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The time of Dawn 〜日本異界転移譚〜

作者: PV=

 その日、日本は未曾有の混乱に包まれた。

 いや、日本人以外からすれば、混乱の極地に突き落とされていたのは世界の方だったと言えるだろう。論理と科学(ロジック&サイエンス)で構成された世界においては有り得ない、有り得てはいけない出来事を目の当たりにしたのだから……






 横須賀繁華街、大通りから1本外れた裏路地の小さなバー。店主のサミュエルはスピーカーの調子が急に悪くなったことに気づいた。インターネットで公開生収録中の、母国のラジオ番組がノイズ音とともに途切れたのだ。


「おやじ、しっかりしてくれよ。折角先週のクイズの答え合わせが出来そうだったってのに台無しだぜ」


苦笑気味に文句を垂れた若い士官は子煩悩で通っている。おおかた、明日の休みは国際電話を繋ぎ幼い我が子とその話題で盛り上がるのだろう。ここで飲んだくれてる場合かよ?と茶々が席から飛んだ。


「わーってるよあんちゃん、ちょいと待ってな」


そう答えてサミュエルは手を拭き、スピーカーのつまみを少しいじってみる。しかし一向に治る気配がない。


「悪ぃなあんちゃん、パソコンの方かもしれねぇ。もう終わった頃合いだし、答え合わせは自分のスマホでやるこったな」


「あの番組ケチ臭いから放送中はリアルタイム視聴しか出来ねえんだよお」


不貞腐れたような情けない声と、それを野次る豪快な笑い声を背中に受けながら、その体格にしてはいそいそと言う擬音語が似合う挙動でバックヤードへ入る。つけっぱなしのデスクトップ画面を見た彼は、圏外の表示を見て顔を顰めた。スマホで繋ぐか、とポケットから取り出したそれもまたアンテナは表示されていない。こうなると流石におかしい。いくらメインストリートでは無いといっても混線や通信途絶が起きるほどの場所でもない。妙な胸騒ぎを覚えて慌てて表へ出ると、先程まで騒々しかった海兵たち(ボーイズ)が一人残らず消えていた。出来の悪い怪談のように、料理と飲み物だけが確かに彼らがそこにいたことを証明していて……ふとある可能性に行き着き、夏でもないのに嫌な汗が背中をしたたるのを感じる。電波障害、兵士の忽然とした消失……退役してこの国の妻を迎え、自らが帰化したと言っても勘が消え失せた訳では無い。現に今も続いている大国による侵略戦争は、近年最大の歴史的出来事なのだ。否が応でも脳内でキノコ雲の映像がチラつく。衝動的に店の扉を開けて夜空を見上げた彼を襲ったのは、強烈な違和感だった。ネオン、電飾、街灯、あらゆる人工の光に照らされた夜空に星が見えるはずなどほとんどない。せいぜいシリウスやベテルギウス、惑星の一部位だ。しかしそれらがあるべき位置には何も見当たらない。代わりにヘンテコな色のよく分からない光が浮かんでいた。


「……宇宙人が来たって星座が変わるわけじゃねぇはずなんだが」


そんなぼやきが聞こえたのかどうか。はえっ、というような素っ頓狂な声を出した方向を見れば、開いたままの扉と自分を見て外に出てきたのであろう妻がいた。彼女は彼女であらぬ方向を見て釘付けになっている。


「ユキ、俺の目がイカれた訳じゃないなら空が妙ちきりんなことになっているんだが……」


「ねえサム、私もおかしくなった訳じゃないわよね? ほら、あれ……」


彼女が指さしたのは、月だった。()()()()()()()。それは、明らかに見慣れた模様がないのっぺりした面を地上に向けている。つるりとしたその物体を見続けていると得体の知れない不安に押しつぶされそうな錯覚を覚える。


唐突に、旧友の言葉を思い出した。若い頃は甘いマスクで道行く女性を振り返らせていたくせに、本人はTRPG狂い(ナード)故にまるで頓着しなかった男。「アクター」といういささか出来すぎなあだ名で呼ばれていた彼がいつかの拍子に言っていた言葉を。


