第49話 横槍
オルゴは前方にかすかながら見える、デスタルータ城を目指して突き進む。もはや語るまでもなく、城下町は荒廃かつ混沌を極めており、家屋は倒壊しそこいらに屍肉や汚物が散乱、異形の巨人が跋扈し、オルゴを仕留めんと狂乱しつつ攻撃を仕掛ける。
そうした猛攻の数々を、しばらくは間隙を縫うようにして切り抜けていたオルゴであったが、中心地に近付いていくにつれ、次第次第に道を塞ぐ巨人の密度が増していき、避けて通るにもいよいよ限界である。オルゴは足を止め、「埒が明かんな」と左腕の付け根を掴み、甲冑ごと引き千切る。もう一度や二度のことではないので、断面からの流血もただちに止む。それすらコントロール下に置く彼であった。
「道を作れ。【血を分けた兄弟】」
前方に放り投げた左腕は、空中で爆発的に膨張し甲冑を砕き飛ばし、全長三メートルの赤黒い巨人に変貌する。筋骨隆々で、性器はおろか目と耳と鼻もなく、頭頂部から肩下にかけて藁のように乾燥した黒髪が生えている。着地するや否やおぞましい雄叫びを上げ、上下の歯を食いしばりつつ、迫り来る敵を容赦なく千切っては投げ、一心不乱に城を目指す。
その後を追いつつ、オルゴは沈思黙考する。
何がフィローネをこうさせたのか? 左目を奪われ、その時の怨嗟が膨れ上がった結果なのか? 仮にそうだとして、これほどまでに発狂するものだろうか――憤る気持ちの一方で、オルゴは甚だ意味不明であった。
かつて領地中の民から揃いも揃ってバッシングされ、極刑に処されかけた己ですら、……民を、領地を、こんな風にしようなどとは思わなんだ。……なぜだ。同じ親から生まれ、同じ親から育てられたはずの我々が、どうしてこんなにも………………。
ついぞ答えに辿り着かぬまま、オルゴとBBはデスタルータ城の前に辿り着く。城下と比べれば流石に幾分かマシな様相をしているだろうという想像とは裏腹に、権威の象徴であるはずの居城の玄関先は屍肉に塗れて惨憺たる。立ちどころに蠅やら鼠やらが群がっていた。
精密無比なる浮彫が至る所に張り巡らされ、尖塔が優雅に聳え立っていたのが、こうも完膚なきまでに汚されては卑しい魔物の城の如くである。――この領地内に、正気の人間は一人たりとも残っていないだろうことを示唆していた。
が、オルゴの関心はそこにはない。――城の前に並び立ち、行く手を阻む三人の男らにこそ、注意が差し向けられていた。
特筆すべき点もない、槍と盾とを構えた二人の甲冑兵と、その間に挟まれて立つ、異様な風采の男。髪も髭も伸ばし放題の、見るからに陰鬱な三十過ぎの貴人。概ね一秒間隔毎に、右手で指を鳴らし続けていた。
「貴様がレベッカを転送魔法で攫いおった張本人か。どうせ貴様も傀儡には違いあるまいから命まで取らんつもりだが、我が覇道を塞ぐようなら斬り伏せるぞ」
レイピアを差し向けるが、子爵令息イゾラは動じない。縮れた前髪の隙間から、激しい憎悪の込められた瞳で睨み返す。
「ほう?」オルゴは首を傾げる。
「それは傀儡のする眼差しではないな。明確に、個人的に己に対する強烈な恨みがなければ、そのような瞳にはなるまい。――恨みの詳細についてはさて置き、貴様、術から脱しておるのか?」背後から襲いかかってくる領民だったものを、BBといなしつつ問いかける。
「な、何様のつ、つもり、だ」
イゾラは左手をぬらりと持ち上げ、オルゴを指差す。吃音とは別に、溶岩の如く沸々と煮え滾る憤怒に指先がわなないていた。
「分かってい、いるのか? 分かってい、いないの、か? ……お、お前のせいで、わ、私と妹のじ、人生は台無し、だ。……お前っが、どうせお前がお、弟に何かし、したんだろう。そ、そのせいでフィローネは発狂し、手当たり次第に人間を、ふ、ふ、不幸のどん底に陥れる。……全部、全部お前が悪いんだ。……どの面を下げて現れた。さ、最低最悪の、鬼畜外道が」
「貴様と貴様の妹が何をどうされたのか知らんが」戦闘の合間に、オルゴはレイピアを再度イゾラに差し向けて言う。「それで己を憎悪するというのなら逆恨みもいいところだ。道理を弁えぬ愚か者が」
