第46話 精神的混乱
「お前の禁術破りを密告したのはアクーザだ。改めて言うまでもなく察しているだろうが」
「……はい。父様が告発者でないだろう以上は、必然的にそうだろうと思っていました」
対面に座したレオナルディ親子が神妙に話しているのを、オルゴはその真横に立って傾聴している。その傍ら、窓の外で若い女の悲鳴が上がった。
「……何か騒ぎでしょうか?」レベッカは窓の方に視線を向ける。「ひったくりか何かだろう。今は話に集中しなさい」と静かに言い含められ。「……はい」と不承不承ながら向き直る。「続きを聞かせてください。……兄様について、何か話されたいことがあるのですか?」
「アクーザがお前の罪を告発した動機自体、私はよく分かっていない。……こう言ってはなんだが、あいつがわざわざ告発などしなければ、お前の禁術破りは隠し通せていたように思う。お前は母さんの病を治そうとするためにしか禁術を使っていなかったんだからな。第三者に悟られる可能性は無いに等しかったはずだ。……なぜあいつは黙っていられなかった? 義憤に駆られてか? 妹でだろうが何だろうが、罪人には然るべき罰が科されるべきであると思い立ったのか? ……いずれにせよ、脱獄したお前をアクーザが血眼で探し回っているのは事実だ。意地でもお前を死罪にかけたいらしい」
「……もしかして、兄様にもバレているのですか? ……私が今、アンビエンテに滞在していることが」
問いかけてから、レベッカはやはり窓の外の騒ぎが気になってしまう。明らかにひったくり程度で起こる騒々しさではなかったため、無理もない反応であった。「何かイヤな予感がします。結局のところ要件とは何なのですか?」早口がちに問いただす。
「気を付けろということだよ。お前たちはとにかく遠い所に逃げなさい。私やアクーザのことは金輪際忘れるんだ。出来るな?」
「……は?」レベッカは困惑の表情を浮かべる。大きく瞬きし、開いた口の塞がらぬ。
「何か変なことを言ったかな、私は」人差し指で頬を掻く。内心何を考えているのか、表情がない。
「いや、……やっぱりおかしいですよ、どう考えても。……まず、それだけの話ならわざわざデスタルータさんやベルンちゃんを外す必要なんてありませんでしたよね? 私と二人きりになりたかった理由が分かりません。……それに、兄様はまだしも、父様のことを忘れろというのはどういった風の吹き回しでしょうか? ついさっきまで、年に四回は私と会いたいと仰ってくださっていましたよね? 言っていることが正反対すぎます。……場を繋ぐためだけの、特に意味のない口から出任せなのですか? 本当は他に何か話したいことがあるのだけど、内容が内容なだけに言い出しにくいとか?」
「話したいこと?」
マンフレードはゆっくりと両目を見開き、首をもたげつつゴクリと生唾を呑む。普通人のしない、ただならぬ振る舞いに、レベッカは椅子から僅かに腰を浮かす。
「話したいことならいくらでもあるよ。例えばそうだな……教会堂にはもう行ったのか? 折角アンビエンテに滞在しているのなら一度は目にしておいた方がいい。あれほど高度に洗練された建築物はそうお目にかかれるものじゃないからな。信徒の方々も心優しい人ばかりだから、きっと快く案内してくださるだろう。あと他に観光スポットといえば、アンビエンテには高級レストランというものがあって……ああ、レベッカ」
そんな顔をしないでくれ。――怪訝と心配とが混濁した娘の顔と向き合いつつ、「仕方ないんだ」と気の抜けた声を出す。
「……もう迎えが来てもいい頃合いなんだ。私だって頑張ったよ。口が達者じゃない割に引き延ばした方だ」
レベッカは身を乗り出す。父の不可解な言動に耐えかねて、いよいよ詰め寄る段階に移行しようとしていた。
しかし、ふいに室内に漂う濃い血のニオイが、それを阻害した。彼女はニオイのする方、自身の右側を振り向かざるを得なかった。
ほんの一瞬だけ、彼女はその人物をオルゴと見間違えた。華美を凝らした装い、貴人特有の風格、――しかし、見れば見るほどにオルゴとは異なる。
体の線は細く、左目には眼帯。サイドパートにしたブラウンの頭髪には癖がなく、幼さの残る端正な顔面には全くと言っていいほど覇気が宿っていない。――音もなくそこに現れた彼は、レベッカを見下ろしているようで何とも焦点が合っていない。
また特筆すべき点として、彼の衣服は返り血と思しき赤黒い液体で全身ぐしょ濡れになっており、右手に持つ短剣の先からもポタポタと滴っていた。
「【再配置】」
フィローネの姿をした男が、口の中に物でも入っているようなくぐもった声で唱えると、オルゴを含めその場に存在する人間すべてが消滅する。
次の瞬間には、彼らは薄暗い宿屋の一室に転送されていた。――どこかの城の一室をそのまま削り取ってきたかのような、天蓋付きのベッドに、彫刻された大理石の暖炉、衣装箪笥、静かに光沢を放つテーブル等々の調度された、広々とした重厚感あふれる寝室。
