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9章 それでも一緒にいたい

 終業式が終わった。

 ミハルは駅までぼんやりと歩いていた。

 

 校庭のざわめきが遠ざかっていく。

 結局、武琉からは何の連絡もないままだった。


 本当にこのまま過ぎていくのかな……。


 ミハルは空を見上げた。

 

 澄み切った冬の空が、皮肉なくらい気持ちよく晴れていた。

 ミハルは写真を撮ろうとスマホを空に向けた。

 ふと、武琉と子どもの頃に迷って行った公園を思い出す。


「あるよ。今行くと、すげ〜近くてびっくりするよ……」


 そう言っていた武琉の声が浮かんだ。

 行ってみたい。


 ミハルは切符を買い、電車に乗り込んだ。

 座席に腰を下ろし、スマホを取り出す。

 武琉のメッセージを開くと、アイコンが変わっていた。


 ドキッとした。


 ラベンダーの写真になってる……。

 

 武琉らしくなかった。

 もしかして——。ミハルはスマホで検索する。


 ラベンダーの花言葉は——『あなたを待っています』『期待』。


 ミハルは嬉しくなった。

 武琉に届いたんだと感じた。

 武琉のアイコンをタップすると、公園の写真が写っていた。


 ——武琉も、あの公園にいる!


 ミハルは嬉しくて泣きそうになった。

 慌ててハンカチを取り出し、咳をしているふりをして顔に当てた。

 ギュッと押し当てて、涙をこらえた。


 電車の走る速度が、やけにゆっくりに思えた。


 ミハルは、向かい側の窓から見える外の景色を眺めた。

 バイトを辞めるまでは、当たり前のように見ていた景色だった。


 初めてバイトをする日は、武琉と出会えるかもしれないという期待と緊張で、景色はぼんやりしていた。

 武琉と出会えた日からは、この景色がもっとキラキラと色づいて見えた。

 武琉がみかりんと付き合ってからは、その色が消えたように思えた。


 そして今、またこの電車から窓の外の景色を眺めている。

 その景色は、今まで見たどの景色よりも光って輝いて見えた。


 駅に着くと、ミハルはスマホの地図を開き、電車の中で目星をつけた公園へと向かった。

 その公園は本当に、武琉の家から五分くらいのところにあった。


 あれだ!


 公園の入り口が見えてくると、ミハルはあの頃の気持ちを思い出した。

 あの日、武琉はおんぶしながらミハルをここまで連れてきてくれた。

 公園が見えた時、ミハルは武琉の背中から降りて、二人で手をつないで走った。


「やった〜! やっと着いた〜!」


 二人ではしゃいだ。

 困難を共にした勇者のような気分だった。


 あの頃を思いながら、ミハルは走って公園に入った。

 

 そこには、少し痩せた武琉がいた。

 冬の日差しが、彼の輪郭を淡く照らしていた。


 いろいろ思い悩んでいたのかな……。

 嫌われたわけじゃなかったんだ。

 ミハルの心の中にじんわりと温かいものが広がった。

 

 武琉もミハルに気づき、少し照れたように笑った。

 ミハルは駆け寄って抱きしめた。何も言えずにただ泣いていた。

 以前より武琉が小さく思える。

 武琉もミハルを抱きしめた。


「ミハル、ありがとう」

 ミハルは小さく頷くことしかできなかった。


「……ミハル、ごめん、ここうちの近所だから……」

「ごめん」


 ミハルは慌てて離れた。

 お互い、向き合って少し笑った。


「……俺、みかりんとは別れた」

「うん」

「俺、やっぱりミハルと一緒にいたい」

「俺も!」


 武琉は俯いた。その姿にミハルは不安になった。


「……でも、やっぱり母ちゃんは悲しませたくない」

「……うん」


 やっぱり武琉は変わらないんだ、とミハルは悲しくなった。

 武琉はミハルを見つめた。


「だから……ずるいかもしれないけど、高校卒業するまでって決めて、俺と付き合ってほしい!」

「……高校卒業するまで?」

「うん。……多分、それが今の俺にできる精一杯なんだ。それでもミハルと一緒にいたい。だから、勝手だけど……」

「武琉……」

「ごめん、勝手だよな……」


 武琉は困ったような顔をして笑顔を作った。

 ミハルの鼻が赤くなり、涙が流れた。


「いや、そうじゃなくて……すごく嬉しいよ。武琉と少しでも付き合えるなら、俺、それでも十分だよ」

「本当に?」


 武琉は自分から言っておいて、少し戸惑った。

 でも今の武琉には、それ以外にミハルと一緒にいられる方法がないように思えた。

 ミハルは笑顔を向けた。


「うん。本当に!」

「ミハル、ありがとう」

 

