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6章 知りたくなかった想い

 太陽がアスファルトを照り返し、街全体が夏の熱気に包まれていた。

 俺たちは、夏休みに入った。


「りんりん、ミハル~ン!」

 ミハルと一ノ瀬がバイト終わりに駅へ向かっていると、後ろからよっしーが走ってきた。

「夏休みだし、みんなで遊園地行かね~?」

「よっしー、それ言いにわざわざ来たの?」

 一ノ瀬が驚いてよっしーを見た。

「ちょうど二人が帰るとこ見えたからさ。俺も帰るとこだったし、一緒に駅まで行こうぜ」

 ミハルはよっしーの後ろを確認した。

「武琉とみかりんはまだバイトっすか?」

「おう、あの二人はまだ入ってたな」

「そうっすか……」

 三人は並んで駅へ向かった。


 ミハルの胸が、なんとなくざわついた。

 みかりんは武琉のタイプではないかもしれないけど、同じ高校ってこともあって、二人は妙に仲がいい。

 みかりんは控えめで、笑顔が可愛い。

 武琉は彼女を作りたいって言ってたし、あの二人が付き合うことも、あり得るかもしれない。

 ミハルは二人のことを考えて、落ち込んだ。


「で、どう? 遊園地。行かね?」

「あ~、いいっすよ」

「私も予定が合えば」

「おっしゃ~。やっぱ夏休みは遊ばなきゃな!」

「じゃあ、メッセージのグループ作らね~? 連絡先教えて」

 ミハルと一ノ瀬は、スマホを取り出して、よっしーに連絡先を教えた。

「よし、じゃあタケちゃんとみかりんも入れて……よし! これで連絡取り合えるな」

「はい」

「じゃあ、また連絡するよ」

「分かりました」

 ミハルと一ノ瀬は駅でよっしーと別れた。



「よっしーって、行動力すごそう~」

 一ノ瀬が笑いながら言った。


 