レベッカが最初に目にするのは、正面に立つ兄らしき人物の後ろ姿。彼女と同じく頭髪は焦げ茶色で、ブランと弛緩した右腕の先には血塗れのナイフが握られている。
その足元に、縄で縛られた老爺の亡骸が仰向けで横たわっている。まだ微かに息は残っているようだが、困惑と恐怖とが錯綜する表情のまま喀血しており、深々と刺された心臓の辺りからドクドクと出血が迸り、もう長くはない。レベッカは絶句しつつ口元を押さえ、目尻が裂かんばかり見開く。
「君の兄が、どうやら人を刺してしまったようだね」
部屋の隅、一人掛けのソファに深々と腰掛け、横柄に足を組んでいる人物の存在に、その段になってレベッカはようやく気付く。
自分をここまで連れてきた男と全く同じ見た目をした、眼帯の貴公子。ただし彼に関しては返り血は一つもなく、切れ長の右目を狐のように細めていた。
レベッカは周囲を見回す。いつのまにか転送魔法の使い手は室内から忽然と姿を消している。――ここに居ないということは、またぞろ殺人しに繰り出したのか? どこに? 誰を? 何の目的で? 混乱を極める最中、フィローネは嘲笑しつつレベッカに促す。
「早くその老爺を治してやったらどうかな。肉塊の禁術でね。――身内を人殺しにさせたくはないだろう? 君のその力はこの時のためだったんだよ」
我に返り、レベッカは兄を突き飛ばしつつ、横たわる老爺の真隣に両膝を突く。血溜まりの生温かさが布地越しに伝わってくるのも構わず、老爺の腹部に両手をかざし、「【肉塊の禁術】!」と絶叫する。
しかし、彼女の禁術で生成することが可能なのはあくまで血液だけであり、どれだけ血を増やそうと損傷した皮膚や筋組織や血管や臓器がただちに修復することはなく、いたずらに出血を増やすだけの顛末になる。「じゃ、じゃあ回復魔法で」と吃りつつ瞳孔を痙攣させていると、「愚かだね」と場違いに爽やかな相槌が入る。
「回復魔法の代償は寿命だよ? これだけの重症を治そうと思えば、持っていかれる寿命もひとしおというもので、老い先短い彼はまず間違いなく死ぬだろうね。――まあでも、このまま苦しみ悶えつつ死なせるよりはマシなのかな? いずれにせよ無駄には違わないのだけど」クックックと底意地の悪い笑みを含ませる。
その空間において明確な意思を持って活動しているのは、レベッカとフィローネだけであった。彼女の父も兄も、居ながらにして何ら活動せず、死んだように無言と無表情とを貫いていた。
「……あなたは何者なんですか?」
心胆を寒からしめつつ、全身がにわかに震え上がりながらも、レベッカは毅然としてフィローネを睨み上げる。
「かつて王立学園の魔法科に所属していた君は、暗号学の授業を履修していた。魔法科の生徒に限り、暗号学は必修扱いだからね」
支配者に特有の、爽やかでいて異様に響く声色を出しつつ、フィローネは嘲笑しながら語る。
「授業の終わり際には毎度、レポートを出されただろう? 暗号問題を解けという課題だよ。――まあ、当然ながら本物の機密情報なんかを取り扱ったりすることはなく、課題の解析結果としては大抵、『居眠り厳禁』とか、『週末は妻とキノコ狩りに出かける予定です』とか、教授手製のごく他愛もない文字の羅列が暗号の答えとして導き出されるばかりだったが、――そういった和やかな手合いのとは明らかに毛色の異なる、どうにも不穏な解析結果が導き出されたことがあった。そうだね?」
「……『私は近いうちに教師の職を解かれることになる』、『せめてもの腹いせにこの呪いを手向けよう」……ですか?」当時を振り返りつつ答える。
「そこまではただの暗号だからね。ちゃんと授業を聞いている生徒なら誰でも解けたはずだよ」フィローネは足を組み直す。「ただ、その呪いの内容、――すなわち、肉塊の禁術の禁術式まで導き出すことが出来たのは、回答者の中で君一人だけだったけどね」
「…………は?」
レベッカは困惑に顔を歪ませる。毅然としていられない。
「僕が何者かという話だったね。僕の名はフィローネ・デスタルータ。脳縛の禁術と肉塊の禁術の二つを解き明かし、会得せし者だ。邪化の禁術ひとつ会得した程度ではしゃいだ気になっている愚兄とは、一つも二つも格が違っているのさ」
魂胆を話してあげよう、と言いつつフィローネはソファからゆっくり立ち上がる。右手を腰に添え、左手をワイングラスを揺らすようにしつつ語る。
「僕はまず、王立学園魔法科の暗号学の教授に脳縛の禁術を行使し、傀儡とした。ちょうどそこに立ったり転がったりしている、君の父や兄のように仕立て上げた。――彼には、解けば肉塊の禁術の禁術式が導き出される僕手製の暗号問題を、授業の課題と称して生徒らにばら撒かせた。あとは暗号を解いた生徒が禁術を破ってくれるのを待ち、それを誰かしらに密告させ牢に入れ、悔恨やら憤りやら絶望やらで精神が弱り果てていくのを見届ける。対象が精神的に異常であればあるほど、脳縛の禁術はかかりやすいのでね。――死刑執行直前の、最も精神異常がエスカレートしているだろうタイミングで君の前に現れ、傀儡にし手駒とする。当初はそういう手筈だったんだ」
