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第40話 一方的展開

 アンビエンテ辺境都市直下の地下水道は、あるいはそれ自体が一つの町であるかのように広大であった。


 余裕を持って人がすれ違える程度の幅の作業用通路に両脇を挟まれる形で、その真下に大水路が通っている。燭台一つ置かれていない閉鎖空間であるにも拘らず、どこに光源があるやら満遍なく仄明るく、かなり遠くまで見渡せた。


 オルゴはその地下水道の、歩道ではなく水道を歩きつつ、畳んだ傘を杖として石畳をコツコツと小突いていた。


 水道といっても枯れており、床材の破損は激しく、長らく使用も修繕もされていないものと見られた。湿気を含んだ重たい空気が流れ、土埃のにおいが立ち込める。


 普通人であればまず間違いなく気分の滅入る環境であったが、しかしオルゴにとっては地上に居るより数段快適であった。迷宮のごとく入り組んだ水路を黙々と進んでいく。されど散歩ではない。


 城壁の外に出るルートを探していた。手がかりなど何もない。体力の続く限りひたすら水路を巡り歩き、片端から検証していく腹積もりでいた。


 苛立ちが募っていた。なぜこうも自分は奪われなくてはならないのか。母親を奪われ地位を奪われ、その代わりに吸血鬼の異能と有用な眷属を手にしたはずである。それすら奪われるというのでは釣り合いが取れていない。神が目の前にいれば唾を吐きかけてやりたいと思っていた。


 立ち止まる。


 喉の渇きがいい加減に著しく、右手の爪を喉笛に食いこませつつ歯軋りする。――地上に引き返して、この己に仇なす愚民の悉くから血を吸いつくしてしまおうか。百か二百ほど吸ってしまえば、城壁など武力で突破できよう。高貴なる吸血鬼であるこの己が、一方的に奪わられ続けているのがそもそも歪なのだ。覇者は覇者らしくあらねばならない。


 俗人の命を。


 軽々しく消費しなくてはならない。


「……………………」


 馬鹿か?


 誰が化け物を慕う? 人食いの怪物が俗人から向けられる感情は畏怖と嫌悪のみだ。何人からも純粋な敬意を払われない人生など、こちらから願い下げだ。――と結論すると同時に、オルゴは溜め息した。


「神聖魔法はご存知でしょうか」


 意識外からの問いかけであった。普段より幾分か素早く、声のした方を振り向いた。


 手燭を片手に提げつつ参上したのはビアンコ・ヌボラであった。


 上下一体型の全身黒衣を身に纏い、肩周りには純白の付け襟。剣帯を腰に巻き、金で装飾された儀式用と思しき剣をそこに差している。


 毛先のカールした白髪を肩上で切り揃え、横長の瞳孔が双眸の奥に鎮座し、羊のような女であった。


「我々のような聖職者が、神事の際に用いる魔法なのですが、厳密には魔法ではない。効果の発生機序がまるで違うのです」


 表情に笑みはない。


 淡々と、壁にでも話しているような、感情の無い声を出していた。


「一般的な魔法は『詠唱』『想像』『責任』の三段階派生ですが、同じ三段階派生でも神聖魔法の方は、『祝詞』『神託』『献身』ですので。――すなわち、使用者はあくまで器に過ぎない。神の意志と力とを媒介するに相応しい存在として自身をアピールするための、言うなれば神聖魔法とは()()なのです」


 ビアンコは両足を揃えて立ち止まる。対峙するオルゴとの距離は五メートルほど。遠くの水溜りに滴が落ちる音がした。


「昨晩、アンビエンテの全域には強力な結界が張り巡らされていると申し上げましたが、その結界とは神聖魔法によって形成された、魔除けの結界なのです。偉大なる日光の輝きを増幅し、結界の内側の領域を昼夜問わず神聖に保ち続ける。並大抵の魔物は踏み入れた途端に、自ずから消滅してしまうほどです。――魔物界の大物、吸血鬼をしても、長々と滞在していて平気ではいられない」


