夜明け前の決戦(後編)
「黒の国出身。――やはり、恨んでますか? フリートラントくん」
「あ?」
「君のご両親が亡くなったのは大侵攻の時でしょう?」
こちらのやる気をスカすような、突然のメルヴィルの問い。
真意を測りかねて、一瞬答えに窮する。
十年前にこの魔法王国を襲った黒の国の第六次大侵攻。父上と母上は確かにその中で戦死した。ついでに言えば、一族郎党のほとんどが死んだ。
メルヴィルは今、三十路くらいだろう。口ぶりからして、あの戦争に黒の国側で参加していたのか。
ちょいと考えたのち、肩をすくめる。
「そりゃ黒の国は大ッ嫌いだよ。でも国と個人は別だからな。アンタを恨んだりはしねーよ。アミティのところが雇ってるってこた、極悪人ってわけでもねーんだろうし」
「あなたの両親を殺したのが私だとしても?」
虚を突かれ、硬直する。
メルヴィルの言った内容はすぐに飲み込めた。
しかし不思議と感情は動かなかった。
そうか――そういうこともあるか。
そう思っただけ。
すくめた肩をゆっくり元に戻して自然体になる。
メルヴィルはそんな俺を見て、薄く笑みを浮かべた。期待通りの反応だったとでもいう風に。
「申し訳ない。嘘です。むしろ逆でね。私の亡命を助けてくれたのが、君のご両親なのですよ」
「そうなのか? ああ。だから、うちの家名に反応してたのか」
苦笑しながら頷くメルヴィル。
どんな経緯があったら敵軍の大隊長を亡命させることになるのか。それは分からないが、いかにもうちの両親がやりそうなことだ。
メルヴィルは俺を通して誰かを見るような目をしていた。
「惜しい人たちを亡くしました」
「そう思うなら見逃してくれよ。恩人の息子の頼みだぞ」
「それはできません。家と個人は別ですし……それに個人的に君を試したくもある」
油断していた。
メルヴィルが一足飛びに間合いを詰めて来る。
煌めく刃。
息もつかせね片手剣の連撃。
速い。そして、それ以上に出どころが見にくい。
急所を狙った攻撃だけはどうにか剣で逸らす。しかし四肢を狙ったものは完全には防げない。
皮膚を、肉を、少しずつ切り裂かれていく。
相手の得物は短い。離れれば俺が有利。
だが巧みな足さばきでメルヴィルに間合いを調整され、その利点を生かせない。
「相変わらず、間合い管理が甘い。それでは【同衾加護】の強化が持ち腐れだ」
「うるせー! 事情があんだよ、こっちにゃよ!」
気合だけでも負けないように、叫び返す。
しかし現実は厳しい。気合だけでは状況は好転しない。
敵の猛攻をいなしながら後退する。反撃の糸口は見つからない。
「ロートくん! 君がお嬢様を助ける理由はなんです? ただの同級生でしょう? こんな痛い思いをしてまで助ける義理はないでしょう!」
片手剣の剣先が俺の右肩を貫く。灰色の荒地に俺の貴重な血液がぼたぼたと飛び散る。
意識が揺らいだ。血を失いすぎた。
「クソッ!」
気つけ代わりに大きく吠える。
激痛に耐えながら強引に片手剣を肩から引き抜き、何度か後ろに跳んで距離を取る。
メルヴィルは追って来なかった。
温情ではなく、返事を待つためだろう。
俺が下がったあたりに、ちょうどアミティがいた。お姫様は縛られたまま地面に横たわり、力強い眼光を俺に向けている。信頼と情熱。あとなんか色々な感情を内包した眼差しを。
「俺がコイツを助ける理由だと? んなもん、アランダシルでも言ったじゃねえか。『己の正義に背くべからず』だ!」
「家訓のために命を賭けると?」
「家訓だから命を賭けるわけじゃねぇ。俺の性格を表した言葉だから命を賭けるんだ。当家の人間は代々そういう性格なんだよ」
ちらりとアミティを見る。たまたまだが、己の道を貫こうとするコイツの生き方も実にフリートラント家的だ。だから気に入ったのだ。
「こいつが俺の家に飛び込んできたのは偶然なんだろうけどな。そんなんは関係ねーんだ。助けを求める奴は見捨てられねー。見捨てたら、それが負い目になる。一度負い目を作ったらまっすぐ道を歩けなくなる。父上たちと同じだ。アンタを亡命させんのだって楽なことじゃなかっただろ。それでもそうしたのは、それが正義だと父上たちが思ったからだ。そうしなかったら、後悔すると思ったからだ」
喋っているうちに、あやふやだった気持ちが固まってきた。
