第九章 急転
金木犀の甘い香りが消え、乾いた風が枯れ葉を舞わせる季節になると、俺たちの間にあった甘い空気は、まるで嘘だったかのように消え失せていた。秘密の関係は、俺たちの心を少し、また少しと時を刻む砂時計のように確実に蝕んでいた。
学校の廊下ですれ違う他の男子と、絢子が楽しそうに話しているだけで、胸の中に黒い澱が溜まっていく。俺だけが知っているはずの彼女の笑顔が、いとも簡単に他人に向けられている。その事実が、嫉妬という名の醜い獣を俺の中で育てた。
「なんであんな奴と笑ってんだよ」
店のバックヤードで、俺は詰問するような口調で絢子に問いかけた。
「…クラスメイトだよ。普通に話しただけじゃない」
「普通ってなんだよ! 俺たちの関係、分かってんのか!?」
絢子の顔が、悲しそうに歪む。
「…直樹くんこそ、分かってるの? 私たちが、どれだけ危ない橋を渡ってるか。いつかバレるかもしれないって、毎日怖くて…」
愛しているからこそ、怖い。愛しているからこそ、相手を疑ってしまう。幸せだったはずの時間が、今は互いを縛り付ける鎖になっていた。俺たちは、お互いを想うあまりに、すぐ隣にいるはずの相手の心が、一番見えなくなっていた。
その夜、どちらからともなく、分かっていたはずの言葉を口にした。
「…もう、やめにしよう」
絢子の瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。俺は、それを拭ってやることさえできない。
「このままだと、俺たち、本当に壊れてしまうから」
好きだという気持ちだけでは、どうにもならないことがある。俺たちは、互いを守るために、別れることを選んだ。いや、選ぶしかなかった。冷たい秋風が、二人の間にできた決定的な亀裂を吹き抜けていった。