 武琉はミハルにゆっくりと近づき、抱きしめた。

 きっと、武琉はすごく考えたんだろうと思った。

 それがミハルは嬉しかった。男同士で付き合うなんて、そう簡単じゃないことくらい分かっていた。

 だから、勇気を出して踏み出してくれたことが、ただ嬉しかった。


 澄み切った冬の空が、今はただ、まっすぐに綺麗だと思えた。


「あ〜腹減った〜」

 武琉がほっとしたように言った。

「俺もまだ昼、食べてね〜」

「何か食べに行こうぜ!」

「うん」


 二人は微笑んだ。

 武琉の体温が、冬の空気の中でいつまでも離れなかった。

 その温もりを、ミハルはこの先も忘れないと思った。


 二人は昼ごはんを一緒に食べ、夕方にお互いの家に帰った。

 また明日、会うことを約束して。

 そして、夜がゆっくりと明けていった。

 

 冬休みが始まる。


 ミハルと武琉は恋人同士になった。

 二人はバイトもしていなかったので、ほぼ毎日のように会った。


 ある時、武琉はお笑いのDVDを持ってミハルの家に来た。

「これ、めっちゃ面白いから、一緒に観ようぜ」


 ミハルは、武琉の好きなことを知れるのが嬉しかった。

 二人はリビングのソファで肩を寄せ合い、くっついて観た。

 会えなかった時間を埋めるように、指先ひとつ離すのが惜しいくらいだった。


「これこれ、この次のやつ、爆笑もんだから、よ〜く観てて」


 武琉はお笑いの話をしている時、本当に楽しそうだった。

 ミハルは、子どもの頃の武琉が、人を笑わせたり芸人の真似をしていた姿を思い出した。

 テレビから、客の笑う声が聞こえる。


「ワハハハハッ。なっ、なっ、めっちゃウケるだろ!」

「うん」


 ミハルは笑いながら、武琉の楽しそうな笑顔を見ていることが本当に幸せだった。


「お前、芸人になりたいなんて本気じゃね〜とか言ってたけど、そんなことねぇじゃん。めっちゃ好きじゃん」

「うっ、うるせ〜」


 武琉は照れたように、ミハルを力強く抱きしめた。

 テレビの笑い声が少し遠くに聞こえた。


「なんだよ〜」

「そんな簡単なことじゃね〜の」

 

 そして、武琉はさらに力を入れた。


「痛い! 痛いって!」

「ワハハハハッ!」

「でも俺、見てみたいな。武琉のお笑い」

「うるせ〜」


 武琉はさらに力強く抱きしめ、ミハルをソファに押し倒した。


「重い! 骨が折れる!」

 武琉は笑った。

「マジで、やめろぉ〜」


 ミハルの声に力がなくなった。

 武琉が離れると、ミハルは泣いていた。


「ごめん。本当に折れた??」


 ミハルは首を横に振った。


「何度も痛いって言ってるのに」

 武琉はソファから降り、床に正座をしてミハルを見た。

「武琉?」

「ごめん」

 

