第52話 鏡台
「………………………………。 ……。 ………………。 …………」
これはオルゴの沈黙である。意図なき沈黙、高度に純粋化された極めて符号的な沈黙である。
彼は燃え盛る火の床に突っ伏し、焦がされては再生してを絶えず繰り返しつつ、極度の放心状態に陥っていた。――左肩から先、肋骨から下、眉から上を欠損し、砕けた頭蓋からは薄桃色の脳が漏れ出している。血や臓物は漏れ出すに任せ、異様に深い呼吸が生への渇望を訴えていた。
「………………………………ア? ……オ。 ………………。 …………ゥ?」
再生の最中、オルゴは発話未満の鳴き声を絞り出す。脳の九割以上を失い、沈黙することしか出来ていなかったのが、わずかばかり復調の兆しを見せる。
彼は眼球だけで周囲をぎょろぎょろと睨み回し、謁見の間の壁際にうず高く積まれた屍の山を見つける。右腕だけで這い、直ちにこれを摂取せんとする。――が、もう目の前という段、彼は両目を見開き瞳孔を痙攣させ、
「………………己は、一体何を…………………………」
愕然としつつ、屍の山に差し伸ばした手を引っ込めた。信じられぬといった塩梅で手の平を凝視した。
この頃には彼の頭蓋骨は再生されて塞がっており、頭皮ならびに頭髪も徐々に生え始めている。内部の脳に関しても六割がた復元しており、彼の知性ないし理性はそれ相応に復調しつつあった。
また、放心状態からの脱却に伴い、それまで知覚できずにいた多種多様の感覚が怒涛のごとく押し寄せていた。――絶えず灼熱に焦がされる全身の激痛に、失血および脳の損傷に由来する強烈な眠気。自らの呼吸が極めて不規則に乱れていることを自覚し、瞳孔のみならず全身が痙攣していることに気付く。ドンドンと断続的な衝撃音がくぐもって聞こえ、それと連動するかのように地面が上下に揺れていることを認識する。
何が起き、現在どうなっているのか?
オルゴは右腕のみを頼りに身を捩り、状況の把握を試みる。
揺らめく炎の向こう側では、人間の頭と腕とを生やした巨大馬ことヴィオラが、狂ったように嘶きつつ猛威を振るい続けている。頻りに蹄を床に打ち付けている足下ではBBが這う這うの体で駆け回っており、隙を見計らっては長い黒髪を振り乱しつつ、ヴィオラの足首に正拳突きを繰り出している。
無傷の怪馬に対し、BBは満身創痍であった。奇麗に生え揃っていたはずの両の歯にはいくつも穴が開いており、右肩から先は潰され欠損しており、一向に再生する気配がない。万人が万人とも悪戦苦闘と称する盤面であり、彼がオルゴのようになるのも時間の問題と思われた。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………負けた、のか? 己は…………」
彼の脳裏に、戦闘開始から現在に至るまでの記憶が呼び覚まされる。
当初、オルゴは背中に羽を生やして謁見の間を飛び回り、BBはヴィオラが蹄で踏んで火を消したエリアを転々とし、まずはこの怪馬から打倒せんと上下からの挟撃を試みていた。
しかし、雑に肉体を肥大化させられただけの領民らとは異なり、ヴィオラは明確に戦闘用としてデザインされており、四肢でBBをいなしつつ首の動きと背中に生やした両腕とでオルゴを迎え撃つなど造作もなく、叩き落とし、踏み潰しとを同時並行的にこなしつつ、オルゴらに対して蹂躙の限りを尽くしていた。戦いの中で負った傷は後方に控えるフィローネによって即座に回復させられ、オルゴ陣営はひたすら消耗戦を強いられていた。
これでは埒が明かぬと、オルゴは標的の変更を決断し、ヴィオラの猛攻を掻い潜りつつ辛うじてフィローネの前に躍り出るのだが、
「【灰燼と化す怪火】」
