる。これなら奴を倒せるぞと。
一方のオルゴであるが、火の海に叩き落されてから数秒の後、垂直に飛び上がって火炎から脱し、再度ヴィオラの頭部めがけて飛来する。もう間もなく激突するという寸前のところでレイピアを生成し、ヴィオラの眼球に差し向ける。
が、またも刀身の方が砕ける。オルゴはレベッカの方を振り向き、こちらに向けて手の平を突き出しているのを確認する。ヴィオラの頭突きを空中で躱しつつ、天井高く飛び上がりレベッカを睨みつける。
レベッカは左手でハットのつばを目深に下ろし、オルゴとのアイコンタクトを完全に遮断する。右手の人差し指をオルゴの居る方に差し向ける。怯まされないように。
「目を塞いだままで己に楯突くなど、――いや」
彼の脳裏によぎるのは、最前におけるイゾラの自動追尾式転送魔法。オルゴは少なからず緊張を高め、滑空しつつレベッカの指先の射線上から外れる。
「前回魔法発動時の座標指定対象を再参照」
呪文と呼ぶにはあまりにも無骨な文言を、レベッカは神妙に唱える。
虚無を指していた彼女の人差し指が、糸で引っ張られたように機械的に駆動し、――滑空するオルゴの方に、指先が差し向けられる。
「なんでもアリではないか」乾いた笑みを貼り付けつつ、オルゴは呆れ交じりにこぼす。
「【灰燼と化す怪火・収斂】」
指先から放たれる超高温の熱線が、縦横無尽に空中を飛び回るオルゴを自動的に追尾し続ける。謁見の間の壁やら天井やらに軌跡として刻み込まれ、高熱で溶かし、そこら中が瞬く間に穴だらけになる。次は我が身かとオルゴの頬に冷や汗が伝う。
「一時でも速度を緩めれば消し炭にされてしまう。かと言って自動追尾され続けているようでは反撃の隙もない。……これだけ超高威力の魔法を乱発しておれば遠からず精神的に疲弊するだろうが、果たしてそれまで逃げ通せるものか…………」
呟きながら飛び回るオルゴを、フィローネは黙って観測している。肘掛けをトントンと指で突く。
漏れ出して余りあるほどに肥大化した脳をフルに働かせ、相手の飛行パターンを突き止めんとする。予測し、結果と比較し、再予測しを超高速で繰り返し試行し続ける。十秒が経過しようという時分、フィローネは肘掛けを突くのを止め、
「そこ」
と呟く。
ヴィオラの、背中に生やした巨大な両腕のうち、左腕が急速に萎んで変色し、ボロ雑巾みたくなる。その一方で右手の平から左腕が生え伸び、倍の長さになる。
その手の平に、自ら収まりにいくような形でオルゴが飛び込む。意識外ないし死角外から出現したそれに対し、ただでさえ最高速度で飛び回っていた彼は咄嗟に緊急回避できない。「不覚」と反射的に口にしながら、次の瞬間には巨人の手中に握り込まれてしまった。
「抑えていられるのは束の間だけだ」フィローネはレベッカに命じる。「殺す気で仕留めに行け。どうせ死にはしない」
両肩を落とし、レベッカは呼吸を深くしている。ハットのつばを億劫そうに片手でずり上げ、握り込まれた巨人の手を見上げる。拳は強風に煽られた蕾のように激しく揺れ動いており、隙間からは血が滴っていた。
「【灰燼と化す怪火】」と、ハットを摘まんでいない方の手の平を前方斜め上に掲げつつ、静かに唱える。
火炎は空中で渦巻き、球状に収束していく。直径にして五メートルほどに膨れ上がるまで三秒程度を要する。
これを見届けて後、レベッカは開いた手を中途半端に曲げ、見えない何かを握り潰すようなジェスチャーをする。火球が一気に半分ほど縮み、バクバクと脈動しつつ徐々に収縮していく。熱気と眩さとが反比例的に増していく。
火炎の放射、放射された火炎を球状に制御、火球を圧縮。――これら別個の操作を同時並行でこなす。脳にかかる負荷が尋常でないと見え、鼻血、多汗、瞳孔の痙攣、歯軋り、ふらつき等の諸症状を一度に引き起こしていた。突き出す手が震えて照準が定まらず、もう一方の手で前腕を握り、辛うじて御していた。
「間もなく時間切れだ。放つなら今にしろ」
オルゴを封じ込める巨人の手が、引っ搔いたような傷だらけになっている。内側から脱さんと必死に藻掻いている痕跡が外側にまで漏れ出している表れであり、ヴィオラの再生が間に合っていないことの証左でもあった。
レベッカは前に突き出した左手を、徐々に持ち上げていく。それに伴って火球は前方斜め上空に、弧を描きつつ緩やかに上昇していく。
ヴィオラの遥か頭上にて静止。火球の不規則的な脈動は激しさを一層高めており、もう破裂寸前まで秒読みの頃合いかと思われた。
「【空絶】」
歯を食いしばったまま、レベッカは絞り出すように唱える。左手をグッと握り込む。
刹那、上空に漂う火球が、何十倍にも膨れ上がる。直径にして十メートル以上はあろうかと思われるほどの。――また、それと同時に、床一面に広がっていた火の海が鎮火する。ヴィオラは打ち上げられた魚類のように頻りに口を開閉し、間もなくその場に頽れた。背中から生やした巨人の手にオルゴを握りこんだまま。
「在りながらにして生きとし生けるを死に至らしめる大火!」
フィローネは椅子から身を乗り出しつつ、両の口角を吊り上げて高揚する。上空の火球を見上げる。
「絶えず周囲四方から空気を吸い取り、独善的に燃え盛りし恐怖の大王!――何が吸血鬼だ、何が高貴だ! 誰も僕には逆らえない、逆らってはいけな」パチンと。
人を小馬鹿にしたような、乾いた破裂音の出し抜けに鳴る。――フィローネは口を開いたまま、顔面を前方斜め下に向ける。
横たわるヴィオラの傍に、オルゴが立っている。フィローネに横顔を見せつつ、左手で指を鳴らしながら上空の大火を眺めていた。
「………………………………な、」
喉の奥に血の味を感じつつ、張り裂けんばかりフィローネは喚き散らした。
「なんなんだよ! お前は!」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆邪化の禁術――恒久的な変身を齎す禁術
◆肉塊の禁術――肉体を生成する禁術
◆脳縛の禁術――他者の精神を支配する禁術
これまでのあらすじ。
〇以前までと同じようにオルゴに対して攻撃を仕掛けることの出来ないフィローネとレベッカ。フィローネはレベッカに対し限定的に支配を解除し、彼女自身に戦闘スタイルを委任する。オルゴを捕らえ、勝利を確信するフィローネであったが、目を離している隙に打ち破られ、訳も分からぬまま喚き散らす。
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