 それから、やっとみんなの予定が合ったのは、夏休みが終わろうとしていた頃だった。

 遊園地内は乗り物の走る音や「きゃーっ」という叫び声、音楽……いろんな音が入り混じって、うるさいほどだ。 

 夏休みも終わりに近いとはいえ、まだまだ人が多い。

 五人は園内入り口付近の隅で、アトラクションの案内紙を見ながら、立っていた。


「ねぇ、りんりん、何に乗りたい?」


 よっしーがデレデレしている。

 よっしーはいつもテンションが高いが、一ノ瀬といる日はさらにテンションが高かった。

 彼が一ノ瀬を気に入っているのは、誰の目から見ても明らかだった。


「んー、みんなは?」

「こういうとこ、久しぶりで全然わかんね~」

 武琉がそう言って、入口でもらった園内地図を広げる。

「とりあえず、ここは巨大迷路が有名だから、最後にこれ行かね?」

 よっしーはそう言うと、園内地図を閉じた。

「よし! こうなったら片っ端から乗ろう!」

 よっしーの声に、みんな園内地図を閉じて歩き始めた。


 ミハルは武琉の行動を気にしていた。


 ――武琉は一ノ瀬か、みかりんのどちらかを好きになってたりするのだろうか……。


 そんなミハルの視線に、武琉が気づいた。


「ミハル? どうした?」

「え? 何?」

「いや、なんか今日お前、ぼーっとしてね~?」

「そんなことね~よ」

「ならいいけど」


 武琉はここ最近のミハルの様子を、おかしく感じていた。

 ミハルが昔から、自分をよく見ているのは分かっていた。

 でも、今までと違って、挙動不審というか、まるで小動物が怯えているかのようだった。


 ミハルは平常心を保とうとする。

 ――やばい、ついつい武琉を見てしまう。これじゃあ好きなのがバレてしまう……。


「みかりん~!」


 ミハルは武琉から逃げるように、みかりんに話しかけた。

 武琉はやっぱり、ミハルが変だと感じた。


 気づけば、楽しい時間はあっという間に過ぎ、夕暮れの気配が園内を包みはじめていた。

 五人はそれぞれのアトラクションを楽しみ、最後に巨大迷路の前へとやって来た。


「チームを組んで、どっちが一番早く出られるか競争しようぜ! ……ということで、俺はりんりんとチームってことで」

 よっしーが言った。

「それはダメでしょ。グッパーで決めようよ」

 一ノ瀬が拳を顔の横で軽く振る。

「賛成~!」

 武琉が手を上げた。

「え~」

 よっしーは子どもみたいにごねた。


「グーとパーで別れましょっ!」


 一ノ瀬が手を振りながら声をかける。

 慌ててみんなが手を出した。


 結局、ミハルと武琉がグーを出し、よっしーとみかりんと一ノ瀬はパーだった。

 やった! 武琉と一緒だ! ミハルは嬉しかった。


「なんか、女子二人と一緒で悪いな」

 よっしーがニヤニヤと笑って、武琉とミハルを見た。

「ずり~!」

 武琉が抗議する。

 ミハルも笑って一緒になっておちゃらけた。

「ずり~!」

「はいはい。でも、これも運だから」

 よっしーはミハルと武琉に掌を見せて、諭すように言った。


「じゃ! お先に!」


 よっしーは一ノ瀬とみかりんの手を取り、連れて行ってしまった。

 あまりにも自然に手をつないだよっしーの姿に、ミハルも武琉も呆気に取られて、しばらくその背中を見送っていた。


 ミハルが武琉を見た。

「さすが、大学生はすげ~な」

「だな……俺たちも行くか」

「おう!」

 ミハルは嬉しそうに答えた。


 ――武琉と自然に手をつないで回れたら、どんなに嬉しいだろうと思った。


「あっ、そうだ。ちょうどいいから、これ」

 ミハルは自分のボディバッグから小さな封筒を取り出して渡した。

「武琉、この前誕生日だったろ」

「え? 何? くれんの?」

「うん」


 武琉が封筒を開けると、ハルジオンを押し花にして作った栞が入っていた。


「これ、ミハルが作ったの?」

「うん。大したものじゃないんだけど……誕生日おめでとう」

「うお~! すげ~嬉しい!」


 そう言いながら、武琉はミハルの頬をぐりぐりと触った。

 武琉は本当はミハルを引っ張って抱きしめたいくらい嬉しかった。

 自分を想って作ってくれたかと思うと、それだけで、胸の奥があたたかくなって、そしてくすぐったくなった。


「お前、それやめろよ~!」

 ミハルは顔を赤くした。

「ワハハハハッ! ありがとうな! 大切にするよ」

 ミハルは嬉しそうに頷いた。


「さっ、俺らも行くか」

「おう!」


 二人は笑い合いながら、迷路へと入っていった。





「あれ? ここ、さっき通ったよな」

 ミハルと武琉は巨大迷路の中を、ぐるぐると彷徨っていた。

 この巨大迷路は大人向けで、かなり難しいらしい。時々、親子連れとすれ違ったが、子どもがぐずって大変そうだった。


「俺、方向音痴なとこあるからさ。やっぱこういうの苦手だわ」

 武琉がそう言うと、ミハルはクスッと笑った。

「そういえば昔、二人で道に迷ったことあったよな」

 ミハルが思い出したように言う。

「あ~、あったあった。あれって小二くらいだったっけ?」

「うん、多分そのくらいかな」


 ミハルと武琉は小学二年の頃、家から少し離れた広い公園まで行こうとして、道に迷ったことがあった。

 武琉が「広い方の公園に行ってみようぜ」と誘ったのだった。

 武琉はサッカーの練習をしたかったけれど、ミハルはサッカーには興味はなかった。それでも、武琉が行くところならどこへでもついて行った。


「あの公園って、まだあんのかな?」

 ミハルが聞いた。

「あるよ。今行くとすげー近くてびっくりするよ、きっと」

「そうなんだ。でも、あの時はすっごく怖かった〜」

 ミハルは思い出して笑顔を向けた。

「あの時、お前がすげー怖がるから、俺までビビったわ」

「え? ビビってたの?」

「いや、まぁ……俺までビビったらお前がもっと怖がると思って、平気なフリしてたけどな。ワハハハハッ」

「そうだったんだ」

 昔の武琉を思い出し、じんわりと幸せな気持ちになった。

「まぁな……」

 武琉は照れたように自分の頭をかいた。


「あの時はサッカーやりに行ったじゃん。今はもう、サッカーやってないの?」

 ミハルは思い切って聞いた。


「それな!」


 武琉はおどけたようにミハルを指さした。


「五年の時に事故ってできなくなってやめたんだ。まぁ遊びでやるくらいなら今でもできるけどな」

「え? 事故って……」

「トラックと自転車でさ。だから命があっただけマシってやつ。ワハハハハッ」

「え!? 知らなかった。お前がそんな大変なことになってたなんて……だから手紙も来なくなったのか?」

「ごめんな。書けばよかったんだけど」

「そんなのいいよ。武琉が生きててくれて、本当によかった」

 ミハルが武琉に抱きついた。

「俺、武琉が死んでたりしてたら……」

 

