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第53話 思索

 言葉も出ない。オルゴは右側頭部に生えた毛を一本摘まみ、ピンと引き抜く。


 見紛うべくもない金色の輝きである。甲冑の装いでなければ、毛を抜くときに軽微な痛みも感じていた。


「白昼夢だったのだ。気が遠くなるほどの」


 抜いた髪を愛おしそうに眺めつつ、オルゴは呟いた。


「己はこの、アンビエンテの冒険者ギルドで依頼業を受注し、席に戻ってうたた寝をしておったのだ。……今、この時こそが現在である。己はフィローネごときに敗れてなどいないし、レベッカは見るも健在である。……我が旅路に波乱はない。これまでも、そしてこれからも」「この旅の続きはどうなさるんですか?」


 気付けばレベッカが彼の右隣の席に腰掛けている。首を傾げ、彼の顔を覗き込んでいる。


「……決まっておろう。母君を殺害した真犯人を特定し、復讐を果たし、……それから」

「それから?」

「…………」


 オルゴは背もたれをギッと軋ませ、両腕を組む。

 それから、――何を目標とするのだったか、己は。


「しっかりしてくださいよぉ。デスタルータさんご本人が話してたじゃないですか」


 唇を尖らし、非難の目を向ける。

 話していた? 己が小娘に、そのような話を?


「楽園を築くって」


 ビュウと寒風が吹きすさぶ。彼らは真夜中のアンビエンテ市街に立ち、相互に向き合っている。


 背の高い街並みはまばらに営業している酒場の門灯で足元から赤色に照らされ、鮮やかな群青色の夜空が造り物のごとくであった。


「……楽園」

「そうですよ」帽子をかぶったレベッカは両手を後ろに回し、オルゴを睨み上げる。


「木々や稲穂が余すほど実り、飢える者はなく、年末から年始にかけて高貴祭りを開催して高貴タルトを振る舞って高貴ダンスを踊って」

「最後のは余計だ。高貴を愚弄するでないわ」

「じゃ、それ以外はやっぱり言ってたんじゃないですか。デスタルータさんご自身が」

「……………………」


 そうだ。とオルゴは内心思う。顔を伏せる。


「どうしたんですか?」

「己は逃げていたのだ」


 覇気の抜けた声色で、ポツポツと呟く。


「立ち向かうべきポイントはいくつもあったはずだ。己が冤罪を吹っ掛けられようというのに領民の誰一人として擁護する者が居なかった時点で、父君すら何ら口を挟まなかった時点で、デスタルータに巨悪が巣食っておることなど火を見るより明らかだったにも拘わらず、己はひたすら現地から遠ざかり続け、極めつけには『楽園を築くのだ』と声高に叫ぶ始末である。安住の地を命を賭してでも奪還せんと奔走するのではなく、新たに立ち上げてそこに逃げ込もうとしていたのだから。……領土のことは父君に丸投げし、愚弟が暴虐の限りを尽くしている傍ら、楽園だなんだと空想しては自らを慰め、……何がデスタルータ伯爵家の長兄だ。己よりフィローネの方が、次期当主という意味ではよっぽど」


 相応しい、まで言い切る前に、オルゴは頬をビンタされる。

 か細く小さい、人間の少女の手の平によって繰り出された平手打ちであるにも拘わらず、痛みは頬にこびりついて一向に引かぬ。


「しゃんとしてください!」


 レベッカは平手を振り向いたまま、叩きつけるように怒声を浴びせる。物凄い剣幕でオルゴの双眸を睨み上げる。


「あなたがそんなことでどうするんですか! 今思えば己はずっと現実逃避していたのだって、柄にもなく落ち込んだりなんかして、格好悪い! 高貴さの欠片もない! そんな調子でフィローネを倒せるとでも!? 私たちを救い出せるとでも!? どちらもあなたにしか果たし得ないことなのに!」


 イゾラは死に、ネロ・ヌボラでは到底手に負えぬだろう。

 ――己がここで食い止めねば、他に誰が………………?


