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11章 溶け合う境界線

「うわぁ~、すげ~、ここ面白いな」


 ミハルは建物を見上げてはしゃいでいた。

 けれど、その明るさの奥には、かすかな影がゆらめいていた。


「本当すげ~な!」


 武琉も笑って返す。

 二人で噴水を眺めると、風が吹いて、心の奥に冷たいものが通り過ぎていった。

 それをかき消すように、ミハルは武琉の手を取った。


「今日くらい、普通の恋人みたいにしようぜ」

 そう言って、ミハルはマフラーを口元まで上げた。


「こうやったら、女みたいっしょ??」

「うん。そうだな」


 武琉は小さく笑い、ミハルの頬にそっと唇を触れさせた。

 ミハルは嬉しそうに笑い、武琉の腕に自分の腕を絡めた。


「行こう!」


 二人は微笑み合い、街の光の中へと歩き出した。


 ラーメンを食べて、公園に行った。

 冬空は曇っていたが、ときおり射す光が水面を銀色に揺らした。

 その輝きは、積み重ねてきた一年の思い出が零れ落ちるようで、どこか切なかった。


 二人は腕を組み、肩を寄せ合いながら、普通の恋人のように歩いた。

 楽しかった。男女なら当たり前にできることを、やっと堂々とできるようになった。

 武琉はもう、周りの目は、気にならなかった。


 ミハルも武琉も悲しみに気づかないふりをして笑っていた。

 その笑顔の奥に、別れが静かに沈んでいることを知りながら……。

 

 やがて、夜が訪れた。街の光が星のように瞬き、冬の空気の中で滲んでいく。

 美しい夜景が広がるほどに、胸の奥で見えない鐘が静かになった。


 ーーそれは、二人の物語が終わりへと向かう合図のようだった。




「疲れた〜」


 武琉がホテルの部屋に着くなり、ベッドに寝転んだ。

 部屋にはダブルベッドが一つ。武琉が予約してくれた。

 バイトもしていなかった二人だったので、ダブルの方が安いという理由だった。


 ――といっても、大した差ではない。


 別れることが分かっていながらも、できるだけそばにいたかった。


「結構歩いたもんな」

 ミハルはベッドのそばの椅子に腰掛けて笑った。

「あ〜、あの公園、あんなに広いと思わなかった」

 武琉が無邪気に笑うたび、胸がちくりと痛んだ。


「計画してくれてありがとな」


「おう。まぁ、ミハルは受験、大変そうだったしな」


 武琉が起き上がり、ニヤッと笑う姿に、ミハルは口を尖らせた。


「なんかその余裕むかつく。しかも武琉の方がいい大学なのに……」

「大学に良いも悪いもねぇよ。何を学びたいかだろ。そういう意味では、お前の方が優れてるよ」


 武琉はミハルの頭を軽くポンと叩いた。。


「そんなふうに言うなよ……悲しくなる」

「何で?」


「……武琉は、今でも俺のヒーローだからだよ」


 ミハルの言葉に、武琉は苦笑した。


「俺なんか、ヒーローじゃねぇよ」


「ヒーローだよ。家族思いで、太陽みたいにあたたかくて、みんなを照らそうとしてくれる」

「そんなことねぇよ。何もかも中途半端だし」

「そんなことない。ちゃんとしようとしてるじゃん。それだけで十分だと思う」


 武琉は答えられず、ミハルをじっと見つめた。

 その視線に、ミハルは照れくさく笑った。


「……そう言うところも、格好良くて、俺、好き」

「このやろう」


 武琉は笑って、ミハルを引っ張り、ベッドに倒して押さえつけた。


「痛てぇ!」

「お前が可愛すぎるからだろ!」

「やめろって!」


 じゃれ合う声が部屋に広がり、二人は子どものように笑った。

 けれどその笑いが、ミハルの堪えていたものをそっとほどいた。


「……やめろよぉ」


 ミハルの声が震えた。

 武琉はミハルの涙に気づいて、そっと抱きしめた。


「ごめん……」


「……俺、別れたくない」 


「……今、その話したくない」


「……ごめん。俺、シャワー浴びてくる」

 

 ミハルがバスルームに消えると、部屋の静けさが重くのしかかった。

 武琉は天井を見つめ、息を呑んだ。


「あ〜……くそ」

 

 武琉は呟くように放ってから、起き上がって、テレビを付けた。

 いつもは面白はずのお笑いが、何故か余計に心を虚しくさせた。

 

 ――本当に、今日で最後にするのか?