 夕暮れの日差しのせいか、切なさが余計身にしみた。

 ミハルの瞳から、じんわりと涙がこぼれた。


 抱き付いてきたミハルが震えていた。

 その揺れが武琉に伝わり、心臓が飛び出そうなくらいドキドキした。


「な、なんだよ。お前、泣いてんのか?」

「だって、俺、何も知らなくて……あの時も、やっと会えたのに逃げたりして、本当にごめん!」

「そんなこと、いつまでも気にしてねーよ」

 

 武琉はそう言って、ミハルの頭をポンポンと軽く叩いた。


「……わかったから。お前、すぐ飛びついてくんなよ」

 

 武琉の顔が赤くなっていた。

 ミハルはそっと離れて、涙を拭いた。

 人がこっちに向かってくる足音が聞こえて、二人は恥ずかしくなって慌てた。


「行くか」

 武琉が照れたように笑った。

「うん」

 二人は歩き出した。


 すぐ後ろから知らない人たちがやって来て、「すみません」と横を通り過ぎていった。


「まぁでも、もうすげー昔のことだし。それに正直、やめられてホッとしたんだよ。あの頃、俺、サッカーに限界感じてたし。だっせぇよな。ワハハハハッ」

 武琉がおどけて言った。

「ダサくなんかないよ。俺は、そのままの武琉が知れて嬉しかった」

「……そうか」

「うん! 話してくれてありがとう!」

「おうっ……」


 武琉はなんだか照れ臭かった。

 自分の過去を笑わず聞いてくれて、そのままを受け取ってくれるミハルに胸が熱くなった。


「そういえばあの時、ぐずってた俺をおんぶして歩いてくれたよな」

「ワハハハハッ。だってお前が歩かないって泣くからさぁ」

「歩かない~」

 

 ミハルはふざけて、あの頃のようにその場に座って言った。

 それを見た武琉は笑った。


「ワハハハハッ」

 

 ミハルは武琉を見上げた。

 胸の奥がきゅっとなった。なんだか寂しくなって、武琉に飛びついた。


「おんぶしろ~」

「おわっ! 無理無理無理! お前、あの頃と違ってデカいから無理!」


 確かに、あの頃のミハルは小さくて、武琉の肩下くらいの背丈しかなかった。

 武琉は同年代より大きく、ミハルは小さい方だった。

 一緒にいると同じ年齢には見えないくらいだった。

 でも今は、武琉が五センチほど高いくらいだ。

 

「足、やばい?」


 ミハルは足を地面に戻してから、抱きついたまま武琉の足を見た。

 ミハルの吐息が、武琉の耳に触れた。

 武琉の鼓動が早くなる。

 武琉はその鼓動を抑えるように、平然を装って答えた。


「いや、もう足は全然大丈夫だけど」

「なら大丈夫だ。行けるって」

「行けるか~?」

 

 武琉はそう言って、恥ずかしそうにミハルをおんぶした。


「すげー」

 

 ミハルは笑って、武琉にくっついた。


 ――離れたくない。


 ミハルはそう思った。


 武琉は、ずっと心臓がおかしくなりそうだった。

 自分の顔のすぐそばに、ミハルの顔がある。

 なんでこんなにドキドキするのか、武琉は理解したくなかった。


「お前が女だったら良かったのにな!」


 ミハルは男だ。しっかりしろ――武琉は自分に言い聞かせた。


「うるせー。男でもいいだろ」


 ミハルは拗ねたようにして、武琉から離れた。


「あ~、あれスタンプじゃね~?」

「え? どこ?」

「ほら、あれ、あそこにあんじゃん!」


 そう嘘をついて、武琉は走った。


「待ってよ~!」

「ワハハハハッ!」


 ミハルは少し走って右を見ると、そこにスタンプがあった。

「おい! どこ行くんだよ。こっちにあるじゃん!」

 武琉は立ち止まり、ミハルの方に戻ってきた。

 二人でスタンプのある方へ向かう。


「おぉぅい~!」

 武琉がスタンプを押した。

「おぉぅい~!」

 ミハルもスタンプを押した。


 二人は子どもの頃を思い出した。道に迷いながらも辿り着けた、あの公園のことを。

 二人はハイタッチをして、笑顔を向け合った。

 夕日が二人を照らし、ミハルが一層美しく見えた。武琉はそれを横目で見ていた。


「あと三つかぁ。行くぞ」

 二人は再び歩き出した。


 