「ここであなたが敗れても、いつの日にか周辺領地や王都からの派兵が集結し、フィローネを討ち果たすかもしれません。……ですが、私や父、兄やイゾラさんの妹が、その時まで無事でいられるわけがない。傀儡のごとく使い潰されるか、傀儡のごとく凌辱されるかの二つに一つなのです。……それでも構わないとでも!? そうされるのがお似合いとでも!? あなたはそうじゃないでしょう、オルゴ・デスタルータ!」


 絶叫の最後には、決壊せんばかり両の目に涙を溜めている。赤色の瞳が、薪をくべた炎のように燃え盛っていた。


「――――おいおいおいおいおい」


 その声は、突如として町中に響き渡った。支配者に特有の、爽やかでいて異様に響く声色で、格別の嘲笑を含みつつ四方八方からオルゴを責め立てた。


「随分と精神の方が弱っているようだから侵入ハックさせてもらたったが、お前は煮詰めた砂糖みたいなゲロ甘い空想をご所望なんだね。年下の少女に慰められ、激励され、そうやって自らを奮い立たせようとするのか。素朴というかなんというか、なんともプリティな魂胆じゃあないか。――や、悪くないと思うよ。なにせお前には母親がいない。手近な女に母親性を求めたって誰も咎めやしないさ。――ただ、」


 弟の伴侶をその対象に妄想するというのは見過ごせないね――言い終わった直後、オルゴの視界がグラグラと大きく揺れる。


 足元の石畳が、スライムのように柔らかくなり、弾みつつ波を打ち始めていた。夜空は血の色に染まり、どこから現れたか人の形をした肉の塊の群れが、両の足を引きずりつつオルゴらに迫り来る。取り囲むようにじわじわと。


「お前は永遠の夢の中で完膚なきまでに精神を破壊され、傀儡となるに相応しい時が来たんだ。毒入りのケーキナイフの戴冠式も鉄柵に詰まっている。勝ってショウジョウバエの御前に粒状のシャンデリア蛇るのはゆめゆめお前ではないことを痴らしめてやれ! ハーッハッハッハ…………」


 意味不明の妄言、どちらかと言えばオルゴの悪癖であるところの高笑い。「デスタルータさん」と呼びかけられ、オルゴは前方に向き直る。


 対峙するや否や、レベッカに指を差される。眉毛の上あたりに狙いを定められつつ、「脳を焼き溶かします」と宣言される。紅蓮色の瞳には一縷の迷いも宿っていない。「現実に戻る覚悟は?」わずかばかり首を傾げた。


 オルゴは長大息する。肺の中の空気すべて出し切るほどの。――瞑目し、ゆっくり鼻から息を吸い込み、ワインレッドの瞳を開眼する。レベッカの双眸とかち合わせる。


「面白くもない。文字通り《《焚きつける》》わけだ。我ながら小賢しい夢を見る」


 片方の手で前髪を掻き上げ、呆れた表情を浮かべる。


 対するレベッカはどこか安心した風に、あるいは肩の荷が下りたといった塩梅で、苦笑しつつ短く嘆息する。「【灰燼と化す怪火(アッシュフレア)収斂スパーダ】」と唱える。 


 彼女の指先に、直径十センチほどの金色に光る輪が出現する。


「叶えてくださいね。――あなた自身が、叶えたいと願うすべてを」


 光輪が急速に縮み、点となったと同時に、そこから赤みを帯びた金色のレーザーが照射され、オルゴの前額部を貫通する。そこを中心として彼の頭部は瞬く間に融解し、――次に瞼を開いた時には、眼前は元の灼熱地獄である。オルゴは仰向けに倒れており、肉体の再生は殆ど進行していない。自らの脳髄を手刀で搔き乱してから、さほど時間は経過していないらしかった。


 揺らめく火の海の向こうに、彼はBBの奮闘を見る。やはり防戦に徹しがちではあるものの、隙を見ては攻勢に転じ、戦闘の体裁を保っていた。「横たわるだけの己とは大違いではないか」、と呟く。


 自嘲ではない。客観的事実の再確認である。――そもそも、彼がBBと比べて負傷が深刻であるのは至極当然なのだ。フィローネ陣営の狙いはあくまでオルゴであるから、彼がBBより苛烈な猛攻に曝され続けることになるのは必定だし、戦闘時の立ち回り方についてもオルゴとBBとでは全然違っていた。ただひたすらヴィオラの足元で動き回っていたBBと、隙あらば空中より飛来してフィローネを討たんと試み、その度にレベッカから手酷い迎撃を浴びせられていたオルゴとでは、敵から受ける攻撃の種類も回数も程度も全く異なっていた。だから負傷の具合が均一ではないのだという、ただそれだけの退屈な事実を再確認していた。


