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5話

「――籠原!」



 暗がりの中走り抜けていると、小さな人影が身を縮こませていた。見上げた顔を見て、光輝は思わずぎょっとする。籠原愛が黒縁の眼鏡を片手に涙を拭っていた。



「大丈夫?」



 リュックの中からハンカチを探し出して、籠原愛に渡す。少し遠慮するように目を泳がせたが、素直に受け取って目元に当てた。

 

 肩を震わせている籠原愛は、いつもより少しだけ小さく見える。



「ごめん。俺なんか頼りないかもしんないけど……やっぱり心配だよ。大学のことなら協力できることもあるだろうし、家のことも手伝えること、何かあるかもしれないし……」



 考え無しに追い掛けてきてしまっていた。籠原愛はひとりになりたかったのかもしれないのに。偽善と言われたらそれまでだ。

 それでも、ひとりにしておけなかった。



「私は人と違うから、心配される必要ない」


「ちがくないよ」


「私は……氏神になるから」


「籠原は籠原だろ。氏神とか……関係ない」



 外灯の明かりが籠原愛の泣きそぼった目を照らす。長い睫毛に縁取られた瞳が大きく開かれて、光輝を見つめていた。

 車も人通りもほとんどない暗がりの中、時折葉擦れの音だけが響く。その中に籠原愛が大きく息を呑みこむ音が混じった。



「私……」


「俺は籠原が人だろうが氏神だろうがなんだって、困ってたら手伝いたいし、またどっか遊びにだって行きたいって思ってる。いや、今は忙しいだろうから難しいだろうけどさ……」 



 自分でも何を言ってるのかわからなくなって頭をかいた。けれど本心だった。



「また遊びに行く……?」


「勿論嫌なら無理には言わないけど……」


「私と、また……?」



 籠原愛はぱちくりと瞬きを繰り返した。仕草がいつもよりずっと幼く見える。少なくとも嫌そうな素振りには見えず、胸を撫で下ろした。嫌だと言われていたら、多分今度は自分が泣いていた。



「ああ。次は籠原が行きたいとこ行こう」


「私が行きたいとこ……?」


「うん。……よかった、泣き止んだな」



 目にかかった髪の毛を指でよけてやると、籠原愛の表情がよく見えた。

 赤くなってしまった目元が痛々しくて、親指で軽く撫でると籠原愛の熱い体温が右手に伝わってきた。すると、脱兎のごとく逃げ出してしまった。宙に残された右手が虚空を切る。



「え……」



 困惑した籠原愛の声に顔を上げると、いつかのように胸元が光っていた。ただ、以前とは違う輝きで暗がりを明るく照らさんばかりだ。

 慌てた籠原愛がシャツの中からネックレスを取り出すと、それは青みを帯びた光を一面に広げていた。


 勾玉が籠原愛の表情を青白い光で浮き上がらせる。眉間をひそませて、息をするのも忘れたようにただ見つめていた。青い輝きを誇示するかのように勾玉はチカチカと点滅を繰り返している。



「色変わってる?」


「うん……」



 籠原愛は条件を満たしたとき、色が変わると言っていなかったか。氏神になるための条件が揃った、とでも?


 しばらくすると落ち着いたかのように明かりが消えた。おそるおそる勾玉を見る。心臓がどくどくと脈打っていた。

 あの日透明だった勾玉は、外灯の明かりの元に晒されて今は深い青色のガラス玉となっていた。



「これで氏神になれる……」



 籠原愛は小さな声で呟く。光輝にはどうしても、勾玉を見つめるその瞳に戸惑いが浮かんでいるように感じる。



「中谷くんのおかげだよ。ありがとう」



 泣きはらして赤くなった瞳をほんのり細めて微笑む姿が、どうしようもなく痛々しく見えた。





 ◆ ◆ ◆




 それからまた一月が経った。籠原愛にはもう、会えないのかもしれない。

 籠原愛のいない大学はいつもと特に変わらず、当たり前のように毎日が過ぎていく。


 ただ、光輝の胸にはぽっかりと穴が空いているかのようだった。


 あれから何度も籠原神社の前を通った。けれど、毎回決まって石階段の先を見上げては、ため息をついていた。

 

 ――その先に上って籠原愛がいなかったら。

 そう考えるだけで踏み入る勇気は湧いてこなかった。


 氏神となった籠原愛がどうなるのか、皆目見当がつかない。



 ぼんやりと眺めている内に講義が終わった。周りの学生たちが足早に教室を後にしていく。

 最近はずっとこうだ。いつまでも籠原愛のことを引きずったまま、何をしてても身が入らない。ほとんど見てもいなかったテキストをリュックにしまって、光輝も席を立った。



 ふと視線を感じて、後ろの席を見ると女がじっとこちらを見ていた。

 

 黒縁の眼鏡に、長い黒髪。

 わざわざ目を留める人もいないような、地味な服装。


 この一月、あれほどその姿をどこかに探していた。当たり前のようにこちらを見る彼女に、目を疑う。

 それはどう見ても籠原愛だった。



「中谷くん、久し振り」


「久し振りっていうか……家の仕事、は?」


「あの後すぐ跡継ぐつもりだったんだけど、父が大学出てからでいいって言うから」


「へえ……?」


「父もすっかり元気になって、まだまだ代替わりさせないって気張っちゃってて……」



 籠原愛は気まずそうな表情を浮かべた。

 父親も元気になったならよかった。氏神様かなんだか知らないが、もう少し頑張ってほしいものだ。


 自然と笑いがこみ上げて、胸がじんわりと温かくなった。ああ、自分はこんなにも籠原愛に会いたかったんだ。

 


 

 ――籠原愛は少し変わった子だ。


 まだしばらく籠原愛と、少しだけ変わった大学生活を過ごせそうだ。

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