 ミハルは小さく笑って、武琉に腕を伸ばした。

 二人は顔を近づけてそっと唇を重ねた。


「大好きだよ、武琉」

「俺も」


 そうやって二人はまた、静かに抱きしめ合った。

 テレビからは「ハハハハッ」と笑う声だけが流れていた。


 ——ああ、抱きしめたい。

 二人の距離が近くなるたび、武琉はそんな気持ちになった。

 どんどん惹かれていく。

 この気持ちをどうしたらいいのか、いつも戸惑う。

 愛情と衝動の境界が曖昧になっていく。


 ミハルが笑うたび、泣くたび、その全部を自分の中に閉じ込めたくなる。

 俺だけを見てほしい。俺の中にいてほしい。

 でも、ミハルの涙がその境界線を静かに教えてくれる。


 武琉は時々しつこくなる。

 それは照れ隠しのようにも見えるし、自分を試しているようにも思える。

 触れられるたび、何かが溶けていく気がする。

 武琉の気持ちに応えたい。

 でも、このまま溶けてしまいそうで怖くなる。


 そんな想いを抱えたまま、日々は静かに過ぎていった。


 年が明けた。

 二人は遠出して、有名な神社へ初詣に行った。

 人が多すぎて、手をつないでいても人の目が気にならなかった。

 鳥居をくぐってから拝殿までなかなか進めなかったけれど、ぎゅうぎゅうの中で手を握っていられることが、とても幸せだった。


「来年は受験だし、学業の神様のところに行こうぜ」

 武琉が笑いかけた。


「そっか。来年も一緒にいられるんだ、俺たち」

「だって、まだ卒業じゃねーし」

「考えたら、付き合ってもすぐ別れるやつもいるじゃん。それ考えたら、一年も付き合えるなんて幸せなのかもな」

「……そうだな」


 武琉は照れたようにミハルから目をそらし、前を向いた。

 ドキッとする。ミハルは可愛い。

 そう言われると、卒業までで終わらせることができるのか、不安になる。


「案外、武琉が俺を嫌いになって、一年も続かなかったりしてな」

 ミハルは困ったように笑った。


「そんなこと、あるわけねーじゃん」

 武琉はそう言ってから、ミハルの耳元で囁いた。


「多分、俺、初めて会った時から好きだったし」

「え!?」


 ミハルは驚いて武琉を見つめた。

 武琉はチラッとミハルを見てクスッと笑い、何もなかったかのように前を向いた。

 ミハルも武琉の耳元で小さく言った。

「俺も」

 二人は前を向いたまま、くすくすと笑う。

 武琉がつないだ手をギュッと強く握った。


 ミハルは幸せを感じていた。

 こんな日が来るなんて思ってもみなかった。

 たとえ一年だけでも、武琉の恋人としていられるなら――それだけでいい。

 今はただ、この瞬間を信じよう。

 悲観するのは、もうやめようと思った。


 武琉もまた、幸せを噛み締めていた。

 素直に「好き」と言葉にするたび、胸の奥があたたかく満ちていく。

 武琉は、自分がどれほどミハルのことを好きなのかを思い知った。

 そして、こんなにも生きている実感をくれるものだとは思わなかった。


 確かに、俺たちは付き合って、普通の恋人のように別れたと思えば、それでいいのかもしれない。

 でも、ミハルのことを嫌いになれるんだろうか。

 どうして人は、好きだった相手を忘れるんだろう。

 その答えが見つからないほどに、武琉はミハルのことを愛さずにはいられなかった。

 その想いは、武琉の中の何かの境界線を、静かに溶かしていった。


 冬休みも終わろうとしていた。

 二人はミハルの部屋で、一緒に勉強をしていた。


「ミハルは、なんであの学校にしたの?」


 勉強がひと段落したのか、武琉が聞いた。


「ん~、とりあえず植物関係の仕事に就きたかったし、偏差値的にも入れそうだったからかな」

「すげーな。中学でもうそんなこと考えてたんだ」

「まぁ、俺、中三のときにここに戻ってきたから、正直どんな学校があるかとか全然分かんなくてさ。植物関係に進みたかったから、いろいろ調べて、面白そうなあの学校にした」

「そっか、前にあの用水路みたいな庭つくりてーって言ってたもんな」

「河原な」

「用水路だろ」

 二人は声を立てて笑った。

 

「お前こそ、あそこ中高一貫じゃん。中学から行ってるんだろ?」

「まぁ」

「その方がすげーじゃん」

「すごくなんかね〜よ。ただ、サッカーしてた頃の俺を誰も知らないところに、行きたかっただけ」

「そっか。でも、それができるなんて、やっぱ、すげーよ。俺だったら行きたくても受からなかっただろうし」

 