パチン、と。
イゾラは右手で指を鳴らし続けるのと並行して、一度だけ左手で指を鳴らす。――直後、オルゴは足先に鋭い痛みを覚え、反射的に視線を落とす。
無骨なナイフが、杭でも打ったみたく彼の左足の甲を甲冑ごと貫通し、刃先が反対側まで到達している。
上空を仰ぐ。空一面に等間隔に、種類も使途もバラバラの刃物がズラリと漂っている。ナイフ、ロングソード、ハサミ、オノ、枚挙に暇がない。――より詳しく注視すると、地面に向かって垂直に配列されているそれら刃物群は、それぞれ一瞬だけ重力に従って落下するのだが、一秒に一度ほどのスパンで元の高さに転送され、一定の高度を保ち続けていた。
イゾラの仕業であると、オルゴは即座に合点する。――なるほど、なぜこの己が易々とナイフに貫かれているのだと思えば、イゾラは遥か上空より落下中のナイフを己の足元に転送したのだ。すなわち視野の外から視野の外へと転送したことになり、こちらとしては察知する術がなかったというわけだ。
無数の刃物群を右手の指鳴らしでコントロールしつつ、必要に応じて一部の刃物を左手の指鳴らしで召喚する。――魔法使いとしての格が、率直に言って己とは別格である。厄介な事この上ないな――など、一層気を引き締めている時分であった。
「【局所治癒】
イゾラは唱える。途端、オルゴの左足を貫通していたナイフはその場から消失し、皮膚ならびに皮下組織の裂傷がたちまちのうちに塞がる。オルゴ自身の自己再生能力より先んじて。
「…………回復魔法は、対象者の承認なしには成立しないはず…………貴様、」
オルゴは困惑する。二重にも三重にも意味不明であった。――第一に、自分で傷つけておきながら自分で治癒までするイゾラの魂胆が分からない。第二に、何の変哲もないただのナイフに甲冑の装甲が貫かれたのが、よくよく考えれば奇妙である。――怒涛の意味不明に忙殺されつつ、ふと違和感を覚えて周囲を見回すと、先ほどまで彼に襲いかかっていた元領民らが、槍やら剣やらで貫かれて動かなくなっていた。これもイゾラによるものなのか? 同じ陣営ではないのか? ――周辺で起こる事象の悉くが、夢のように奇妙奇天烈であった。
オルゴは視界の隅で、BBが動くのを感知する。その直後にはBBは前方に跳躍し、イゾラを仕留めんと咆哮しつつ右腕を振り上げていたが、イゾラが左手の指を鳴らすのと同時に、跡形もなく何処かへと転送されてしまった。
「連撃開始」
呟きつつ、イゾラは左手の指を、右手と同様に連続で鳴らし始める。
途端、オルゴの周辺に突如として三十本ほどの刃物が現れ、彼の肉体を無慈悲に貫く。次の一秒後にはまた三十本が、その次の一秒後にはと、連続的に出現しては貫き続ける。――肋骨も肺も、胃袋も喉も、爪先から頭にかけてとめどない。頭蓋を砕かれ脳髄を掻き破られ、オルゴは自分がどのような状況に置かれているのかすら一向に把握しきれない。異能も魔法も、唱えようという傍から発声器官を潰され、いつまでも繰り出し得ない。
その刹那、ほんの一瞬だけ頭部より下に攻撃が集中するタイミングがあった。オルゴは再生したての脳髄を働かせ、再生の最中の声帯で嗄れ声を出しつつ、「【縺遐】!」と絶叫した。
それに呼応するように、彼の足下に夥しく広がる血の海から、BBがヌッと現れ出でる。刃物の雨嵐を浴びながら主人の胴を巨大な手の平で掴み、一目散にその場から連れ去った。
が、いくら角を曲がろうと建物の中に入ろうと、一向に追撃の止む気配はない。オルゴは「離せ」とBBに命じ、未だ再生の追いつかない自らの両足で駆けつつ、全身を穴だらけにされながら考える。
「無数の刃物を空中に留めつつその一部を自由落下させ、一定の勢いがついたのち己の周囲に転送し、蜂の巣にする。――理論上は可能なのだろう。魔法に関する超越的な実力あってこその戦法ではあるのだろうが。……それはそうとして、奴はどのように己の座標を補足し続けているのだ? 奴自身も瞬間移動しながら己を追いかけて来ているのか? いやしかし、それらしき気配はどこにも…………」