「無貌の神、ニャルラトホテプ。気まぐれで世界に干渉するそいつは、人を弄んで楽しむタチの悪い邪神さ」


理不尽に面した時は本当に実在するんじゃないかと疑ってしまうよ、と笑いながら話してくれたその知識が、嫌な実感を伴い脳内を反復した。






同時刻、首相官邸。不夜城と化しているのは日常茶飯事とはいえ、今回の件は次元が違った。あらゆる海外の情報、電波は遮断され、衛星も使えないものが出た。近隣諸国はおろか同盟国や同志国も応答が無い。緊急対策本部を設置し、情報収集に務めること5分、朧気ながら見えてきた事態はあまりにも不可解なものであった。


「……つまり、我が国にあったものであれば我が国が所有権を有さない場合、人々であれば日本国籍を有さない場合は存在そのものが確認できないと?」


顔を顰めて言葉を絞り出した総理大臣、安田に対して、国家安全保障局長の夏川が青い顔で頷く。


「米軍、各国大使館、それどころか公安の張り込んでいたスパイの潜伏先まで全てです。物であれば空母、共同で使っていた衛星、そちらも何もかもが……。有事に陥ったというよりは、世界がまるで我が国を残して消え去ってしまったような状況です」


その発言に呼応するように、新たに官僚から差し出された紙を一瞥した楢崎内閣情報官が呻き声をあげた。


「世界が消えたと言うより、我々が消えたと表現した方が正しいかもしれません」


怪訝な顔をする一同に対し、彼はさらに続ける。


「観測可能な天体が、地球から見えるそれとは全く異なるという国立天文台からの報告です。それどころか、物理法則に反するとしか思えない挙動が確認できるものもあるとか……彼らは仮説として、なんらかの原因で我が国が別の宇宙、別の世界に移動した、と考えていると」


そんなことがあってたまるか、と胸中で誰もが叫んだ。しかし現実は非情で、数秒、数分ごとにそうとしか思えない情報ばかりが積み重なっていく。通信が維持できている衛星が寄越した写真に付近の島や大陸は写っておらず、世界地図で見た事のない形をした大陸や島しか存在しないこと。他国にいたはずの人間や艦艇、航空機が突如として戻ってきており、一般家庭から大規模ターミナル、港湾に至るまであらゆる場所が混乱状態にあること。大気成分に未知の物質が含まれている可能性があること……次々と突きつけられる事実が、宇宙史始まって以来としか考えられない珍事に巻き込まれてしまったことを示し続けている。


「総理、激甚災害指定と共に非常事態宣言の発令を。会見及び談話の準備も迅速に行う必要があります」


「……そうだな、分かった。今この国は未曾有の危機に瀕している、早急にあらゆる方面での対応と調査をお願いしたい」


誰もが経験したことの無いような変事にあっても、会議は行われ対策が立てられていく。理性と知識をフル動員して懸命に対処しようとする人々の姿に感謝と少しの安堵を覚えた安田は、ぼそりと口を零した。


「しかし不思議なこともあるものだ。国が世界線を移動するという時点で有り得ない話だと言うのに、器用に我が国とそれに付随するもののみを選別するとは。これではまるで人為的な現象ではないか」


官房長官の梅本がそれを聞いて苦笑する。


「案外、それが当たっているかもしれません。だってこんなの、まるで魔法じゃないですか」






友軍の基地が通信途絶になろうが、海外に研修に行っていたはずの同期が狐につままれたような顔で門前に突っ立っていようが、スクランブル(対領空侵犯措置)が無くなるわけではない。むしろこのような異常事態だからこそ普段以上に警戒するべきであった。

とはいえ今回のそれはあまりに奇妙だった。単機がAngel10(高度3000m)で低速?しかも太平洋側?その上レーダ情報的にはプロペラ機でないのに容易に探知できるという。それでいて掌握している全ての飛行物体のデータと照合しない……強いて言えば飛行船か艦艇のそれに近いとは考えられるが、管制官もかなり困惑した様子で情報を伝えてくる。電波ではなく音声によるやり取りということだけが理由とは到底思えない、と長機のF-2を駆る円一尉は頭の片隅で思考した。飛行機にしては大きすぎる。かと言って飛行船にしては速すぎる。全て満たすような候補は、彼には思いつかなかった。


