第1章 金木犀と面接官
あぁ、覚えてる。生暖かさと冷たさが入り混じった花草の春手前の匂い、そうだよな、うん、この匂いだ。あいつと…絢子と出会ったて色々あったんだよなぁ。でも、湿り気を帯びたアスファルトの匂い、そして、それを掻き消すように甘く香る金木犀。俺、藤木直樹の世界が、色と音を持ち始めた、初めて生きてるって感じがした忘れもしないあの高一の秋。
ーーーーー2年前の春手前の匂いの頃
「…で、名前は?」
「石本、絢子です」
古びた応接室。擦り切れたソファに、趣味の悪いレースのカーテン。俺の城であり、親から押し付けられたお荷物でもある『ピンクのお風呂屋さん』の一室。そこに、目の前の女…石本絢子は、場違いなほど凛として座っていた。
歳の頃は…二十歳そこそこか? モデルみたいにスラリと伸びた手足に、きゅっと上がった口角。なにより、その強い光を宿した瞳が印象的だった。履歴書の写真は、どこかあどけなさが残っているのに、本物はまるで別人のように大人びて見える。
「年齢は、19歳です」
嘘だ。声が、ほんの少しだけ震えている。俺は黙って、履歴書に視線を落とす。そこには「平成17年生まれ」と書かれている。…俺と、同い年じゃないか。
「へぇ。で、なんでまたウチみたいな寂れた店に?」
わざとぶっきらぼうに、脚を組んでみせる。クールな経営者代理。それが、涼おじさんと多惠子おばさんがいない間に俺が演じるべき役どころだ。本当は、心臓が柄にもなく音を立てている。同い年の女が、年齢を偽ってこんな場所に面接に来ている。その事実に、胸がざわついた。
親は、日本有数のナイトレジャーグループ『夜帝』の経営者。俺はその跡取り。でも、あの人たちは俺に興味なんてない。物心ついた時から、俺の居場所はこの『ピンクのお風呂屋さん』で、育ててくれたのは血の繋がらない涼おじさんと多惠子おばさんだけだった。だから、この店と二人が俺の全てだ。こんな場所に、同年代の女を沈めていいはずがない。
「…お金が、必要だからです。なんでもします。見た目には、自信ありますから」
絢子は、真っ直ぐな瞳で俺を射抜いた。その瞳の奥に、悲壮な覚悟と、決して折れない芯のようなものが見えて、俺は思わず息を呑んだ。こいつは、本気だ。
「…考えとく。連絡するから、今日はもう帰って」
それだけ言うのが、精一杯だった。




