◈壱 相合傘
この都市の天候制御機構は故障中らしい。道行く人々の顔にも傘の影が張り付いて、長雨に辟易しているように見える。
けれども――駅前の軒下で雨宿りしている、異国人の男の顰め面は、少し事情が違った。
足を押さえて俯き加減でいた彼は、正面に落ちた影に気付いて顔を上げる。
二十を越えない若い女が立っていた。白黒の格子柄の着物に濃紅の袴をつけ、履物は革の長靴。細い首の両側を、浅葱色の横髪が滝のように流れている。
彼女が一歩前に出ると、蛇の目の端からぽたぽたと水滴が落ちた。
「スフィリ先生、ですよね?」
「誰だ」
「翡翠と申します。学院からの指示でお迎えに上がりました」
「……ふん。無意味なことを」
スフィリは傍らの壁に立てかけた傘を一瞥した。石突の下は滴りでぬかるんでいる。
彼がここで立ち往生していたのは、義足が気候に合わないせいだった。
機械類はおしなべて湿気に弱い。ただでさえ乾燥した気候の土地で作られたものが、この異常な湿気に耐えられるはずもなかった。
痛みで歩けないのに、小娘を寄越されても何になる。
八つ当たり同然の態度に、翡翠は一瞬戸惑いを見せた。けれどすぐ、彼女は傘をわずかに掲げ、微笑みと白い手を差し伸べる。
「どうぞ」
訝りつつも少女の手を握り返すと、――にわかに痛みが和らいでいく。
感じる。指先から癒しの力が注がれるのを。
傲慢は人の常だ。天候制御も然り、あるがままの自然を尊ぶことを忘れ、知識に溺れて倫理を穢す。いたずらに生命を弄ぶ。
研究機関において保護の名目で監視されている『成果物』は、形こそ人に準えているけれど、中身はしょせん木石だ。
翡翠もその一人――いや、一つ、と数えるべきか。
スフィリはバツが悪そうに礼を言った。対する彼女は笑顔のまま、気にした素振りはない。
ほとんど初対面の少女と手を繋いで帰るのは気恥ずかしいが、触れ合わねば効果がないというので、やむなくそのまま歩き出した。お役御免の蝙蝠傘が邪魔だ。
足許は雨水にぬらぬら輝いている。街灯の下を通るたび、水溜りから鈍い照り返しを受けた翡翠の肌が、さあっと薄緑色に透けて輝いた。
これは、人の形をした石だ。
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