第50話 厭悪
「己が邪化の禁術を閃いたのは、砂埃に塗れたパンを獄中で眺めている時であった。――貴様が砂埃をかけた、あのパンをだ」
オルゴは言葉を切り、中分けの男の足元に転がっている瀕死のイゾラを一瞥し、視線を戻しつつ睨みつける。
「貴様は何者だ。何が目的で己の前に二度も現れる」
「俺が何者かなんてどうでもいいことだよ、オルゴ・デスタルータ」
中分けの男は芝居がかった風に肩を竦め、ヤレヤレと首を横に振る。
「君は可及的速やかに、レベッカ・レオナルディを救済しなくてはならない。――彼女はほら、君の愛すべき携帯食料だからね。いずれ君が世を統べる大王として華々しく君臨するにあたり、彼女はその支柱として是が非でも外せない存在――――」
演説の傍ら、BBが一歩前に出る。白鍵の如く生え揃った上下の歯を剥き出しにし、グルルルル…………と唸り声を出す。
「……ハハ。血を分けた兄弟とはよく言ったものだ」
BBを睥睨しつつ、中分けの男は苦笑する。
「君が『高貴』を振る舞う裏側に押し殺し続けてきた、非知性的な暴力衝動。獣性兼、憤怒の化身。――分身に任せてばかりでいいのかい? それら全て含めてこその君だろうに」
ある意味、そのレッテル貼りに呼応するかのような形でとも言おうか、BBが前方に飛び出した。ありったけの憤怒を右腕に込め、中分けの男に繰り出した。――が、その攻撃が炸裂するのに先んじて、彼はその場から忽然と消失している。
「君が選択を誤らないことを心から願うよ」
中分けの男はオルゴの背後に出現し、飄々とした口ぶりで呟く。
「またどこかで」と別れの挨拶を切り出される最中、オルゴは背後を振り向きつつレイピアを差し向ける。――が、その頃には既に跡形もない。
オルゴの胸中は一面の曇り空であった。彼が何者であり、何の目的ないし使命のもと活動しているのか、どうにかしてでも探り当てねばという衝動に駆られていた。――是が非でも退治すべき相手なのか、無理やりにでも手中に収めるべき相手なのか、あるいはそれ以外なのかを確かめずにはいられなかった。
急場でなければ、である。
「先を急ぐぞBB。今はアレに構っている暇はない」
明後日の方向に駆けだすBBを呼び止め、オルゴは並び立って城の前庭に踏み入れる。屍の園の最奥に主塔が聳え立っており、扉は固く閉ざされているものの、その前に兵士は立っていなかった。
「……どうして、だ」
息も絶え絶えに呟くイゾラの声を背後に聞き、オルゴは足を止める。
「わ、私はただ、妹と平穏にす、過ごしたかった、……ただ、った、たったそれだけなのに、……な、なぜそれすらもゆ、許されないのか。……ゆ、許せない。……わ、私は、この世界が、……こ、この仕打ちが…………」
何と声をかけて良いものだろうかと、オルゴは暫し逡巡する。
「同感だ」と、率直な感想を述べるに留め、彼はその場を去り、死屍累々の庭園をBBと共に突っ切っていく。
呼吸するごとに甘酸っぱい臭いが鼻腔を衝き、肺に充満し、吐き気を催す。異様に粘り気を含んだ雰囲気が体に纏わりつき、倦怠感と共にささやかな眠気に苛まれる。
あまりにも浮世離れした空間である。だから、視界の隅に捉えたソレについても、オルゴは一度素通りしかけた。「まさかな」と取り合わなかった。
しかし、そこから二歩ほど歩みを進めていくうち、どうにもその正体を確かめねば気が済まなくなる。オルゴはいよいよ観念し、足を止めて左を向いた。
歪に異形化した元人間らが折り重なる、屍の山の麓に、やけに身なりの豪華な、中年の男の死体が打ち捨てられている。
金色の頭髪と髭とは無造作に乱されているものの、丁寧に切り揃えられており、造形物のごとく均整の取れた顔面の彫り、見開かれた双眸には虚ろなる金色の瞳。腹部に巨大な穴が開けられて洞のごとくなっており、内臓のことごとくを食い破られて絶命していた。