「そも、奴も奴で、ヴィオラには何らのダメージも与えられておらんのだ」オルゴは天井を仰ぎつつ呟く。


「というか厳密には、我々がどれだけ躍起になってヴィオラを負傷させようと、次の瞬間には回復魔法だか肉塊の禁術だかで即時再生されてしまうのだ。……しかも、一向にその再生速度が衰えることはなく、このまま場当たり的に消耗戦を継続しておれば、順当に敗れるのは我々の側に決まっておる。さてどうしたものか…………」


 ふいに閃いて、オルゴは天井に右手をかざす。五指に嵌めた金色の指輪のうち、特に人差し指を注視する。


 これまで彼は窮地に立たされる度、人差し指を噛み千切り、そこに蓄えられた血液を触媒として邪化の禁術を発動し、自らをより強い存在へとアップデートしてきた。――今この時にこそ頼らないでどうする。思い立ってからは早かった。


 オルゴは人差し指を口腔内に差し込み、根元から噛み千切る。親指と中指とで摘出し、燃え盛る火の海に放るわけにはいかないので、そのまま手中で握り潰し、手の平を血みどろにする。搾りかすを手放すと同時に、


「【邪化の禁術(インバージョン)】」


 と唱えた。びっしりと塗りたくられた赤黒い血液は彼の手の平で渦巻くように蠢き、魔法陣みた模様を形成しようとする。


 が、何かしら一定の形に収まろうとする度、模様は崩壊し、新たに形成されかけてはただの渦巻いた血汚れに回帰してを繰り返し、完全にその躍動が失われ静止したかと思うと、手の平一面の血液は跡形もなく塵と消えてしまった。


「……………………………………」


 流石の彼もこれには堪らず、掲げた右手で両目を覆い、ハアと大きく溜め息をついた。


「よりにもよってこのタイミングで不発とはな。……何が原因だ?『貴様はどう変身したとてフィローネには敵わぬのだ』という、禁術側からの通告と取るべきか? ……それか、単純に魔力不足の線か? 今まで意識したことはなかったが、禁術とは言え魔法の一種には違いないのだから、それ相応の魔力なくして発動に漕ぎつけることは出来ぬのだという………………」


 オルゴは言葉を切る。ある決定的な見落としに気付いたからであった。


「……仮に、禁術の使用には魔力を消費するのだとした場合、《《それはフィローネ陣営にしても同様だということになる》》。……一時的にとはいえ、領土内の人間すべてに脳縛の禁術ならびに肉塊の禁術を行使するにあたっては、規模感からして相当に莫大な魔力を要したはずだが、奴はそれをどのように調達したのだ? ……ヴィオラを再生し続けるのに必要なエネルギーはどこから? 肥大した脳を腐らせずに維持し続けるエネルギーはどこから? カラクリはどこにある?」


 脳内で可能性を駆け巡らせる。怪物に作り替えられた元領民、一方で領土の外から調達してきた傀儡に関しては頑なに肉体を改造しない。火属性の魔法を多用。脳縛の禁術が通用する相手とそうでない相手。それから―――――――――――――。


「クッ」


 と。

 彼は両目を手で覆ったまま、乾いた笑声を漏らす。「ク、クク、クフハハ…………」と、次第次第に堪えきれず、終いには豪快に笑い始める。


「もう狂ったのか?」


 その笑声を遠巻きに聞きながら、フィローネは呆れたように頬杖を突く。


「手刀で頭蓋骨を貫き、脳を掻き混ぜ、……幻覚だか幻想だか見ていたようだけど、よほど夢見が悪かったのかな。目を覚ますなり大笑いとはね。……勝手に壊れられても困る。壊れていないお前を壊すことに意義があるというのに」


 その間にもオルゴの哄笑のボルテージは上がり続ける。いつ息を吸っているやら分からぬ、「クハハハハハハハハ!」と突き抜けるように。――――――そして、


「己を拾い上げろ、BB」


 打って変わって淡々とした口調で呼びかける。BBはヴィオラとの戦闘を中断し、主人の元に四つ足で駆け寄る。上半身だけ残された主人の体を片手で軽々と拾い上げ、ヴィオラが踏みつけてくるのを転がりながら避け、火の海をあてもなく疾走する。


「ヴィオラの首筋の側面に向かって己を投げろ」


 主人の命令に合点招致と言わんばかり、BBはグルと短く唸り、踵を返してヴィオラと相対する。左脚を上げて踏みつけてくるのに合わせ、BBはヴィオラの左側に転がり、相手の真横に躍り出るや否や、片手に持ったオルゴを斜め上に目掛けて力任せに放り投げた。