考えながら、オルゴは適当な家屋の屋上に行き着く。いたずらに体重と体積を増やされた元領民らは、どうせここまで上って来れないだろうという算段だったが、実際そのようであった。――腐乱死体や血溜まり、汚物なども無いに等しかった。
彼は足を止め、「離れろ」とBBに命じる。BBは躊躇する素振りを見せつつも、結局は言いつけ通りにオルゴから五歩ほど下がり、両の拳を地面に突いて待機のモーションを取った。
その間もオルゴは、絶えず刃物の雨あられに曝され続ける。体捌きとレイピア捌きとで半数ほどは辛うじていなせつつ、オルゴは「ふむ」とBBに視線を向ける。
彼自身が蜂の巣である一方で、BBの方には全くと言っていいほど平和であった。――刃の一つも差し向けられぬ。「己だけを補足する転送魔法ということか」とオルゴは呟く。
「さて、考えるべきは己とBBの違いだ。奴は何を取っ掛かりに己とBBとを区別し、己へのみ限定して攻撃することが出来ている? 姿形が違うからか? 立ち居振る舞いが異なるからか? あるいは…………」
オルゴは左足を上げ、BBに命じる。「千切って捨てよ。己が許可する」と。
合点承知と言わんばかり、BBはバネ細工のように主人に飛びかかり、左右の手で彼の胴と腿とを鷲掴みにし、甲冑ごといとも容易く引き千切る。思い切り振りかぶって投擲すると、左足の切れ端は彼らの視界から消えるその瞬間まで、空中で蜂の巣にされ続ける。――本体をそっちのけで、である。
「左腕を寄越せ。不便で敵わん」
オルゴはレイピアを屋根に突き刺し、右足だけで直立しつつBBに命じる。BBはすかさず自らの左腕を引き千切り、オルゴに投げ渡す。大木の幹のようなその赤黒い腕を、オルゴは右手でキャッチすると、その断面を自らの左足の付け根に押し当てる。モゾモゾと変形しつつ、間もなく左腕は左足に再構成され、甲冑まで元通りになる。
「貴様が五体満足になるまで、領民から血を徴収してくるが良い。くれぐれも死なせんようにな」
オルゴは再生したばかりの左足の腿を上げ、プラプラと宙で回しつつ言う。BBは短く唸って返事し、屋上から豪快に飛び降りる。ズドンと鈍い音が地上の方からし、間髪入れず野太い悲鳴が断続的に起こった。
「どうやら己の読みは当たっていたようだな。どこまで正しい推測だったか分からんが。……恐らく奴は、一投目のナイフに毒か何か塗っておったのだ。そして直後に己に繰り出した【局所治癒】では、己の左足に開いた穴のみを即座に塞ぎつつ、解毒の治癒速度の方は極めて緩やかに設定していた。――回復魔法はその構成上、対象の治癒すべき箇所を自動的に探索し続ける。治癒が完了するその瞬間まで。――このシステムを応用し、奴は己の座標を把握しておったのだろうと、一応の推測は立てられよう」
思考の整理が粗方済み、オルゴは左足が完全に馴染んだのを実感しつつ、地に下ろす。屋根に突き刺していたレイピアを抜き取り、「しかし」と呟く。
「奴をどう攻略したものやら、トンと見当が付かぬ。……奴は無視して、別のルートからフィローネの居場所を目指すべきか? しかしここで奴を仕留めておかねば、相手が転送魔法の使い手である以上、フィローネとの対決時に割り込まれる可能性は非常に高い。そうなれば厄介な事この上ないが………………」
オルゴは言葉を切る。見間違いか? と首を傾げる。
上空無数の刃物が、徐々に下降しているように見えていた。――次第次第に速度が上がり、一向に元の高度に再配置されていないように。
オルゴは右手を天にかざす。変に逃げ回るよりは、そうした方が合理的であると判断した。
間もなくデスタルータの城壁の内側一帯に、途方もない数の刃物が降り注ぐ。オルゴは「【灰燼と化す怪火】」と唱え、上空に向かって大火を放ち、落下する刃物を空中で燃やし尽くすが、カバーできるのは彼の周辺三十メートル程度までである。