そうだ、俺は正しい。
「一度決めたことは曲げねぇ。そんくらい貫けなきゃ家の再興なんて、できっこねえ。自分の過去の行いに一つの後悔もなく、負い目もなく、己の正義に背くこともなく! 俺は胸を張ってフリートラント家を再興すんだよ!」
言い終える。
ラナはぽかんとしていた。
メルヴィルの反応は微妙だ。しかし薄っすら笑っているあたり、大外れな返答でもなかったのだろう。
この戦い、死んでも勝つ。
そう決意を新たにして、剣を構え直す。
「ロートくん、わたくしが自分の家に来たのは偶然だと思ってましたの?」
足元から、呆れたようなアミティの声。
気勢を削がれ、ちょっと不機嫌になって視線を落とす。
「あ?」
「本気で? ロートくんのおうち、二階ですし、表札もドアの横にしかなかったじゃないですの。わたくしがあの家を偶然見つけたと本気で思ってますの?」
「偶然じゃないなら、なんなんだよ」
アミティは視線を逸らして言いよどむ。
代わりになぜかメルヴィルが答えた。
「フリートラントくん、ご存知なかったのですね」
「なにが!?」
「【同衾加護】の勇者特権はですね。一緒に寝るのが意中の相手でないと効果が出ないんですよ」
「……は?」
“意中”。
その単語だけが頭の中で何度も反響する。
アミティを見る。
アミティはプイッと顔を背けて、俺の視線から逃げた。
ただの同級生。
たまに視線が合うだけの相手。
大賢者への請願は『見合いをさせるな』でいいんじゃないかと俺が言ったときのコイツの顔。
つまり、その――そういうことなのか?
「やーい、ニブチン!」
「君も気づいてなかったでしょうが」
野次を飛ばしてくるラナと、そのケツにゲシっと蹴りを入れるメルヴィル。
あまり強くは蹴っていないのか、ラナの集中は切れず《光束縛》は解除されなかった。
しばし茫然とその場に立ち尽くす。
アミティは下を向いたまま、なにやらぼそぼそと喋ってる。
「今年の春――同じクラスになった時、教室のみんなに堂々と自己紹介をするロートくんを見て、その……ときめいてしまったのですわ。魂を震わすような語りに、魅了されてしまったのですわ。だから今回、見合いをさせられると聞いたとき、結婚するなら絶対にあの方と――そう思って、ロートくんの家に向かったのですわ。……住所は前にクラス名簿で見たことがあったので知ってましたの」
年度頭の自己紹介。クラスのみんなの前で『俺は自分の家を再興する!』だの家訓だのを言った。
それを聞いてときめく女がいるなんて、想像もしなかった。
アミティが俺を見上げてくる。
意を決した、潤んだ瞳で。
「ロートくん。さっきラナはわたくしに『もうなにもできない』と言いましたけど……。そんなことはないですわよね?」
「……ああ!」
意図をくみ取り、アミティのそばに膝をつく。
両手でアミティを抱き起こし、背中に手を回す。
白く扇情的な肩と首が、目の前にあった。
甘やかで、危険で、抗いがたい、罠のような肌が。
大きく口を開ける。
思い切り首筋に噛みつく。
俺の二本の犬歯がアミティの肌に穴を空けた。
口腔内に血が流れてくる。
魔を討ち滅ぼす勇者の血が。
「あああああッ!!」
絶叫。
喉が、食道が、胃袋が焼ける。魂すべてが灼き尽くされるような激痛が腹から沸き上がる。
吸血鬼の固有能力の一つにして、その名の由来――【吸血】。
他者の血液を取り込むことで、一時的に様々な力が増大する能力だ。
勇者の血の浄化効果が終わると、次は吸血の効果が現れた。
全身の傷がまたたく間に癒えていく。焼けた消化器官はもちろん、切り裂かれた皮膚も肉も貫かれた肩さえも。
それまでぼんやりとしていた視界が、急にくっきりとしてきた。
頭の上から足先まで、力がみなぎる。
「ほう……面白い。本気を出してもよさそうだ」
メルヴィルが口端を吊り上げ、初めて構えを取った。低い重心、左手は開いて前に出し、片手剣を持つ右手は背中に隠す、人を殺すための構えである。
この男が踏んできた場数、戦場の凄惨さがその全身からにじみ出る。
鋭い殺気が俺の肌を刺す。背筋がぞくりとする。
しかし今の俺はそんなことで怖気づきはしない。
俺とメルヴィルは同時に駆け出した。
邂逅したのはちょうど中間。
互いの剣を激しく交差させる。
