第29話 冴え渡る夜空
レストランを出た一行は、そのまま宿に向かって街路を歩き出した。
アンビエンテはとうに夜を迎えており、街並みはまばらに営業している酒場の門灯で赤色に照らされ、夜空は鮮やかな群青色をしていた。
『まさに都会の夜だな』
と、オルゴは目を細めつつ、内心で感想する。
まるで大違いではないか。鬱蒼とした森の中で過ごした夜とか、寂れた農村で迎えた夜なんかとは――まだ夕方の頃合いかと勘違いしそうになるほど、鬱陶しいほどに眩しい夜更けではないか――――と。
「どの料理がいちばん美味しかったですか?」
その横合いから、レベッカが呑気に語りかける。
彼女は安らかに寝息するベルンを背に負いつつ、決して転ばぬようにと一歩一歩を確実に踏みしめている。
「どれが一番かと聞かれたら甲乙つけがたいが」
オルゴは斜め上を仰ぐ。黙考しつつ二歩ほど進み、「リンゴのタルトだな」と答える。「アレは実に良かった」
「タルトかぁ……思い出すだけで幸せな気分になりますね。サクサクしてて美味しかったなあ」
レベッカは顔面をフニャリと綻ばせる――ひとしきりタルトに思いを馳せると、不意にオルゴの顔面を下から覗き込みつつ、
「吸血鬼の力で再現できたりは」
「可能だが却下だ」
と食い気味に断られる。突っぱねられる。
「そんな間髪入れずに拒否らなくてもいいじゃないですか」と、レベッカは頬を膨らましつつ、唇を尖らせる。
一方のオルゴは、もはや言うまでもなく腕組みしてふんぞり返っており、そして頑として物言いする。
「タルト一つとっても、アレが実際に我々のテーブルに運ばれるまでの間には、並々ならぬ試行錯誤があったはずだ――シェフが汗水垂らしつつ、必死の思いでレシピを開発したからこそ、あれだけ絶品だったのだ――それを涼しい顔をした己が、作り方も知らずに結果だけを再現してしまうというのは、非常によろしくない。作り手に対する敬意の欠如であり、高貴さとは真逆の所業だ」
だから己は既存のアイテムの完全再現は原則せず、基本的にはオリジナルのアイテムしか生成しないのだ――――と。
彼は実に滔々と哲学を語った。
そこまでは良かった――何が良いのかはさて置き、少なくとも何らの問題も発生していなかった。
「………………」
彼は演説が終わり次第、断りも入れず一人で立ち止まった。
街路に棒立ちし、俯いて、左手の手の平を無言で口元に宛がった。
「要は、既存品の完全再現は作り手に対する冒涜だからしないってことですよね」
レベッカはすぐにはオルゴの異変に気付かず、彼だけ置いていく形で独り言しながら先に進んで行く。
「まあ、言われてみればその通りでしかないというか――模倣してばかりだと修行にもなりませんしね。猿真似を型破りしてこそ一皮剥けるわけで」
「ゴホン」
と、オルゴは口元に左手を当てたまま、咳をした。
その音を耳にしたレベッカは、ようやく足を止めて後方を振り向く。10歩ほど後方で口元を抑えつつ棒立ちしているオルゴを視界に捉え、咳の主が誰であるか察すると同時に、「具合でも」と慮ろうとする。
が、オルゴは口元から離した手の平を一瞥し次第、「この己が病毒如きに冒されると思うのか?」と先回りして豪語。「ハッ」と嘲笑し、左手を握り込みつつ両腕を組んで、ふんぞり返る。
「見当違いも甚だしいというものだ――これより我が高潔なる高説を執行する時の、あれは有難い咳払いというものだ」
「高説」、とレベッカはオウム返し。眉を顰める。
「この旅の続きをどうするのかを、ここ最近の己はしばらく思い悩んでいたようだ」
オルゴは本腰を入れて語り始める――と同時に、その両足も前進を再開する。
レベッカは依然、怪訝な顔つきをしたまま、その斜め後ろに追従する。
「母君を殺害した真犯人を特定し、復讐を果たし――それから先、どこに向かえばいいのかとんと分からぬ」
「ご実家には帰られないんですか? 身の潔白が晴れた後なら、堂々と帰国しても問題ないと思いますけど」
「アルコールの回りが相当に酷いと思われる。この己のどこが潔白だ? 収監当初こそ己は無実の罪人だったが、今や立派な禁術破りなのだ――ノコノコ帰国しようものなら、たちまち大捕り物が起こるに決まっている。蚊柱に自ら顔面を突っ込むようなものだ」
それにだ、とオルゴは立て続けに語る。
「己は大体からして、デスタルータの領地に住まう愚民共を好かんのだ――この己が、デスタルータ伯爵家の長兄が、母親殺しの大罪人として裁判にかけられていた時に、連中は揃いも揃って己を陥れる旨の証言ばかりしておったのだ――『事件前のオルゴ・デスタルータは不審な行動を取っていた』とな。流行り病や不作続きで溜まっていた鬱憤の八つ当たりなのか知らんが、連中のせいで高貴なるこの己は、獄中で引っかけられることになったのだ。恨み骨髄とはこのことよ」