《アロー2、タリホー(対象を視認)……何だあれは!?》


僚機の伊馬三尉(ガク)が素っ頓狂な声をあげた。


《ガク、どうした?》


《船……いやあれは船なのか?とにかく飛行機じゃないです、変なもんが浮いてます!》


は?と疑問に思う間もなかった。自分も確認出来てしまったからだ。


それは飛行船と言うにはあまりに堅牢な装甲と立派な艦首を生やしていたのが遠目にもわかった。艦橋と思しき膨らみを境として前後の両舷に4つ、艦底の同配置を含めて計8つある単装の主砲は海自のそれと同じ規模だろうか。全長に比して申し訳程度しか無い大きさの翼は、まるで揚力を発生させているように感じられない。そして極めつけは、飛行に必要な推進機関と思しきものがまるで見当たらないことであった。目を疑うと同時に、100年ほど前の軍艦に適当な翼をくっつけて空に浮かべると丁度似たような感じになるのではないか、と円は思う。


マルさん(円一尉)……深夜からの日本中の騒ぎといい、魔法にでもかけられてるんですかね?》


伊馬の呟きに我に帰った。この接触が日本の未来を決めるかもしれない、そんな意識が首をもたげ、Gとは別の重みを臓腑に感じ始める。


《人は乗ってそうだし、とりあえずコンタクトを取ってみるか。無線が通じるかは分からんが……ガク、お前は距離開けておけ。最低でも15海里な》


ロジャ(了解です)、死なんでくださいよ》


向こうは気づいているのかいないのか、戦闘態勢に就いているようには見えない。上空背後を取れれば砲塔の角度と位置の関係的に即撃墜は免れる可能性が高いだろうと判断し、増速と共に高度を上げていく。彼我の距離がおよそ10kmになったところで暫し逡巡し、無線を開いた。


《あー……This is Japan Force. This is Japan Force. Are you copy?……こちらは日本国航空自衛隊、日本国航空自衛隊である、聞こえますか?》


反応は劇的だった。二度三度と繰り返すと、ザザッとノイズが走り、劣悪な感度ながらも返答がなされたのだ。


《……Eп Nephoncok-kakzeta? Eда Cgarmia Яagaphy, Cgarmia Яagaphy》


なるほど、分からん!奇跡的に一般用の航空無線の使用帯が被ったのは喜ばしい。相手の技術力も推し量ることができた。しかし英語でもフランス語でもドイツ語でも、ましてや中国語やロシア語でもない、全く未知の言語を聞かされることになるとは……円は頭を抱えたくなった。一応「日本国航空自衛隊」という単語が自称を表していることは伝わっているようだが……「くがみあ いゃがふぃ」ってどこの何だよ、と問い詰めたくなってくる。


《くがみあ いゃがふぃ?》


《Tia, Cgarmia Яagaphy. Eда Cgarmoi kembreяagaccmoz, Дйvas. Eп uдe jave?》


歳の頃は30後半から40くらいだろうか、少し渋みを含んだ威厳を感じさせる声が訴えかけてくる。しかし本当に会話として通じているのか?そんなある種の緊張を孕んだやり取りはここで突然終焉を迎えた。


《Moe……こうすればいいのか?いいんだよな?あー……ニホンコクコウクウジエイタイ?の人?これで意味通じてますか?》


意味不明だった言語が明瞭な日本語に変換される。明らかに異常な技術に、彼らが物を空に浮かべている方法と同じく魔法の類であろうと直感した。恐らくは未知の国、異世界の国とのファーストコンタクト……奇妙な感覚を味わいながらも円は慎重に返答を続ける。


《通じています!あなた方は一体……》


《こちらはクガム魔導連邦帝国空軍所属の航空哨戒艦ディーヴァス、艦長のレペリオ・クガメリナ。そちらは?》


クガム魔導連邦帝国。まるでどこかの小説にしか出てこないような名前の国家組織に所属すると主張する声を、眼前の物理法則を超越した物体を目の当たりにし、日本は、自分たちは、異世界に移動したのだという確信を抱く。