 ここへ来て、初めてビアンコは感情らしい感情を表に出した。両目を伏せ、声に落胆の色を滲ませた。


「私は失望しました。――己の、聖職者としての至らなさについてです。市民を魔の者から守護する神の遣い、神官が居ながらにして、大勢の人間の尊い命が奪われてしまった。自らの首を切り落として、戒めとしたいところです」


「己は嵌められたのだ」


 オルゴは淡泊に弁明する。杖代わりの傘は地面に打ち捨て、両腕を組んでいた。


「そいつは方々で通り魔殺人を起こし、犯人の姿かたちがこのオルゴ・デスタルータのようだと触れ回り、――己が死体の前で仁王立ちしているところを大勢に目撃させ、見事アンビエンテの全市民を己に敵対させることに成功した。貴様もその不届き者に騙された、愚かな人間のうちの一人に過ぎんのだ。――まあ、」


 吸血鬼の吐く戯言など、よもや破魔の代行人が頷くわけもなかろうな。


 右手の親指の爪で人差し指の皮を破り、迸る血液がたちまち漆黒の剣を形作った。


「無駄な抵抗です」


 手燭を足元に置き、剣帯から粛々と抜刀し顔の前に握り、剣先を天に向ける。


「往生際の悪さは高貴と言えますでしょうか。――いや、端からそのシナリオも、嘘偽りだったのでしょう」


 コーラスボイス。


 瞑目しつつ唱えるその文言は、オルゴも知らないではなかった。彼の認識ではその魔法は、一般魔法に分類されていたはずであった。


「【日晴フィアルクス】」


 と唱えるビアンコの透き通る声が、地下水路に幾重にもなって反響していた。――閉鎖空間ゆえの反響も相俟って、脳が揺れるほどの錯覚を来していた。


 祝詞によって発動する神聖魔法は。


 その祝詞が荘厳であるだけ、大仰に祝福するだけ、恩恵もひとしおである。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■」


 古代言語によって紡がれる詩は、当世の人間が耳にしてもその文意を解せぬ。


 確かなのは、オルゴの全身から黒い煤のようなものがにわかに散り始め、強烈な嘔吐感と激痛が生じていることであった。左手で耳を塞ぎ、手に握る剣が異様に重く感じられ取り落としそうになり、異様に脂汗が染み出し、眩暈もしていた。


 その不快な歌を今すぐ止めろと、半ば悲鳴するように絶叫しつつ、オルゴは黒剣を振り上げながら一歩で間合いを詰めた。――殺す気でいた。今この場でやらねば明日はないと、鬼気迫っていた。


 背後に。


 かすかながら殺気を感じ取った。気のせいかと思われるほど些細であった。しかし殺意には違いなかった。


 思い切り地面を踏み込みつつ攻撃を急停止、無理やり体を捩じり後方を振り向くと、既にロングソードが眼前に迫っている。すんでのところで刀身で受け止めるが勢い余りあり、一気呵成に押し込まれ、足元の石畳が重圧に砕け、力を受け流すべく横に転がり逃げる。石ころのように地面を跳ね回り、両足と左手と剣先とを地面に突きつつ踏み留まり、ゆうに20メートルは弾き飛ばされていた。空咳に血が混じっていた。


