第42話 高圧的態度
「空中浮遊に瞬間移動って、マジで何でもありだな神聖魔法。——神がかりなだけあるぜ」
ネロは半ば仰け反りながら上空の姉を見上げ、引き気味に苦笑する。
不意に、彼女は喉の内側がピリピリと痛みだし、ロングソードを担いでいない方の手で口元を押さえると、ゴホゴホと咳き込んだ。
手の平を検めると、血飛沫が付着している。煌々と輝くビアンコの後光に照らされ、血飛沫は瞬く間に塵と化し、霧散した。――感染症に冒された時のような、気だるさと肌寒さを覚え、ネロは足元をふらつかせた。
「……まさに威光の凄まじさよな。曲がりなりにも聖職者であるアタシがこのザマってんなら、」
半身に振り向いてオルゴを見る。彼の下半身は完全に氷漬けになり、今なお上半身にかけて浸食されつつ、息も絶え絶えに湿っぽい咳を繰り返していた。片手で口元を押さえているが隙間からボタボタと血が溢れ、両目からも流血し、その傍から霧散していた。
「魔物にとっちゃあ、あまりにも毒だよな。――悪く思うなよ? テメーが悪いのが悪いんだからな。長生きするコツは善良であることだぜ」
「ネロ」
ビアンコの超然とした声が降ってくる。大して張り上げてもいない声遣いが、耳元で囁かれているかのようにハッキリと聞こえる。
呼びかけるだけで、それ以上のことは何も紡がない。後光を背負いつつ、ただ無言でネロを見下ろしている。
「……巻き添え食らいたくなかったら捌けろってことスよね。まあこの段になって、アタシの出番じゃねーか」
ネロは中指を立て、親指で首を切るジェスチャーをし、すなわち十字を切ってからオルゴに背を向ける。石壁の方、ビアンコの足元に向かって退却した。
暫し、ネズミの鳴き声や水滴が落ちる音など、無言の続く廃水路内にてざわざわと際立つ。
「ブジアの村を調査しに向かわせていた隊が、つい先ほど教会堂に戻りました」
ビアンコが語り出すのを、オルゴは自身の喉笛を握り潰しつつ黙って聞く。睨み上げる瞳孔がブルブルと痙攣していた。
「礼拝堂で貴方が証言していた通り、件の村における『吸血鬼騒動』は、真っ赤な嘘であったとの報告を受けました。――墓を掘り起こし、吸血鬼に襲われたとされる死体を検分したところ、大多数の死体は人間の手によって殺害されていることが認められました」
真下で聴いているネロが、怪訝な表情を浮かべる。なぜさっさと退治しないのかと。――視線に構わず、ビアンコは続ける。
「残酷な事実ですが、件の貧村に教会施設を整備するだけの財政的余裕はありません。――時おり村を襲撃しにくる魔物に対しては、村の長の一族が剣術ないし攻撃魔法を用いることで撃退しているとの報でしたが、いずれにせよ城郭都市アンビエンテより攻略が容易であることは自明です。無難に食事にありつきたいだけなのであれば、貴方はブジアの村を狩場にすべきだった。犯行時刻が朝方であったことについても、ナンセンスそのものと言えましょう」
「姉様?」
痺れを切らしてネロが口を挟むが、なおもビアンコは無視を貫く。
「貴方は先ほど、『己は嵌められたのだ』と仰いましたね。――無差別殺人事件の犯人として自分が槍玉に上がっているのは、全くの冤罪なのだと」
二つのことを約束しなさい。とビアンコは、この時ばかりはかすかに声遣いを尖らせた。無風のはずの廃水路内にて、彼女の黒衣の裾がユラリと靡く。
「跪き頭を垂れること。言葉遣いをへりくだること。以上の二点です。――傲岸不遜な貴方のその態度は、吸血鬼に広くみられる特質の一つ。それを自ら毀損し、間違いであったと悔い改めるのであれば、現在あなたを足元から蝕み続けている氷塊を速やかに溶かし、弁明の機会を与えて差し上げましょう」
この時にはもう、オルゴは頭部と左腕とを残し、ほとんど氷漬けにされていた。――体温と共に体力も奪われたか、棒立ちの姿勢で俯き、呼吸するごとにヒューヒューとか細い音を漏らし、眼窩と口内から血が滴るのをそのままにしていた。
「クッ」
と、彼は何か喉で詰まったような声を出した。血痰でも絡まったのだろうと、神官姉妹は大して気にも留めなかったが、――クックックックックッ――と立て続けになり、左肩が段々と大きく上下していき、ガバッと勢いよく天を仰ぐのと同時に彼は高らかに哄笑した。左手で前髪を掻き上げ、突き抜けるような嘲笑が廃水路内に幾重にも反響し、地鳴りすら伴う。ネロはたまらず片耳を手で塞いだ。
「……生憎だがな、神官よ」
声を落とし、嘲笑を顔面に残したままビアンコを見上げる。
「貴様が傲岸不遜だと称した己のこの態度は、邪化の禁術を行使して魔物に変身する以前から、人間の頃からこうなのだ。――吸血鬼だから、ではない。これはオルゴ・デスタルータという一人の男の、あくまでもオリジナルの特質なのだ。――それを自ら毀損しろだと? 間違いであったと悔い改めろだと?」
次第次第に語気のボルテージを高めていたが、声を荒げる寸前、「ハッ」と鼻から息を漏らし、片手間にワイングラスでも回しているかのような、悠々とした語り口に戻った。