《日本国航空自衛隊所属、F-2戦闘機パイロットの円嘉路です》


ヒロミチ、ヒロミチ……と反駁するように無線から呟く声が漏れる。クガメリナ。国家の名称からして恐らく姓であろう。そして連邦帝国という政治体制……となれば艦長である以前にそれなりの地位にある人物ではないか、と円は推測する。少し言葉が切れた後、レペリオと名乗った声はさらに質問を投げかけた。


《ヒロミチ、我々は未知の災害に巻き込まれている真っ最中だ。貴国も同じか?》


本題だ。ぐっ、と操縦桿を強く握り直した。既に一人のパイロットとしての裁量は大きく超えてしまっている。しかしプロを呼び出している時間は無い。どこまで何を開示する?相手の意図は?一言一句の意味を噛み締めるように考える。


《……恐らく同じ状態かと。その中で貴艦を探知し、我が国の領土に近づいていることが分かったため、確認に来ました》


《……なるほど、だいたい分かった。針路上の遠くに見えるのが貴国の領土だな?詳しい話が聞きたいが……とりあえず、そちらの姿を見せてもらってもいいだろうか?我々はこのままの速度を維持し、航路を北へ取ろう。そちらからは見えているかもしれないが、本艦は同軸進路上方へ向けた武装が少ない。しかし観測は可能だ。そこで艦尾上空に来てはもらえないだろうか?》


《了解しました。転回を確認次第、後ろ側から追いつきます》


苦笑混じりの、それでいて配慮された要請に、ひとまずの安堵と若干の申し訳なさを感じる。真後ろ、相手に対し高高度、付かず離れずの5海里。航空機への知識が無ければ流石に視界に捉えるのは厳しかっただろう。針路を変更し始めたのを確認し、こちらも少しスロットルを上げる。エンジンは素直に反応し、一瞬で加速して狙い通りにぴたりと艦尾上空につけた。失速しないように注意深く出力を調整しながら下方に目をやる。ちらりと見えた鈍色の甲板には、遠目では分からなかった見張り台のような窓が複数付いており、その中に人、少なくともそれに近しいシルエットが多く動いているのも微かに分かった。哨戒艦と自称していたのもあるかもしれないが、対空に特化した兵装を持たないことからして、彼らの技術の限界がここなのだろう、と円はぼんやり考える。


《……信じられん、あんな小さな機体で……いや、1人乗りでは無いかと予想はしていたが……失礼。悔しいがほとんどの技術はそちらが上らしいな……私は祖国の中でもそれなりの地位にある、外交に関しても仲介は可能だ。貴国領土に本艦が着水か着陸可能な地点はあるだろうか?出来るならば会談を取り持ちたいのだが》


《断言は出来ませんが……権限のある者に掛け合って、やるだけやってみます。時間がどれだけかかるかは分かりませんが……諸事情でここを離れざるを得なくなった場合、着水しての待機、滞空、あるいは半径5海里以内での旋回待機は可能ですか?》


《およそ半径18トナイか、それなら全く問題ない。こちらもその間、本国に掛け合ってやるだけやってみよう》


微笑と茶目っ気を匂わせた返答に好感を感じながら、円は管制官と連絡を取る。


タワー(管制塔)タワー(管制塔)、大至急外交権のある人間と繋いでくれ。未知の国家とコンタクトが取れた》






前例のない事態において、国家及び生活の指針、首相談話、そして()()()()()()談話は極めて迅速に発表された。その甲斐もあってか、多くの国民が小説か妄想じみた現象を事実として何とか飲み込もうと、社会を維持しようと努力し始めている。事態の発生から四日が経過した今、僅かながら光明も見えつつあるのは素直に喜ぶべきことなのだろう。この国(スクラップ&)の底力(ビルドの精神)はまだまだ捨てたものでは無い、と内閣官房副長官の弓尾英匠は10年以上前に流行った映画のワンシーンをふと思い返した。もっとも対峙するのは怪獣ではなく、人もしくはそれに準ずる知的生命体とその組織だが。

