第45話 個人的規範
先頭を歩いていたオルゴが、大通り沿いのこじんまりとした食堂の前で足を止め、デルフィーノとヌボラ姉妹もその両隣に並び立つ。店内に人の気配はなく、前方の静寂さとは対極に左右ないし後方では、依然として市民らが混乱し騒ぎ回っていた。
「ここは?」ビアンコが尋ねる。「レオナルディ親子と己ともう一人とで、ここで朝食を摂っていたのだ」オルゴは仁王立ちしつつ答える。
「談笑しつつ食べ進め、さてお開きといこうかという段、レオナルディ親子が二人きりで話がしたいというので、少しのあいだ席を外してやったのだが、――あとはだから、移動しながら話した通りだ。愚弟に化けた連続殺人鬼を己が追いかけているうちに、奴らは親子共々攫われたのだ」
「なんと波乱怒涛なる展開だろうか」彼にしては抑え気味のボリュームで呟きつつ、デルフィーノは苦い顔をする。
「貴殿は母親を何者かに殺害され、あまつさえその犯人ないし吸血鬼であるとして捕えられ、死罪を言い渡され投獄。獄中でレオナルディ殿と出会い、ひょんなことから禁術に目覚め吸血鬼と化し、ザンナを出て旅をしている最中、各地で囁かれる吸血鬼騒動の欺瞞に気付き、核心に迫りつつある中、弟君の差し金かバディを奪われ、そして今に至ると。――フム」
「デルフィーノ氏よ」
オルゴは正面を睨んだまま、隣の商人に語り掛ける。「改まってどうされた?」と顔を覗き込む。
「ナイフを袖に忍ばせているな。気付かんとでも思ったか。――いつ繰り出したものかと、己の隙を窺っておるのも全て筒抜けだ」
デルフィーノはダボっとした上衣の袖の中に手を突っ込み、目を見開きつつ息を呑む。反応を受け、オルゴは「ハッ」と短く嘲笑する。
「何かしら隠し持っていそうだなとは思っていたが、その反応だと他のどのアイテムでもなく、丁度ピッタリでナイフのようだな。ブラフもここまで綺麗に決まると痛快というものだ」
「……ソレが生業の商人相手にハッタリを仕掛け、あまつさえ出し抜き果せるとはな。――どこまでも食えぬ男よ。貴殿は」
平生の彼からは想像もつかぬ、剣呑そのものといった鋭い眼光で、デルフィーノはオルゴを睨み上げる。「なぜ泳がせた? 商人如き警戒にも値せぬと?」
「己の命を狙ってどうする?」
オルゴは振り向き、デルフィーノを正面から見下ろす。その表情に怒りは無く、眉を八の字にし疑問を浮かべていた。
「懸賞金狙いか? あるいは名声欲しさか? 貴様はその手のがめつさとは無縁の人物だと勝手に思っていたのだがな。――貴様もやはり、ひたすらに功利を追求する打算商人の一派ということか。職業病とやらのなんとも難儀なことよ」
「打算ではない。信念だ。――いずれにせよ、職業病には違いないがな」
デルフィーノはフウと溜め息し、オルゴと真正面に向き合う。
「商人が売るのは物質のみならず、その物品に付帯する『選択肢』そのものをひっくるめて譲渡するのだ。――早い話、刃物を売る時にはそれと同時に、『物を切断する』という選択肢をも客人に提供している。相手が悪人であり、それを凶器として使用するつもりであった場合、そうと知っていようといなかろうと、提供した時点で商人は共犯者となるのだ。――あくまで私の個人的なポリシーだが、ポリシーと掲げるからには悪人と善人とを常に確実に見極められるよう、善悪の鑑定眼を鍛えてきたつもりだ」
オルゴは視線で次を促す。蚊帳の外のヌボラ姉妹は顔を見合わせ、相互に首を傾げていた。
「貴殿らと別れてから、私はスヴァルカの各地を転々としておったのだが、道中で気になる噂話を耳にした。……ザンナの地下牢獄を脱獄した吸血鬼が、さる伯爵家の貴公子であること、同じ房に入れられていた商人の娘も引き連れて出たこと、……それらの噂話をひとまとめに整理していくうち、件の脱獄囚はあの若き旅人たちだったのではと思い至り、引き続き情報収集を進めていく中で、貴殿らがアンビエンテの冒険者ギルドで依頼業に勤しんでいることも突き止めた。……そうなれば私は今一度、貴殿らを我が双眸に映じ、唾棄すべき悪人であるかどうか判じなくてはならぬ。――そう決心し、得物を忍ばせつつ、旅程を変更してアンビエンテに戻ったのがつい先ほどのこと。町中は混乱と喧騒の只中にあり、探すのに随分と手間取ったものだ」
