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第43話 瞠目的変化

 ネロは強烈な耳鳴りに苛まれる。異様な肌寒さを覚え、冷や汗が滲み出す。


 全身が、「ここに滞在していてはいけない」と警告しているようであった。赤一色の視界は巨大な魔物のはらの中のようであり、地獄のようでもあり、夕暮れ時の赤なんかとは一線も二線も画していた。


 神聖さといったものは、その一帯から完全に取り払われ、毀損され、得体の知れない禍々しさに塗り変えられていた。――彼女は変身後のオルゴと刃一つ交えていないに拘らず、既に無力感を覚え、絶望すらしていた。


 それは魔物が神官に対し、交戦する前から無力感を覚える時のような、――それを全く、反対の立場にしたような無力感であった。


「ネロ」


 頭上から呼ばれ、バッと振り向く。


 ビアンコ・ヌボラ。この禍々しい空間の中で唯一、後光を背負い宙に漂い、神聖さを誇示し維持し続けている――が、彼女の表情は平時のそれと全く逸脱している。眉間に皺を集め眼下のオルゴを睨み、柔和さは一切失われていた。


「時間を稼ぎなさい。二度目の神託を展開します」


 早口気味に一方的に告げるや否や、彼女はみたびコーラスボイスを唱え、折り重なった歌声で荘厳に賛歌を紡ぎ始めた。どこか怒気を孕んだような、力強く逼迫した祝詞であった。


「……拒否権無しかよ、クソ!」


 ネロは片手に握ったロングソードを水平に開きつつ腰を落とし、「神罰代行!」 と投げやりに吼えつつ、眼前二十メートル先のオルゴに大股三歩で接近。勢いそのままロングソードを振りかぶり、半ば投擲じみたフォームで相手の脳天めがけて振り下ろす。


 瞬間、ネロの肉体はバラバラに切断され、ベクトルはそのままにバラの花園に打ち捨てられた。


「…………は?」


 茨の棘に刺されつつ、ネロの生首は呆けた声を出す。出してから、「なぜ頭部だけなのに声を発せられるのだ」と更なる意味不明に苛まれる。混乱を極める。


 剣か何かで切り刻まれたのだろう。しかし判然としなかった。――自身の身に繰り出されたであろう一連の攻撃を、彼女は観測できていなかった。


「邪化の禁術は、『人間が魔物に変化する術』であると一般に認知されているが、果たしてそうなのだろうか」


 細切れのネロが散らばる方を振り向きつつ、オルゴは右手に持ったレイピアを、ワインレッドの瞳で矯めつ眇めつ眺める。刀身は針のごとく細く、くすんだ鈍色の柄には蛇が巻きついたような流線形の装飾。以前までの黒剣とはガラッと様変わりしていた。


「禁術をあえて破るような人間は、大抵の場合において性格がアウトロー的であるから、変身したいと渇望する対象もまた()()()()に寄るというだけの話ではないのか? ――かくいう己も、一度は吸血鬼を夢見たことだしな。虐げられ反骨したいと思う精神状態がこそ、己を怪物に仕立て上げたというわけだ」


「……魔物とは別の何かに生まれ変わったから、もう神聖魔法は効かねえって?」


 時間稼ぎせよと命じられたネロは、生首だけの姿で健気に話を引き延ばそうとする。


 オルゴは左手を顔の横に掲げ、指を鳴らす。途端、ネロの細切れになった肉体は逆生成するように寄り集まり、瞬く間に元の姿に組み上がった。衣服やロングソードも完全に再構築され、 ネロは目を見開きつつ我が身の五体満足を確認する。


 鼻歌が聞こえ、視線を前に向ける。オルゴがバラの園を切り開き踏み倒しつつ、悠々と彼女の方に迫っている。――キッと睨み、「神罰代」行と口上しつつロングソードを振りかぶる。オルゴがレイピアを横一文字に払うと、ネロの肉体は細切れになりつつその方向に飛び散る。


 血も涙もないとはこのことで、肉体の断面からは何らの流血もない。パチンと指を鳴らすとみたび元通りに組み直される。かつて彼がロングソードに切り刻まれ、そのたびに即時再生していた時のように。