「姉様の歌声が激メロすぎて横転すんのも無理はねーよ。聞き慣れたアタシですら蕩けちまいそーだもんな。死に際に聞けて良かったじゃねえの」


 存在感を消す神聖魔法、【無私ディボーション】は、擬態魔法などがそうであるように、他者との接触を以て無効化される。


 ロングソードを肩に担いだ巨人。辺境都市アンビエンテを守護するヌボラ神官姉妹が、これにて揃い踏みである。


「神の威光に預かることでしか粋がれぬ小物が」


 口元を手の甲で拭い、黒剣を右肩越しに高く構える。 


「生首は二つ並べて晒してやろう。いい見世物だ」

「粋がってんのはテメーだろって。満身創痍バカが」


 ネロが抜き身のロングソードを振り下ろすと、石畳がいとも容易く砕ける。


 二人とも、どちらともなく嘲笑し合っていた。肉食動物がするような、牙を剥いた威嚇めいた嘲笑だった。一触即発の沈黙の間に、ビアンコの祝詞だけが幾重にも反響していた。


「無頼上等」

「神罰代行」


 声高に口上し合うや否や、相互に間合いを詰め、めいめいに剣先を振りかざした。


 憤怒の吸血鬼と、戦狂いの神官との激闘は、相手の蹂躙のみをひたすら目的とした、攻撃一辺倒の血生臭い展開に始終した。


 と言っても、血肉を撒き散らすのはオルゴの方だけである。枝落としでもするかのごとく四肢を切り落とされ、吸血鬼の再生能力で即時元通りになる傍から切り落とされ、返す刀は神の加護(スーパーアーマー)によって守られたネロの肉体に傷一つ付けられぬ。控え目に見積もっても一方的な展開であった。


「麦刈りしてんじゃねーんだよなぁ! やりがいもクソもねぇって! シャンとしやがれ!」


 片手で握ったロングソードをチャンバラのように振り回しつつ叫ぶ。間合いを詰めてきた相手の髪を鷲掴みにし、膝蹴りを顔面に叩き入れて打ち捨てる。


 オルゴの、項垂れつつ辛うじて立ち上がる顔面から、ボタボタと血が滴っていた。


「大ッ体、てめーは初対面ン時から気に食わねーんだよなァ」


 血肉に塗れたロングソードの腹を右肩に乗せ、腰に手を当てつつ、嫌悪を宿らせた双眸で見下ろす。


「礼拝堂で姉様と二人っきりでお喋りしてた時、ニコリともしてねーでやがんの。過ぎたご褒美を頂戴しとして、腕組んで椅子にふんぞり返ってたよなァ。――遠方から任務完了して戻ってきたアタシは適当に追い払われて、てめーはその後も長々と話し込んでやがったの知ってるんだよなァ――ガチでイラつくぜ。その上、姉様の顔に泥塗るような真似してくれやがってよォ………」


 喋ってたら腹立ってきた。

 嬲り殺すつもりだったけど辞めだ。もう死んどけ。――冷ややかに言い放ちつつ、ネロはロングソードを相手の脳天目掛けて振り下ろした。


 が、剣先が砕いたのは足元の石畳であった。顔を上げるとオルゴのマントが、水路の角を折れ曲がった先に吸い込まれていくのだけ見える。


「ダッサ。逃げてやがんの」


 ネロは体を起こし、ゴキゴキと首を鳴らす。「しっかしやけに俊敏だったよな。どこにそんな体力残してやがったのやら」と一歩踏み出し、右足に痛みを覚えて足を止める。


 見ると、膝頭あたりの布が噛み千切られ、皮膚に開いた二つ穴の周りが血に塗れていた。


「顔面に膝蹴りされた時にチューチューして、そんで幾分か回復ってか? ……キショすぎだろ吸血鬼。神の威光に預かることでしか云々とか言っときながら、てめーはアタシの血で生き永らえるってか? 高貴さの欠片もねー、ヤマビルモドキが威張ってらァ」


 後ろで賛歌を唱え続ける姉を振り返る。祝福は防御の方面で絶大な効果を発揮しつつ、回復能力には寄与しない。開いた二つ穴は自然治癒か、回復魔法でしか塞がらぬ。一時でも吸血鬼に傷を入れられてしまったことは、この上ない屈辱であった。


「……ま、ノンビリ狩ればいいだろ」


 どうせ姉様の()()が済んだら、その時点でチェックメイトなんだし――と呟きつつ、緩慢な歩調でオルゴの後を追った。

 ここまで読んでいただきありがとうございます!


 ◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国

 ◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国

 ◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市

 ◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村


 これまでのあらすじ。


 〇オルゴ、ヌボラ姉妹の前に悪戦を強いられる。

 〇ネロ、姉妹愛が高ぶり、怒りを増す。

 〇ビアンコの準備が着々と進む。


 高貴なる吸血鬼オルゴ・デスタルータと、マイペースな少女レベッカ・レオナルディの凸凹コンビを、これからもよろしくお願いします!


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