「再三申すが己には時間がないのだ」鷹のように冷酷な目つきで見下ろす。「ただちに判断し、貴様一流のポリシーに従って、然るべき行いをせよ。――貴様の人徳に免じて、返す刀で命までは取らぬ」
「手心痛み入るが、私は兵士でなければ聖職者でもない。悪しきに立ち向かい滅するなどは全くの範疇外である。あくまでも商人なのだ」
言い言い、デルフィーノは袖の内側から、グリップと刀身の長さが同程度の小型ナイフを抜き出す。逆手に持ち替え、先端を自らの右目に差し向ける。
「刃すべきは我が双眸ぞ。魔物を前にそうと気付かず金品を手渡し、与するなどは落第中の落第。ここいらで幕引きとするのだ」
手刀。
ネロが止めに入ろうとするより遥か素早く、対面のオルゴはデルフィーノの手首を手刀で横薙ぎにし、ナイフを弾き飛ばした。――ナイフは無人の食堂の中を転がり滑り、カウンターに叩きつけられて止まった。
「商人として以前に、妻帯者として貴様は落第だ」
相手の、左手の薬指に嵌めた指輪を一瞥し、温度のない眼差しを向ける。「よもや事前に了承を得たわけでもあるまい。『目を潰しても良いか?』などと。――己の言っている意味が分かるか?」
「おい、これニセモンだぞ」
ネロの投げやりがちの声に、一同は振り向く。彼女は食堂のカウンターの前に立ち、手に持ったナイフをもう片方の手の平で押す。
刀身はグリップの内側に押し込まれ、手を離すと素早く伸び現れる。パッと広げて見せる彼女の手の平には、傷一つ付いていなかった。「オモチャだよオモチャ。柄の中にバネが仕掛けられてんだ。刃も鋭くねえし」
「……どういうつもりだ」と、オルゴが視線をデルフィーノに戻すが早いか、地鳴りせんばかりの大笑いが一帯に反響し、一同の顔をしかめさせる。ユッサユサと巨体とバッグとを揺らしつつ、ひとしきり笑声し終えた後、デルフィーノは顔面に笑みを残したまま得意げに語った。
「いやはや、ハッタリとはこうするのだよデスタルータ殿! 場の空気感を我が儘とし、偽物を偽物であると悟られぬよう立ち回る欺きの極意! ――試すようなことをして悪かったが、私は分かりやすいやり方を好むのだ」
「今ので何が分かったのですか?」気持ちばかりむくれつつ、ビアンコはデルフィーノの背中に問いかける。「一人で勝手に納得されては挨拶に困ります」
「分からいでか」半身に振り返りつつ、したり顔を浮かべる。
「説明しよう! 今まさにこの御仁は、私が自傷するのを『そうはさせぬ』と力づくで阻止したのだ! 一縷の逡巡もなき、反射的に発露せる真心のなんたる清き美しいことだろうか! これほど純なる心の持ち主が悪人であろうはずがない! 私の目に疑いなどなかったのだと、只今を以てハッキリと分かったのだ!」
クルリとオルゴに向き直り、「貴殿の窮地に尽力させて頂こう! 恩を返す時が来たのだ!」と胸を張る。
「……心遣い感謝するが、」気迫に押されつつ、腕を組み直して答える。「この状況において、商人稼業に助けられるようなことは特に思い浮かばぬのだが」
「まあそう邪険にするでない。今この瞬間にこそ相応しいアイテムを見繕うので、暫し待たれよ。さして時間は取らせぬ」
言うが早いか、デルフィーノは食堂の中に入り、棚のごとく巨大なバッグを床に下ろして物色し始める。床一面が雑貨で埋め尽くされていく。
「どこまでも掴みどころのない男よ。……回復薬でも安く工面してくれるのだろうか。まあ無いに越したことはないが」
「デルフィーノ様の職業をご存じないのですか?」
オルゴの隣にビアンコが並び立つ。二人してデルフィーノの背中をまじまじと見る。