 武琉は目を閉じ、唇を噛んだ。

 結局、ミハルのことを好きじゃなくなるなんて、できなかった。

 それどころか、どんどん好きになった。


「あぁーー!!」

 

 武琉は泣きそうになって、鼻をつまんだ。

 泣くな! しっかりしろ!! 俺から言い出したことなんだから。もう別れないと。

 武琉は自分に言い聞かせた。

 

 自分から言い出しておきながら、引き返したくて仕方がなかった。


 ミハルはシャワーを浴びながら、泣いた。

 結局、一年も付き合ったのに、武琉の心を変える事は出来なかった。

 人の心は変えられないのは、分かっているつもりだったけど。

 それを決めたその意志が武琉にない事が悲しかった。

 例え別れるにしても、母親ではなく、武琉の意志で決めてほしかった。 


 ――でも、それもまた、武琉の意志なのかもしれない。


 それでもミハルは信じたかった。

 この一年の想いは嘘ではなかったことを。

 まだ希望を捨てたくなかった。


 ミハルがシャワーから出ると、武琉はテレビをぼんやり眺めていた。


「シャワー、先に、ありがとう」

「おう。じゃあ俺、入るわ」


 武琉は着替えを持ち、ミハルの側に歩み寄ると腕を掴んだ。


「一緒に入ろうぜ」

「わっ!? な、何言って……俺、今入ったし!」


「冗談だよ、冗談」

 武琉はミハルの頭を撫でた。


「バカなこと言ってないで、早く入って来いよ」


 武琉がミハルの顔を覗き込んだ。


「な、なんだよ」


 武琉が顔を近づけ、軽くキスをした。


「じゃあ、入ってくるわ〜」


 そう言って、バスルームへ向かった。


 ミハルの心はざわついた。

 いつものようにふざけている武琉が、今日は一層寂しく見えた。

 自分と武琉の間に、どうにも出来ない壁があるように感じた。


 ――別れるしかないんだ。


 ミハルはそう思うと、涙が溢れた。

 ベッドに横になり、テレビを見ながら丸まって泣いた。

 どうすることもできない自分が、ただ無力に思えた。


 シャワーから戻った武琉は、わざと明るく言った。


「なぁ、アイス買いに行こうぜ」

「は? 冬だぞ」

「冬でも食べるだろ?」

「俺は食べねぇ」

「自販機のとこに売ってあったからさ〜、行こうぜ」

 

 そう言われて、ミハルは渋々立ち上がった。

 二人は並んで部屋を出た。

 でも本当は、一緒に楽しみたかった。

 夜が終わっていく前に、もう少しだけ二人で笑っていたかった。

 二人でアイスを食べ、テレビを見て笑った。

 

 別れると言いながらも、二人はいつまでも肩を寄せ合ってくっついていた。

 笑いながら、少しずつ言葉が減っていく。

 そして、時間は容赦なく過ぎていった。


 番組は終わり、武琉がスイッチを切った。

「……もう、寝るか」


「……武琉はさ、俺と別れても平気なの?」


「平気なわけないだろ」


 武琉はミハルを抱きしめた。


「そんなこと言うなよ」


 ミハルはその腕の中で、息を詰めた。

「……じゃあ、ずっと一緒にいようよ」

「ずっと一緒にいるよ」

「……そうじゃなくて。もし俺が誰かと付き合っても、それでも武琉は一緒にいられるの?」


 武琉は何も言えなかった。

 ミハルの声が震える。


「俺は……みかりんと一緒にいる武琉を見るの、辛かったよ」


「……ごめん」


 武琉は俯いた。


「でも、今は武琉と付き合えたから、今度はもう辛くないかもな」


 ミハルは無理に笑おうとした。でも出来なかった。

 テレビを消した部屋はやけに静かに感じた。

 