とその隣に立つレベッカから大火を放たれ、空中で丸焦げにされ、退却を余儀なくされた。――が、レベッカの反撃はそれだけにとどまらず、オルゴの背に向かって指を差し、その先端から糸のごとく極めて細いアッシュフレアを照射する。謁見の間の一帯をたちまち火の海に変えるほどの出力はそのままに、射出範囲を一点に絞り込んで超高密度化した火炎は、彼の肋骨から下をいとも容易く焼き溶かした。
大前提、貴族令息・令嬢以上の身分でなければ入学を許されないザンナ王立学園に、卓抜した魔法の才格のみ引っ提げて特例的に入学を認められた商人一家の娘、レベッカ・レオナルディ。――これまでの旅路で、その能力が大々的に用いられることはなく、本力が発揮される機会に至っては一度たりともなかった。
「…………………………………………いいや、そのようなはずはない」
オルゴは突っ伏したまま、虚ろな目をして呟く。
「この己が、よりにもよってフィローネごときに叩きのめされるなどと…………。これはそう、脳の再生に失敗したのだ。…………他の臓器ならともかく、脳ほど複雑な器官をそう容易く復元できるものか。………………脳が正しくないから、誤った記憶が呼び起こされるし、妙な現実を見ておるのだ。……己は敗れてなどおらぬし、五体満足であり、仁王立ちしている。…………、そうと分かれば、この出来損ないの脳は、…………さっさと壊して、正しく作り替えねばなるまいな」
言い切るが早いか、オルゴは右手の手刀で自らの頭部に突き立て、そのまま頭蓋骨を貫く。ヌチャヌチャと湿り気を含んだ音を出しつつ内容物を掻き回し、左右の眼球を別々に動かし、病的に痙攣し、譫言を垂れ流す。
「おお、これは父君である。満足も泳いでいそうに己である。土くれの味は変革した高貴さなのだ。……せっかくの赤い髪に生やすのはご機嫌な庭のような豚でなくてはならない。親父殿ごと食すのだ。哀れな酒樽よ。この小娘をどこにぶつけたものであろうか。死ね。なぜ小娘なくては煙ないのだ。失望を慰めているようではライオンなのだ。貴様らの正義など親不孝ではない。細切れだと良かったのは貴様の方では? 病床の上、ボロ小屋の奥、客室の床。自業自得だと割り切れたら人面人間は要らぬ。羽虫を一匹取り損ねたせいで羊水はズタボロだ。願わくば最後にもう一度、あのリンゴのタルトを」
「デスタルータさん!」
意識外からの呼びかけに、オルゴは勢いよく顔を上げる。周囲を見渡す。
彼の視界には、どこか見覚えのある大衆食堂の風景が広がっている。板張りのテーブルを囲んでいるのはいずれも冒険者風の者ばかりであり、冒険者ギルドに併設された食堂なのだろうなと推測される。豪気がちな客層で賑わっており、埃っぽいような甘酸っぱいような香りが一帯に充満していた。
「そっちじゃないですよー」
どこか人をおちょくったような、唇を尖らせたツンとした物言いがすぐ近くで聞こえる。ようやく彼は声の主と向き合う。
テーブルを挟んで向かい側に座しているのはレベッカであった。
隣の空席に帽子を掛け、開いた片手を口の端に添え、呆れたように目を細めていた。――卓上いっぱいに並べられた皿に、料理は乗っていない。どころか汚れ一つない。にも拘わらず彼女は左手にフォークを握っており、オルゴ自身も両手にナイフとフォークとを持っていた。
「もう、どうしたんですか本当に。……柄にもなくボーっとしちゃって。白昼夢でも見てたんですか?」
レベッカは首を傾げ、右手にナイフを持ち直した。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆邪化の禁術――恒久的な変身を齎す禁術
◆肉塊の禁術――肉体を生成する禁術
◆脳縛の禁術――他者の精神を支配する禁術
これまでのあらすじ。
〇ヴィオラとレベッカの猛攻に打ち破れるオルゴ。自らの脳を物質的に搔き乱して現実逃避を図り、混濁する意識の中で想像上のレベッカと邂逅する。
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