夜明け前の決戦(中編)
翌日、早朝――夜明け前。
永遠に続くかと思えた魔法王国北西部の森林地帯を、俺たちはついに踏破した。
たどりついたのは広大な荒地地帯。
そこには大陸でも有数の高低差を誇るダーリエン大渓谷が東西に走っており、一つの石橋がその南北を繋いでいる。
“大賢者の石橋”。
その名のとおり、大賢者が建国戦争期に魔術で創造したとされる石橋。その内の一本である。
この荒地は一年を通してほとんど雨が降らない。そのため極度に乾燥しており、足元には背の低い草がまばらに茂っているだけ。見渡す限り、石橋のほかに人工物はない。
人の姿も当然ない。ただ一人、守衛のように橋の正面に立つ、執事服姿の狐目の男を除いては。
「おはようございます。お嬢様、フリートラントくん」
メルヴィルは白み始めた空を背景に、慇懃に頭を下げた。
いつからここで待っていたのだろうか。体調は万全なように見える。
「おはようじゃねーよ、こっちは夜通し歩いてきたんだ。元気そうな面しやがって。むかつくんだよ」
中指を立てた右手を相手に向けて、吐き捨てる。
ちなみに言ってる内容は嘘である。ここで待ち伏せされてるのは読めていた。少し前に小休止をしたから、俺たちも体調は万全だ。
アミティがいつもと違う真剣な顔つきで、進み出る。
「おどきなさい、メルヴィル」
「残念ながら……」
苦笑しながら首を振るメルヴィル。同時に人差し指を空に向ける仕草をする。前にも見た、上の命令には逆らえないというジェスチャーだ。
辺りを見回す。あの陰キャ魔術師の姿がない。
「おい、ラナはどこだ?」
「アランダシルに帰しました。今日は正々堂々戦うつもりなのでね」
「嘘こけ」
コイツがラナに『協力してもらう』と言ったのを、俺たちは【天啓夢】の中で見ている。
そしてこいつは俺たちが見ていたのに気づいている。なんかすっとぼけているが、無駄な駆け引きだ。
一応、上空を確認するが、《飛行》の魔術でラナが飛んでたりはしない。
周囲は身を隠す場所のない荒地。だが、魔術師ならばどうとでもなる。例えば《瞬間転移》で強襲するとかだ。
その辺は相手が取ってきそうな手が多すぎるので、警戒しても仕方がない。
アミティが姿勢を低くして聖銀の短刀を構える。路地裏のチンピラみたいに。
「正々堂々とか知ったこっちゃありませんわ。こっちは二人がかりでいきますわよ」
「それはもちろん、ええ、どうぞ」
メルヴィルの返答には微塵の緊張も感じられない。すでに右手には魔力を帯びた片手剣が握られているが、だらりとぶら下げているだけで構えもしない。
親指の腹を犬歯で噛む。流れ出た血で、鍔のない赤い長剣を生成する。
【血液操作】。
この剣で一斬りすれば、それで終わりだ。
能力が発動すれば、だが。
アミティは左へ、俺は右へ、少し歩いて距離を空ける。
それから、じわりじわりと敵へ近づく。
メルヴィルは何の反応も示さなかった。
圧倒的強者の余裕。
そこに付け入る隙がある。あると信じて、やるしかない。
「行きますわよ!」
威勢よく叫んで、アミティが左から飛び込む。
同時に俺も右から斬りかかる。息を合わせた挟撃だ。
メルヴィルはアミティの方へ一歩踏み出した。
結果、俺たちの攻撃のタイミングは僅かにズレる。
「及第点。狙いは悪くない」
すました顔で評価しながらメルヴィルは、アミティが繰り出した短刀の突きをその手首を掴んであっさり止めた。
直後に俺が振り下ろした剣は片手剣で大きく弾かれた。
アミティの二の矢は迅速だった。手首を掴まれたまま、身をひねって強烈な上段蹴りを繰り出す。
メルヴィルは屈んでそれを躱した。そして屈んだ勢いを活かしてアミティの手首をひねり、横へ投げ飛ばす。
二人の攻防の間に俺はメルヴィルの背後へ回りこんだ。姿勢を低くして、今度はふくらはぎの辺りを狙って斬りつける。
死角からの下半身への攻撃。
普通ならば必中の一撃。
だが、それすらもメルヴィルは大きく跳ねて簡単に躱してみせた。
その上、空中でこちらを向き、不安定な体勢のまま片手剣の刺突を放ってくる。
想定外のカウンター。
全力で上半身を反らす。やられたと完全に覚悟した。
しかし剣は俺の肩口を薄く切り裂いただけ。
メルヴィルもやったと確信していたのか、意外そうに眉を上げた。
俺はそのまま転がって距離を取る。
メルヴィルは追撃をしてこない。今度はアミティが後方から攻撃を仕掛けたからだ。
二人は徒手格闘と剣戟を交え、激しくやりあう。割り込む隙を見出せないほどの苛烈さだ。
短刀と片手剣。獲物は違うが、師弟なだけあって二人の戦い方はよく似ている。
強い。