 しばらく二人は黙っていた。


「……武琉に好きな人ができてからじゃ、ダメなのかな?」


 ミハルは呟くように言った。


「お前がいたら、好きな奴なんかできねぇよ」

「じゃあ、そうしてよ」


「……ごめん。俺は、母ちゃんを幻滅させたくないんだ」

 

 武琉はミハルの頬に手を寄せた。


「……そっか」


 ミハルは俯いた。


「ミハルの母ちゃんだって、俺と付き合ってるなんて、おかしいと思うだろ」

「俺の母さんは。多分、分かってるから大丈夫だよ」

「え?……父ちゃんも?」

「……父さんは……俺に関心ねぇと思う」

「…何で?…」

「全然家に居ね〜し、もしかしたら、分かってて、受け入れられないのかもしれない」

「そうなんだ……」

「でも、仕方ないよ。だって、違う人間だから。俺も別に、理解して欲しいとも思わない」

 

 ミハルの笑顔が少しだけ寂しげに見えた。

 武琉は一瞬、言葉を失った。


「……本当に?」


「うん。多分。って言うか、マジで子供の頃から、殆ど存在感なくて、よ〜分からん」

 ミハルは苦笑した。


「……そっか」

 

 武琉は何と言ってあげたら良いのか、分からなかった。

 ただ、やっぱり、同性を好きになるなんて、家族にとっても、辛い事になるんだと思った。

 

 やっぱり、俺たちは、ちゃんと『普通』に戻らなきゃいけないんだ……。


「武琉の母さんは気付いてないのかな?」

「あっ、うん。多分な」


 ミハルはその返事に、何か違和感を感じた。

 でも気づかないふりをした。

 それがいつものミハルだったから。


「……そっか」

「ミハルの母ちゃんは、俺らのこと、良いと思ってんの?」

「分かんね〜けど、いつも味方だからって、言ってくれるから」

「……そっか」

 

 武琉は天井を見上げた。

 何だか、分からないけど、虚しさが込み上げて来た。 


 武琉は前日、母親に言われたことを、ミハルに言えずにいた。

 前日の母の言葉を思い出す。

 『今はまだ若気の至りで済むし……』

 若気の至りなんかじゃないけど、今なら、まだ引き返せる……きっと…。

 

「今なら、まだ、戻れるよ。ただの幼馴染に戻ろう……」


「……ははっ…そうだね。初めっからその約束だもんな……ごめん……」


 ミハルは力なく笑った。

 その横顔に、武琉は胸を締めつけられた。

 武琉はミハルの横顔を見つめ、震える声で言った。


「……ごめん」

「初めっから、分かってて、それでも良いって俺が言ったんだから……謝んなよ」

「……うん」

「それに、俺、一人でいるの慣れてるから。本当は一人の方が楽なんだ。だから付き合うとか、本当はどうでもいいのかも。ただ、武琉と一緒に入れるだけでそれだけで幸せなんだ」


 武琉の心が揺さぶられる。けれども何も言えずにいた。


「でも、普通に幼馴染に戻れるか自信ない。もう知っちゃったから。好きな人に好きって言うこと。一緒にいると楽しいこと。人とつながる温かさ。もう、知っちゃったから、自信ないな」


 ミハルは震えながら、武琉に笑顔を向けた。


「こうやって、近くにいても、もう好きって言えない。手もつなげない。引っ付くことも出来ない。……出来るかな?」

 

 武琉も同じ気持ちだった。


「でも、武琉が幸せじゃないと俺も幸せじゃないから。仕方ないか」


 そう言われて武琉は胸が痛んだ。


 俺の幸せ? 