 そう言うと、ミハルはニコッと笑った。

 武琉は少し困ったように笑う。

 武琉の参考書から、ミハルが誕生日にあげた栞が覗いていた。


 武琉はその栞を手に取り、愛おしそうに眺めた。


「これ、ありがとうな。あの時、本当に死ぬほど嬉しかった」

「ふふっ。大袈裟だな。でも喜んでくれて、俺も死ぬほど嬉しかった」

 武琉は少し笑って、申し訳なさそうに言った。

「ミハルの誕生日は、何もあげられなくてごめんな」

「俺の誕生日、知ってるの?」

「あたりめーじゃん! 十一月十三日だろ」

「覚えてくれてるんだ! 嬉しい!」


 武琉はミハルを引っ張って抱きしめた。


「俺を誰だと思ってんだ? 俺と日にち同じなのに、忘れるかよ」

 ミハルは顔を赤くして、黙っていた。


「おーい、聞いてんのか~?」

 武琉は力を込めて抱きしめた。


「もう! それやめろ! 痛い!」

「うるせー! おりゃ!」

 武琉は懲りずに力を入れる。

「やめろって!」

「おりゃ! おりゃ!」

「マジで骨折れる!」

 武琉は力を弱めた。

「ごめん、大丈夫?」


 ミハルは武琉を黙って見つめた。

 それから、武琉の頬に軽く口づけた。


「お前な~!!」

 武琉はまた力を入れて抱き寄せた。

「あ~もう! いいって~!!」

「お前がそんな可愛いことするからだろ」


 ミハルは声を上げて笑った。

 武琉が離れて、ミハルの頬に同じように口づけた。

 ミハルはその頬に手を触れ、顔を赤らめて武琉を見た。


「お返し」


 武琉がいたずらっぽく笑う。

 ミハルがクスッと笑った。


「そういえば、ハルジオンねーな。この前来た時に見せてくれたやつ」

「あるよ」


 そう言って、ミハルは立ち上がり、一つの鉢を指差した。

 武琉も立ち上がって、その鉢を見た。


「ほら、これ。冬はこんなふうに小さくなるんだよ。こうやって葉を広げて、冬の寒さに耐えるんだ」

「へぇ。じゃあ、冬は見ても分かんねーな」

「そう。だから、冬は踏まれたりもするけど、それでも暖かくなるとまた花を咲かせる。雑草って、たくましくて好きなんだ」

「雑草でも花言葉あるの?」

「うん、あるよ」


 ミハルは本棚から、母親にもらった花言葉の本を取り出した。

 ハルジオンのページを開いて、武琉に渡した。


「ハルジオンの花言葉――『追想の愛』だって!」

 ミハルは小さく笑って、うなずいた。


「そのままだな!」

「うん。すごいよな……」

 

 二人の間に、心地良い静かな時間が流れた。


「何気なく取って遊んでたけど、そんな意味があったんだな」

「俺も、最近知ったんだ」

「花言葉って、なんかおもしれ〜な」

「うん」


 ミハルは武琉を愛おしそうに見つめた。

 武琉が本を机に置いて、ミハルに近づく。

 二人はそっと抱き合った。


「ミハル、ありがとう」

「何が?」

「いつも大切なことを教えてくれて」

「武琉……」

「ミハル、大好きだよ」


 ミハルは幸せだった。

「俺も~、武琉がめっちゃくちゃ大好きだよ~」

 ミハルの体が震えていた。


「おっ、お前、泣いてんの?」

「泣いてねーよ」

「泣いてるじゃん」


 この時間が永遠に続けばいいと思った。

 ミハルも武琉も、離れたくなかった。

 しばらくの間、二人はお互いのぬくもりを感じていた。


「あったかい」


 ミハルが優しくつぶやいた。


「うん。あったかいな」


 たくさんの植物たちが、二人を優しく包んでいた。

 

「……でも、こうやってミハルと沢山会えるのも、冬休みの間だけかもな」

「うん。遠いもんな」

「お前、進路決まってんの?」

「まだ迷い中。大学には行く予定だけど。武琉はどこの大学行くの?」

「うーん、まぁ、適当に入れそうなとこ行くわ。母ちゃんが文句言わねーとこで」

「なんだそれ」


 ミハルは笑いながら、武琉を見た。

 武琉はミハルを見つめ、二人はおでこをくっつけて笑った。

 お互い、離れたくなかった。


 そのうち二人は、確かめるように、何度も唇を触れ合わせた。

 ミハルも武琉も、どんどん離れられなくなっていた。

 逢えば逢うほど、好きな気持ちがあふれていった。


 けれど、武琉は自分の家にはミハルを呼ぶことがなかった。

 ミハルはそれを、境界線のように感じていた。

 武琉との間にある、見えない境界線――。

 でも、仕方のないことだった。

 もしかしたら、武琉の母親も二人の気持ちに気づいていたのかもしれない。

 だから、ミハルがタイムカプセルを取りに行った時、棘があるように感じたのかもしれなかった。

 だとしたら、なおさら行けるはずもなかった。


 外で会うことには引け目を感じた。

 別に悪いことをしているわけではないけれど、やっぱり他人の目が気になった。

 だから、ミハルの家が一番落ち着いた。

 ミハルの家は、二人の世界を大切にしてくれる、唯一の場所だった。


 ――その温もりが、冬の終わりを静かに告げていた。




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