「今のこの己を定義してみせよ」


 オルゴは接近し、細切れにする。指を鳴らして元通りに構成させ、接近し、細切れにする。修復と破壊とを繰り返しながら語る。


「神聖魔法が通用しないからには人間であるのか? 存在するだけで一帯が紅蓮色に染まり、足元にバラの園が広がるというのは魔物的な特質ではないのか? どちらとも言えそうでどちらとも言えぬこの己は、矛盾した存在とするべきなのだろうか。答えは否である」


 指を鳴らし、ネロは五体満足に蘇る。彼女は後ずさろうとするが、踵が壁にぶつかる。その場に踏み留まるということが実質的に不可能な状態が続き、順当に追い詰められていた。


()()()()()()()()()()()()なのだよ、このバージョンは。――人間だとか魔物だとかの既存ジャンルに囚われることを全て拒絶し、世界でたった一人だけの己自身に、己は逆転(インバージョン)したのだ。――吸血鬼でも人間でもない、完全体である真の己自身に」


 両腕を広げ、嘲笑を口元に滲ませる。


 人間改め吸血鬼改め、枠組みの拒絶者オルゴ・デスタルータ。――窮地に立たされる度、「自分がこうであったら」を夢想し、体現する者である。


「……そんなのアリかよ。ズルじゃねえか。……要は魔物と人間の良いとこ取りして、それを『既存の枠組みに囚われない完全体』だって言い張ってんだろ? 都合が良すぎンだよ。……アタシにはお見通しなんだよ。テメーは絶対に弱点を隠し持ってる。しかもトンデモない大弱点だ。じゃなきゃあまりにもアンバランスなんだよ」


 指を差し見得を切るが、指先がかすかに震える。オルゴはレイピアを地面に突き刺し、優雅に両腕を組む。


「貴様らの心酔する神にも弱点と呼べる弱点はない。己はそれに比肩し得る存在というまでのこと。――それでもなお己を討たんとするならば、攻撃の機会を与えよう。そもそも己が幾度にもわたって貴様を蘇らせてやったのはそのためなのだ。――高貴とはフェアでなくてはならぬ。力量に絶望的な差があるのなら、相応の手心を加えてやるのが我が崇高なる『高貴』なのだ」


 ネロは指を差した格好のまま、ギリギリと上下の歯をすり潰していた。演技を交えた時間稼ぎではなく、純粋な苛立ちからそうしていた。歯の隙間を通る呼吸の音が次第次第に荒立ち、双肩がわななき、唸るような雄叫びを上げながら両手でロングソードを振り上げた。


 が、剣先は直角九十度に差し掛かってからというもの、一向に振り下ろされぬ。――ネロは剣先が何かに引っかかっているような、グイグイと引っ張る挙動をしつつ戸惑った表情を浮かべていたが、やがて悟った風に「ハッ」と嘲笑を漏らし、目元を歪ませつつオルゴを睨んだ。


「……フェアはどうしたよクソペテン師。変な術かけてアタシの動き止めてんじゃねーよ。……弱点が透けたな。テメーはあくまで攻撃特化型で、防御面に関しては人並み程度かあるいはそれ以下なんだろ。だからアタシの剣戟をそうやって回避しやがんだ」


 オルゴは両腕を組んだまま首を傾げ、真顔になる。


「術などかけておらん。大方、貴様は己に幾度も殺されているうち、己への恐怖心が際限なく強化されてしまい、そのように刃向かえなくなってしまったのであろう。――なんとも張り合いのないことよな」


 悠々と近付く。ネロはそれでもロングソードを振り下ろせぬ。接近を許してしまう。


 首元に片手を添えられ、親指で顎をずらされる。耳たぶの下あたりに噛みつかれ、ロングソードを取りこぼし、「放せって」「気色悪いんだよ」など悪罵しながら藻掻く。しかし思うように力が入らず、抵抗という抵抗の一つも出来ぬまま徐々に頭がふらつき、バラの花を倒しつつ頽れる。浅い呼吸をしながら、横臥の体勢でオルゴを弱弱しく睨む。