 が、相手は曲がりなりにも草食動物である。真横に付いた目が迫り来るオルゴの存在を即座に捉え、背中から生やした巨大な人間の手を駆動させ、ただちに叩き落さんとする。対するオルゴは「【吹き均す烈風(スムースウインド)】」と唱え、進行方向と真反対に向かって風を噴射し、推進力を増して加速する。


 間一髪、オルゴは迫り来る巨人の手を搔い潜り、イボのごとく人間の頭が生えたヴィオラの首筋に噛みついた。嘶きつつ激しく首を振って抵抗されるのを、持てる咬合力の限り牙を突き立て絶対に離すまいとし、血を吸い続ける。みるみる肉体が再生していく。


「何を呆けている。さっさと蚊を撃ち落とせ」


 壇上よりフィローネが顎先で示す。レベッカは言われるがままオルゴに指を差し、「【灰燼と化す怪火(アッシュフレア)】」と唱える。一極集中式に発射すべく、その後には「【収斂スパーダ】」と続けるつもりでいた。


 しかし、それは果たされなかった。


 指し示した先のオルゴにギロリと冷ややかに睨み返され、――傀儡に恐怖心など有りようもないに拘わらず、レベッカはさも怖じ気づいたかのように詠唱を切ってしまった。立てた指先が緩やかにしなり、わずかばかり両瞼を見開いた。


 その隣でフィローネは舌打ちし、不愉快そうに指を鳴らす。 レベッカは自らの頬をビンタし始め、五回ほど繰り返す。六度目を振りかぶるが、フィローネの二度目の指鳴らしを合図に中断し、ダランと腕を下ろした。


「二度はないぞ。蚊を撃ち落とせ」


 吐き捨てるように命じられ、レベッカは再度オルゴに指を差す。もはや足先まで完全に再生しかけている相手に対し、今度こそ「【灰燼と化す怪火(アッシュフレア)収斂スパーダ】」と一息に宣誓する。


 指先に直径十センチほどの光輪が展開。直後に収縮し点となり、そこを起点に赤みを帯びた金色のレーザーが照射される。――が、オルゴは彼女の視界から消え、行き場を失ったレーザーはその奥の壁を高熱融解させた。大穴が穿たれ夜空が垣間見える。


 どこに消えた? レベッカは周囲を見回す。


「節穴か。上だろうが」


 毒づかれ、レベッカは天井を見上げる。彼自身の体躯ほどはあろうか、巨大な黒い羽をはためかせ、オルゴは天井スレスレに滞空している。右手にはくすんだ鈍色のレイピアを握っていた。


 すかさず彼女は二発目の灰燼と化す怪火(アッシュフレア)収斂スパーダを放たんと構えるが、またも睨みを利かされて照射までにラグが生じ、その間にオルゴは頭を下にして急降下。ヴィオラの背中に勢いよく降り立ち、曲げた膝を伸ばすと同時にクルリと横に半回転。フィローネに背を向ける。――途端、ヴィオラの首元が、背に生やした巨人の両腕が、両断されて火の海に落ちる。


「……なぜ即座に放たない?」フィローネは肘掛けを指で突く。困惑のあまり憤り切れぬ。隣でレベッカが回復魔法を唱えると、戸惑ったようにふらついているヴィオラの頭部やら背中の両腕やらが、モゾモゾと断面から生えていく。それすらオルゴの異様さないし超然さを演出するかのごとく絵になっており、フィローネは知らずのうちに息を呑んでいた。


「第二ラウンドといこうか」


 静かに呟きつつ、オルゴは半身に振り向き、フィローネを見下ろす。


 狩るべき対象とすら見ていない、ぶち撒けられた吐瀉物でも睥睨するような目で。

 ここまで読んでいただきありがとうございます!


 ◆邪化の禁術――恒久的な変身を齎す禁術

 ◆肉塊の禁術――肉体を生成する禁術

 ◆脳縛の禁術――他者の精神を支配する禁術


 これまでのあらすじ。


 〇空想の中でレベッカに焚きつけられつつ、意識を現実に戻すオルゴ。打開の一手を繰り出さんと邪化の禁術が不発に終わり、にも拘らず哄笑。ヴィオラに噛みつき血を吸い、五体満足に回復。彼が睨みを利かせるとレベッカは一時的に行動が鈍くなる。第二ラウンドが開始する。


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