 ……俺の幸せはミハルといることだ。


 でもーーそんなこと言えない。


「あ〜ーーやっぱり無理なんだな」

 ミハルは羽毛布団に潜り、武琉に背を向けた。


「離れることも。忘れることもできないや」


 羽毛布団が震えている。

 武琉はその上から、ミハルを優しく抱きしめた。

 ミハルの体の震えが、武琉の体に伝わって来て、泣きそうになった。


「俺、武琉を苦しめてただけなのかな……」

「そんなわけないだろ」

「でも……」


「ごめん。俺、ちゃんと母ちゃんの信頼取り戻したいんだ」

「……信頼されてないのかよ?」

「うん。これ以上、親をがっかりさせてくない」

「お前、そんな奴じゃね〜よ。どうして、がっかりしなきゃ、いけね〜んだよ」

「…ふっ……お前くらいだよ。そう思うの」

「そんなことね〜よ。お前が気付いてないだけだよ」

「ありがとな」


 そう言って、武琉は羽毛布団の下に潜り込み、ミハルを後ろから抱きしめ直した。

 武琉体温が背中に伝わってくる。それが余計にミハルを切なくさせた。


「……武琉は本当に、俺のこと、好きだった?」

「うん。今だって好きだよ。それだけは覚えていて欲しい」


 ミハルは武琉の方を向いた。


「俺が女じゃなくても?」

「今更何言い出すんだよ」

「武琉はさっ。分かってないと思う」

「何がだよ」

「好きって、俺の好きは……」

「同じだよ。俺の好きも、お前の好きも、変わらない」


「じゃぁ俺と……」


 ミハルは武琉の目を、まっすぐに見つめた。

 ミハルの瞳の奥が揺れている。


「キス以上のこと出来るの?」


「なっ、なんだよ。突然」

「俺は、武琉とそう言うこともしたい。そのくらいの好きなんだよ」

「俺だって……」

「男だってはっきり分かっても、本当に好きでいられると思う?」

「分かってるよ。ミハルは男だよ。それでも好きなんだよ。分かってるだろ?」

「武琉は女の子の方が良いんじゃないの? 俺、胸もないし」


 そう言って、武琉の手を自分の胸に当てた。


「なっ」


 ミハルの瞳も手も震えが止まらなかった。

 武琉の顔が赤くなった。

 ミハルは、そのまま武琉の手を、ゆっくり下へと動かした。


「それに女の子みたいに柔らかくもない。だから、武琉は俺と出来ないと思う」


 武琉の鼓動が速く脈打ち、苦しいくらいだった。


「そんなことね〜よ」


 そう言って、ミハルをそっと抱きしめた。

 武琉の肌の温かさが服越しに伝わってくる。

 子供の頃から好きだった、武琉の温かさにミハルはまた泣きそうになった。

 しばらく二人はそのまま音を立てずにいた。


「でも、それでいいんだよ。だから俺、どっち道、諦めるしかなかったんだよ」

 

 武琉は何故か急に腹が立って、ミハルの胸ぐらを掴んだ。


「なんなんだよ! お前! 何が言いて〜んだよ!!」


「そのまんまだよ!ーー俺の好きとお前の好きは、やっぱり違ったんだってことなんだよ」

「勝手に決めんな! 俺の好きも同じだって言ってるだろ!」


「俺の好きは! 武琉の全部と繋がりたいってことなんだよ」

 

 ミハルは震える声で言った。

 長く押し込めてきた言葉だった。


「体とか、そういうことだけじゃなくて。武琉の中の痛いところも、弱いところも、全部。全部一緒に感じたい。武琉が悩んでる時は一緒に悩みたい。苦しんでる時は、俺も一緒に苦しみたい。武琉の全部を抱きしめていたいんだ」

 

 武琉は息を呑んだ。


「……でも、武琉は違うんだろ? 俺が男だから、男の俺じゃぁ、一緒にはいられないんだろ?」

「違う。違うよミハル。俺だって、同じだよ。俺だって、お前と一緒にいたいよ」

「じゃぁ一緒にいてよ」

「でも俺……怖いんだ。お前といると、全部壊しそうで……」

 

 武琉の声は震えていた。


「でも、本当は、ミハルのこと壊してしまいたいくらい抱きしめて、俺の中に閉じ込めておきたい」


「俺、武琉に壊されるならそれでも良い」


「ミハル」


「ずっと武琉の中にいさせてよ。俺を、いないことにしないで」

 