「曲がりなりにも聖職者なだけあって雑味は少ないが、――日頃のストレスのせいか知らんが、粘り気が強いのがいただけんな。まあ個性と認めればそれまでだが」


 口内に残留させた血を舌先で転がしつつ、唇を指で拭う。次なる関心は上空で祝詞を唱えるビアンコの方に向けられる。


「……姉様に何する気だよ、クソ吸血鬼…………やるならまずアタシだろうが。まだ死んでねーだろ…………」


 その魂胆が時間稼ぎであることは心得つつも、オルゴはフムと顎先を指で摘まみつつ思案する。ビアンコの処遇はどうしたものか。


 適当なアイデアが閃くまでに大した時間は要さなかった。背中からコウモリのような羽を生やし、浅く両膝を屈曲すると、斜め前方に大跳躍する。地上十メートルの高さで浮遊するビアンコの眼前に、羽ばたきつつ留まる。


 なおもコーラスボイスで懸命に賛歌しているビアンコの口元に、ズイと耳を近づけて聴く。


「神聖さがすなわち不快であった頃の己にとっては、聞くに堪えない雑音であったが、――実に美しいクリアな歌声だ。その道で食っていくことも充分に可能だろう。聖職者を破門にされたとても安泰だな」


 怪訝な表情を浮かべる彼女のか細い首を、オルゴは片手で掴む。手の平にすっぽり収まって余りある。――足元では辛うじて立ち上がったネロが息も絶え絶えに怒号し、賛歌は掠れつつ途切れ途切れになる。歌としての体裁を徐々に失う。


「貴様が次に繰り出すつもりだった神聖魔法がどのような手合いのものだったのかは知らんが、あいにく待つ気がない。というか充分に待ったのだ、貴様の妹を蹂躙しながらな」


 ビアンコは首を絞められながらも、片手で握った剣を胸の前で構え、天を突くようにし、空いた左手は背中に回していた。最後の瞬間が訪れるその時まで、確固として儀式の構えを崩さなかった。


 不意に彼女は両目を見開く。喘ぎつつ歌っていたのが止み、両腕をダランと自然体に脱力し、剣を手放す。


 オルゴは地上のネロにアイコンタクトする。「まさか」と相手が青ざめたのを確認してから、ビアンコを手放す。意識とともに加護も失われたか、ひたすら無抵抗に自由落下する。


「マジでやりやがった、クソ!」


 ネロは一歩踏み出しつつ「【暴力ヴィオレンツァ】!」と唱える。身体強化魔法によって瞬間的に向上した脚力で以て、通常の倍以上の速度で駆け、先んじて落下した剣を目印に落下地点に先回りし、両腕で受け止める。間一髪だった。


「大丈夫ですか!? 姉様…………」


 ネロはその場に屈みこみ、膝を枕にさせてビアンコを横たえる。大きく見開いた視線は彼女の首元に注がれていた。


 肩に巻いた付け襟の下、首元のあたりが、何やら膨れ上がっていたからであった。首を絞められて腫れたにしては、いささか大仰であったし速すぎた。――薄目を開けて半ば覚醒しかけているビアンコに、ネロは「失礼します」と断りを入れつつ、首元の細紐を解き、付け襟のホックを外して

取り払う。


 言葉を失った。か細い首をグルリと一周しているのは、ヌメヌメと粘着質な光沢を放つ、蛇のごとく異様に細長いヒルであった。状況から考えて、それはオルゴが仕向けたに違いなかった。


 そうと認めるが早いか、ネロはビアンコの首元に手を伸ばす。「推奨はせんな」と窘める声が頭上から降ってきて振り向くと、オルゴがコウモリの羽をはばたかせながらゆっくりと下降している。間もなくバラの園に降り立つ。


「生物には等しく、防衛本能というものが備わっておる。その種が当世まで滅びず残っておる所以よな。――無理に引き離そうとすればどうなる? 生命の危機だと心得て、より強く噛みつきより多く血を吸い、死に至らしめることになろう。貴様の望むところではあるまい」