異世界からの来訪者との折衝の計画は、あらゆる省庁の会議を紛糾させた。未知の病原体でパンデミック再びなどというのは勘弁願いたいが、相手がそれらの知見を有している確信は無い。ましてや政体も不明瞭だ。遵法意識や国際規範の概念がどこまであるのか。経済は?資源は?……軍備は? 国土と共に転移してきた衛星によって少しづつこの星のことが明らかとなってきているが、まだまだ詳細な解析が追いついていない。そして何より…と極秘の印が押してある配布資料に添付された、空飛ぶ船の写真に目をやる。物理法則が既存のそれに加えて()()()()()()()()()()が体系として存在する可能性が指摘された翌日には、その証明とも言えるこの写真が撮られたのであった。接触した空自パイロットによれば、無線通信上において翻訳が一瞬で、かつ極めて流暢なものとして行われたとのこと。魔法の実在を如実に示していた。未知の連続、ブルーオーシャンの宝庫。関係者に瞬く間に知れ渡ったこの情報は、眼前の訪問者への対応を脱線させるには十分すぎるものがあった。


「しかし俺が代表面してていいのか?」


「言い出しっぺの法則ってやつだ、グダグダになった会議を取りまとめたのお前だろ。ま、これで成功すれば次の次くらいには総理狙えるようになったんじゃないのか」


失敗したら首が物理的に飛ぶだろうがな、とぼやきに茶化しを入れるのは外務大臣補佐官(地球外国家担当)の森新継。急遽設立されたこの長ったらしい名前のポストは、異世界国家との折衝役の代表という一見名誉ある大役に見えるが、内実としては何かあった時の社会的・物理的人身御供という理不尽極まりないものであった。もっとも、こちらも同じく言い出しっぺがその職に収まっているのだから表立っての反発は少ない。森が上手くいけば配慮願いたい(高待遇しろ)と傲岸不遜に宣うのも当然といえば当然の話だった。


「アラさん、そこじゃない。向こうの政体的に俺が代表者でいいのかって話だ。せめて大曽根くんや大泉さんみたいな二世・三世議員……できるなら麻布さんみたく名家出身の人が顔役だけでも務めておいた方がいいんじゃないのか」


弓尾には生え抜きとしてのプライドがある。しかし今回に関してはそれが箔にはならない可能性を軽んじるほど自惚れてはいない。


「いや、それには及ばんよ。脱線しがちな内を纏めてばっかのお前さんと違って、こっちは多少随時更新される資料に目を通す時間があってな……これを見てくれ」


手渡されたものは衛星写真。その中央に写っているのは巨大な建築物だが、少なくとも宮殿や教会には見えないものだった。そして付近には現代技術的に洗練されたとは言い難い形状の車らしき物体が複数写っている。T型フォードだったか、それに似ているな、と既視感を頼りにかすかに記憶にこびり付いたその名前を思い出す。乗り降りしている人物は皆、簡素だが統一感と品のある服装をしているように見受けられた。明らかに一般大衆ではないだろう。


「……議事堂か?」


「少なくともそれに近しい役割を有するものだろうと言うのが分析班の結論だ。政教分離をしていないという線もあるがな、貴族による統治だとしても民主主義の概念が全く理解されない可能性は低いってわけだ」


「なるほど」


あとは向こうさん次第だな、と笑い飛ばす森に片眉を顰めつつも弓尾は特に何も言わない。交渉の余地がある、むしろ相手側も交流に積極的なのはファーストコンタクトからしても明らかであったが、森は決して警戒を解いていないのが分かったからだ。民間時代においては総合商社の営業を務め、政界入り後は外交チャンネルをも有する議員連盟、そのいくつもの場において存在力を発揮していた男の凄味と嗅覚は伊達では無い。当選同期、同派閥の弓尾としても頼りになる存在であり、またその感覚は政治家として至極当然のものであった。