力は互角。二人揃って体勢を崩したが、次撃を先に繰り出したのは小回りの効く得物のメルヴィルだった。
放ってきたのは胸のあたりを狙った払い斬り。
半身になって紙一重でそれを躱す。
タイミングがギリギリだったわけではない。見切ったのだ。
「まさか……!」
メルヴィルが狐のような細い両目を見開く。
攻撃で伸びきったその腕を狙って、反撃を繰り出す。
メルヴィルは体ごと後ろに引いてどうにか躱した。
当たりはしなかったが、今までで一番惜しい。
「間合いの甘さが消えた……! 吸血の副次効果か!?」
うろたえ、一度間合いを取ろうとするメルヴィル。
この機を逃すまいと、俺はそれを追いかける。
「視力が上がったんだよ! メガネがねーから今までで見えづらかったんだ!」
僅かに間を開けて、前後から同時に『あ!』と驚く声がする。俺たちの戦いを眺めていたアミティとラナの二人からだ。
「そういえばメガネっ子でしたわね、ロートくん」
「そ、そうだった。教室ではいつもかけてるよなぁ。……今はなんでかけてないんだぁ?」
「忘れてんじゃねー! 全部、お前らのせいだぞ!」
二日前、アミティが部屋に押しかけてきた時に俺は印鑑と一緒に愛用のメガネを探した。文字がぼんやりとしか見えないせいで何の書類か分からなかったからだ。だが見つかる前に、アミティに強引に拇印をさせられ、ラナに部屋を爆破された。
「ぶち壊されたメガネの代金も後で請求してやるからな!」
吠えながら連撃を繰り出し、攻めたてる。
下がろうとしたところを狙われたメルヴィルは受けに回らざるを得ない。
【同衾加護】の効果。吸血の効果。視力の回復。
それらすべてが合わさっても、本気のメルヴィルにはまだしのがれる。
だが、ここまで実力が近づけば意表は突ける。
切り札である【血液操作】の剣での攻撃。それをフェイントに、アミティのように前蹴りを繰り出す。
見様見真似の一撃だったが、ニ回も身を持って味わった技だ。再現度は高く、綺麗にみぞおちに決まった。
メルヴィルの体が“く”の字に曲がる。
「俺たちの勝ちだ! メルヴィル!」
明確に宣言し、剣を振り下ろす。
腹を押さえたメルヴィルは満足そうに笑って、俺を見上げていた。
刃がメルヴィルの肩口を切り裂く。
瞬間、その全身が掻き消える。
勝った。
人里離れた荒地に、静寂が戻る。
俺以外の二人は何が起きたか分からなかっただろう。
しばしの後、ラナがわめく。
「メ、メルヴィルさん……? お、お前、メルヴィルさんに何したぁ!?」
「殺しちゃいねーよ。アイツは今頃アランダシルの街だ」
くいっと顎で北方を指し、長剣の赤い剣身をポンポンと叩く。
「俺のこの剣は斬りつけた相手を、任意の場所に《瞬間転移》させるんだ。アイツは振り出しに戻ったってわけさ」
「う、嘘つけ! そんな強力な能力あるわけ……」
「あるんだな、それが。別に信じてくれなくていいぞ。今からお前は自分の身で体験するわけだし」
「げえ!」
剣を片手に、ラナのところまで歩いていく。
ラナは逃げるか迷ったらしく、あたふたしながらあちこちを見たが、《光束縛》を維持しながらは動けない。
「け、けけけけ!」
破れかぶれに笑いながら、ラナがカラスを一羽、上空へ放つ。
「残念だったなぁ、ロートォ! 王都にいる執事長様にお前の能力を報告した! ざまぁーみろ!」
「……そうかい」
問題ない。
メルヴィルがしてたみたいに、げしっとラナのケツを蹴る。メルヴィルがやってたよりも気持ち強めで。
「あ、痛ぁ!」
ラナがコケる。同時にその右手から伸びていた《光束縛》の縄が消える。
自由の身になったアミティは立ちあがると、俺たちの方にすたすたと歩いてきた。
『メルヴィルに勝つなんて凄いですわぁ!』とか褒めてくれるものと思っていたが、そんなこともなく、俺と目も合わせなかった。
代わりに、こけたままのラナの前で腕組みをして仁王立ちする。
「ラナ。服を脱ぎなさい。わたくしのと交換しますわよ」
「え、な、なんでぇ!?」
「なんでって、あなたがボロボロにしたんでしょ、わたくしの鎧と服を」
「いや、《火球》のブローチ投げたのはメルヴィルさんで……」
「ブローチ作ったのはあなたでしょう」
アミティは有無を言わせず、ラナの着ている学校の制服に手をかける。
ラナはあわあわしながらそれに抵抗する。だが、どう考えても無駄だ。