その傍ら、ピアノの全ての鍵盤を同時に押した時のような、この世の終わりじみた凄まじい衝撃音が一帯に響き渡る。建物も人々も穴だらけになり、地鳴りのような絶叫が方々で響き渡り、徐々に薄れ消えてゆく。
火を消し、オルゴは屋根の縁に立ち、地上を見下ろす。先ほどまで猛威を振るっていたはずの元領民らが、悉く地面に突っ伏し、虫の息あるいは絶命している。建物の中からオズオズとBBが顔を出し、周囲を見回しつつ左手で頭を掻き、「オ゛?」と首を傾げている。
「……己に戦術を見破られたことを悟り、このような矢鱈戦法に打って出たのか? ……ただ垂直落下するだけの刃物では、どれだけの数を降らせようとも己には何らの脅威でもないのだと、奴は思い至れなかったのか? あれほど手の込んだ戦術を繰り出しておいて?」
彼は内心、民を大量虐殺された憤りより、困惑が勝っていた。そもそも領民に関しては、もうどうにもなるまいと心のどこかで思っていたので。……オルゴはコウモリのような羽を背中から生やし、屋上から飛び立つ。その真下でBBも駆ける。
程なくして、オルゴはデスタルータ城の前に降り立ち、BBも僅かばかり遅れて参上する。現場には無数の刃物が、あるいは散らばり、あるいは突き刺さり、死屍累々であった。
また、最前までの陣形とは異なり、地面には二人の兵士が甲冑の隙間から血を流しつつ突っ伏しており、――同様の甲冑を身につけた、しかし何やら異様の雰囲気を放つ兵士が、イゾラの心臓にハサミを突き刺していた。グリグリと抉りつつ、突き刺した内側でハサミを執拗に開閉していた。
「な、」イゾラは両目を見開き、息も絶え絶えに問う。「なぜこ、このような暴挙に、……く、傀儡じゃないのか、お、お前は…………、一体…………」
「残念なことだけど、君たちの主にはここで退場して貰わないといけない」
芝居がかった口ぶりで、何者かは鎧の内側から話す。
「分かるかい? フィローネ・デスタルータには支配者たる資格がないんだよ。彼には傀儡の国しか興せないからね。――それじゃあ駄目なんだ。だって傀儡には意思がないからね。何も成し得ない意思なき人形を産めや増やせやされても困るだけなんだよ。口にするのも憚られるほど至極当然な理屈だよね。――だから、彼にはここで終わって貰わなくてはいけないんだ。絶対的君主として祀り上げるのは、もっと相応しい別の誰かにすべきなんだよ」
男はハサミを抜き取る。イゾラはズタズタにされた胸部の穴から大量の血液を噴き出しつつ、酩酊者のように立ち眩みしてから、受け身も取らずに頽れた。
「王には、そうだな。……例えば君のような、とか言ってみたりして」
血みどろのハサミを放り捨て、男はヘルメットを外す。
茶髪を中分にした若い男の顔面が、眼光を鋭くするオルゴの顔面と真正面にかち合う。
「あの時の兵士だな。――地下牢獄で、己の食い物に砂埃をかけおった」
「君とは随分と久しい気がするよ、オルゴ・デスタルータ」
軽薄な笑みを貼り付け、男は飄々と語りかけた。
「見ない間に様変わりしたようだけど、その後どうだい? 邪化の禁術の調子は」
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国
◆デスタルータ――ザンナ国辺境寄りの都市
◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国
◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市
◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村
これまでのあらすじ。
〇城の前で転送魔法の使い手、イゾラと接敵するも、中分けの兵士に先んじて討伐される。
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