「それで、会談に向けた準備の進捗は?」


「問題ない、官邸と各省庁の連携も十分に進んでいる。まあお前さんが実務代表(官邸主導)のおかげで省庁間の綱引きが多少減ってるのがデカイな」


「そうか……アラさんも無理はしないでくれよ」


「いーや、ここは無理させてもらうね。上手くやれば歴史に自分の名前が残せるって時に無理しなくてどうする」


「……それもそうか、まあ栄達が出来るだけの体力は残しておいてくれよ。後で他会派を入れるのは面倒だぞ」


「モチのロンだとも」






その会談に出席した官僚の総意は、随分とやり手が来たなというものにまとめられるだろう。

例の翻訳魔法か何かだろう、日本語で全権大使サヴィオラ・クガメリノと名乗った見目麗しい女性の所作には、隙も傲慢さも感じなかった。弓尾がレクとして、彼女ら外交使節団に対し移送中にこの国についてスライドや動画を交えて説明している最中も、才気と気品を感じさせた。帝家に連なる有力諸侯の出という紹介は伊達では無いのだろう。とはいえ地球ならば20代の北欧系とでも言っておけば通ったであろうその風貌に、会議室にて初めて彼女を見た官僚達の間で微かに侮りの空気が漂う。


『我が国が体系として有していないものは多くありますが、その中でもとりわけ宇宙空間における技術は興味がそそられますの。良好な関係を築き、将来的には貴国の宇宙開発に助力したく思いますわ』


着席後、にこやかな笑みと共に発せられたその言葉を聞いて認識を改めない人間はこの場にいないと弓尾は信じたかった。レクの内容を議論する際に、明らかに有していないであろう技術に関しては、伝えるとしてもこの場でカードとして切るべきだと判断されていたのだ。そして宇宙関連については日本の有する衛星以外に類似のものが確認されなかったことから、その最たるものとして挙げられていた。

この世界には魔法が存在するのに情報収集ではこちらに分があると思い込んでいた。何故そこに考えが及ばなかった? 向こうは何をどこまで知っているのだ? そもそも、我々が本当に彼らに対して技術面で優位性を確保出来ているのか……? 想定外の牽制球に、そのような声無き動揺が広がる。


「非常に興味深い提案です。貴国の技術は我々が元いた世界のそれと大きくかけ離れておりますので、国交の樹立によって双方に得るものがあればと思っております」


安田がにこやかに言葉を返す。万が一のリスクを鑑みて出席は別室からオンラインでの予定だったにも関わらず、強い意志で直接の出席を通した首相の、その動じない姿勢に官吏の落ち着きが取り戻されていくのを弓尾は感じた。かつては地球においても外交畑で辣腕を振るっていた男の肝の座り方は伊達では無い。それにこちらの手札が知られていても、優位性が完全に覆る訳では無いのだ。“()()()()()()()()()()()”……先程の彼女の発言からだってそれは窺える。


「それに、魔法……我々はそう呼んでいますが、元いた世界には存在していなかった物理法則には、電磁力及び未知の物質やエネルギーが絡んでいるようですね。こちらの有する科学技術と融合させられれば、貴国の肥沃な大地の更なる発展にも貢献出来るでしょう」


それを聞いたサヴィオラはきらりと目を輝かせ、その笑みを深める。


『ああ、やはり……! 貴国のように科学技術に秀でた国家が外交を重んじ、我が国の周辺に存在しているという幸運は何物にも代えがたいものですわね。我が国の価値観は少々魔法に偏ってはいますけれども、科学や法を軽んじるようなことはございませんし、由緒ある君主を戴く国家としても概ね共通の価値観を共有出来るかと思います』


その弁に日本の出席者からは安堵にも似たざわめきが漏れる。弓尾はいくつかの単語について微かな引っ掛かりを覚えたが、少なくとも直ぐに敵対的な関係に至ることは無いという事実に満足することにした。


『それでは遅くなりましたが、我が国についても簡単にご紹介いたしますね』


サヴィオラがパチリと指を鳴らすと、テーブルの上に1つの大陸を形どった立体映像が現れた。衛星が映し出していた、彼らの国土と思しきものだ。声こそ出さないものの、魔法の行使を初めて見る者は皆釘付けになった。