「父君…………」
唖然とする。何らの演出的配置も粉飾もなく、ただ十把一絡げに纏めて雑多に遺棄されている、無様な父親の姿を呆然と眺める。
これも分かっていたことだった。領内をここまで滅茶苦茶に出来るからには、本来の統治者であられる父君は何らかの手管にて無力化されているか、あるいはその究極系に処されているものだと。――彼の脳内に、在りし日の思い出が呼び起こされる。厳しくも真心を込めて指導して下さった日々、その期待に応えるべく、父君のような高貴なる統治者を目指すのだと、学業に鍛錬に邁進し続けてきた今までを。
毀損された。踏みにじられた。全身の血液が熱を帯び、内側から発火せんばかりになる。
歪み果てる顔面を取り繕うことが出来ない。「必ずや父君の恨み骨髄を晴らして参ります。それまでどうか安らかに」と言い残し、オルゴは前方に向き直り、歩調を速める。
主塔の前に立ち、自分の背丈の何倍もある巨大な扉を顎先で示す。BBは右腕を振り上げ、扉を突き破る。
座標的にその空間は、本来は謁見の間であるはずだったが、御多分に洩れず変わり果てている。数百人は収容できようだだっ広い空間の端には、塵芥でも掃いたように人間の死体が打ち捨てられている。――特徴的なのは、いずれも若い女の裸体であるということだった。異形化もしておらず、大多数が頭部を破壊されていた。
「やっぱり来たのか。お前という怪物はどこまでも単純で滑稽だね。……女一人攫われたくらいで、馬鹿みたいに取り乱してさ」
広間に反響する、不自然に爽やかな若い男の声。
謁見の間の最奥、本来立派なのだろう意匠が施されていそうな豪華らしき椅子に、怪物が鎮座している。――華美を凝らした装いで、余裕綽々に足を組んで座っているのだが、頭部の鼻から上半分が足元に落ちており、下半分の断面からは大腸のような触手のような、ピンクががったブヨブヨとしたものが生え、あるいは頭髪みたく垂れ下がり、床まで到達して余りある。奥側の床一面が、汁気を含んだそれで敷き詰められていた。
その怪物の背後には粗末な木材で三本の十字架が立てられており、左からレベッカの兄と父、その右にはイゾラの妹が磔にされている。意識があるのかないのか、いずれも虚ろな目をしたまま無反応を貫いている。
レベッカは、フィローネが手を伸ばせばすぐ届く距離、彼の右隣に控えていた。
オルゴを目の当たりにしても眉一つ動かさず、ただ生気の抜けたような顔をして、そこに突っ立っている。――出会って以来、一度も見せたことのない彼女の表情に、オルゴの胸中がざわつく。
「まあそう焦るなよ。まだその娘の処女は奪っちゃいないさ。それはお前を無力化して動けなくしてからの楽しみだからね。――僕はなんというか、演出的な側面のある人間だからさ」
非演出的に打ち捨てられていた父親の姿が脳裏によぎる。相手の魂胆はこちらを逆上させることなのだと、むざむざ引っ掛かってたまるかと奥歯を噛み締め、オルゴはフゥと短く溜め息する。
「久々に会ったのだ。積もる話もあろう。――なあ、我が愚弟フィローネよ」
レイピアを床に突き刺し、オルゴは右手で前髪を掻き上げる。
フィローネは短く舌打ちし、
「本当に心底、気色悪い兄上様なことだよ、全く」
下半分のみ残った顔面に苦笑を浮かべた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆邪化の禁術――恒久的な変身を齎す禁術
◆肉塊の禁術――肉体を生成する禁術
◆脳縛の禁術――他者の精神を支配する禁術
これまでのあらすじ。
〇デスタルータ城に突入。道中で父親の死体が遺棄されているのを発見し、謁見の間では怪物と化した弟が出迎え、レベッカ親子とイゾラの妹が傀儡にされている。
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