 ミハルの手が、そっと武琉の頬に触れた。

「男とか女とかじゃなくて……ミハルとして、見てよ」

 武琉はミハルの手に触れ、静かに頷いた。

「見てるよ。ミハル。ちゃんと見てる」

 

 武琉はゆっくりと、ミハルを抱き寄せた。もう理由は要らなかった。

 誰かを悲しませない為じゃない。自分がそうしたいと思ったから、抱きしめた。

 

 その瞬間、二人の長い恐れも孤独も、静かに溶けていった。

 

 二人は静かに見つめ合ったまま顔を近づけた。もう言葉はいらなかった。

 唇が重なり、ゆっくりと深く沈んでいった。お互いの吐息が混じり合っていく。

 触れ合った肌から、お互いの鼓動を感じた。


 まるで世界には二人しかいないようだった。


 そこには永遠に続く幸せがあった。


 時間の無い世界で、二人は一つになった。

 

 雪のような静寂と、夏のようなあつさが二人を包み込んでいた。

 

 そのまま二人は抱き合って離れなかった。

 

 そして、朝の光に包まれて目を覚ました。

 二人は視線が重なり、照れくさそうに笑う。


「おはよう」

「おはよう」

 

 軽く触れた唇に、かすかな幸せが宿る。

 まだ夜のぬくもりが、指先や髪の先に微かに残っていた。


 窓の外では、冬の光がやさしく街を照らしている。

 朝と夜の境界が、静かに溶けていった。


「一緒にシャワー浴びよう」

 

 武琉の声は、穏やかで優しかった。


「……本気で言ってるの?」

「俺はいつでも本気だよ」

「知らなかった」

 二人は少しだけ笑った。

 

 そして、一緒にシャワーを浴びて帰りの準備をした。

 静かだった。その空間を、やわらかな朝の光が包み込んでいた。

 服を整えながら、武琉は部屋の中に忘れ物がないかを確認した。


「俺、ずっと武琉のそばにいるよ。付き合うとか、もうどっちでもいい」


「ミハル……俺も、自分の幸せをちゃんと生きるって決めた」


「武琉?」


「俺はちゃんと、ミハルを見てる。だから、勝手に一人にならないで」


 ミハルは武琉にそっと近づき、抱きしめた。


「武琉、愛してる。やっぱり俺、武琉を好きになってよかった」


「俺も愛してる。ミハル、ずっと俺の側にいて。別れないで」


「うん」


 二人は静かに口づけを交わした。


「行くか」

「うん」


 ロビーに向かいながら、武琉は思った。

 俺はずっと、一人で解決しないといけないと思っていた。

 でもそれが、ミハルを孤独にしていたとは思わなかった。

 

 ーー俺は独りよがりだったのかもしれない。


 ヒーローになんて、なる必要なかったんだ。

 

 ミハルは強い。

 父親のことも『理解してほしいとも思わない』と言っていた。

 あの時は寂しい気がしたけど、それはそういう意味じゃなかったんだ。

 

 きっと、理解されないことは悪いことじゃない。

 

 ーーそのままにしておくのも、愛なのかもしれない……。

 

 武琉はミハルの言葉の奥に、静かな温かさを感じていた。

 

 これから大変かもしれない。

 

 でも、もう誰かの期待で生きるのはやめよう。

 これからは、自分の選んだ幸せを生きる。


 ーーきっとこれを愛と呼んだりするのかな……。


 武琉はくすぐったい気持ちになった。


 ミハルも、もう怖くはなかった。

 武琉と歩いていける。それだけでよかった。



 ロビーを出ると、冬の澄み切った空が広がっていた。

 武琉は息を吸った。冷たい風が、胸の奥まで入ってきた。

 

 寒いけど、悪くない。

 

 武琉は、ミハルにそっと手を差し出した。

 ミハルは少し驚いて、武琉を見た。

 武琉は優しく微笑んでいた。

 ミハルはゆっくりと、その手に自分の手を重ねた。


 二人の吐いた白い息が、ひとつになって溶けて消えた。

 その温もりのまま、手をつないで二人は前へ歩き出した。


 ――境界線が、静かに、光の中で溶けていった。





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