『我々の国土は、根幹を成すレカティマ大陸とそれに付随するいくつかの島嶼部から形成されています。大陸は緩やかな丘陵地帯と中央を南北に両断する滑らかな山脈、そして港湾施設を有する複数の沿岸大都市圏によってその大半を構成されておりますの。人口は約2億3000万人、公用語はクガム語。首都は東部のここ、スーサギアでその南部に最大の都市であるプテレカティマがございますわ。また当代の皇帝は初代から数えて51代、名をスセラハ・クガミナと申します』


彼女の指でなぞるような動きに合わせて、地図に線や点が、若々しい優男の顔が書き込まれていく。


『帝室成立以前は都市国家や農村共同体が複数点在していましたが、今からおよそ700年ほど前に別大陸からの侵略を撃退した初代皇帝ティマオ・クガミナがクガム帝国を樹立します。その後紆余曲折ありまして、現在のクガム連邦帝国の原型は250年頃前に完成いたしました。第37代皇帝、ヒヴァティム・クガミナの治世のことですわ』


再度指を鳴らすと、映像は金色の鎧と深紅のマントを身に纏った、精悍な顔つきの男のものへと切り替わった。これがその皇帝なのだろう。顔にはいくつかの古傷があり、彼女が言うような中興の祖というよりは覇者としての雰囲気を感じさせた。


『もっとも、科学技術の発展を含む法治国家としての歩みが本格的に始まったのはここ半世紀以内のことですの。普通選挙の導入もまだ30年も経過していませんし。まあこれは元の世界では国家を問わず魔法に秀でた者が優遇される風潮があったことに加えて、それらの価値観が一因にある紛争、戦争、侵略が多かったものですから……ある意味、異世界への転移に巻き込まれたことでそういった諍いが減るのではないかという期待が国民にあったのも事実ですわ。ですから、貴国との間に実りある関係を築けることを期待しています。この前代未聞の事態を前に、新たな友宜のあらんことを』


優雅な一礼を以て、サヴィオラの説明は終了した。誰からともなく拍手が巻き起こる。それは彼女の所作だけでなく、現代科学で説明のつかない現実を前に、各種情報を各々が突き合わせた結果、それなりに信頼に足る近現代国家の存在が確信できたことにも由来することだろう。同行していたクガムの者たちにも喜色が垣間見える。つかみは上々と言えそうだった。


会談、そして各種分野における政府間の交渉はさらに数日に及び、後に日ク共同宣言と呼ばれることとなるコミュニケ(外交声明)へと至る。別世界の国家との国交樹立、貿易の開始は一大ニュースとして国内を駆け巡り、彼らが有数の食料・資源産出国であることが判明した際には飢餓や現代文明の崩壊といった恐怖からの解放に誰もが安堵した。そして余裕が出来たことで人々はようやく、この世界の他の国はいかなるものかと目を向け始める。そう、この星にあるのは2つの国家だけではない。そして両国の事例を鑑みれば……衛星が捉えていた数多の島々と大陸はそれぞれが全て異なる世界からの来訪者である可能性が極めて高い。未知の法則、未知の物質、未知の文化、未知の生命……人々はこの新世界において上手くやっていけるだろうかと、期待と不安に胸を膨らませた。






新世界、新地球。いつからかそう呼ばれるようになったこの惑星において、日本という国が如何にしてその影響力を発揮するに至ったか? 第1回国際博覧会の開催、魔法省・魔法自衛隊設立、8月16日事変、転移戦争、ヒラサカ作戦、SOSICの開発と普及、そしてF-3M、SWING、かわち型護衛艦の実戦投入……世界転移と呼称されるこの事件から半世紀近く経過してもなお、専門家の間でも見解に相違はある。しかしその発端はクガムとの国交樹立にあるというのが通説となっていた。旧世界における戦略物資及び食料需要の大半を満たすことの出来る、価値観の共有可能な有力国家と接触できたことが何よりも大きかったのだと。あれこそがまさに新たな旭日の時であったのだ、と。