そうだろうなと思っていたが、やはりアミティの戦闘技能は俺より数段上だ。
しかし、そのアミティと二人がかりで攻めたのに、メルヴィルにはまだまだ余裕があった。
本当に強い。
才能、鍛錬、実戦経験。それらが高度に合わさると、ここまでいくのか。
感嘆の念を抱いて見守っていると、メルヴィルに投げ飛ばされてアミティが俺の足元まで転がってきた。
仕切り直しである。
アミティに手を貸して、立ち上がらせる。
二人並んで、上がった息を整える。
アランダシルの街で戦ったあの時のように、メルヴィルに疲労の色はない。
「やりますね。いえ、お嬢様ではなく、フリートラントくん。アランダシルの街でやった時とは動きのキレがまるで違う」
「そうかい。そりゃどうも」
「……さては、お嬢様と寝ましたね?」
「ふぁっ!? な、ね、ねねね寝てねーわ!」
反射的に答えてから、訂正する。
「いや、同じ外套に包まって寝はしたけどよ。それ以上はなんもしてねえよ!」
「ふむ? やはり【同衾加護】の効果でしたか。想像以上だ。……困りましたね。少し楽しくなってきた」
笑うメルヴィル。
こっちはぜんぜん楽しくない。
アミティが油断なく相手を見据えながら、俺の耳元で囁く。
「ロートくん、わたくしが体を張ってメルヴィルの動きを止めますわ。だから――」
続きは言わなかった。
メルヴィルはこちらの切り札を察しているだろう。ラナに俺の能力を探らせたし、それは明白だ。
このレベルの敵が警戒している中、一撃入れるのはやはり至難の業。メルヴィルも主に深手を負わせるようなことはないだろうし、アミティの策は有効そうに思える。
「任せろ」
こくんと頷く。
アミティはそんな俺を見て、どこか嬉しそうに微笑んだ。
ほんの一瞬、気が緩んだ。
だから、次の攻撃を躱せなかった。
――目の前にいるアミティが放った前蹴りを。
腹部に鈍痛を覚える。
同時に大きくふっとび、荒地を転がる。
ぐるぐると回る視界。
その中で、確かに見た。
俺を蹴り飛ばして体勢を崩したアミティの元に、メルヴィルが投げた何かが飛んできて、大爆発を起こすのを。
《火球》のブローチ。
ここで使ってくるのか。
ようやく勢いがなくなり、起き上がる。
黒煙に包まれ、アミティの姿は見えない。だがアイツには【火耐性】の勇者特権がある。たいしてダメージは通らない。
それはメルヴィルも分かっているはず。
この攻撃の狙いはなんだ?
黒煙をめくらましにして襲ってくる?
いや、違う。
「くけけけけ! やったぁ! やりましたよぉ!」
陰キャの歓喜の声がした。メルヴィルの後方、石橋の方からだ。
黒煙が晴れる。
地面に横たわっていたのは焼け焦げた革鎧のアミティ。
その全身を、魔力で練られた光り輝く縄が縛り上げていた。
《光束縛》。
拘束系の上位魔術だ。これを確実に当てるための《火球》だったのか。
「見直しましたわよ、ラナ。わたくしの魔力抵抗を抜くとは驚きですわ」
縛られたまま笑うアミティ。
返事はメルヴィルの後ろの、わずかに草が茂っている辺りからした。
「ふ、ふへへ。苦労しましたよぉ。効果拡大しまくりましたからねぇ」
一部の草が数羽の黒い鴉に変化して、バサバサと空へ飛んでいく。
そこの地面に伏せた状態で、ラナが右手をこちらへ向けていた。アミティを縛る光の縄はその右手から出ている。ずっとあそこに隠れて機をうかがっていたようだ。
「これでお嬢様はもう何もできない! おい、ロートォ! おまえ一人でメルヴィルさんに勝てるかぁー!?」」
大声で煽ってくるラナ。相当しんどいらしく、その額には脂汗が浮かんでいる。
勇者の魔力抵抗力は常人のそれとは桁が違う。あの手の“通れば勝ち”な魔術を通すには膨大な魔力を消費したはずだ。それに拘束を持続するのに、意識を集中し続ける必要がある。よく煽る余裕があるものだと、むしろ感心してしまう。
アイツの集中を阻害できれば、アミティの拘束は解ける。近接攻撃できれば確実だ。
だが、ラナの前で立ちふさがるあの男が、それを許すとは思えない。
「おい、メルヴィルさんよ。正々堂々って話はどこいったんだよ」
「正々堂々でしょう。これで一対一です」
「ちっ、黒の国出身の奴の言うことを信じた俺がバカだったよ」
構図は二日前――アランダシルの街の袋小路と同じだ。
あの時は逃げ場がなくて戦った。今度は進むために戦っている。
ラナの横やりはもう心配しなくていいだろう。さすがにそれだけの余裕はなさそうだ。
だが、状況がよくなったとはとても思えない。
勝てるだろうか。
勝つしかない。
赤い刃の長剣を構えなおす。
ここが正念場だ。