第四章 俺の居場所、君の覚悟
俺にとっての居場所は、間違いなく『ピンクのお風呂屋さん』だ。そこには、口うるさいけど愛情深い涼おじさんと、いつも美味しいご飯を作ってくれる多惠子おばさんがいる。店の女の子たちも、俺を弟みたいに可愛がってくれる。ナイトレジャーの跡取り息子、藤木直樹ではなく、ただの「直樹」としていられる、唯一の場所。
だからこそ、絢子にこの世界に足を踏み入れてほしくなかった。太陽みたいな彼女が、夜の世界の暗闇に染まっていくのを見たくなかった。それは同情なんかじゃない。もっと別の、名前のつけられない感情だった。
ある雨の夜、絢子が再び店にやってきた。ずぶ濡れになった制服姿で、俺の前に深々と頭を下げた。
「お願いします。ここで、働かせてください」
聞けば、里親の父親の借金が膨れ上がり、もう待てない状況なのだという。幼い義理の弟たちを、施設にだけは入れたくない。その一心だった。
俺は、涼おじさんと多惠子おばさんに全てを話した。二人は驚いていたが、絢子の覚悟を知ると、黙って頷いた。
「…分かった。ただし、接客はさせない。裏方の仕事だけだ。掃除、洗濯、事務の手伝い。それでいいならな」
涼おじさんの言葉に、絢子の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。それは、安堵の涙だったのかもしれない。
こうして、俺と絢子の奇妙な二重生活が始まった。昼間は同じクラスの高校生。放課後は、寂れた店の従業員同士。俺は絢子に仕事を教え、絢子は黙々とそれをこなした。
学校では、ぎこちない距離を保ったまま。だが、店で二人きりになる時間が増えるにつれて、俺たちは少しずつ、互いの素顔に触れていくことになる。
仲間思いで照れ屋な俺の本当の姿。そして、誰にも見せない絢子の弱さや、時折見せる年相応の笑顔。
金木犀が香る秋に出会い、桜舞う春に再会した俺たち。これから来る夏、そして冬を、二人でどう乗り越えていくのだろう。まだ、その答えは誰も知らない。
ただ、確かなことは一つだけ。俺の世界は、石本絢子という太陽によって、間違いなく変わり始めていた。
(続く)