もちろんこの世界だからこそ生じた、新たな社会問題も存在する。「欠けた民族」事件、シーシュミッハ人の亡命、西方金融危機、偽神道の一部国家における流行、特定魔法犯罪の増加、クラエド・アディズィー紛争、魔王問題。いずれも大きな影響を及ぼし、現在進行形でその余波に悩まされ続けているものもある。官民を問わず然るべき立場にある者たちは各々が頭を悩まし、溜息をつきながら対策や善後策を練る。より過去から存在する、その他の様々な課題とも睨めっこをしながら。それでも人々の心が沈み切ることがないのは、それらをどうにか乗り越えてきたという自負があるからだろう、と円二尉は愛機を駆りながらそこまで考え、苦笑した。どうやら平時でなくとも思考に溺れるのは祖父譲りらしい。データリンクを受け、レーダ(JM/APG-1)が光点を複数映し出す。魔力反応は特一級が1、二級が3。音速飛行が可能な時点でSWINGの作戦班1個分に相当するだろう。テロや侵略の悲劇はもうお腹いっぱいだ、何としてもここで迎撃する必要があった。


オール・アローズ(アロー隊全機)、AMSオン。セイメイシステムもフル稼働だ》


アロー1(長機)の指示を受け、4機の黒翼が紫色の方陣を纏う。閃光が走り、大気が震えた。


スリーバンディッツ(敵影3体)ロスト(撃墜)。残敵、加速します》


F-3Mの飛行小隊規模での魔法妨害領域発動を受けてもなお、マッハ3に増速して飛び続けるのはもはや、一軍に匹敵する脅威と言って良かった。

突然お仲間がやられて激高したのか、直線的に飛んでいく。こちらの位置を把握しているのではなく、早期にこの空域を離脱して日本の都市を目指すのだろう。それを許せば45年前の二の舞だ。そんなことは絶対にさせない。


《アロー1、FOX1(MRAAM発射)!》


高い魔法耐性を有している以上、物理攻撃で対処するしかない。そう判断したのだろう、アロー1のウェポンベイが開き、ミサイルが放たれる。白煙を吹いて加速したそれ、AAM-8Bはあっという間に視界から見えなくなり……レーダ上でもう1つの光点と重なり、消えた。


グランドスラム(全機撃墜)!まさかこの規模のアンチマジックエリアを跳ね除けられるとは思わんかったが、それで限界だったらしいな》


《全くです。こっちはシエラ・ロメオがいるかと思いましたよ》


《ここ最近でも特に強力な連中だったな、エスモリルテの虎の子ってところか?》


《まあ詳細はE/S-1の連中に任せよう。RTB(基地に帰還)だ》


翻る翼は、この世界最強にして最凶の名を恣とする黎明の象徴。味方には追い風、敵には暴風を運ぶ、雷撃の片割れ。この機体もそういえば、紆余曲折の果てに()()()()()()()()()()んだな、と円は思い出す。なるほど、この国の代名詞たるにふさわしい、そう一人でくすりと笑った。


内乱、外圧、大戦、震災、病魔、転移。かつてはゼロどころか虚無からの門出もあった。しかしその度に這い上がり、再建し、新たな繁栄の礎を築く。明けない夜はなく、日輪はまた昇る。千代に、八千代に。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

何年ぶりの投稿だ!!!!バカ!!!!

リアルが想像以上に忙しかった&資料集めが多岐に渡り堂々巡りを繰り返していたのが仇となり、長編連載を年単位でほっぽり出してしまいました。その結果、書いては消し書いては消しを繰り返す羽目に…読者の皆様には申し開きのしようもございません。

少しでも勘を取り戻そう、というわけでまずは短編を書いてみることにしました。日本転移モノです。いくつかの作品に影響を受けて自分も書いてみたいなあと思っていたのですが、長編にするのは無謀だったのでこのような形になりました。久々にちゃんとした文章を吐き出しましたが、筆が乗るとやっぱり文字書きって楽しいなあと思います。もっとも推敲で地獄を見ますが。

ちまちま設定は練っているのでいつか長編としてリメイクしたいですね。まずは現行連載の立て直しからですが…頑張ろ(白目)

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[良い点] これは続きと言うか本編が読みたくなる作品ですねぇ 今後に期待します。 [一言] ≫我が国が所有権を有さない場合、人々であれば日本国籍を有さない場合は存在そのものが確認できない 野生の「特…
感想一覧
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