が、――と区切りつつ苦笑を浮かべ、フィローネは左手を腰に添える。ゆるりと頭を振る。
「どこぞの馬の骨とも知らない輩が、君と愚兄とを引き合わせたせいで計画はご破算になってしまった。アレは純粋に僕の想定外だったね。未だに素性は掴めないし。――まあ、結果的には良かったと思うことにするよ。旅を共にする中で、君とアイツとは少なからず好意的な間柄に発展しているようだからね。その情を引きはがしてこそ。引きはがしてこそなんだ」
床に両膝を突くレベッカの顔面に向けて、フィローネは指を差す。
レベッカは自身が混乱の極点に達していることを自覚していた。いま脳縛の禁術に当てられては、いとも容易く相手の傀儡に墜ちてしまうだろうことを確信していた。
だからなりふり構わなかった。右手をフィローネの前に張り出し、出し得る最大の出力でアッシュフレアを放つ気でいた。人の姿をしていようと、オルゴの肉親だとしても、殺してでも邪悪を滅する気概でいた。
「アッシュ」まで紡ぎ、そこから先を彼女は唱えきれなかった。
第一には兄が彼女とフィローネの間に割り込み、両腕を広げて立ちはだかったからであり、第二には背後の父に右手首を折れんばかりに掴み上げられ、口元を手の平で塞がれたからであった。
「どいて」とフィローネが命じると、アクーザは速やかに捌ける。再度フィローネはレベッカに指差し、
「下れ」
と『号令』しつつ、指先を下に向けた。
レベッカの、声にならない絶叫を上げつつ、ハットが落ちるのも構わず拘束を振りほどこうと無我夢中に暴れ、ボロボロと両目から涙を流していたのが、途端、絶命したかのように静まる。ヒューヒューと息を切らすのみになり、へたり込んだまま身じろぎ一つせず、涙も新たに流れ出すことはない。眠たそうに両瞼を閉じかけていた。
「愛すべき肉親に二人がかりで邪魔されるというのは精神的に堪えるだろう。仮にそれが操られてのことだと分かっていてもね。皮肉にも彼らが最大の足手まといとなったわけだ」
立たせて、と命じると、マンフレードは娘の手首と脇腹とを掴み、物のように持ち上げる。レベッカも為されるがままにされる。
フィローネは右手を前に出し、レベッカの左胸を掴む。沈みこむ弾力を繰り返し味わうように、何度も変形させて飽き足らない。フウと満足そうに鼻から微笑を漏らす。
「小柄な上背に豊かな胸。実にアンバランスな肉体をしている。――僕たち禁術破り、すなわちアウトサイダーにとって、肉体的にも不格好であることはむしろ望ましいと思わないかい? 僕が君に執着する理由の一つがそれだよ。第一は愚兄に対する当てつけとしてだけどね」
ふいに視線を感じ、フィローネは振り向く。自分と同じ姿をした、ただし生気の抜け落ち返り血に塗れた男が、彼の真横に佇んでいる。
「いつまで僕の姿をしている?」なおもレベッカの左胸を弄びつつ、フィローネは眉を顰める。「君は本当にグズだね。言われないと何も分からないんだ」
二秒ほどしてから、擬態魔法は解除される。フィローネのドッペルゲンガーは髪も髭も伸ばし放題の、見るからに陰鬱な三十過ぎの貴人に姿を変える。――子爵令息イゾラ。ザンナ有数の転送魔法の使い手にして、フィローネの傀儡である。
「い、行き先はど、どちらへ」の問いに、
「デスタルータ城に決まっているだろう」と即答する。名残惜しそうにレベッカの左胸から手を離し、床に落ちたハットを拾い上げ、彼女の頭にかぶせる。生気の失せた顔面を覗き込みつつ微笑みかける。
「今すぐにでも情交を結びたいところだけど、後のお楽しみとしておこうか。――どうせアイツは今日か明日中にでも僕の居場所を突き止めるんだ。嬲るならアイツの目の前がいい。四肢を捥いで身動きを取れなくしてから君の処女を散らすんだ。さぞ痛快だろうね」
洞のようにくぐもった笑い声が部屋中に反響する。それと同時にオルゴの視界は紫色に染まっていく。目に映るすべての輪郭が曖昧にぼやけていく。――レベッカが辛うじて記憶していた情景はそこまでだということを、状況が物語っていた。
薄れゆく幻想の最中で、オルゴは後頭部を掻く。
彼らしくもない、高貴の真逆に当たる。――煙が晴れてからも、しばらくそうしたままだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国
◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国
◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市
◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村
これまでのあらすじ。
〇レベッカはフィローネの計略に巻き込まれる形で禁術と巡り合ったことが発覚。傀儡にされた父と兄に妨害され、為す術なく自身も傀儡に。
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