「確かに己は改めるべきなのかもしれんなァ。……己は己のままでありながら、より素晴らしい己へと、……言うなればそう、羽化すべきだったのだ」
まだ氷漬けになっていない、左手の親指と人差し指とで輪をつくり、指笛を鳴らす。
待ってましたと言わんばかり、ネロの黒衣の裾から、丸々と肥った汚らしいドブネズミが飛び出す。
「……なんだそのデブネズミは。いつからアタシの股の間に忍ばせてたよ」
オルゴの方にスタコラと逃げ去るネズミの後ろ姿を、ネロは仁王立ちで睨む。
「先ほど貴様にコウモリの群れを差し向けた時だ。注意を上空に向けさせ、その隙に忍び込ませたのだ。――己の血をふんだんに含ませたそのネズミを、適当なタイミングで貴様に踏ませることにより、何かしらのギミックに展開させていく算段であったが、――中止とさせてもらおう。性分でないことを思い出したのだ」
するとオルゴは、自らの左手の人差し指を第三関節まで口内に突っ込み、――――――ガリッと骨を噛み砕き、皮膚も筋肉も纏めて噛み千切った。
「は?」
「いけない」
ネロは両目を見開いてポカンとし、ビアンコは胸の前に構えた剣の先を眼下のオルゴに差し向ける。
「己といえば、高貴でなくてはな」
人差し指の付け根からドボドボと鮮血を溢れさせつつ、オルゴは親指と中指とを口内に突っ込み、噛み千切った肉片を取り出す。
「【邪化の禁術】」
と唱えてから肉片を手放し、落下するに任せる。優雅に左腕を広げ、天井を仰ぐ。
足元に、丸々と肥えたドブネズミが駆けつけ、落下する肉片を大口を開けて受け止める。丸呑みにする。
直後、ドブネズミは爆ぜ、辺りの床一面に赤黒い血液が撒き散らされる。血液は俊敏に蠢き、円形の魔法陣のような模様を形成する。
赤みを帯びた旋風が魔法陣から舞い上がり、オルゴの全身を包み隠す。廃水路の一帯が赤色に照らされた。
「【明し滅する救世の柱】」
ビアンコが粛々と唱えると、剣先から小石ほどの光の粒が射出され、旋風の中に消える。
着弾して間もなく、地下水路の全域が閃光に包み込まれる。ネロはジリジリと焼かれるような激痛を両目に感じ、瞼を固く閉ざしつつ前腕で光を遮る。――皮膚の色を透かしたピンク色の視界が、幾分か赤黒く落ち着いてきた頃、地下空間にあるまじき爽やかな風が肌を撫でる。
ネロが両目を開くと、廃水路の床一面は色とりどりの花園と化しており、春の日の早朝のような柔らかい風に吹かれて、ざわざわと靡いていた。――聖なるオーラで満ち溢れた一帯は、青空から隔絶されているに拘らず、眩しいほどに晴れ晴れとしていた。
神聖魔法の発動は滞りなく完了していた。これだけ陽の気に満ち満ちた空間に置かれては、吸血鬼など木っ端のごとく浄化されるはずであった。
が、オルゴ・デスタルータは、色彩豊かな花々に取り囲まれつつ、――両目を瞑り、手に取った一輪のバラを嗅いでいた。
沈着した赤色の頭髪。絢爛を極めた黒地のマントの下は、甲冑の装いになっている。重厚な金属板の表面にも、やはり複雑怪奇なる模様があしらわれている。
氷塊だけが溶け、五体満足であった。
「…………な、」
ネロは瞼を擦り、愕然としつつ正面のオルゴを睨む。にわかに声を震わせる。
「なんで消滅してねーんだよ…………聖なる光に焼かれて、なに呑気に花なんて嗅いでやがんだよ…………克服したってのか? 神聖さを、太陽の光を…………!」
「記念すべきこの己の三度目の生誕日に、浮足立つのも詮無き事ではあるが」
指で摘まんだバラを、花弁の方を下にして手放す。「――些か優柔不断が過ぎるというものだ。どれか一つにしなくてはなるまい。――刮目せよ」
バラが花園に落下する。そこを中心に、色とりどりの花々が次々と枯れてゆき、入れ替わりにバラの花が咲き誇る。我が物顔で陣地を拡大していく。
「こうでなくてはならない。手当たり次第に蹂躙し染め上げる、血の海のようなバラの花園よ…………フハハ」
堰を切ったように、みたびオルゴは哄笑する。一帯は台風の前の夕焼けのように、狂った紅蓮色の一色に照らされ染められた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国
◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国
◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市
◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村
オルゴ・デスタルータ二度目の変身、レベッカ・レオナルディ誘拐事件、フィローネ・デスタルータの暗躍など、第四章にして物語は佳境に迫りつつあります。年内には第一部が完結する予定ですので、読者の皆様方におかれましてはもう暫くお付き合いいただけますと幸いです。
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