「行商人であろう? まあその時々で取り扱うアイテムも多少は変動するのだろうが、回復薬などに関しては常に一定の需要のある代物だから、今この時も携帯していそうなものだが」
「彼は商人は商人でも、金貨十枚以上の単位でやり取りされる宝具のみを専門に取り扱う『宝具商人』ですよ。世界有数のね」
オルゴは斜め下のビアンコを見下ろす。淡泊に睨み上げてくる、羊のような横長の瞳孔とかち合う。
「彼、セタ・デルフィーノ宝具商人が、私的に使用するために回復薬を携帯していることはありますでしょうが、――商人として貴方に何か売りつけるつもりなのであれば、それはまず間違いなく宝具と見るべきでしょう」
「あのバッグ一つ分で王宮が建つって噂だぜ。って意味ではセタ様は、商人の中で最も王サマに近い存在ってことになんのかもな。ありがてーこったよ」
ビアンコを挟んで反対側にネロが並び、会話に加わる。
その直後に、街路の方で「なんだアレは!」と群衆がどよめく。三人は食堂を出て、群衆がそうしているのに倣い、上空に視線を向ける。
五階建ての多層型共同住宅が立ち並ぶその間を、成人男性ほどのサイズの巨大コウモリが飛翔している。両足には緑色のエプロンドレスの少女を掴んでおり、視線は一同の立つ食堂の玄関先へと注がれている。
「吸血鬼の手先に違いない! 槍でも石でも持って来て撃ち落とせ!」群衆の一人が上空を指差しつつ騒ぎ立てる。
「娘はどうする? 両目を瞑って震えているぞ! 早く助けてやらないと!」
「緑色のエプロンドレスの少女は吸血鬼の一派だ! 捕まえて尋問しろ!」などと怒鳴り合う傍ら、オルゴは「おい神官。黒髪の方の」と呼びかける。
ネロは一拍置いてから、「なんだその呼び方。まあファーストネームで呼ばれるのも癪だけどよ」と振り向く。
「あれらは我が眷属だ。今この瞬間も己の居る方に目掛けて飛翔しておる。まもなく着陸するだろう。――さっさと【無私】をかけてやらねば、野次馬どもがここに殺到することになるぞ。構わんのか?」
「………………」と口を噤んだまま、ネロはビアンコにアイコンタクトする。首を横に振るのを見て、舌打ちと溜め息とを繰り出し、背筋をしゃんと伸ばして十字を切る。「シエロ暦一六六〇年二月十日、午前一度目の祝詞の中断を再開。『アルトリスツ』、終了」と呟く。
途端、巨大コウモリと少女とを討伐せんと息巻いていた群衆が、その姿を見失い、「消えたぞ!」と騒ぎ立てる。幻術を見せられていたのではとか、だとしても何のためにとか、困惑を極めてどよめいていた。
そうしているうちに、オルゴらの眼前に巨大コウモリが降りてくる。ホバリングしつつそっとベルンを地面に降ろすと、「ご苦労」とオルゴに額を撫でられ、手の平から彼の体内に吸収され消滅する。
ベルンは久方ぶりの地上に安堵するのも束の間、ネロから向けられる苛立ちの眼差しとかち合い、そそくさとオルゴの背後に隠れマントにしがみつく。
「乱暴な運び方をしてすまなかったな。諸々の段取りがついたので貴様を召喚したのだ」
「……頭を切られましたか?」ベルンはオルゴのワインレッドの頭髪を見上げつつ、首を傾げてオズオズと尋ねる。「日なたなのに煤も出ていませんし、お辛そうでもないですよね。……人間にお戻りになられたんですか?」
「話せば長くなるが、己にとって都合のいいように変身したのだ。只今における完全体にな」
そのやりとりをネロは忌々しそうに眺めつつ、しまいには「ケッ」と悪態する。「聖職者にビビッてバケモンに懐いてら。面白くねーガキ」
「長らくお待たせした!」
食堂の奥でデルフィーノが声を張り上げ、一同はビクッとしつつ視線を向ける。
彼が両手で大事そうに抱えていたのは、麻紐で縛られた布の塊であった。――紐をハサミで断ち、柄も趣向もてんでバラバラの布が幾重にもグルグル巻きになっているのを、テーブルの上で丁寧に解いていく。一同はテーブルを取り囲みつつ、その手元を覗き込む。
全て展開し終え、中から姿を見せたのは、砂時計のような何かであった。