アミティは気にしてなさそうだが、ラナは何かを訴えるような目でこちらを見ていた。
一応、俺は背を向けた。
衣擦れの音が終わる。
振り返ると、二人の衣服は入れ替わっていた。
アミティは見慣れた制服姿に、ラナは袖がない麻のシャツ姿になっており、ボロボロになった革鎧とラナが着ていた猫耳付きのパーカーは横に転がっている。
ラナはなぜか正座させられていた。
アミティはその正面で自分の新しい衣服を見下ろしている。
「これ、胸元がきついですわね?」
「そりゃあな。ラナは――」
「まな板ですものね」
「あ、こいつ! 俺は言う気なかったのに!」
アミティはジトっと俺を見て肩をすくめると、ネクタイを緩めてワイシャツのボタンの上三つを外した。
それでも胸元はパンパンだ。サイズがだいぶ違うのだから仕方ない。
「ロート、テメェー! まな板とはなんだコラー!」
「いや、それ言ったのはお前のお嬢様だろうが。まぁいいや」
ラナの横に屈みこむ。
ずっと気になっていたのだ。いい機会なので、ラナの伸びきった前髪をサッとどかし、その下に隠れていた素顔を見る。
「な、なにすんだコノヤロー!」
「はーん、なんだ。案外可愛い顔してんじゃねーか」
「な、な、な、な!!」
ラナはどもりながら顔を真っ赤にする。
猫を想起させるビー玉のような瞳をしていた。なんだろう。小動物的な可愛さのある顔だ。嫌いではない。
後ろからちょっと怖い声がする。
「ロートくん?」
「安心しろ、アミティ。お前が一番かわいいよ」
「イチャつくな、コラー!」
拳を振り上げ、俺の胸を殴ってくるラナ。
よっわ。
まるで痛くない。むしろ、なんだか癒された。
「もう追ってくんなよ」
たぶん無駄だろうけど念押ししてから、剣を振り上げる。
「や、やめろやめろ! ぎゃー!!」
懇願を無視して振り下ろす。
メルヴィルと同じように、ラナの姿が掻き消える。表皮を一枚斬った時点で能力が発動するので、痛くはなかったはずだ。
荒地に残ったのはこれで二人きりになった。
東の地平から朝日が昇る。
朝の爽やかな空気を肺一杯に吸い込む。
達成感というより、安堵感。
正直無理だろと思っていたのだが。
「なんとかなったな」
「え、ええ……見事でしたわ、ロートくん」
アミティの声は、なんか下から聞こえた。
振り向くと、アミティは顔を両手の手のひらで隠し、俺に背を向けて、しゃがみこんでいた。
「おい、どうした、アミティ。どっか怪我したか?」
「違いますわ……」
顔を隠したままの返事。
手の隙間から見える頬が赤い。
こいつ、まさか……。
「照れてんのかよ! 嘘だろ!?」
図星だったらしく、アミティはじたばたしている。
意外すぎて本気でビビった。こいつが家のドアを蹴破って入ってきた時よりも驚いた。
「お前でも照れることあんだな……。つーか、どこで照れた? なんか照れる要素あったか?」
「あ、ありましたわ」
「なんだよ」
「……わ、わたくしがロートくんを好きなことがバレてしまいましたわ」
「……はぁ?」
コイツは何を言い出すのか。
「今更そんなことで? ……照れるんだったら、もっと前に色々あっただろ。婚姻がどうのとか、焼け焦げてだいぶきわどくなった服とか、同衾とか」
「そ、そんなのとはレベルが違いますわぁ! あああ、恥ずかしいですわぁ!」
両手で顔を隠したまま、地べたを転げまわるアミティ。
俺は唖然としてそれを見ていた。
信じがたいが、ホントにそんな理由で照れてるらしい。
こんな盛大な照れ方してるほうが、ずっと恥ずかしい気もするのだが。
アミティの痴態をしばし見守る。
次に東の朝日を見つめる。
最後に頭上に広がる、抜けるような青空を見上げた。
なぜだか笑いがこみあげてくる。
アミティの横に屈んで、手を差し伸べる。
「ほら、王都まで行くんだろ。お前の言った期日まであと三日しかねーんだ。照れ散らかしてる暇はねーぞ」
「そ、そうですわね」
転がるのを止めたアミティがいそいそと俺の手を取る。まだ恥ずかしいのか、目を合わせようとはしないが。
つくづく、おもしれー女だ。
おもしれー女は嫌いじゃない。
アミティの手を引いて、“賢者の石橋”を渡る。
遮る者は、もういない。
俺たちの逃避行――あるいは覇道の第一幕は、こうして終わった。