 しばらく行くと、道が細くなっていた。


「これ、俺、通れるかな?」

「ん? 大丈夫だろ?」


 ミハルから見れば、十分通れそうに見える。

 武琉は自分の体を実際より大きく感じているのかもしれないと、ミハルは思った。確かに昔より少しふっくらしていたが、巨漢というほどではない。


「行ってみるか」

 武琉が体を横にして、先に進んでいった。

「おっ、結構いけるな」

「だろ?」

 ミハルも続く。


 狭い道の中で、ミハルの手が武琉の手に触れた。

 その一瞬、ミハルはそのまま繋いでしまいたくなった。

 武琉の方も、胸の奥がざわついて、心臓がうるさい。少しで握れそうなその手をどうしても意識してしまった。

 武琉は空気を変えたくて、驚かそうと立ち止まった。


「どうした?」

 ミハルが覗き込むように尋ねた。

「……やばい。俺、これ以上行けないかも」

「マジで?」


 ミハルが武琉の横から覗き込もうとすると、武琉が振り返った。

 二人の顔が、息のかかるほどの距離にあった。

 お互いの瞳が、相手の瞳を捉えて離さなかった。


 迷路の壁の向こうから、子どもの笑い声が小さく聞こえた。

 

 ミハルの頬が一瞬で赤く染まる。涙がにじみそうになる。

 夕方のオレンジの光が、二人の顔の陰影をくっきりと映し出した。

 

「武琉……」


 ――好きだよ。


 その想いが溢れ出そうになる。

 武琉もまた、自分の顔が熱くなるのを感じていた。


「ミハル」


 二人は見つめ合ったまま、息を潜める。


「……お前が女なら、キスしてるな」


 ミハルの心臓が一瞬止まった。


「……いいよ。女だと思って、しても……」


 ミハルは溢れてこようとする涙をこらえて笑った。

 武琉は一瞬、何も言えなかった。

 心臓がバクバクする。ミハルに吸い込まれそうになる。

 でも、ほんのわずかな理性がそれを止めた。


「……バカ。そんなこと、簡単に言うんじゃねぇよ。俺のファーストキスなんだぞ」

「……俺だって」

「お前、宝の持ち腐れだな」

「なんだよ、それ」


 ミハルが笑う。笑った瞬間、(せき)を切ったように涙がこぼれた。

 武琉は動揺した。どうして泣き出すのか考えられなかった。


「泣くほど面白かったか? ワハハハハッ」

 

 そう言ってから笑って誤魔化した。

 その笑い声に、ミハルの胸が締め付けられた。

 そして、自分の気持ちが溢れ出てしまった。


「……好きだよ。子どもの頃からずっと」

 

 ミハルの頬を涙が伝った。

 ミハルの顔はわずかに笑っていたが、瞳が震えて本気なのが分かった。


「……ミハル……」

 

 綺麗だ、と武琉は思った。

 白い肌が赤く染まり、西日に照らされて、濡れた瞳がきらきらしている。

 心臓の脈がさらに速くなる。どんどん顔が熱くなっていく。

 もう、どうしていいか分からず、武琉は顔をそらした。


 ――あの頃と同じだ。

 

 ミハルが泊まりに来た夜に感じた、あの不思議な感覚。

 愛おしさと、困惑と、罪悪感が一気に押し寄せてくるようだった。

 あの時も、自分が何かを越えてしまいそうで怖かった。


「分かってるよ。お前は俺のファンだもんな。……ほら、俺を押せ。ここから出るぞ」

 