「………………」
変に相槌しても余計にヒートアップさせるだけだと心得え、レベッカは話を根元に戻す。
「では、向かう先はどこに?」
先を進むオルゴは、直進から右に逸れていく。
門灯で赤く照らされた、何か石造りの建物の壁に凭れかかり――天を仰ぎ、スウと口から息を吸い――金色の瞳だけ横に滑らせてレベッカを見、
「自ら【楽園】を築き、そこに君臨するしかあるまい」
平然と言い放つ。あくまで達成可能な目標を立てているに過ぎないといったような、あえて威張るでもなく淡々と。
「建国とは大きく出ましたね。どんな楽園を?」
対するレベッカも大して驚愕しない。酔いがリラックスの方面に作用しているのもありつつ、そもそもオルゴ・デスタルータという吸血鬼の規格外さにいちいち驚愕するフェーズは、とうに通り過ぎてしまっていたという塩梅である。
「まずは、とにかく緑が豊かであることだ」
オルゴは再び夜空を見上げ、そこに思い描くようにしながら、滔々と紡ぎ始める。
「木々や稲穂が余すほど実ればこそ、飢えに悶える者はなく、結果的に民度の向上にも繫がる――それと、絶対的君主であるこの己が日夜張り切って治世に取り組めるよう、娯楽施設を拡充せねばならんな。さっきのレストランを誘致するというのも一つの手だ――語るに尽きない夢物語だが、己ならばいずれ実現できよう」
と。
ひとしきり語り終えてから、オルゴはレベッカの方を振り向く。
彼女はというと、黙って傾聴しつつも、半ば呆れたように苦笑していた。
「なんだその顔は」とオルゴは彼女を睨む。
レベッカは彼と真っ向から視線を交えつつ、パチパチとゆっくり瞬きし――視線を一瞬だけ下に外してから、再び彼と目を合わせると、
「こっちの台詞かもです、それ」
と苦笑のまま返す。オルゴは「は?」と上唇を引き攣らせ、左の犬歯を見せる。
『そんな風にいつも威張った顔してるくせに』と。
『飢えに悶える者がない国を築きたいのだって、いかにも人道的な所信表明を真っ先にしちゃって』と。
『照れ隠しなのか知らないけど、素直じゃないよなぁ』――――と。
思っている内に自然と苦笑してしまったというのが実際のところだったのだが、その経緯について彼女は、オルゴには語らなかった。
「ふああ」とあくびし、「なに言いたかったのか忘れちゃいました――ここ宿ですよね。さっさと寝て明日に備えましょう」と、オルゴの寄りかかる石造りの宿屋に踏み入れ、「すみませーん、3人で予約したエルカーンですけどー」と声を張り上げた。部屋まで案内して貰うためである。
が、その隣にオルゴの姿はない。
彼は依然として外壁に背を預けたまま、微動だにしていなかった――レベッカが緩慢な足取りで宿に入っていくのを、その場で黙って待っていた。
「………………」
オルゴは左手を口元に当て、「ゴホ」と咳する。
そして、やはり手の平を一瞥すると、溜め息しながら握り込み、両腕を組みつつ踵を返して――宿まで来た道を、不意に一人で遡り始めた。
その頃レベッカは、オルゴが隣にも後ろにもいないことにビックリしている――何事かと宿屋の入口まで引き返し、外に出てキョロキョロと周囲を見回す。
程なくして、レベッカは左に向かって行くオルゴの背中を捉え、「あっ」とこぼす。
「デスタルータさん、どこに行かれ」
「忘れ物をした」
レベッカの呼びかけに対し、オルゴは最後まで聞かず、振り向きも止まりもしないまま応じる。「どこで無くしたのかは見当がついているから、貴様らは先に休んでいろ」
「………………」
レベッカはその後ろ姿を、暫し黙って眺めていた。
忘れ物をした――という彼の言葉は、恐らく嘘である。
そもそもからして、彼は物質生成の異能を有しているのだ――忘れ物をしたのなら、新しく生成すればいいだけの話なのに、それをわざわざ歩いて取りに行くというのは、どうにも疑わしい。
取って付けた方便なのではないのかと。
忘れ物を回収するためと銘打ちながら、どこか単身で向かいたい場所でもあるんじゃないかと、彼女は勘繰っていた。
「………………」
レベッカは逡巡の末、「あの」と声を張り上げる。オルゴは立ち止まるが、振り返りはしない。
何を話せばいいやらと、彼女は呼び止めてから考える――もう遅いから、忘れ物は明日の朝に取りに行きましょう? 吸血鬼を相手にする提案ではない。では何を?