というのも、丸みを帯びた三角錐状の空洞のガラス細工が、頂点同士で繋がり合わさっているのに関してはいかにも砂時計的なのだが、砂時計にありがちな柱状の木枠は備わっておらず、そもそもガラス細工の中に砂が込められていない。製作途中の砂時計という塩梅であった。
「これは?」とオルゴが尋ねるが早いか、「我が秘蔵の宝具の一つ、『追憶の煙時計』である!」と得意げに語り始める。
「スヴァルカ王国より遥か南西の砂漠地帯に住まう、リバズという少数民族が十年に一つだけ造るこの伝統工芸品は、時分を計るために用いる代物に非ず! ――聞いて驚くな。この煙時計は時間を巻き戻すのだ! 特定の人物を思い浮かべつつこのガラス細工を地面に叩き落として割ると、砕けると同時に紫色の煙が一面に立ち込め、思い浮かべた人物の記憶を映像ないし音声として再生するのだ! ――私自身も以前、スヴァルガの某都市で起きた高額窃盗事件の犯人をこの煙時計を用いて探し当て、領主殿から大いに褒め称えられたものである! 効果の程は折り紙付きと言えよう!」
「はえー、すっげぇ」
ネロは緩く拍手しつつ呆けた声を出す。「姉様の秘め事とかも見放題ってことじゃん。プライバシーもへったくれもねえや」と言い終わる前に隣のビアンコから思い切り足を踏まれ、声にならない声を出す。
「今まさに己が欲していたものだ」傍らの小競り合いを完全に無視しつつ、オルゴは煙時計を手に取ってまじまじと見る。
「これさえあれば、小娘の動向を効率的かつ仔細に把握することが出来るというわけだ。――いくら払えばいい? 冒険業で荒稼ぎした分で足りぬようなら、後払いなりで対応してもらえると助かるのだが」
「合切不要!」右手をズイと前に張り出す。「これは貴殿に試すような真似をしたことについての、然るべき謝礼である! この期に及んで金銭を要求しようなどと浅ましきこと、宝具商人セタ・デルフィーノの名に懸けて断固せぬと誓おう! 貴殿はレオナルディ殿の安否だけを直ちに案じよ!」
「有難く」
オルゴは二歩下がり、迷いなく煙時計を地面に落とす。振りかぶって勢いをつけるなどせず、ただ自由落下するに任せる形であったが、いとも容易くガラス細工は粉々に砕け、食堂の内部に紫色の煙が立ち込める。香草を砂糖漬けにしたような、蠱惑的な香りが一帯に蔓延する。
視界に映るのは紫の煙だけ。鼻腔を通過するのは煙の香りだけ。――煙は何よりも優先して知覚され、一同を現実から引き剥がす。煙に巻く。
そうすべきである、という直感がふいにオルゴに働き、彼は両の瞼を閉じて、スウと鼻から煙を吸い込む。頭蓋骨の内側が温かい液体で満たされていくような、吐き気を催す心地よさを覚える。
フウ――と細長く嘆息し、肺に溜めた空気を出し切る。瞼を開く。
さびれた食堂、玄関を背。煙が立ち込める前と変わらぬ景色のように思えたが、見渡す限りの無人である。背後を振り向くと、人々が穏やかに街路を往来しており、何らの混乱も来していない。
上階から、少女と中年男性が話す声が聞こえる。いずれも聞き馴染みのある声。
衝動に突き動かされるまま、彼は足早に階段を上った。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国
◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国
◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市
◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村
これまでのあらすじ。
〇デルフィーノから助力を申し出られる。
〇ベルンと合流する。
〇事件当時を振り返る。
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