「……姉様の神聖な柔肌に、何を巻きつけてくれやがったんだよ。鬼畜外道が」


 ヒルを掴み取ろうとする手を引っ込め、両目を怒らせる。対するオルゴはどこ吹く風、「リーチカラーとでも名付けようか」と顎周りを撫でる。


「絶えず首元に噛みつき、生き血を啜る寄生生物よ。アクセサリとしては落第もいいところのデザインではあるが、下僕の首輪に凝った意匠など不要よな」


「……ジワジワと血を吸わせ、私が衰弱する様を愉悦するのですか?」


 首を絞められた時のダメージがまだ幾分か残留しているのか、ビアンコは掠れた声を出しつつ、虚ろながらも眼差しに敵意を込める。


「否だ。リーチカラーが吸い取る血液は基本的にごく微量だ。貴様らがリーチカラーないし己に対して妙な真似でもせん限りは、健康状態ならびに寿命にはさして影響せんだろう。案ずることはない」


「脅しというわけですね。いつでも殺せるはずの我々をあえて生かしたままにし、首輪を付けて飼い慣らす気でいると。――殺されたくなければ、大人しく言う通りに従えと」


「この町における聖職者は、かなり高位の身分に位置付けられていると推測される。根拠は結界だ」


 さして得意げという風でもなく、オルゴは淡泊に持論を語る。


「アンビエンテの全域を包括する魔除けの結界は、この町の聖職者の神聖魔法によって展開ないし維持されている。――町に平和と安全をもたらす聖職者らの存在を、人々は有難がり崇拝していることだろうし、聖職者の中でも更に高位の存在である神官サマなどは、より畏敬の対象となるであろう。違うか?」


「話が回りくどいんだよインテリカスが。……さっさと要件を言いやがれってんだ。真っ向から拒否してやるからよ」


 睨み上げてくる視線を、殊更に顎を上げつつラインレッドの瞳で悠々と見下ろす。鎧の胸に片手を宛てがい、表情に嘲笑を滲ませる。


「進化したこの己、真正オルゴ・デスタルータは確信している。我が肉体は太陽の光を完全に克服したのだということを。――というか、己はそれを渇望しつつ邪化の禁術(インバージョン)したのだから、そうなっているに違いないのだ。――であればいつまでも、この薄汚い地下水路に潜っている理由もあるまい。貴様らを人質に引き連れつつ地上に出、城門から白昼堂々、この町を脱するのだ」


「地上ではアンビエンテの市民が、総出であなたの命を狙っていますが、……私共を人質に取れば、安易に手出しは出来ないだろうと?」


 オルゴのマイペースを極めた語り口を補完する形で、ビアンコは相槌する。それは相手の真意が何であるかを確認するためであったし、いまいち要領を得ていないネロに話の流れを解説するためでもあった。


「冤罪に踊らされた愚民共から代わる代わる攻撃を仕掛けられるのを、いちいち斬り伏せつつ突破しても良いのだが、人質戦法の方が幾分かスマートであろう? 取るに足らぬ凡夫を相手に蹂躙の限りを尽くせば尽くすほど、こちらの品位が落ちるのだ。狩るなら相応の相手でなくてはならぬ」


 言い終えると、オルゴは踵を返し、地下水路の出口に向かってツカツカと歩を進めた。行く先のバラはドミノ倒しのように自ずから頽れ、主君のために道を空けると同時に花弁を床一面に散りばめ、レッドカーペットとなった。


 ビアンコは諦観したように目を伏せ、ネロの膝から体を起こす。オルゴの後を追う。


 ネロは姉が外したままの付け襟と紐とを回収し、放置したままの聖剣を取りに戻ろうとするが、「ネロ」とビアンコに呼びかけられ振り向く。


 何も語らず、ただ首を横に振った。――完膚なきまでに敗北しておいて、未練がましく武器に執着するものではないと、言外に告げていた。


 ネロは舌打ちし、二人の後を大股で追う。胸中にはち切れんばかり屈辱と苛立ちとを、どこに差し向けたものかと懊悩していた。

 ここまで読んでいただきありがとうございます!


 ◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国

 ◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国

 ◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市

 ◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村


 これまでのあらすじ。


 〇真正オルゴ・デスタルータに変身。

 〇一帯の空気感を制圧し、神官を圧倒する。

 〇神官を人質にし、地上に繰り出す。


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