 武琉は冗談で出られないと言って、ただ驚かせたかっただけだった。

 けれど、それは逆に、変な空気を作ってしまった。

 武琉は、自分の心臓がどうしようもなく高鳴る理由を、考えたくなかった。

 ただ、ミハルが女じゃないことに、妙な苛立ちを覚えていた。


 ミハルは悲しかった。伝えることさえ許されてない気がした……。

 それでも黙って、武琉を押した。


 二人は細道を抜け出した。

「あ~、出れた~! あ~良かった~!」

 武琉は大袈裟に笑った。

 その武琉態度にミハルの胸は引き裂かれたように痛かった。

 そして、こう言うしかなかった。


「お前が『キス』とか言うから、おちょくっただけだからな」

「なんだよ、びびるじゃねぇか。ワハハハハッ。……お前が女なら良かったけどな」

「またそれかよ」

 ミハルは唇を尖らせた。


 ――俺は俺なのに。


 武琉にとって俺は、ただの幼馴染でしかない。

 分かっていたはずなのに、胸の奥が締め付けられた。

 

 女とか男とか、綺麗とか醜いとか。

 人はいつも見た目で判断したがる。

 仕方ないことだ。自分だって、そうだ。

 

 でも――だからこそ越えられない壁があるのだと思うと、ミハルはただ、悲しくて仕方なかった。


「行くぞ」


 もうこれ以上話したら泣きそうで、ミハルは先を急いだ。


「はえーよ」

 

 武琉が慌てて追いかける。

 ミハルは少しだけペースを落とした。

 それから、武琉のどうでもいい話を聞きながら、二人は巨大迷路をゴールした。


 出口では、よっしーたちがすでに待っていた。


「おっそーい!」


 一ノ瀬が笑う。

 みんなが笑って、空気が少しだけ軽くなった。




 ――あの日以来、ミハルと武琉の関係は少しずつぎこちなくなった。


 武琉はミハルの目を見なくなり、ミハルは自然と距離を取るようになった。


『……好きだよ。子どもの頃からずっと』


 その言葉が、武琉の頭から離れなかった。

 あの後、ミハルが笑って誤魔化したとしても、それが冗談じゃないことくらい分かっていた。

 もしミハルが女だったら――。

 その先を考えたくなくて、武琉は思考を止めた。


 夏休みが終わる頃、武琉はバイト仲間のみかりんと付き合い始めた。


「私とタケちゃんって、似てますよね」


 休憩中、みかりんが言った。


「私はよっしーのことが好きだけど、望みがないし。タケちゃんも、りんりんとは望みなさそうだし」

「……じゃあ、俺ら付き合っちゃう?」


 自分でも、冗談半分だった。

 でも、その方が楽だと思った。

 みかりんを好きになれれば、きっと自分の気持ちも正常に戻る。

 ミハルのことも、忘れられる。そう信じたかった。


「いいですよ」

「え? マジで?」

「うん。よっしーとは望みないし」

「……じゃあ、よろしく」

「はい」

 みかりんは笑っていた。


 武琉はミハルにメッセージを送った。

『俺、みかりんと付き合うことにした』


 返ってきたのは、『おめでとう。よかったな』の一文だけだった。


 ミハルはショックだった。

 でも、そんなのは分かっていた。武琉は女の子が好きで、男の俺に望みなんて無いってことくらい、分かっていた。分かっていたけど。こんなに辛い気持ちになるなんて思いもしなかった。

 でも、武琉の側にいると言うことは、そう言うことも、見届けなくてはいけないと言うことだ。いつかは、武琉が女の子と付き合って、いずれは結婚していくことも、ミハルは分かっていたつもりだった。そう思っていたけれど、ミハルは、ずっと胸の奥が焼けるように痛くて、苦しかった。