考えても埒が明かないと悟り、レベッカは意図も脈絡も無関係に、唇と舌とが自ずと動くに任せて話す。
「……正直、ブジアの村を出てからのデスタルータさん、ずっと口数が少なかったじゃないですか……見るからに消沈していたというか、そんな風で」
彼女は俯き、暗い顔になる。
「……でも、さっきのレストランに入る前後らへんからは、幾分か言葉数が戻っていたと思うんですよ――美味しい物を食べて気分が良くなったからとか、そんな単純な話でもないとは思うんですけど――だから、」
と、レベッカは顔を上げた。
時間にしてそれは、数十秒ぶりの前方確認だった――が、オルゴの姿は既に跡形もなく消え去っており、周囲のどこにも存在していなかった。
「お連れの方はどちらに?」
呆然と立ち尽くすレベッカの背に、宿の主人が呼びかけた。
*
オルゴは、門灯の一つもない静まり返った住宅街の道路を、フラフラと半ばよろけるようにしながら歩いている。
前から人が来たわけでもないのに、道の真ん中で立ち止まると、左手を口元に当てて咳をする。
左手の手の平を見る。
一度目も二度目も三度目も、その事実は変わらない。
彼の手の平には、べったりと血飛沫がへばりついている。
「チッ」
と彼は舌打ち。瞬く間に血飛沫は霧となり、宙に散る。
なぜか、と彼は考える。
さっきの料理に毒でも入っていたのか?
それはない。この己が血の咳をしてしまうほどの毒物が仕込まれていたのであれば、あの小娘らはとうに絶命しているはずだ。
いや、あるいは――己の料理にだけ、毒を盛られていたのか?
何のために?
吸血鬼であることがバレたからか?
誰に?
料理人に? 給仕人に?
どの時点で毒は混入させられた?
「………………」
オルゴは瞳を右に左に動かし、寝静まった住宅街の全貌を検める。
夜空と同じく、街並みは鮮やかな群青色に照らされており、門灯一つ無いに拘らず、建物一つ一つの造形がクッキリと浮き上がって見えていた。
これも有り得ないことだ。不自然極まりない――と、彼は思う。
街並みも夜空も、あまりに明るすぎる。
頭上に浮かぶ満月が、本当は太陽そのものなのではと疑いたくなるほどに。
あの忌々しい太陽を。
彷彿とさせる。
「……極めて不愉快だ。飲み直すか」
オルゴは言い、右手で指を鳴らしながら後ろを振り返る。
パチン、パチン、パチンと鳴らす度、右手の中に銅貨が転送される。
「こんばんは」
と。
その手燭を携えたシスターは、彼の十歩ほど後方で、品のいい微笑を浮かべつつ悠然と佇んでいた。
ワンピースのような上下一体型の全身黒衣、肩周りに純白の付け襟で、首には黒色の紐を蝶結びである――また、腰に巻いた剣帯には、金で装飾された儀式用と思しき剣を差していた。
見るからに20代かそこらの淑女だが、肩上で切り揃えられた内向きカールの頭髪は、羊の毛のように純白だった。
「今宵は綺麗な星空ですね――お散歩ですか?」
と微笑む、色素の薄い両目には、蛙のそれを彷彿とさせる横長の瞳孔が込められている。
上品に結んだ口元の右端には、縦一文字の小さな刀傷が刻まれており、さながら十字架の様相を呈していた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
◆ザンナ王国――オルゴとレベッカの母国
◆スヴァルカ王国――ザンナの南に位置する隣国
◆アンビエンテ――スヴァルガ国の辺境都市
◆ブジアの村――スヴァルガ国辺境の貧しい村
これまでのあらすじ。
〇アンビエンテの夜は妙に明るい。
〇オルゴが咳するたび血を吐いている。
〇オルゴがシスター(?)と遭遇する。
高貴なる吸血鬼オルゴ・デスタルータと、マイペースな少女レベッカ・レオナルディの凸凹コンビを、これからもよろしくお願いします!
面白かったら感想等で応援よろしくお願いします!