 自分の武琉への気持ちが、こんなにも大きくなっていたなんて思わなかった。


 みかりんと並んで歩く武琉の姿を見かけるたびに、胸が締めつけられた。

 ほんの少し笑い合うだけの姿にも、息が詰まるほどの痛みを覚えた。


 それから、武琉の顔を見るのが辛くなり、花屋のバイトを辞めた。

 逢わなければ、きっと忘れられる。

 もうタイムカプセルもない。

 何の約束もない今なら、きっと。

 ミハルはそう信じるように、自分に言い聞かせた。


 武琉はミハルがバイトを辞めたことを知らなかった。

 けれども、武琉はミハルの気配すらしない花屋に違和感を覚えていた。

 いつも隣にいたはずの姿が、ふとした瞬間に思い出へと変わっていく。

 休憩室の椅子も、いつも飲んでいた缶コーヒーも――どこか、ミハルの気配を探してしまう。


 けれど日々のバイトは続き、季節は容赦なく進んでいった。

 夜には鈴虫が鳴いて、そして鳴かなくなっていた。


 武琉が休憩室に行くと、一ノ瀬がいた。


「久しぶり~」

「あっ、タケちゃん。久しぶりだね。桜井くん辞めちゃったから、なかなか会う機会ないね~」

「……は? あいつ辞めたの?」

「知らなかったの? なんか資格取るから勉強したいらしいよ……」

「そうなんだ」


 一ノ瀬は、武琉が怒っていることに気づいた。


「ごめん。知ってると思ってたから。桜井くんには私が言っちゃったの、内緒にしといて欲しいな~」

「言ったりしないよ。あいつも俺には会いたくないんだろう」

「なんかあったの?」

「……まぁ、あったと言えばあったし、なかったと言えばなかった」

「何それ」

 一ノ瀬は笑った。

「俺も分かんね~」

 一ノ瀬は自分の水筒の蓋を開けて、お茶を飲んだ。


「……タケちゃんって、なんでみかりんと付き合ったの?」

「え? なんでって、なんで?」

「いや……意外だったから」

「そうか? 学校も同じだし、恋に落ちることもあるよ。ワハハハハッ」

「ふ~ん。好きなんだ」

「お……おう、そうだよ」

「ふ~ん」

「なっ、何??」

「ううん。本当に意外だなぁって思って」

「りんりんはミハルのことが好きなんだろ?」

「あ~、うん、まぁそうだったんだけど、やめたの」

「なんで?」

「だって、敵わないから」

「どういうこと?」

「桜井くんには、ずっと想ってる人がいるんだよ。それが分かったから」

「お前、知ってんの?」

「ん? 何を?」

「いや、その~」

「桜井くんが誰を好きかってこと?」

 武琉は微かに頷いた。

「聞いたわけじゃないけど、見てたら分かる。私、勘がいいんだ」

「へ~、そうなんだ」

「私、てっきり両想いだと思ってたから、ちょっと残念」

「そんなわけないだろ」

「え?」

「あっ、いや、違って、あの~」

「どうして? 男同士だから?」

「そりゃそうだろ。男同士なんて気持ちわり~じゃん」

「そうかな。好きになったんだから、仕方ないじゃん」

「じゃあ、りんりんだってミハルのこと好きなら、やめんなよ」

「ふ~ん。タケちゃん余裕だね」

「なんだよ。俺、友達としてミハルには幸せでいて欲しいから」

「ふ~ん。じゃあ、私が桜井くんと付き合ってもいいんだ」

「おう、行けよ。似合ってるよ、お前ら」

「ふ~ん。じゃあ、そうしようかな。今なら弱ってそうだし、聞いてくれるかもね」

「おう」

「付き合っても後悔しないでよね」

「するか」


 一ノ瀬は武琉をじっと見た。

 武琉も一ノ瀬から視線を外さないようにしたが、結局見てられずに逸らした。

「じゃあ、私、休憩終わりだから」

 一ノ瀬はスマホと水筒を持って、休憩室を出た。


 りんりん、怖え~。と武琉は思った。

 りんりんは、どこまで分かっているんだろう……。

 ミハルはやっぱり、俺のこと本気で好きだったんだろうか。

 だから、何も言わずに辞めたんだろうか。

 もう逢えないのかもしれないと思うと、何か大事なものを失ったような気がした。


 もし一ノ瀬とミハルが付き合ったら、ミハルから連絡をくれるかもしれない。

 そうすれば、また前のように、仲の良い幼馴染として会えるだろう……。

 そうであってほしいと、武琉は思った。


 ――俺はミハルを守るヒーローにはなれても、隣にいる恋人にはなれないんだから。


 武琉は、巨大迷路でのミハルとのことを思い出した。

 あの時も、子どもの頃も、ミハルに対して変な気持ちを感じた。

 それが何かは、薄々分かっていた。


 でも、それだけは許されないことだと、自分に言い聞かせた。

 そんなことを自分に許したら、母ちゃんや家族を裏切ることになる。

 全然ダメダメな息子が、同性を好きになるなんて、そんなことあってはならない。


 みかりんと付き合ったんだから、みかりんを大事にしよう――武琉はそう思った。

 そう思いながらも、みかりんとは手をつなぐことすらできなかった。

 そして、みかりんを好きだと感じることもなかった。

 それでも武琉は、自分の気持ちを無視し続けていた。

 形だけの恋人だった。

 

 ――心は、もうどこにもなかった。



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